昂耀帝&千里編
「最近、御上、どこぞの姫君にもお渡りになられて無いでしょう?」
「そういえば・・・・・以前は日を空けずにどなたかに文を渡しておられたのに・・・・・」
まだ午後の早い時間。
不本意ながらも昂耀帝に呼ばれ、長い廊下を昂耀帝が日常を過ごす光黎殿(こうれいでん)に向かって歩いていた古
都千里(こみや ちさと)は、耳に入ってきた女の高い声にふと足を止めた。
普通の家のように、部屋毎にきちんとしたドアが付けられているわけではなく、御簾や屏風で仕切りをしていることが多い
造りの中では、抑えない人の声というのは良く聞こえていた。
(・・・・・あ、あそこ?)
どうやら、今から前を通る部屋に誰かいるようだ。
帝という地位の昂耀帝の噂話を聞くことはこの敷地内ではなかなか無く、千里は少しでも情報を得ようと、話が聞こえて
くる部屋にそっと顔を覗かせた。
「あの〜」
「!」
いきなり現われた千里の姿に、中にいた若い2人の女達は驚いたように直ぐに控えて頭を下げた。
服装から見れば、どうやら女房のようだった。
「あの、ちょっとお話いいですか?」
「申し訳ございませぬ!御上のお話を軽々しく口にしてしまったこと、どうかお許し下さいませっ!」
「どうかお許しを!」
「・・・・・え〜と、お、私は全然構わないんだけど」
この時代の人間からすれば、天下人の帝の噂を口にするなど、本来はとても許されることではないのだろう。
仲間内だけのささやかな楽しみだったであろうそれを中断させてしまったことを申し訳ないと思いこそすれ、言いつけような
どとはこれっぽっちも考えていなかった。
「ねえ、良かったらその噂話に私も混ぜて」
「え?」
女達はどうやら千里の顔を知らないらしかった。
この屋敷に・・・・・いや、この世界に来てまだそれほど日にちは経っておらず、幾ら光黎殿に仕えているとはいえ、全ての
人間が千里の顔を知っているわけではないらしい。
女達はどうやら千里を、新しい更衣(帝の世話をする女)とでも思ってくれたようだ。
「へえ、じゃあ、昂耀帝って、かなりの遊び人なんだ」
「遊び人と申しますか、女人との恋の駆け引きは、雅を嗜む殿方ならば当たり前のこと。天上人である御上はあのよう
に素晴らしい方ですもの、焦がれる女人は数知れずおられますわ」
そう言って顔を見合わせて笑う女達も、きっと昂耀帝に文を送ってもらえれば直ぐにその手に落ちるのだろう。
(なんか・・・・・やりたい放題だな、あの男)
母親が持っていた源氏物語の漫画。
綺麗な絵だと思ってパラパラと読んでいたが、まだ小学生だった自分には男女の駆け引きなどは良く分からなかった。
しかし、その主人公はかなりのプレイボーイであったことは分かったし、歴史でも平安時代はかなり恋愛は奔放な感じ
だった。
今の時代、男が何人もの妻を持つなんて日本では有りえないし、しかもそれが通い婚がほとんどだとは・・・・・。
「でも、最近の御上はどこにも通われた様子は無く、文を運ぶ使いも出されていないと」
「姫様はご存じないでしょうか?御上のいらっしゃる光黎殿に、最近どこぞの姫君がお住まいになられているという事」
「何時いらしたか、わたくしども誰も知らないのです」
「・・・・・どこぞの姫・・・・・」
明らかに自分の事だと、千里は複雑な思いになってしまった。
それからも女達は昂耀帝の武勇伝を千里に話してくれた。
それは多くが恋愛関係だったが、昂耀帝はどの相手ともスムーズな大人の恋愛をして綺麗に別れているそうだ。
妻と呼べるのは亡くなった正妻だけで、その後はほとんどが火遊びのような関係らしい。
(なんか・・・・・さいてー)
幾ら遊びといっても、こんなに多くの女と関係を持てるものなのかと思う。元々昂耀帝がスケベな男で、女が途切れるの
が嫌なだけじゃないだろうか。
(そんな女好きなら、俺に手を出すなんて有りえない)
この豪奢な着物を着せられた女装も、単なる観賞用かと安堵の溜め息をついた時、急に廊下が慌しくなった。
「ちさと!ちさとはどこだ!」
「御上?」
その声が誰のものなのか直ぐに分かった女達は、いったい何事なのかと顔を見合わせている。
「ちさと!」
「どなたを捜して・・・・・」
部屋ごとに御簾や屏風を倒したり捲ったりしているのか、ガタガタと騒がしい音がどんどん近付いてくる。
「・・・・・あ〜あ」
せっかくの情報収集もこれまでかと溜め息をついた時、煌びやかな衣を纏った今世の支配者がこの部屋の御簾を捲って
立ちはだかった。
「ちさと!!」
「ち、ちさと?」
女達の驚いたような目が自分に向けられたのを感じ、千里はごめんなさいと頭を下げた。
「色々話してくれてありがと」
「あ・・・・・」
「何のことだ?ちさと」
「さあ」
そのまま部屋を出る千里の後を、昂耀帝は慌ててついて行く。
「何のことだ、ちさとっ。あの女房達から何を聞いたっ?」
(何慌ててるんだか)
自分にとって都合が悪いことだとでも思っているのだろうか。そうだとすればとても勘がいいなと思いながら、千里はピタッと
立ち止まって振り向いた。
重い着物が、今ばかりはとても軽く感じる。
「内緒」
自業自得だと心の中で舌を出しながら、千里は今度は誰に昂耀帝の噂を聞こうかと楽しく考えていた。
end