洸聖&悠羽編





 「悠羽殿、話がある」
 「はい?何でしょうか」
 「・・・・・私の部屋まで来れるか?」
 一瞬、悠羽の顔が強張ったのが分かった。
彼の中であの夜のことは、簡単には拭い去れない深い傷となっているのかもしれない。
洸聖はそれ以上は何も言わずに背を向けて歩き始めたが、悠羽も直ぐに表情を明るく戻すと、そのまま洸聖の後を素直
について歩いてきた。



 悠羽の気持ちを考えて・・・・・と、自分らしくないとは思いながらも、洸聖は出来るだけ奥の寝台が視界に入らないよう
にしてやりながらイスに座らせて言った。
 「そなた、先日遠駆けに行ったであろう?」
 「え?ええ」
何を言われるのかと身構えていた悠羽は、全く予想していなかったことを言われたのか、不思議そうな表情になりながらも
素直に頷いた。
 「自分が何をしたのか分かっておるのか?」
 「・・・・・何か、いけないことでも?」
(本当に分からぬのか?)
洸聖はあからさまな溜め息を付いた。
 「よいか、そなたはいずれこの光華国の王となる私の許婚だぞ?馬に乗って召使い達と出掛けるなど・・・・・」
 「昼食もそこで頂きました」
 「悠羽」
 「何を怒っていらっしゃるのか分かりません」
 悠羽は俯くことも謝ることも無く、真っ直ぐに洸聖に視線を向けてきた。
悠羽のこんな真っ直ぐな視線に晒されるのが苦手な洸聖は、自分の方が視線を逸らしたくなるのを辛うじて我慢すると、
子供に言い聞かせるように砕いて説明した。
 「民がその姿を見てどう思う?お転婆で、慎みのない姫だと思われるだろう」
 「・・・・・元々私は姫ではありませんが」
 「悠羽っ」
 「すみません」
さすがに言葉が過ぎたと謝った悠羽は、それでもと洸聖に向かって言った。
 「私が仮に本当の姫であったとしても、同じようなことをすると思います」
 「なぜだ」
 「私はこの国に来てまだ間がありません。この国のことも、民の生活も、わが故郷奏禿とはまるで違うと分かっていても、
それを間近で感じるところまでは出来ておりません。馬で町に出るのは、そんな国の実情を肌で感じる為です」
 「・・・・・」
 「王家の印が付いた馬に乗っていると、皆口々に王への尊敬の言葉と、王子達への賛美と、国の発展を、私に伝えて
くれます。これ程に民に好かれるなんて・・・・・私も思わず嬉しくなりました、洸聖様」
 「・・・・・っ」
 洸聖は慌てて悠羽から顔を逸らした。
今自分の顔が赤くなっていないかと心配で仕方がない。
民がこの国と王族を慕っていてくれることは十分に感じているものの、その一つ一つの言葉をきちんと聞くほどは民との距
離は近くなかった。
しかし、悠羽はきっと彼らの傍に行って、直接その言葉を聞いたのだろう、自分が褒められたとでも言うように自慢げに、そ
して嬉しそうな表情になっている。
 「それに、洸聖様は外で食事をされたことはおありですか?」
 「ない。王族が野外で食事など・・・・・戦でもなければ有りえない」
 「勿体無い!」
 「なに?」
 「これ程に自然が豊かで素晴らしい国なのに!青い空の下、美しい緑の木々と花々に囲まれて、綺麗な空気の中で
食事をする。それがたとえパン1切れだったとしても、とても味わいが違うのに!」
 「・・・・・」
(そんなことは・・・・・有りえぬ)
 それでも悠羽の言葉を聞いていると、自然と喉が渇き腹が空いて来る気がした。
そんな洸聖の変化を感じ取ったのか、悠羽は少し身を乗り出して言う。
 「今度、洸聖様もご一緒しませんか?」
 「私が?」
 「そうです」
 「馬鹿な事を・・・・・」
 「王子がゆっくり外で食事が出来るほどこの国は安全で平和なのだと、返って自慢されるといいと思いませんか?」
 「・・・・・」
 「洸聖様」
 「・・・・・暇があればな」
 「!」
自分でも、そんな答えを言うとは思わなかったが、洸聖はその発言を撤回しようとはしなかった。
悠羽が言ったわけではないが、これを遊びだとは思わずに、町中の偵察だと思えばいいのだ。
(うん、そうだ)
愛馬の調子も見てやらなければならないし、道の状態を知っていてもいいだろう。
今の時期どんな実が生っているのかも・・・・・。
 「・・・・・っ」
既に自分の頭の中では、悠羽と出かけることが前提となっていることに気付き、洸聖は内心の焦りを隠すように・・・・・ち
らっと悠羽に視線を向けた。
(子供みたいな顔を・・・・・)
ソバカスのある顔を本当に嬉しそうに綻ばせているのが、悔しいが可愛らしいと思う。
 「魚釣りもご指南しますから!」
 「釣ぐらいっ」
 「やったことは?」
 「・・・・・」
 「ほら!誰でも最初は初心者です!」
 「・・・・・」
 いったい、自分は何の為に悠羽を呼び出したのか、洸聖は分からなくなってしまった。
ただ分かることは、どうやら自分は悠羽とこんな風に話すのを楽しいと思っているらしいという事。
 「洸聖様、魚はですね・・・・・」
故郷でのことを楽しそうに話し続ける悠羽の話を、洸聖は止めることなく聞き入っていた。





                                                                  end