熊サンちへのお見舞い






 「あ〜、参った・・・・・」
 ベットの上に大の字になった古河篤志(こが あつし)は、諦めたような大きな溜め息をついた。



 3日前、大学の帰りに、道路に飛び出した子供がバイクに轢かれそうになったのを助けたのはいいが、その時足を捻っ
てしまい、1週間安静の身となってしまった。
大学の方は試験も終わっており心配はなかったが、サブチーフを任されているバイトを休まなければならないのは痛かっ
た。

 『古河さん、大丈夫ですかっ?』

 まるで交通事故にでもあったように泣きそうな声で電話を掛けてきたバイト先の後輩、西原真琴の事を思い浮かべ
ると思わず頬に笑みを浮かべるが、それと同時に傍で面倒をみてやれないことが気に掛かる。
(森脇が気をつけてやってくれたらいいが・・・・・)
 大学1年生の男子学生のはずの真琴が、なぜか同性を惹きつけてしまうという事実。
けして女っぽい容姿をしているわけでもないのに妙に色っぽく、それに相反するようにほんわかな雰囲気を持つ真琴を
狙っているものは客の中に、そして同じ店の従業員の中にも少なからずいる。
先日突然店に現れた男の登場で、従業員の邪な気持ちはだいぶ消し飛んだものの、それでも全く無くなったわけで
はないのだ。
 相棒である森脇もそこのところは理解してくれているので大丈夫だとは思うが、そういったことを傍観して楽しむ性格
でもあることを知っている古河は、こうして心配で唸ってしまうのだ。



      ピンポーーーン


 夕方、絶対安静だという言葉を忠実に守っていた古河は、いきなり鳴ったインターホンに、読んでいた本から視線を
上げた。
 「森脇か?・・・・・いや、今頃バイトのはずだし・・・・・」
 足を引きずりながら玄関に行った古河は、ドアを開いて目を丸くした。
 「マコ?」
 「お見舞いに来ました!」
 「見舞いってお前・・・・・あ、バイトは休みか」
 「はい。森脇さんにここの住所を聞いて、突然だったけど気になって来てみたんです。あの、足が動かせなかったら買
い物も出来ないと思って、色々差し入れを持ってきたんですが・・・・・」
 「ああ、助かる。悪かったな、わざわざ」
 こうして訪ねてきてくれた真琴の気持ちが嬉しくてそう言うと、真琴はなぜか困ったように眉を下げて言葉を続けた。
 「それで、あの、お見舞いに行くって言ったら、1人で行っちゃ駄目だと言われたんで・・・・・」
 「・・・・・あ、あの人にか」
古河の頭の中には、店に現れた強烈なオーラの主が浮かんだ。
確かに随分真琴に執着しているような男だったから、真琴を1人で男の1人暮らし(同性なのだが)のもとに容易に
行かせたりはしないのだろう。
 「よく来れたな。許可貰ったのか?」
 「それが、そのう・・・・・」
 真琴の視線がチラッと後ろに流れる。
まさかという思いに古河の顔が強張った。
 「おい、まさか?」
 「自分も行くって、一緒に来ちゃったんです」
 「・・・・・マジか?」



 「狭いとこですが・・・・・」
 「学生の住むところだ。これぐらいが普通だろう」
 「・・・・・」
(まあ、確かにそうなんだが・・・・・)
ワンルームの部屋に、上等なスーツ姿の大人の男。その美貌の主はあまりにも部屋に似合わなくて、古河はどうした
ものかと真琴に視線を向けた。
 「怪我は足だけだから、何か美味しいものでも作ろうかなって思ったんだけど、よく考えれば俺って料理全然駄目で
しょう?だから海藤さんに美味しいデリバリーのお店を聞こうと思ったら・・・・・」
 「偶然時間が空いたんでな。真琴を送るついでに俺も見舞いに来たというわけだ」
 「はあ・・・・・」
(トゲを感じたけど・・・・・)
 思うに、真琴を男の1人暮らしの部屋には行かせたくはないものの、見舞いぐらいを反対するのも大人気なく、結局
自分も一緒にというところで納得したのだろう。
そういう独占欲は男としては理解出来るので、古河はそれ以上追及することはしなかった。
 「それで、古河さん、今日は海藤さんが料理作ってくれるんですって!」
 「はあっ?」
 「海藤さんの料理はプロ級ですよ!すっごく美味しいから楽しみにしててください!」
 「マコ・・・・・」
(お前、チャレンジャーだな・・・・・)



 コンロが1つしかない狭いキッチンに、男が2人立っている。
確かに男同士なのだが・・・・・その雰囲気は恋人同士の雰囲気そのままだった。
 「真琴」
上着を脱ぎ、シャツを肘までめくった姿の海藤の後ろ姿は古河の目からもカッコ良く見えるが、、少し冷ましたから揚
げを真琴の口に運んでやる姿は、恋人に甘いただの男に見えた。
(イチャイチャなら自分ちでやって欲しいよ・・・・・)
 内心溜め息が洩れるが、男同士という異端のカップルなのにこれ程自然に見えるのもすごいなと、別の意味では妙
な関心もしてしまう。
海藤を見上げる真琴の目は嬉しそうにずっと笑っていて、真琴を見つめる海藤の視線は蕩けるように甘い。
(独り身には目の毒なカップルだな)



 あらかじめ自分の好物を真琴から聞いていたのか、海藤の作ったボリューム満点の中華料理はどれも素晴らしい
出来栄えだった。
その美味しさに遠慮するのも忘れた古河は次々料理を口に運び、
 「どうですか?」
 「凄い!旨いよ!」
一々聞いてくる真琴に答えてやる。
すると、真琴はまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑うと、隣の海藤にその素晴らしい笑顔を惜しげもなく
向けた。
 「やっぱり、海藤さんのご飯は美味しいんですよ!」
 「真琴はそう思ってくれるのか?」
(あ・・・・・目元が笑ってる・・・・・)
 「だって、毎日食べてるんだから!」
(毎日作ってんのか・・・・・。マコ、お前も作ってやれば喜ぶだろうに)
 「真琴の為に作るのが楽しいんだ」
 「海藤さん・・・・・」
(・・・・・ご馳走さま)
 2人の熱々ぶりに当てられ、古河は無言で箸を進めるしかなかった。



 「今日はご馳走さまでした。マコ、わざわざありがとな」
 「古河さんには何時もお世話になってるんですから当然ですよ。それに、今日活躍したのは俺じゃなくて海藤さんの
方だし」
 「それもそうだな」
 古河はあっさりと納得した。
2時間程の滞在だったが十分な存在感を見せ付けてくれた海藤に、古河は改めて頭を下げた。
 「本当にありがとうございました」
 「いや」
 「料理だけじゃなく、果物まで貰っちゃって」
『お見舞いにはメロンだから!』・・・・・そう、強く言って真琴が差し出した手土産のメロンは、桐の箱に入った滅多に
見ない物で、値段を想像するだけで恐かった。
 「・・・・・」
 玄関先まで来ると、不意に海藤は内ポケットから何かを取り出した。
 「ペンはあるか」
 「あ、はい」
古河が差し出したボールペンを受け取ると、海藤は取り出したものに何か書き込んだ。
そして、ペンを返す時一緒に差し出されたそれは1枚の名刺。
 「これ・・・・・?」
 「何かあったら利用したらいい。多分役に立つだろう。裏に書いたのは俺の携帯番号だ。これからまだこいつが世話
になるからな・・・・・何かあったら直接俺に連絡をして欲しい」
 「え、あ、あの、でも」
 「信用出来る相手にしか教えない番号だ」
 「・・・・・」
(い、いいのか・・・・・?)
 いりませんとつき返すのもおかしい気がして、古河は戸惑いながらもそれを受け取る。
その様子を見ていた海藤が、ふと柔らかな笑みを漏らした。
 「お前は見込みがあるな」
その不思議な言葉の意味を、古河は直ぐに理解することは出来なかった。




 「あ、い〜な〜。噂のマコ彼の手料理かあ〜」
 翌日、見舞いに訪れた森脇が羨ましそうに言いながら、残っていた料理を端から食べていく。
(そんな暢気なもんじゃないって。・・・・・多分、一種の牽制だな、あれは)
メロンだけは譲れないと抱きかかえるようにして食べながら、古河は引き出しにしまいこんだ名刺の重さをヒシヒシと背
中に感じていた。




                                                               end