昂耀帝&千里編





 「はあ〜、暇」
 古都千里(こみや ちさと)は大きく欠伸をしながら呟いた。
 「ちさと様、御口を」
 「は〜い」
お茶菓子を運んできた女房、松風に大きな欠伸を見られてしまって直ぐに謝ったが、どうしても溜め息が漏れてしまう。
 「松風〜」
 「はい」
 「退屈〜」
 その場にペタンと横になると、付け髪が頬の下にきてもぞもぞとしてしまった。当初は自分の髪では無いので重くて仕
方が無かったのだが、今ではそれに慣れてしまった自分が悲しい。
(こんなの、ただの女装好きじゃんか)
 やだやだと心の中で呟くものの、今更言っても仕方がないと分かっていた。
 「では、歌遊びを致しましょうか?それとも貝合(かいあわせ)とか」
松風は千里の鬱屈した思いに気がついているのか、穏やかに微笑みながら色々と遊びを提案してくれるが、そのどれも
自分には分からないし、そもそも女子供のするようなものだろう。
(こんな姿でも、俺も一応男なんだよね〜)
 「・・・・・つまんない。テレビゲームとか・・・・・せめて漫画でも読みたいよ〜」
 「てれびげえむ?まんが、ですか?」
 「・・・・・分からないよね〜、うん、分かってるんだけどさ〜」
(この退屈、どうしたら解消されるんだろ)

 日本の平安時代に似た不思議な世界。
いきなり放り込まれてしまった千里は、どうしてだかこの世界の帝、昂耀帝(こうようてい)に強引に押し倒され、セックス
されて、なぜか・・・・・正妻という立場になってしまった。
 もちろん千里は今の時点でも逃げる気満々だが、どうしたら良いのかは分からない。
そのせいで、ほとんどの時間を松風と2人自室にいるのだが・・・・・基本、正妻という立場の千里は何もすることが無く、
日々積み重なってきた退屈という不満が、今日はポロっと出てしまったのだ。

 昂耀帝の私邸である光黎殿(こうれいでん)の中は、ほとんど人の気配というものも感じない。
千里は頼み込んでようやく外してしもらった御簾の向こうにあった庭を眺めながら、もう一度ゴロッと床を転がった。
 「ちさと様、お召し物が」
 「皺になっちゃう?」
 「・・・・・いいえ、よろしいですわ」
 「・・・・・」
(怒ってくれてもいいんだけど)
 松風はまだ良いが、他の女房達は千里のことを腫れものに触るように扱うので、返って千里の方が気を遣ってしまうの
だ。
相手が女性なだけに千里も強くは言えず、結局はこうして松風を相手に愚痴を言うしかなかった。
 「・・・・・」
(・・・・・静かだな・・・・・)
 千里は目を閉じる。
遠くから音楽のような音が聞こえているが、多分・・・・・見に行きたいと言っても、昂耀帝はうんと言ってくれないだろう。
 「はあ〜」



 千里が退屈をしているらしいというのは分かっていたが、松風はどうすることも出来なかった。帝の妻という、この世で最
高位の立場にいる女性(本当は少年だが)に対し、意見をすることはとても出来ない。
 ただ、千里は気位の高い姫達とは違い、身分違いがどうのとは言わない素直な性格で、何も知らなかったこの殿での
作法をそれとなく教えれば素直に聞いてくれる。
 一方で、元々少年である千里はじっとしているのが退屈で仕方がないようで、時折こうして我慢出来ないように愚痴
を零している。
 何とかしてやりたいと思うものの、自分が手を出すのは出過ぎた真似だろう・・・・・そう思った松風までが溜め息をつきそ
うになった時、
 「あ」
 廊下で慌しい気配がして、
 「・・・・・」
松風は顔を上げ、直ぐに立ち上がった。



 松風が立ち上がり、立ち去る気配がした。
それを見送らなければと思った千里はようやく身体を起こしたが、
 「あ」
 「何という姿をしているのだ」
 「・・・・・いいじゃん、誰も見ていないんだし」
そこに立っている姿を見て一瞬顔を綻ばそうとした千里は、直ぐに口を尖らせて言い返した。
 「全く・・・・・お前は自分の立場というものをきちんと考えておるのか?今はまだ披露目を行ってはいないが、この私の妻
として皆から見られる立場だぞ」
 「・・・・・そんなの。俺は望んでないもん」
 「ちさと」
溜め息混じりに自分の名前を呼ぶ男・・・・・昂耀帝は、千里のすぐ傍に腰を下ろした。



 少しでも時間が空けば千里の顔を見に行く。それは千里が逃げ出さないようにと見張るためであるが、それと同時に、
いや、自分が千里に会いたいからという理由が大きかった。
 他の人間とは違い、全く自分の言う通りに動かない千里。だからこそ面白いと思うし、興味も湧くが、時折自分の考
える以上のことをしでかす千里が心配でたまらなかった。
 松風は歳以上にしっかりとした女房だが、彼女だけでは心許無い。昂耀帝は自分の目で千里の存在を確かめ、安
心したいと思っていた。
 「ちさと」
 「ねえ、俺、色々行きたいところあるんだけど」
 「行きたい所?」
 「例えば・・・・・ほら、あの音楽が聞こえるトコ!」
 「・・・・・雅楽か」
 聞いている分には心安くなるが、まだ練習をしているという段階を見て楽しいと思うだろうか?
(ちさとならば・・・・・自分も扱ってみたいと言い出しかねないな)
どんな楽器も千里に触らせてやるのは構わないが、それに夢中になって自分を蔑ろにされるのは困る。いや、同時に、
奏者と親密になったとしたら・・・・・。
 「駄目だ」
 「えー!!」
 「私と共に聞くのは構わないが、お前が1人で行くのは許さない」
 「彰正!」
千里が自分の袖を掴み、何度も揺するが、昂耀帝は頷こうとはしなかった。



 「彰正は横暴!俺だってしたいこともやりたいこともあるんだけど!」
 「お前は私の傍にいたらいい。それがお前のすべきことだ」
 「もー!」
 相変わらず傲慢で、少しも自分の気持ちなど聞いてくれない昂耀帝に、千里は言える限りの文句を言うが、まるで聞
こえてはいないようだ。
腹立たしいと思うが、千里は何時の間にか自分の退屈の虫がいなくなったのに気付いた。
(・・・・・彰正と喧嘩していたら、何時の間にか時間が経っちゃうんだよな)
 それがいいことか悪いことなのかはよく分からないが、自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけることが出来るのは昂耀帝だけ
だし、受け止めてくれるのも・・・・・少し変則的だが、この男しかいないのだろう。
 「ちさと」
 「なに」
 なんだかワクワクした気持ちを出来るだけ抑えながら顔を上げると、何時の間にか驚くほど近くにあった昂耀帝の顔がそ
れ以上に近付いて、強引に唇を合わせてくる。
 「ばっ、馬鹿!」
 その瞬間に思い切り胸を押し返したが、昂耀帝はすっと身をかわし、扇で口元を隠しながら言った。
 「構わないではないか、私達は夫婦だぞ」
 「違う!」
そう言い返したものの、千里は自分の頬が赤くなっているのを感じる。
そんな自分を見て昂耀帝はどう思っているのか・・・・・扇で口元は見えないが、細められた目元を見ればどんな思いなの
かは自然と分かるが・・・・・千里はなんだか面白くなくて、もう一度馬鹿と呟きながら横を向いた。





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