恋人の証








 「和沙君、なんかあった?」
 「え?」
 「・・・・・」
(まただ)
 「最近、何か・・・・・雰囲気が変わったからさ。もしかして彼女でも出来た?」
 「い、いえ、そんな人いません・・・・・っ」
 「・・・・・」
(まあ確かに、彼女ではないよな)
 「じゃあさ、今度の日曜映画でも行かないか?丁度約束してた奴がキャンセルになってさあ」
 「あ、え、いえ、あの」
 「・・・・・」
(断わればいいのに)
 助けを求める視線を横顔に感じ、沢渡は少しだけ笑みを浮かべながら顔を上げる。
案の定チラチラと沢渡の方を見ていたらしい和沙は、やっと助けてもらえると思ったのか小さく安堵の溜め息を付いていた。



 外資系の企業に勤めている沢渡俊也(さわたり としや)の恋人は、大学1年生の杉野和沙(すぎの かずさ)という青年だ。
初めて知り合った時、和沙はまだ高校3年生で、叔父が経営している喫茶店でアルバイトをしていた。
人馴れしてない臆病な和沙は、なかなか沢渡に近付こうとはしなかった。どんなにアプローチをしても、怖がるなと言っても、和沙
は怖がって逃げていくばかりだった。
 手に入れることが出来たのは、沢渡が和沙よりもはるかに大人で・・・・・ずるい男だからだ。
少しずつ、和沙が逃げられないように囲っていって、愛しいあの青年は自分のものになった。
 付き合って1年、高校3年生だった和沙も、この春休みをこせば大学2年生に進級する。それに合わせたわけではないが、3日
後、いよいよ2人は約束をした2人きりの旅行に行く事になっていた。



 まだ肉体関係を結んでいないことを、和沙は沢渡に申し訳ないと思っているらしい。
確かに沢渡も愛しい相手を手に出来ないことに多少のじれったさを感じないわけではないが、押し倒してでもその身体を手に入
れたいというほど若くもない。
時折触れることの出来る唇は甘かったし、好きな相手がいるのに他の人間に手を出そうとも思わなかった。
 和沙の性格では、まだもう少し、1歩踏み出すのには時間が掛かると思っていたが、どういう心境の変化か逃げ場を与えた旅
行の誘いに、和沙は頷いてくれたのだ。
 多分・・・・・その旅行で沢渡は和沙を抱くだろう。和沙もその覚悟はしているはずだ。
あと3日、多分和沙は今、逃げ出したいと思う自分の心と葛藤している最中なのだろう。



 「和沙、ちゃんと断わらないと」
 「・・・・・」
 急に声を挟んできた沢渡に、男はムッとした表情を見せた。
この男は、和沙が喫茶店でバイトを始めた当初から声を掛けてきた常連客の1人だ。沢渡も名前は知らないが顔は知っていた。
 「・・・・・どういうこと?」
 「和沙は俺と約束があるんだ、な?」
 「本当に?和沙君」
 「あ、は、はい」
 旅行に行くとはっきりとは言えないのだろう、和沙は言いにくそうに頷いてみせる。
その表情は以前の怯えただけのものではなく、どことなく艶っぽく見えるのは沢渡の気のせいばかりではないだろう。
(俺の前でだけ見せてくれればいいのに)
無意識なだけに罪深いと、沢渡は苦笑した。
 「どこ遊びに行くんだい?」
 「え?」
 「なに、言えないの?」
 「・・・・・」
(案外しつこいな)
 和沙の急激な雰囲気の変化に、20代後半のこの客も焦っているのかもしれない。
誰かに手を出される前にと、なんとか和沙の意識を自分の方へ向けようとしている。
 「和沙君」
 「あの、僕・・・・・」
 「田代さん、あんまりこの子を苛めないで下さいよ」
 「マスター、俺は別に・・・・・」
 険悪になりそうな雰囲気の中、和沙の叔父でこの店のマスターである笹本が穏やかに割って入ってきた。
確かにここは沢渡が対するよりも穏便に済むかもしれないが。
(多分・・・・・諦めないだろうな)
和沙が沢渡と約束したということは、自分も誘えばOKをもらえるかもしれないと、余計な希望を抱かせたかもしれなかった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
こちらを見ている和沙は、ごめんなさいといっているかのように眉を下げている。
 「・・・・・」
 その顔を見ているうちに、沢渡は心を決めた。
 「マスター、悪いけど」
 「ん?どうした」
 「客が減ってもいいかな?」
 「沢渡?」
 「どうも、俺も我慢出来ないみたいだ」
笹本はじっと沢渡を見る。
と、やがて苦笑を浮かべた笹本は、大きな溜め息を付きながら言った。
 「その代わり、お前が毎日来いよ」
 「了解」



 「沢渡さん?」
 沢渡と叔父の会話の意味が全く分からないような和沙は、不安そうに名前を呼んでくる。
その和沙ににっこりと笑いかけた沢渡は、同じ様にカウンターに座っていたさっきの男に向かってウインクしながら言った。
 「悪いけど、和沙の休みはずっと先約有りだから」
 「・・・・・どういうことですか」
 「こういうこと」
 「え・・・・・?」
沢渡は立ち上がるとカウンターの向こうに立っている和沙の腕を取って引き寄せ、そのままチュッと唇を重ねて見せた。
 「!!」
 「な?」
店の中には、数人の常連客がいたが、皆一様に今の沢渡の行動に目を見張っている。
沢渡がキスしたということよりも、和沙がそれを受け入れたということに皆が驚いているようだった。
 「か、和沙君、君・・・・・」
 男が、今のは間違いだろうと呆然と声を掛けている。
しかし、沢渡の愛しく可愛い恋人は、頬ばかりか見えている肌全てを真っ赤に染めながらも微かな声で言った。
 「・・・・・そういう、こと、です」
沢渡は目を細める。
臆病な恋人は、沢渡が思っていた以上に自分を想ってくれているらしい。
じわじわと胸の中に広がっていく嬉しさに、沢渡は自分の方が泣きそうな気分になっていた。





                                                                      end





社会人部屋のオムニバス「BAISER」、第二弾は【しようシリーズ?】の沢渡&和沙です。

ここのカップルは本当に歩みが遅いですが、お互いを深く想い合っています。

旅行編、書かないといけませんね(笑)