熊サンちへの家庭訪問






(・・・・・戻ったな)
 奥の休憩室で、楽しそうに仲間と話していた真琴を思い出し、古河は安心したように溜め息をついた。
ここ最近、真琴の様子がおかしいことを、店にいるほとんどの者が気付いていた。何があったかと聞いても答えないし、突っ
込んで聞く雰囲気でもなかったので、みんなただ見守るしかなかった。
 そんな真琴の様子が、一週間ほど前からガラリと変わった。
以前以上に笑うようになったし、何より・・・・・。
(恋人でも出来たか?)
なんというか、色っぽくなったのだ。男にそんな言葉は当てはまらないのかもしれないが、時折見せる横顔や仕草の一つ一
つが大人びて、普段見せる顔とのギャップが激しい。
ここ数週間の情緒不安定も、恋愛のせいかと思えば納得もいく。
いや、かなりの確率で納得いかない者もいるだろうが・・・・・。
 そんなことを考えていた古河は、不意に鳴った店のドアの鐘に反射的に声を掛けた。
 「いらっしゃいませ!」
食べることは出来ないがテイクアウトは受け付けているので、店には時折不意の来客がある。それは真琴が来てから随分
と頻繁なものになり、売上げも馬鹿には出来ないほどになっていた。
今回もそんな真琴狙いの客かと思った古河だったが、中に入ってきたのは店には到底似つかわしくない人物だった。
 「・・・・・」
(なんだ・・・・・?)
 高級スーツを見事に着こなした男が2人入って来た。
1人は細身で、眼鏡の越しの無表情とも見える顔は随分整っており、一見官僚のような硬い雰囲気を漂わせている。
もう1人はスーツ越しからも無駄のない筋肉の存在が分かり、思わず劣等感を抱くほど腰の位置が高く、足が長い。
同じようにノンフレームの眼鏡を掛けているがその視線は怖いほど鋭く、整った容貌は男の色気を漂わせている。
見ただけでは職業は全く想像出来ないが、只者ではないオーラは強く感じた。
 注文を取るバイトの学生が、その雰囲気に圧倒されたかのように何も言えず、助けを求めるように古河に視線を向けてく
る。
今店にいる人間の中で最古参になる古河は、仕方無しに異質な2人組に近付いた。
 「いらっしゃいませ、テイクアウトですか?」
 「・・・・・」
 声を掛けた瞬間に、迫力がある方の男が視線を向けた。思わずビクッと背筋が凍りそうだったが、辛うじて営業スマイル
を向ける。
 「西原真琴はいるか?」
 思いがけなく真琴の名前が出て、古河はいぶかしむ様に眉を顰めた。こんなに胡散臭い人物とあの真琴が知り合いだと
は到底思えない。
(もしかして、ストーカーか?)
 「いえ、西原は・・・・・」
 「おっ、おい!マコちゃん!」
 会わせない方がいいと思った古河だったが、男の言葉を聞いた別のバイトが慌てて奥で休憩している真琴を呼びに行っ
てしまった。
舌打ちを打ちたい気分の古河だったが、気を取り直して男に向かい合った。
 「失礼ですが、西原とはどういう?」
 「・・・・・まあ、所有者だな」
 「え?どういう意味です・・・・・」
 「海藤さんっ?」
 か・・・・・と聞く前に、驚いたような真琴の声が響いた。
 「どうしたんですか?突然来るなんて?」
 「お前の職場を見学に」
 「見学って、先に言ってくださいよ〜」
 「突然の方が面白いだろ」
 「びっくりするだけです!」
 「・・・・・」
(雰囲気・・・・・変わった)
真琴が現れた瞬間、男の硬く冷たいオーラがたちまち柔らかく変化するのを古河は感じた。
 「摘み食いでもしてたか?」
 「え?ど、どうしてですか?」
 「ついてる」
そう言いながら、真琴の頬についていたソースを指の腹で拭い、そのまま自分の舌で舐め取る。親密なその雰囲気に、周
りの者は思わず息を呑んだが、真琴は子供のように汚していたことを恥ずかしがって顔を赤くした。
 「す、すみません」
 「後、一時間程で終わるだろう?このまま待ってるぞ」
 「ここでですか?」
 「お前がどんな人間と働いているか、この目で見たかったからな。構わんだろ」
 男にとって既に決定事項のようで、古河は思わずおいおいと心の中で突っ込んでしまう。
しかし、
 「古河さん、いいですか?」
真琴のお願いに弱いのは古河も同じで、邪魔にならないならと許可を出すと、真琴は嬉しそうに男を振り返った。
 「いいって!あ、でも、仕事中は構えませんよ?」
 「ああ」
 「倉橋さんも、すみません」
 「いいえ、お気になさらず」
 「へへ、あ、電話!」
 丁度掛かってきた注文の電話を取り、真琴は何時もの調子で話を続ける。
しかし、他の店員は男達が気になって仕方がないらしく、あちこちで小さな失敗を繰り返していた。
 「どうぞ、インスタントですが」
 真琴の客だと分かって無視は出来ないと、古河はコーヒーを入れて、店の隅のアルミのイスに腰掛けた2人に差し出した。
安っぽいイスに、安っぽいコーヒー。しかし、男は文句を言うこともない。
 「お気遣いなく」
 もう1人の男が丁寧に言った。部下のような立場なのかイスには座らず、不遜な男の後ろに姿勢よく立っている。
 「・・・・・早退させましょうか?」
他の者達の精神的な苦痛も考えて言ったのだが、男は直ぐに否定した。
 「あいつはここでの仕事が楽しいらしいからな」
 「・・・・・」
 「古河篤志(こが あつし)」
唐突にフルネームで呼ばれた。
 「!俺の名前・・・・・」
 「真琴がよく名前を出す。よく可愛がってくれる先輩だと」
 「い・・・・・え・・・・・」
 「見に来て良かった」
 怖いと思った。多分この男は、真琴の傍にいる者を全て把握しているのだろう。
もしも、少しでも自分が真琴に対して邪まな想いを抱いていたら、この男なら有無を言わせず排除するに違いない。
(真琴、お前・・・・・)
 否定したいが、間違いはないだろう。目の前のこの男が、真琴が変わった原因だ。
(よりによって、厄介そうな相手を・・・・・)



 その日、閉店時間までの約一時間、真琴以外の店の者は観察する男の目を意識しながら、まるで生きた心地のない
時間を過ごした。
そして、次の日から暗黙の事実が浸透する。


  『西原真琴の後ろには魔王がいる』


 それ以降、店の中で真琴にちょっかいを出そうとする者は1人もいなくなった。




                                                                 end