熊サンたちは心配性
「今日から仲間になる西原だ」
バイト先の朝礼で初めて紹介された真琴は、緊張したように頬を強張らせている。しかし、十人ほどいた先輩達の顔を
1人1人きちんと見つめて言った。
「今日からお世話になる西原真琴です。よろしくお願いします」
ペコンと音が鳴るほど頭を下げた真琴に、ずらっと居並んだ青年達は戸惑いながら挨拶した。
宅配ピザ《森の熊さん》は店舗数は少ないものの本格的な味が売りで、リピーターが多く流行っている店だ。
店長とチーフだけは社員で、他はみなバイトだ。大学生が大半だが、フリーターや高校生も多く、共通項は男だということ
だけだった。
全員がというわけではないが体育会系が多い中、真琴のような華奢な者は今までおらず、どう接すればいいか互いに顔を
見合わせている者達はおいて、店長は真琴に尋ねた。
「西原は免許持ってる?」
「はい、春休みに取ったばかりですけど」
「じゃあ、バイクOKか」
「あ、でも」
「ん?」
「教官に言われたんです。お前は教習所の外周以外は走るなって」
「どういうことだ?」
「さあ?」
小首を傾げる様子はまるで小学生のようだ。
店長の小林とチーフの中重は顔を見合わせた。本店がどういった基準で真琴を採用したのか分からないからだ。
とにかく使ってみるかと、サブチーフである大学3年生の古河を呼んだ。
「教育係はお前だ。西原、古河は高校の頃からバイトしてくれているベテランだ。よく見習うんだな」
「はい」
「頼むぞ、古河」
「はい」
「・・・・・はい、そうなんですよ。チーズがたまらなく美味しいんですよね。トロ〜っとして、ほんのり甘くって。俺もよく摘み
食いして・・・・・っあ!つ、摘み食いなんか全然しませんよ?」
店内に響く真琴の声に、調理している者や配達待機をしている者はいっせいに吹き出した。
「古河、あいつまた試食か?」
「ああ。みんなこぞって構いたがるから」
真琴がバイトを始めてから1ヵ月が経った。
最初は大丈夫かと心配していた店長とチーフだったが、その心配は杞憂に終わった。教育係の古河の絶妙なホローも
あったが、驚くほど早く周りが真琴を好意的に受け入れたからだ。
その切れ長の目のせいで、一見ツンと取り澄ましていると思われがちの真琴が、外見とはまるで反対の天然ボケな性格
をしていることや、分からないことは何でも聞いて素直に聞き入れること、慣れると子供のような笑顔を向けてくれること。
素直な真琴が可愛がられるのは時間の問題だった。
「でもなあ、あれほど人懐こいとはなあ」
「ここが配達専門で助かったよ」
「苦労すんな、古河」
そう、真琴の存在は既に馬鹿にならないほど大きくなっていた。
誰もが暇を見付けると真琴を構いに来る。ついさっきも、焼きに失敗したからと持ってきたピザを真琴の口元に差し出し、
真琴はまるで鳥の雛のように口を開けてピザを頬張っていた。
美味しいと満面の笑みはどうにも可愛らしくて、勘違いをしそうなバイトもいるのだ。
ただでさえ真っ直ぐ目を見て話すので、綺麗な瞳や目元のホクロにドキッとする者が多い。
女の子ではないのに、女の子以上にその言動と雰囲気が可愛い真琴は、今では店の立派なアイドルだった。
「・・・・・はい、いつもありがとうございます。勉強も頑張って下さいね」
マニュアル以外の言葉で締めくくって真琴は電話を切る。
そのまま厨房に注文を伝えていたが、自分を見ている古河達の視線に気付き、ニコニコしながら傍に駆け寄ってきた。
「お疲れ様です、古河さん、森脇さん」
配達帰りの二人を労い、備え付けのお茶を入れる。
「常連からか?」
後姿に問いかけると、真琴はお茶を入れながら頷いた。
「はい、5丁目の井川さんです。もう大学受験の勉強をしてるって」
「・・・・・へえ」
「今度配達してくれって言われました。まだ道が分からないし、俺の運転技術じゃ自信ないんですけどね」
「・・・・・何人目だ?」
森脇はチラッと古河に視線を向ける。
「11人」
「へえ〜、人気者だな、まこっちゃん」
「そうですか?」
嬉しそうに笑う真琴は、その言葉の本当の意味には気付いていないだろう。
呆れたように溜め息を付いた古河は、また頭が痛くなってきた。
(フェロモン出し過ぎなんだよなあ。自覚無いから対処しようにも・・・・・)
真琴の人気は仲間内だけではないのだ。
主に注文を受けている真琴はそのたびに丁寧な対応をし、たびたび会話も脱線していた。
しかしその対応は好評で、今では真琴指名の注文がかなりの割合を占めてきた。店に直接テイクアウトをしに来る客も
増えている。
古河はその誰もに無邪気に笑い掛ける真琴が心配だった。男だから大丈夫だというご時勢ではないのだ。何時ストー
カーに狙われたり、もしかしたらいきなり襲われるとも限らない。
心配しているのは古河だけでなく仕事仲間達も同じで、皆自分達のアイドルである真琴の身辺護衛をさりげなくしてい
た。誰もが手を出さない代わりに、誰もに手を出されない為に・・・・・。
少々動機は不純だが、一致団結している結果に古河も賛成していた。出来れば自分自身でも気を付けて欲しいのだ
が・・・・・。
(・・・・・無理だな)
「マコ」
「はい?」
「・・・・・まあ、頑張れ」
面と向かって注意してもピンと来ないだろう。
自分が気を付けてやらなくてはと改めて思う、三人兄弟の長男である古河だった。
end