倉橋さんの秘密の手帳 2
皆さん、お仕事、御学業、そして家庭をお持ちの方もご苦労様です。
私は、大東組系開成会、幹部を仰せつかっております、倉橋克己と申します。
前回に引き続き、お目汚しになると思うのですが、なぜか見たいとおっしゃって頂いている方が多い
らしく、私と致しましても、皆さんのご意見も色々お聞きしたいと思いましたので、また少しだけ読
んで頂こうと思っております。
私自身の生活は常に変わりなく、敬愛する上司(こういう言い方をするのは変かもしれませんが)
海藤の片腕として日々過ごしています。
ただ・・・・・去年とは少しだけ事情が変わりまして、業務終了後の私の時間は、日々変化していく
ものになってしまいました。
私としましては、こんな私的なことを人様にお見せするのはどうかと今この瞬間も迷っているのです
が・・・・・。
ですが、人との関係に慣れていない私よりも、世慣れた方にご意見を聞くことも一案だとも思ってお
り、それが良いのかどうかは私自身では判断出来ないことを、出来れば皆さんのご意見を頂きたいと
思っております。
多少私的な感情も混ざってしまった箇所もあるかもしれませんが、それは私も人間だったというこ
とでご理解下さい。
今日も平和だった。
最近は大きな抗争もなく、開成会自体が大きな組織となっていく上で、横槍を入れてくる人間の数も
ぐっと減ってきた。
その代わりのように、今度は恥ずかしげもなく媚を売ってくる。
今現在独身である社長と姻戚関係を結ぼうとする者は多く、その大半は私の所に話がきた時点で全て
丁重にお断りをしているが、上の方からの申し入れはさすがに社長本人が出てこなければならない。
以前の彼ならば、結婚など単に行事の一つとして受け入れたかもしれないが、今は何よりも大切な
存在が側にいる。
開成会よりも大事だと言われれば、私の立場上はとても困ったことなのだが・・・・・個人的には許
してしまえるのだ。
平和な日々は何時まで続くかも分からないが、とりあえず、この手帳に書き込む時間がゆっくり取
れたことに感謝したいと思う。
今日も特筆すべきことは無い。
ただ、綾辻がまたサボっていた。
彼は上に立つ人間としての自覚をもっと持っていて欲しい。
今夜、食事に誘ってその辺を話し合いたいと思ったのだが・・・・・妙にニコニコ笑って付いてきた
彼の顔を見ると小言も言えなくなってしまう。
得な人間というのは彼みたいな男をいうのかもしれない。
最近、綾辻の様子が少し、おかしい。
軽口も、仕事をサボる要領も何時もとは変わらないのに、なぜか時々思い詰めた目で私を見ている。
からかうような口調に慣れているせいか、あんな真剣な目を向けられるとどうしていいのか分からな
い。
綾辻はいったい私に何を言いたいんだろうか。
軽井沢の御前の別宅へとお伺いした。
とても60歳になられたとは思えないほどの若々しい方だ。
いまだに関東のヤクザの世界ではそれなりの発言権を持っているこの方を、社長はとても尊敬してい
るらしいし、頼りにしているようだ。
血の繋がりもあるのだろうか?
あまり詳しい話は聞いてはいないが、社長は幼い頃から実のご両親とではなく、この御前の家で生
活を主にしていたらしい。
私個人としては苦手なタイプの方だが、綾辻は以前から御前と付き合いがあるらしく、もしかすれ
ば社長よりも親しいという雰囲気を見せている。
まあ、似たもの・・・・・といえば、そうなのかもしれない。
人当たりが良くて、頭の回転が早くて、自分の心の奥底は覗かせない。
賢い生き方が出来る人達だ。
じゃあ、私や社長はどうなのだろうか。
人と関わりあう事が苦手な私と、人間という存在を無として捉えている社長と、どちらがより不幸な
のだろうか。
・・・・・いや、今の社長には真琴さんがいる。
社長の中の足りない部分を、彼の存在がきちんと埋めて人間らしい表情を取り戻させている。
羨ましい。
誰かに必要とされることが、あんなにも幸せな表情を作れるのだ。
軽井沢から出発する時、御前に呼び止められた。
誰もいない場所で突然、
「くーちゃん、ユウとどうなってる?」
などと言われた。
恥ずかしながら、御前はお歳の割には柔軟な思考の方で、私のことも二度目からは「倉橋」とは呼ば
ず、「くーちゃん」と恥ずかしい呼び方をなさる。
ちなみに、綾辻のことは、勇蔵から「ユウ」と呼んでいるらしい。
私とは違い、夜の街ではそう呼ばれることが多い彼は違和感は無いだろうが、私としては幼稚園児み
たいな呼ばれ方をするとどうしても困惑してしまうのだ。
幸いに、私の困惑を理解してくれているのか、人前ではそんな呼び方はなさらず、必ず「倉橋」と
言って頂けるのが救いだ。
本当は2人の時もあの呼び方は止めて頂きたいが。
ああ、話が逸れてしまった。
御前のその言葉の意味が分からなかった私は、そのまま表情に出ていたのだろう。
御前は苦笑を零された。
「唯我独尊のようなあいつにも、攻略出来ないものがあったか」
「・・・・・どういうことでしょうか?」
私が聞き返しても、御前は笑って誤魔化されてしまう。
ただ、私が車に向かおうとした時、
「くーちゃん、何があっても逃げちゃ駄目だよ」
「え?」
「絶対に、君の中にも答えはあるはずだから。目を逸らさずにちゃんと向き合って欲しい」
その言葉の意味を、私は車の中でも考えた。
逃げる?
それほどに感情を動かすことが私にあるというのか?
軽井沢からの帰京。
その前に、一泊箱根へと宿泊することになっている。
社長が真琴さんの為に計画したことだが・・・・・無表情で宿の手配を頼んできた社長が、なぜかと
ても微笑ましく思えた。
社長は地位のある人間だ。
一つすることが増えれば、それだけ余計な手配も、人力も必要となるが、こんな可愛らしい彼を見ら
れるのならばそのくらいの手間は惜しくない。
宿も、従業員も一流の場所だ。
きっと、いい休暇を取ってもらえるだろう。
・・・・・少し、混乱している。
今日はこれ以上書けない。
綾辻はああいう男だ。
女も選び放題で、かなり遊んでいることは私の耳にも入っていた。
それなのに・・・・・あのキスはどういう意味があるんだろう。
最近慣れきってしまったあの言葉遣いから急に男っぽくなっても、困ってしまう・・・・・。
「自分にとって必要か、必要でないか」
性別など関係ないと言い切るのは、彼が強いからだ。
こういう世界に身を置いているとはいえ、私自身はとても弱く、平凡な人間だ。
そんな私を、あの誰もが惹かれる眩しい存在のあの男が欲しているなんて信じられない。
からかわれているんだ、きっと。
いや、そうであって欲しい。
ただ、彼にとって必要でない人間になるのは・・・・・嫌だ。
私は矛盾している。
あのキス以来、綾辻は私に遠慮なく迫ってくる。
早く選べ、俺を選べと言いながら、必要以上には中に踏み込んでこない。
その絶妙な距離感に、私は対応を間違えたのか・・・・・何時の間にか彼は私のごく近くにいること
を自然なこととしてしまった。
その手際は、鮮やかと言ってもいいだろう。
単に、彼が慣れているだけかもしれないが。
今日、思わず綾辻に手を上げてしまった。
普段からあの男の軽口には慣れていたはずだったのに。
私は暴力が嫌いだ。両親も何時も理詰めで叱る人だったし、身体の痛みと言葉の痛みは同等のものだ
と思っている。
だからこそ、私が無口になってしまったといえばそうなのだが・・・・・。
「最近セックスした?」
誰に向かってそんな事を言っているのか、分かっているんだろうか、あの男は。
一度は自分の手で私を征服しようとしたくせに、私がほかの人間と寝てもいいと思っているんだろう
か?
私を、そんな人間だと思っているんだろうか・・・・・。
私は気まずく思っているのに、綾辻の態度は変わらない。
自分だけが気にするのも悔しいので、私も彼を無視したりすることは無いが、どうしても側に寄られ
ると緊張してしまう。
どうしたら良いのだろうか、私は。
数字ならば答えが出るのに、人間の感情はとても難しい。
社長に相談も出来ないし、こうして1人で考えるのも限界があるような気がする。
出来るなら、綾辻の気持ちが一過性のものであって欲しい。
いや、出来るなら、彼特有の冗談であっても良い。
せっかく見つけた居心地の良い場所を、こんな人間関係なんかで離したくないんだ。
綾辻の雰囲気が怖い。
綾辻と、身体を重ねた。
売り言葉に買い言葉・・・・・時間を置いて考えれば、もしかして彼に乗せられたのかもしれないと
も思うが、結果的に頷いたのは私自身だ、彼だけに責任は無い。
それに、私も試してみたかった。
社長と真琴さんを見ていれば、同性同士でも愛し合えることは十分理解出来るし、身体を重ねること
も可能だということは実際にこの目で見た。
男同士というくくりは、今更抵抗の要因にはなりえないだろう。
だが、私自身はどうなのかと思った。
男とか女とか関係なく、誰かを愛する自分というものがとても想像出来ない。
そんな自分が綾辻と身体を重ねてどう変わるのか・・・・・怖くて仕方が無かったが、その恐怖を乗
り越えてでも試したかった。
身長はさほど変わらないのに、スーツを脱いだ綾辻の身体は私の目から見ても立派な男の身体だっ
た。
痩せて見えて、しっかりとある肩幅も、胸板も、縦だけが人並の私と比べては申し訳ないくらいで、
抱きしめられると不思議と安心してしまう自分がいた。
この腕の中にいてもいいかもしれない・・・・・そんな思いさえ抱きながら、私は全てを綾辻に任
せた。
背中の龍を見せたのは、彫師以外では綾辻が最初で・・・・・多分最後だ。
ヤクザとはいえ、身体を傷付ける事を良しとしない社長には見せることは叶わないだろうし、私自身
褒めてもらう為に墨を入れたわけではない。
この人を一生守る龍となる・・・・・虚無感に満ちた現実から、私に生きる意味を教えてくれたあの
人に一生付いていく為の、私なりの、私だけの誓いの儀式だったからだ。
だが、この男は、私と同じ世界にいる為にと、自分の背中に龍を背負った。
社長の為ではなく、私の為・・・・・泣きたいくらいの思いが、私の中に湧きあがってきた。
そして、その時初めて、私はこの男を手放したくないと思ってしまった。
結果的にいえば、私達は最後まではしなかった。
とてもあの長大なものを自分の身の内に入れる勇気はなかった。
そもそも、私が受け入れる側というのも首を捻るものがあるが。
挿入までしていなくても、あれは十分セックスといえるものだ。
私は、あの男と、綾辻とセックスした。
それなのに、日常は変わりなく、私は今日もデスクに向かって仕事をしているし、あの男はフラッと
遊びに出て行ったようだ。
女を抱くのか?
そう思うと、少し、胸が痛い。
自分から何も言わないくせに、相手からの誠意だけを求める私はずるい人間だ。
それでも、綾辻はそんな私でもいいと言ってくれたのだ、一度言ったことには責任を取ってもらわな
ければならない。
不実な人間は嫌いだ。
もし、今日帰ってきた時に、あの男にほかの人間の気配があったとしたら・・・・・ああ、駄目だ。
切り捨てるという選択が出来なくなっている。
たとえあの男が私を裏切ったとしても、私は最終的にあの男を許すかもしれない。
それほどに・・・・・必要なのだ、私には。
「克己〜。お土産のロールケーキよお〜。限定物だから並んで買っちゃった!」
能天気な声で笑いながら私のオフィスに入ってくる男。
なんだ、そんなものを買いに行っていたのか。
思わず緩みそうになる頬を必死で隠し、私は私らしい言葉を言った。
「何をしてるんですか、あなたは。仕事が溜まってますよ」
「そんなの後でいいじゃない。ね、お茶にしましょうよ」
「・・・・・」
「克己」
・・・・・ずるいな。
私がこれ以上前に出れないことを計算してる。
目が、笑っている。
しかたない人だと、私が溜め息を付くのを待っている。
「・・・・・あなたが用意してくださいよ」
「オッケー!」
何時の間にか、私の呼吸まで操ることが出来るようになっている。
まずい・・・・・一人に慣れていたはずの私が、隣に誰かがいることに慣れてきている。
全てがこの男の計算通りにいくことは悔しいが、きっとこの先私は・・・・・差し出されるこの手を
振りほどくことが出来なくなるかもしれない。
怖い。
でも・・・・・。
どこかで私はそれを待ち望んでいる。
・・・・・申し訳ありません。
スケジュール帳のはずが、ほとんど私的な事柄で埋まってしまいました。
ここまでは今年の初めくらいの話で、今年に入ってもっといろんなことがあったのですが・・・・・
私は誰かみたいに自分の私生活を吹聴する性格ではないので。
私事を除けば、真琴さんのご実家に伺ったことや、理事選のことは、表に出ない色々な事があった
のですが、それを人様に聞かせるなんて事は・・・・・え?聞きたい?
でも、本当につまらないことしか書けない人間なのですよ、私は。
それでも?くーちゃんの生活を覗きたい?
・・・・・申し訳ありません、そのくーちゃんと言うのだけは止めて頂けますか?社長にも綾辻にも
これだけは言っていないので・・・・・いや、あの二人ならば気付いているかもしれない。
もしかしたら、私は二人の手の平の上で泳がされているのでしょうか?
すみません、少し、混乱してきました。
もう一度よく自分で考えてから、また皆さんにお話できればと思います。皆さんは私よりも人間に対
する洞察力は鋭いようにお見受けいたしますので。
もう、夏も終わりですね。
季節の変わり目ですので、御身体を大切になさって下さい。
ああ、くれぐれも、ここで見た話は綾辻には御内密に。
それではまたお目見えすることを楽しみにしております。
倉橋克己
続?