くーちゃんママ編
暖かい日差しを全身に浴びながら、倉橋克己(くらはし かつみ)は窓の外を見つめていた。
毎日毎日やることが無く、こうして日向ぼっこをしているだけなので、何時か自分の張り詰めた気持ちも溶けてしまいそう
だと思うが・・・・・。
「・・・・・」
倉橋は俯き、自分の腹に手を置いた。
「仕方がない。お前が生まれるまでは大人しくしていなければな」
通常の生活をしていたらとてもこの腹の子はもたない。せっかく、男の身なのに授かった命だ、無事にこの世に送り出した
いと思うので、倉橋は自分の焦りを何とか押し殺していた。
「・・・・・?」
その時、ドアがノックされた。
この部屋に訪ねてくる者は限られているので、倉橋は直ぐにどうぞと答える。
「か〜つ〜み〜」
「・・・・・あなたですか」
「なあに、冷たいわ〜。せっかくダーリンが顔を見に来たのに〜」
「・・・・・その変な言い方は止めてください」
口調はきつくなってはいるものの、倉橋の眼差しには険はない。甘い顔はしてはならないと思うのに、どうしてもこんな顔
になってしまうのだ。
(・・・・・本当に、今だけならいいんだが)
ヤクザの大組織、大東組系開成会の幹部である自分と、綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)。男同士の自分達が身体
の関係を持つことが出来ても、まさか子供まで出来るとは想像もしていなかったが、最近は男の妊娠という例も僅かなが
らあるようだった。
悩み、困惑したが、倉橋は自分の腹の中にいる子供を愛しいと感じ、綾辻の愛情も信じて、今は無事子供を生むこ
とだけを考えているというのが現状だ。
「克己、身体の調子はどう?」
「毎回同じ答えになりますが、大丈夫ですよ」
「じゃあ、少し出歩ける?」
「え?」
何時も安静にしていろと口煩いくらいの綾辻が、自分からどこに連れ出そうというのだろうか。
そんな不思議に感じている倉橋の考えが分かったのか、綾辻は外には出ないわよと付け加えてきた。
「この下の階」
「・・・・・それは、どういう・・・・・」
「この間一緒に母親教室に出た妊婦さんの1人がね、一昨日出産したんですって」
「え・・・・・」
思い掛けない言葉に、倉橋は一瞬声につまってしまった。
数日前、意をけして出た母親教室。そこには自分達の他に数組のカップルもいたが、男同士という異質な自分達も受
け入れてくれて、快く話を聞くことが出来た。
妊婦は皆倉橋よりも若いというのに、しっかりと母親の顔をしていて、凄いなと内心感心していたのだが・・・・・その中
の1人がもう出産したのだろうか?
「一週間ぐらい早かったらしいけど、母子共に健康ですって。せっかく知り合ったんだし、お祝いの言葉を言って、赤ちゃ
んも見ない?」
「そうですね、ぜひ・・・・・あ・・・・・」
直ぐに頷こうとした倉橋だったが、気がついたように顔を曇らせた。
「ですが、急に聞いたので、何もお祝いの用意が・・・・・」
「馬鹿ね〜。改めて何か贈ったら、それこそ向こうが気を遣っちゃうわよ。それよりも、言葉でお祝いを言うだけで十分。
克己だって、妊婦さんなんだから」
「・・・・・」
(少し、イレギュラーな立場だが・・・・・)
手ぶらで行ってもいいものかどうか判断がつきかねるが、自分以上に人付き合いの多い綾辻が言うことなのだ、きっと間
違いはないのだろう。
そう思い直した倉橋は、同意を示すようにゆっくりと頷いた。
今回出産した夫婦は自分達の事情を知っているものの、それでも産科に男2人が現れるのは目を引く光景だろう。
そう考えた綾辻は倉橋を着替えさせた。
スーツはとても無理なのでスウェットの上下だが、腹を締め付けないし、倉橋にとっても楽だろう。
「おめでとー!!」
「きゃあ!綾辻さんっ!」
子供を生んだのは、あの時の妊婦の中でも一番若かった20歳の妊婦だった。
突然病室に現れた自分達の姿に驚き、次の瞬間興奮したように叫んで、また・・・・・苦痛に呻いている。
それでも表情が明るいことに安堵した綾辻は、これお祝いと言って持参した小さな箱を手渡した。
「そんなっ」
「だいじょ〜ぶ、直ぐにお腹の中に消えちゃうお祝いだから」
一番小さなバースデーケーキに、夫婦の苗字を入れていた。それを見て感激した妊婦は、本当にありがとうと言ってい
る。
病室の中には他にも3人の妊婦がいたが、突然現れた男2人連れに興味津々の視線を向けてきているが、そのどれ
もが負の感情でないことは、自分の容姿に自信を持っている綾辻には当然の話だ。
「どうだった?きつかった?」
「それが、ちょー安産でした!」
「安産って・・・・・どのくらい?」
「3時間。良ちゃんの方が疲れきって倒れちゃったんですよ」
それは、確か妊婦の夫の名前だ。あの時も立会い出産をすると張り切っていたが、どうやら出産を目の当たりにした瞬
間に倒れてしまったらしい。
恥ずかしかったと口を尖らせて言っているが、妊婦の顔は嬉しそうに笑っている。綾辻も嬉しくなって、赤ちゃんを見てもい
いかと訊ねた。
「本当は抱いてもらいたかったんですけど・・・・・今は新生児室にいるんです」
(3時間で・・・・・安産)
それでは、難産だったら何時間なのだろうか?いや、もしかしたら日をまたぐこともあるのだろうか。
「・・・・・」
倉橋は無意識に腹を押さえた。考えないようにしていた不安が一気に押し寄せてきたが、まさかそれを出産したばかり
の相手の前で言うことは出来ないし、綾辻にだって、情けないと思われたくない。
「克己、新生児室に行きましょ」
「え・・・・・え」
差し出された綾辻の手に自然に掴まると、病室の中が少しざわめいた。その瞬間、はっと倉橋は手を引こうとしたが、
綾辻は強く握り締めたまま離さず、廊下を歩いていく。
周りは腹の大きな妊婦や、出産して子供を抱いているような女達ばかりで、誰もがチラチラと自分達を見ている。
どうしてここにいるのだと無言で責められているような気がしていた倉橋だったが、
「あ、あの子よ、克己」
ガラス張りの新生児室の前にやってきた時、倉橋は思わず息をのんでしまった。
(・・・・・小さい・・・・・)
ベッドに寝ていたのは8人の新生児達。先ほどの妊婦の産んだ子供は一番端に寝かされていて、まだ顔は赤く、皺ま
みれだ。
他の新生児達も、同じような生まれたばかりのような子や、数日たって目もちゃんと開いている子もいて・・・・・しかし、ど
の新生児達も小さくて弱々しくて・・・・・いや。
「みんな、元気に泣いてるわね」
「・・・・・ええ」
あんなにも小さな身体なのに、大きな声で元気よく泣いているし、すやすやと眠っている子もいる。
「・・・・・」
倉橋は思わずガラスに手を着いた。あんなふうに、自分の腹の子も元気に泣いてくれるのだろうか・・・・・現実の赤ん坊を
見て、どんどん何かが迫ってくる気がした。
「早く、抱きたいわね、私達の赤ちゃん」
耳元に、囁くような小さな声が聞こえる。一瞬、顔を上げて綾辻の顔を見つめた倉橋の唇に、そっと触れるだけの口付
けが落ちた。
再び周りがざわめいたが、倉橋は今度はそれが耳に入ってこずに・・・・・やがて、黙ったままこくんと頷いた。
そうだ、男でも女でも関係なく、元気に泣く自分の子を、この腕に抱きしめたい。
(早く・・・・・出てきてくれ)
ガラスに着いていない手とは反対の手で、倉橋は自分の腹を撫でる。その瞬間、中から蹴られたような気がして、倉橋の
頬には穏やかな笑みが浮かんだ。
end