稀羅&莉洸編





 莉洸(りこう)はどうしようと溜め息を付いた。
ここ数日ずっと1人で考えていたが、結局は結論が出ないままで、もう後は頼りになるあの人物に相談するしかないとよう
やく思い切り、まだ暖かな日差しが差し込む渡り廊下を歩いて、目的の場所へと向かった。

 「衣月(いつき)」
 「莉洸様?」
 書庫にいるという召使いの言葉通り、衣月は王宮の東側の地下にある、薄暗い書庫に1人でいた。
ここには過去の国政に係わる資料が保管されていると聞いたことがあるので、衣月も仕事のために来ていることは分かっ
ていたが、何時も彼の人と行動を共にしている衣月を1人の時に捕まえるのはこういう時しかなかった。
 「お仕事中ごめんなさい。どうしても衣月にお願いしたいことがあって」
 「私に?莉洸様の願いごとならば、私などよりも稀羅(きら)様にお話になられた方がよろしいですよ?」
 「稀羅様にお願いしていいのかどうか・・・・・聞いてくださらないかもしれないし・・・・・」
 「え?あなたの願いを聞かれないとは・・・・・信じられませんが」
 「本当なんです。あの、今度の・・・・・僕達の結婚式のことで・・・・・」
そこまで言うと、莉洸は本当にどうすればいいのだろうかと途方に暮れる思いで、再び溜め息を付いてしまった。



 大国である光華国の第三王子、莉洸を、半ば奪うようにして自国へと連れ去った蓁羅の王、稀羅を、光華国の王で
莉洸の父である洸英はなかなか信用することが出来なかったようだ。
 それでも、可愛い莉洸の願いを無にすることが出来ず、洸英は100日間、その気持ちが変わらず、莉洸を大切にし
てくれるのならば結婚を許可するという言葉を告げた。

 稀羅はその言葉を守り(身体の関係は早々に結んだが)、いよいよその約束の日は間近に迫った。
残りが30日を切った数日前から、稀羅はさっそく自分と莉洸の結婚式の準備を始めた。もちろん、莉洸もそれを望んで
いたはずだったが・・・・・。



 「莉洸様、いったいどうされたのです?」
 莉洸も、今では稀羅を心から慕ってくれていると衣月は信じている。だからこそ、実際に事が進み始めてから戸惑うとい
うことが信じられない。
 「・・・・・稀羅様は、僕のためを思って、盛大な式を挙げようとしてくださっています。僕も、一国の王である稀羅様に相
応しい式を挙げることは当然だと思っていますが・・・・・その・・・・・」
 少しだけ莉洸は口ごもった。
(そんなにも言い難いことなのか?)
もしかしたら、稀羅への愛情に変化があったのかとまで考え、そうなった時の稀羅の痛嘆を想像すると、この先の国政に
も係わってしまうだろうとさえ思った。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 せめて、愛情の移り変わりがないように・・・・・そう願った衣月に、莉洸の小さな声が届いた。
 「・・・・・どうしても、花嫁衣裳を着なければ・・・・・ならないのが・・・・・」
 「は?」
 「稀羅様は、僕のために最高の衣装を用意するとおっしゃってくださっています。とても嬉しいと思いますが、僕は・・・・・
光華国の王子で、王子なのに・・・・・花嫁衣裳を着るのは、どうしても恥ずかしくて・・・・・」
 「それだけ、ですか?」
 「とても、重要なことです」
泣きそうな顔で訴える莉洸に、衣月は内心安堵の息をついた。
(御結婚自体を拒んでおられるわけではなかったのか)



 莉洸の兄で、光華国皇太子、洸聖と、蓁羅の王女、悠羽の婚儀に出席した稀羅は、あの結婚式に負けないような
式をと考えていた。
 愛らしい莉洸は、着飾ればもっと美しくなる。こんなに素晴らしい相手を伴侶に出来ることを、国内外に広く知らしめた
いと思っている稀羅は、とにかく盛大な婚儀を計画していた。
時間は、30日を切っている。洸英との約束の100日を過ぎた翌日に、莉洸の全てを自分のものにしたいので、準備は
早ければ早いほどいいだろうと、稀羅はどんどんと話を進めている最中だった。

 トントン

 執務室の扉が叩かれた。
まだ会議には早いだろうと思いながらも入室を許可すると、中に入ってきたのは側近の衣月だった。
 「もう資料は集まったのか?」
 特産である薬草を効果的に国外に売るために、過去の取り引きの経緯を記した資料を集めるようにと命じたが、もう
済んだのだろうか?
 「・・・・・稀羅様、政務中だというのは分かっているのですが、少しお時間を割いていただけますか?」
 「・・・・・何だ、改まって」
その物言いに眉を顰めた稀羅に、一度頭を下げた衣月はそっと身体を横へとずらす。そこには・・・・・。
 「莉洸?」
 愛しい人の姿に、稀羅は珍しく驚いた声を出してしまった。今まで莉洸が自分の政務中に部屋を訪ねてきたことがな
かったからだ。
同時に、莉洸の表情が優れないことも直ぐに見て取って、稀羅は足早に近寄るとその腰を支えるように抱きしめた。
 「どうした、気分が優れぬのか?」
 「稀、稀羅様、あの・・・・・」
 なぜか、ちらっと衣月に視線を向ける莉洸に、稀羅の眉は顰められた。
 「・・・・・衣月」
何を視線で話し合っているのかと威嚇をこめた声で名前を呼べば、十分その意味を分かっているらしい衣月が苦笑を向
けてくる。
 「莉洸様はお悩みがあるそうです」
 「悩み?」
 「それは、もちろん稀羅様でしたら解決されるのが可能なこと。しばらく人払いしますので、どうかゆるりとお話し合い下さ
い」
そう言って、衣月は執務室から出て行ってしまった。



 一緒に稀羅のもとへ行って話してくれると言ったのに、衣月は自分を置いて行ってしまった。
どうしたらいいのか困ってしまった莉洸は、そのまま稀羅に顎を取られて顔を上向きにさせられてしまう。
 「莉洸、悩みとは何だ?」
 「・・・・・あ、あの・・・・・」
 「どうやら衣月は知っているようだが・・・・・私には言えぬことか?」
 目の前の、精悍な顔が悲しげに曇っている。深い愛情を向けてくれる彼を悲しませるつもりなど全くなくて、莉洸は誤魔
化すことも出来ずに自分の今の悩みを打ち明けた。

 「・・・・・花嫁衣裳が嫌なのか?」
 「い、嫌というか、僕は姫ではないので・・・・・」
 口ごもりながらも必死で言う莉洸の悩みは、稀羅が全く想像もしていなかったもので、もちろん本当に莉洸が嫌ならば
考えなすことも構わなかった。
ただ、愛らしい莉洸の花嫁姿は、きっと美しいだろうとも想像出来て・・・・・少し、残念に思う。
 「・・・・・ごめんなさい、稀羅様。我が儘ばかり言って・・・・・」
 「いや、婚儀は2人のための儀式だ。お前が嫌だと思うことはしない」
 「稀羅様・・・・・」
 「ただ・・・・・」
 稀羅は、小さな願いごとを口にした。
 「私の前でだけ、花嫁姿を見せてくれないか?」
 「稀羅様、だけ?」
 「そうだ。他の者に見せなくても良い」
考えれば、美しい花嫁姿を自分だけが見ることが出来る方が楽しいかもしれない。彼の大切な親兄弟にも見せない姿
を、自分だけが・・・・・。
 「頼む、莉洸」
 少しだけ甘えるように言いながら、稀羅は莉洸の小さな唇に口付けをする。肯定の返事を聞く前に、とにかく今はこの
甘い唇を味わう方が先決だと思った。
(後で必ず、是と言わせるがな)





                                                                 end