熊サンたちのチョコ騒動






 「ねー、古河さん、マコ、14日は来る?」
 「え?」
 今春卒業予定のクセに、現時点まだバイト先である宅配ピザの《森の熊さん》のサブチーフの位置にいた古河篤志(こが あ
つし)は、その声にレジカウンターの向かいに立つ相手に視線を向けた。
そこに立っていたのは、常連でもある小学生の3人組で、彼らが言っているマコというのは、この店のバイトで、今やマスコット的
存在になっている大学2年生の西原真琴(にしはら まこと)のことだった。
 「シフトは入ってないよ」
 自分の弟と同じ年頃の少年達に笑いながら答えると、カウンターの向こうでは何やらこそこそと言い合っている。
 「来ないってさ」
 「じゃあ、前の日に渡さないと」
 「どうせなら一番がいいしなあ」
 「・・・・・」
その会話が何を指しているのか、古河は薄々感付いていた。実を言えばこの問い合わせは2月に入ってから何度もあって、その
たびに同じ答えを言っているのだ。
(ま、ここまでストレートに聞いてきたのはこいつらが初めてだけど)
どうして皆そんな方向へ思考が向くのだろうかと、ごく一般的な思考だという自負のある古河は、内心大きな溜め息を付いてい
た。



 1時間後休憩に入り、控室に行くと、ちょうど友人である森脇卓也(もりわき たくや)も休憩らしく、椅子に座ってコーヒーを飲
んでいた。
 「おー、お疲れ」
 「そっちこそ」
古河は森脇の向かいの椅子に腰を下ろすと、深い溜め息を付いた。
自分では意識していなかったその行動だが、聡い森脇は何かに感付いたらしく、少し身を乗り出すようにして聞いてくる。
 「何かあった?」
 「何かって・・・・・別に」
 「気になる溜め息付いてたじゃないか。ほら、白状しなって」
 友人である森脇は、古河とはまるで違う性格だ。細かい事に気付くくせに大雑把で、他人のことに無関心なわりにはゴシップ
の類には詳しい。
小さなことでくよくよ悩んでいる古河に、

 「悩むだけ時間の無駄」

と、言っては、気を楽にしてくれる貴重な存在で、古河はふと、この胸の中に小さく引っ掛かったことも口に出せば笑い飛ばして
もらえるような気になった。
 「さっき、何時もの小学生が来たんだ。ほら、マコのファンの」
 「ああ、あいつら。で?」
 「14日のマコのシフトを聞いてきた」
 「・・・・・なるほど、チョコか」
 「お前・・・・・すぐ気付いたのか?」
 「2月14日っていえば、誰だってすぐ気付くだろ?なんだ、古河は分からなかったのか?」
 「最初はな」

 2月に入って直ぐ、テイクアウトの常連客の1人が、レジに入った古河に向かって聞いてきた。14日、真琴は店に出てくるのか
と。
マスコット的存在の真琴にはファンが多く、笑って見過ごせないような雰囲気の者から真琴を守るのはここの支店のバイト達には
使命のようなもので、その筆頭の兄的立場の古河は怪訝そうに聞き返した。

 「西原に用があるんですか?」

 その客は、慌てたようにいいえと答えて立ち去ったが、それからも1日に何人か、古河は客に同じ様な質問を(真琴がいない
時を見計らったように)聞かれることになり、古河はいったい14日は何がるのかと考えた。
そして、ようやく思考が向いたのだ、2月14日、バレンタインデーの事を。
 男である古河ももちろん、特別に意識していないつもりでも、女の子からチョコをもらえれば浮かれてしまう特別な日。
女の子が好きな男の子に渡すという、1年で一番チョコに意味のある日。
 その行事を知らないはずは無かった古河だが、そのことに直ぐに気付かなかったのは聞いてくる相手が皆男で、真琴もまた、男
だったからだ。
柔らかな面差しに、おっとりとした性格の真琴だが、間違いなく性別は男だ。その真琴に対して男の客達がチョコを渡そうとして
いる事など、どうして思考がそちらにいってしまうのだろうか。
真琴が客に人気があることを知っていた古河だが、なかなかその真理を理解するには苦しんでしまった。

 「去年、マコだって俺達にくれたろ、チョコ」
 「あれは世話になったお礼だろ?」
 去年、真琴は何時も世話になっているからと、店の同僚に手作りのチョコを持ってきてくれた。
バレンタインデーだからとも言われたが、真琴のそのチョコには変な意味など感じなくて、古河も、わざわざありがとうと素直に浮け
取ったものだった。
 しかし、その真琴のチョコと、今真琴のシフトを聞いてくる男達のには妙な温度差を感じる。
変な本気度が怖かった。
 「マコはあれでも男なんだけどな〜」
 「でも、彼氏はいるじゃないか」
 「・・・・・お前の言い方は露骨過ぎ」
 「どう言葉を変えたって同じだろ?彼氏がいるマコは去年もついでに俺達にチョコをくれたんだろうし、他にも同じ様な趣味の人
間がいても不思議じゃないだろ」
 あっけらかんと言う森脇の言葉に、古河はしんなりと眉を顰める。
 「片想いの相手にチョコを贈るなんて健気じゃん。害の無い奴は放っておけばいいんじゃないか?」
 「・・・・・そんなんでいいのか?」
 「だから、お前は深く考え過ぎ。粘着質な危ない人間以外は放っておけって」
 森脇はこう見えて真琴のことを可愛がっているし(他のバイトも同様だが)、特に突き放したつもりの言葉でもないのだろう。
ただ、古河は本当に放っておいて害は無いのだろうかと、自分でも考え過ぎだと思う思考を簡単には消し去ることは出来なかっ
た。



 そして、2月13日。
明日のシフトは休みの真琴に、自らも何時も世話になっている礼だからと、バイトの皆にチョコを配っていた。
それは去年のような手作りではなくて、市販の、駄菓子よりはグレードが高いが、気持ちが引いてしまうほどに高いものでもなく
て、古河達は純粋に嬉しいという気持ちで受け取った。
 そして、皆に配り終えて一安心したらしい真琴自身に対し、夕方から怒涛の怒涛のチョコ攻撃が始まった。

 「マコちゃん、何時もお世話になってるから、これ、ちょっとした礼のつもり」
 「え?わざわざこんな事をしてもらわなくても・・・・・」

 「マコちゃん、美味しいチョコの店を教えてもらってさ。よかったらこれ、おすそ分け」
 「こんなに高い物を?」

 「友チョコってあるんだって。深い意味は無いからさ、受け取ってよ、マコちゃん」
 「友チョコ、ですか?」

 真琴は当初、気軽に貰えるような値段ではない品を受け取っていいものかどうか分からなかったらく、その度店長に伺いをたて
ていた。
 「気持ちなら貰ってもいいんじゃないか?」
 細かいことは気にしない店長のその言葉に、真琴はチョコをくれた客に深々と頭を下げて礼を言うと、その代わりというようにレ
ジカウンターに用意したチロルチョコを数個、客に手渡した。
 「本当にちょっとで申し訳ないんですけど・・・・・気持ちです」
 女のバイトがいない店だが、真琴はバレンタインにちなんで、店に来てくれた客に対して、気持ちだけのチョコを渡すということを
提案した。
宅配が専門なので店に来る客はそれ程いないが、それでも少しでもありがとうという気持ちを伝えたらどうだろうかと。
真琴の案に店長も賛同し、あまり高い物は返って渡しにくいからと、13日と14日、10円の小さなチョコをレジカウンターに置く
ことになった。

 「ありがとうございました!」
 客を見送った真琴は、隣にいる古河を見上げて笑い掛けた。
 「今年は、本当に友チョコっていうのが流行ってるんですね〜。もう5個もチョコもらっちゃいました」
オマケのチョコも喜んでくれたしとニコニコ笑う真琴に、古河は苦笑しか向けることが出来ない。
(お前からもらってるからだろ)

 「これ、おやつに食べてくださいね」

 会計の後、レシートとチョコを渡す真琴に、客達は皆一様に喜んだ。
驚いたことに、それは若い女性達も、年配の客もで、安い物でも気持ちが嬉しいという事があるのだなと、今までこんなサプライ
ズに気付かなかった自分を古河は後悔してしまったくらいだ。
 だが、やはり喜びが大きいのは男の客で、中にはチョコを差し出す真琴の手ごと握り締めて、ありがとうと礼を言う者も多い。
金曜日なのに、テイクアウトの客が多いのも、予め真琴のシフトを知って、今日がチャンスだと思った者も多いのかもしれない反
面、13日ならば真琴も気軽にチョコを受け取るだろうと思っているせいもあるような気がする。
 「あ、いらっしゃいませ!」
 そうこうしてる間に、若い大学生風の男が2人店の中に入ってきた。
その手に持っている紙袋は、確か一時間前に来たサラリーマン風の男が持ってきたチョコの・・・・・。
(こいつらもか)
 「何時もありがとうございます!」
常連客に向かって何時もと変わらない笑顔を向ける真琴に、古河は内心もっと控えめでいいぞと呟いた。



 午後9時。

 「マコ!これ!」
 元気な声で店の中に駆け込んできた少年達が、同時に右手を差し出した。
 「友チョコだから、気にしないで受け取ってよ、マコ」
 「ね、今日他にもチョコ貰った?」
 「これ、うちの母さんのお勧めの店のチョコだから美味しいよ!」
常連客でもある小学生の3人組。カズシ、ユウジ、マサヒコという小学校6年生の少年達は、言葉で言うほど子供っぽい容姿
をしているわけではない。
身長はさすがに真琴よりは低いものの、既に伸びやかな成長の片鱗を見せていたし、ランドセルなどはもう似合わないような容
貌だ。一番初めに来た当初・・・・・ほぼ1年前から考えれば、子供の成長というのは怖いほど早い。
 「今年は友チョコ流行ってるんだね。ありがとう」
 「・・・・・流行ってるって・・・・・じゃあ、結構貰った?」
 「うん。俺なんかに気を遣ってくれなくてもいいんだけど・・・・・」
 みんなもありがとうと笑いながら言う真琴の顔を見つめる3人の顔は複雑そうだ。
同じ男でありながら、こういう男心に疎い感じがもどかしくて、それでも可愛いと思ってしまうのかもしれない。それが小学生も感
じる感情かどうかは分からないが。
 「これ、少ないけど食べてね」
 ちょっとだけオマケ。
そう言いながら、今までの客より少し多めのチョコを手渡してやる真琴を見つめる3人の顔は赤くなって照れている。
(お前は・・・・・これ以上信者を増やすなって)
自覚していない誘惑ほど、手に負えないものは無いような気がした。



 「お疲れ様でした!」
 午後11時。
店を閉めた後、真琴は急いで着替え始める。
その姿は珍しくもなく見慣れたもので、心配性な魔王(彼氏)が迎えの車を寄越しているせいだというのが専らの定説だが、そん
な真琴の側にある紙袋に目をやった森脇が、からかうように声を掛けた。
 「今日はモテモテだったな、マコ。本命チョコはもう用意したのか?」
 「そ、そんな、本命なんてっ、と、友チョコですよ、友チョコ!皆にも配ったでしょ!」
 「・・・・・」
 「お、お先に!」
 慌てて帰っていく真琴の後ろ姿を見送りながら、控室の中には誰からとは分からない溜め息が洩れる。
 「気付かれていないとでも思ってるのかねえ、あれは」
 「ぺらぺらと言うことでもないだろ」
 「まあ、確実に今日俺達が貰ったものよりは、愛情たっぷりのチョコを渡すんだろうけどな」
明日は休みだからと、真琴が前倒しでバイト仲間に配ったのは市販の小さな熊のチョコだ。
他の者には内緒だが、古河は弟さん達にもどうぞと余計に2つ貰っている。
 「・・・・・」
(あれの言い訳・・・・・大丈夫か?)
 両手に、今日貰ったチョコを入れた紙袋を持っていた真琴。あのチョコの言い訳をあの男にどう言うのか・・・・・古河は真琴が
無事切り抜けるようにと心の中で祈った。





 「ほら、俺からもお前にチョコ」
 「・・・・・も、森脇、これ・・・・・何か意味があるのか?」
 「友チョコだよ、友チョコ♪」




                                                                     end