新人熊サンの暴走
宅配ピザの《森の熊さん》は今日も盛況だ。
4月に入って新しいバイトも入り、シフトも新たにスタートした。
大学4年に進級したこの支店のサブチーフである古河篤志(こが あつし)は、本来ならばバイトも辞めようと思っていたのだ
が、去年からの就職活動で既に何件かの内定を貰ったことや、店の方から言われたこともあり、もう少しバイトを続けること
になった。
それに何より喜んだのは、古河を兄のように慕っている、今年から大学2年生になる西原真琴だ。
丁度バイトを始めて1年、始めは危なかしかった真琴も今や自分の方が先輩になって、新しく入ってきたバイトを教える立
場になっていた。
それでも相変わらずの天然ボケは健在で、今もって小さな失敗をするがそれもご愛嬌だ。
なにより何時も浮かべている笑顔で仲間達を癒しているのは確かだったし、真琴と電話で話したい為に(あくまで注文の為
だが)リピーター率も高く、その結果、ここは系列店の中ではかなり売り上げの良い店になっていた。
しかし・・・・・。
「おい、いいのか、あれ」
難しい顔をして厨房から店を見ている古河の腰を小突いたのは、友人の森脇卓也(もりわき たくや)だ。
何時もなら自分に関係ないことは楽しむ森脇がわざわざ口を出してくるということは、周りから見てもかなり目に付くものになっ
てきているからだろう。
「そういったって、俺にどうしろって・・・・・」
「教えてやった方がいいんじゃない?マコの後ろには魔王がいるってさ」
「・・・・・」
今年、この支店に入ってきたバイトは1人。過去一年間に辞めた人間が1人もいないので、振り分けられた新人の数も少
ないのだ。
そして、その新人が、バイト達を仕切っているサブチーフである古河を悩ませる存在となっていた。
「マコちゃん、このメニューなんだけど」
「え?」
「ダチにお勧めを聞かれたんだよ。これ、どんな味?」
「あ、これすっごく美味しいよ!トマトソースが絶品でね・・・・・」
デリバリーが主の店内には客の姿は無く、今レジカウンターにいるのはバイトの2人。
1人は電話注文担当の真琴で、もう1人は今会話の話題になっていた新人だ。
今年大学生になったばかりの広岡剛(ひろおか つよし)は、それ以前からこの店によく注文してくれていた常連客の1人だ。
電話対応してくれた真琴の声に惹かれ、実際も店に来てその容姿もかなりツボになったようで、そのままここにバイトに来た
のだと初めての挨拶の時に堂々と言い放った。
広岡の名前を覚えていた真琴はそれを全部冗談だと思って笑っていたが、他の面々は思わず顔を見合わせてどよめきを
起こした。
真琴の容姿は女には見えないものの雰囲気が柔らかく、時折見せる艶やかな表情に惹かれる人間はかなりいて、現に店
の中にも真琴にアプローチをする者もいた。
ただ、鈍感な真琴はそのアプローチに一切気付かず、その上真琴の所有権を主張する人物が現われ、それがとても自分達
に対抗出来る相手ではなかったので、一同は真琴をみんなのアイドルとして愛でることに改心したのだ。
そんな中現われた広岡はかなり強引な性格らしく、暇さえあれば真琴にくっ付いている。
せっかく出来た後輩を邪険に出来ない真琴の性格を上手に読んで、事あるごとに迫っているのだ。
(まあ、そのほとんどを分かってないだろうけどな)
どう見ても、真琴の広岡に対する態度は弟へのそれのようで、時折自分よりも背の高い広岡の頭を撫でたりしている。
子供扱いされた広岡は一瞬悔しそうな顔をするが、次の瞬間照れくさそうに笑みを浮かべるのだ。
そんな表情を見ると広岡の本気が分かるような気がして、かえって早く諦めさせてやった方がいいのではないかと思えてしまう。
「魔王の連絡先知ってるんだろ?」
「ああ」
「なら、話通しとけば?」
「・・・・・」
(連絡出来るは出来るけど・・・・・)
あの強烈なオーラを放っている人物と接触するにはかなりの精神的消耗がある。
けして何かされるわけでも、威嚇されるわけでもないのだが、情けないが怖いなと思ってしまうのだ。
(でも、あんまり厄介にならないうちに、一度あいつに言っとくか・・・・・)
真琴の所有者・・・・・店では魔王と言われている人物に連絡する前に自分から注意しようと、古河はある日の休憩時間
広岡を呼び出した。
薄々何を言われるのか想像していたらしい広岡は、少しふてくされたような顔をして古河に付いて来た。
「何を言いたいのか分かるかと思うが・・・・・」
誰もいない休憩室で切り出すと、その言葉に被せるように広岡は言った。
「別に、バイト同士での恋愛が禁止なわけじゃないですよね」
「・・・・・マコは男だぞ」
「俺バイなんで。性別関係なく、いいもんはいいと思うんですよ」
「・・・・・」
(手強いな・・・・・)
自分とたった3歳しか違わないのに、古河にとって広岡は既に未知の生き物だ。
堂々と男も恋愛対象に出来ると言えるのは感心するというか、呆れるというか・・・・・。
(このままだと本当に暴走しそうだ)
自分に自信のあるタイプだけに、このままでは強引に真琴に迫りかねない。
真琴の為にも、店の平和の為にもここははっきり言っておいた方がいいだろう。
「・・・・・マコには恋人がいる」
「・・・・・関係ないですよ」
「お前じゃとても敵う相手じゃない。仲間としてマコと付き合うなら何も言うことが無いけど、そうじゃないなら・・・・・きっとお前
が泣くことになるぞ」
『諦めろ』
数日前にサブチーフの古河に言われた言葉を思い出し、広岡は服を着替えながら眉を顰めた。
(恋愛沙汰にまで口を出される覚えは無いっていうんだよっ)
古河にも、恋人がいるくらいで簡単に諦めるつもりはないと言った。
その後の複雑そうな表情の古河に何も言わずに立ち去ったが、自分の気持ちはその言葉の通りだ。
どんな恋人が真琴にいたとしても、好きになるのは自由だし落とせる自信もある。相手がどんな人物か気にならないわけで
はないが、特に見たいとも思わなかった。
「あ、広岡君、お疲れ!」
そんな事を考えていた広岡に、当の真琴が明るく声を掛けてきた。
まだ制服のままの真琴は、そのままロッカーから出した服と鞄を手に持って鍵を閉めている。
「着替えないの?」
「もう迎えが来てくれてるみたいだからこのままで帰るんだ。お疲れ様っ」
慌てたように裏口に向かう真琴の背を見て、広岡は直感的に悟った。
(恋人かっ)
どんな相手だろうか見る機会だと、広岡はまだシャツのボタンも留めきっていないまま、真琴の後を追いかけていった。
「・・・・・あっ」
店の裏口から十数メートル離れた場所に、高級車が停まっていた。
その車に真琴が駆け寄っていくと、後部座席のドアが開いて誰かが出てくる。
「!」
(男っ?)
街灯や周りの店の明かりで、その人物の姿は広岡にも十分見てとれた。
かなりの長身。
きっちりとした上等そうなスーツ姿。
眼鏡を掛けたその顔は怜悧に整っていて・・・・・。
「海藤さん!」
店にいる時以上に嬉しそうな表情で、弾んだ声で、真琴はその男に駆け寄った。
さすがに屋外なので遠慮したのか数歩前で足を止めたが、男はそのまま攫うように真琴の腰を抱き寄せると・・・・・。
「・・・・・っ」
深い、キスだ。
静まり返った道に、真琴のくぐもった声が響く。
「んっ」
その、聞いたことも無い艶かしい真琴の声にゴクンと生唾を飲み込んだ広岡は、その瞬間に男の視線が自分を射抜いたこ
とに気が付いた。
目が合っただけなのに、まるで心臓を鷲掴みにされたようなショックと恐怖を感じ、広岡は自分の身体が震えているのにさえ
も気付かない。
「・・・・・」
「・・・・・」
(な、何もんなんだよ、あいつ・・・・・っ)
とても普通のサラリーマンには思えない。
「マコちゃ・・・・・」
「真琴」
呟く広岡の言葉を消すように呼ぶ男の声は、低く響く大人の男の声だ。
「帰るぞ」
「はい」
先に真琴を車に乗せた男は、チラッと再び広岡に視線を向けてきた。
その冷たい視線に思わずその場に腰を落とした広岡を見た男は、口元にうっすらと笑みを浮かべてそのまま車に乗り込んだ。
翌日、生気が抜けたように店に出てきた広岡は、まるで愚痴るように昨夜の事を古河に話した。
そして、その古河から『魔王』の存在を聞いた広岡は・・・・・とても自分は勝てないと、初めての失恋に悔し涙を流すしか出
来なかった。
「最近、広岡君あんまりくっ付いてこなくなったんですよ。何だか1人立ちされたみたいで寂しい感じで・・・・・」
「そうか」
真琴の言葉に、海藤は低く笑った。
最近、真琴の話によく出てきたバイト先の男。その様子を聞けば明らかに真琴に好意を持っているのが分かったが、当の本
人はただ新人から懐かれていると思っているだけらしい。
僅かの懸念も消しておきたいと先日わざわざバイト先に顔を出したが、効果は海藤の予想通りだったようだ。
少し寂しそうな真琴の身体を抱き寄せた海藤は、恥ずかしそうに赤く染まったその耳に甘く囁いた。
「他の男じゃなく、俺を甘やかしてくれ」
end