洸莱&サラン編





 ようやく陽が昇ろうとする頃、早朝の剣の稽古から戻ってきた洸莱は、中庭を突っ切っていると丁度食堂の方へと向か
うサランの姿を見掛けた。
(こんなに早く・・・・・)
きっと、悠羽に朝の冷たい水を運ぶ為なのだろうと思いながらついその後ろ姿を見送っていると、向かいの食堂の方から
数人の召使い達が現われた。
 「サラン様、おはようございます」
 「おはようございます」
 立ち止まって丁寧に頭を下げたサランは、顔を上げると少し困ったように言った。
 「あの、以前から申していますが、私に敬語を使って下さらなくても結構ですよ。私も皆さんと同じ召使いの1人なので
すから」
 「それは、分かってるんですけど・・・・・」
 「ねえ」
洸莱は召使い達の言いたいことが良く分かった。
たとえ身分が召使いだとしても、サランの纏っている空気はどう見ても高貴な人間のそれなのだ。気安さから言えば王女
の悠羽の方がかなり話しやすいかもしれないし、実際悠羽の周りには常に誰かがいて(悠羽付きの召使いではなく)、何
時も楽しそうに笑っていた。
 そんな光景を、サランは少し離れた所から優しく笑いながら見ている。
その静かな微笑が、さらにサランを近寄りがたく見せているのかもしれないが。
 「あ、サラン様、以前言われていた花の香りがする洗い袋が手に入りましたわっ」
 「本当に?」
珍しく、サランの頬に柔らかな笑みが浮かんだ。
 「あの匂い、悠羽様がとても気に入られて探していたんです」
 「・・・・・」
 「良かった、悠羽様がお喜びになられる」
召使達も、そして離れた所にいる洸莱も何も言うことが出来なかった。
それほどにサランの笑顔は美しく、皆見惚れてしまっていたのだ。
しかし、サランは全く周りの視線には気付かず、先程よりも深く頭を下げた。
 「ありがとうございます、後で受け取りに参りますから」



 洸莱は去っていくサランの後ろ姿をじっと見つめ、そして自分の部屋に向かって歩き始めた。
(どうして気になるんだろうか・・・・・)
自分よりも年上の、美しい召使い。
物腰は柔らかく、どんな相手にでも同じ様に接しながら、その実誰も自分の中には入らせないように硬い殻を被っている
サラン。
サランにとって大切なのは主人である悠羽だけなのだと思うと、洸莱は胸の中のどこかがツキンと痛むような気がした。



 その日の正午、洸莱は再びサランと出会った。
その腕には小さな袋か数個抱きかかえられており、その匂いは洸莱にとっては少し甘過ぎるような気がした。
 「洸莱様」
サランは立ち止まって膝を着こうとしたが、洸莱は直ぐにそれを止めた。
 「そこまで丁寧に礼を取らなくてもいい」
 「・・・・・はい」
 「それは?」
 「洗い袋です」
 「・・・・ああ、それが」
 「・・・・・?」
早朝、召使いがサランに言っていたのはこれのことかと、洸莱は少し身を屈めてサランの腕の中の袋に顔を近づけた。
 「・・・・・甘い匂いだ」
 「そうですね。男の方はそう思われるかもしれません」
サランは洸莱の動物っぽい動きが面白かったのか、目を細めて笑みを浮かべながら言った。
 「でも、奏禿ではこのような洗い袋は手に入らなくて・・・・・子供っぽいかもしれませんが、悠羽様は甘い香りがお好きな
のです」
 「・・・・・」
確かに、この洗い袋は安いものではなく、金持ちの娘やそれ以上の身分の者が使うことが多いのだろう。
一国の王女である悠羽ならば使っていてもおかしくはないのだが・・・・・やはりかなり切迫した国状だったというのは間違い
がないようだ。
 幼い頃から決められていたとはいえ、ほとんど人質のような形でこの光華国に来た悠羽と、その召使いでもあるサラン。
本当はまだ不安で寂しくてたまらないだろうに、どうしてこれ程に落ち着いていられるのか、洸莱にとってはその不思議もサ
ランに対する興味の一部になっていた。
 「・・・・・サラン」
 「はい?」
 「そなた、後悔はしていないのか?」
どういった意味でそんな質問をしたのか分かったのかどうか・・・・・サランは静かな笑みを浮かべたまま頷いた。
 「もちろん。悠羽様のお傍において頂けるだけで、私は幸せなのです」
そう言って一礼すると、サランはそのまま悠羽がいるであろう部屋の方へと歩いていく。
サランにとっての一番はけして揺るぎがないのだろう。





その場に残る甘い香りを一呼吸吸って・・・・・洸莱は溜め息と共に吐き出してしまった。





                                                                  end