夏休みももう終わりという8月も末。
高校2年生の沢木日和(さわき ひより)は、思い掛けない場所に、思い掛けない相手と、思い掛けない格好で会っていた。
「ん?秋月、変わった連れだな」
目の前には、白髪混じりの初老の男が立っていた。
穏やかに笑っているがその目はきつい光を帯びていて、後ろには黒服の体格がいい男達が何人も付いてきている。
(うわ・・・・・こわぃ・・・・・)
日和はますます俯いてしまい、じりじりと後ろに下がって逃げようとした。
しかし、隣にいた人物が、ガシッと日和の肩を抱きしめて自慢げに言い放った。
「京都で見つけたんですよ。俺に惚れて、こんな所まで追い掛けてきたんです。可愛いもんでしょう?」
「・・・・・お前が俺に自慢をするなんて珍しいな」
初老の男は苦笑を漏らした。
「そんなに大事なもんを、こんな所に連れてきて良かったのか?お前、まだモノにしてないだろ」
「・・・・・」
「ここにはお前と遊んだ女達も大勢来ている。少しでも目を離せば、女狐共に食われるぞ」
「気をつけます」
殊勝にそう言う人物・・・・・男の姿は初めて見るので、日和は少し意外な気がしていた。
(この人でも、頭の上がらない人なんているんだ・・・・・)
傲岸不遜で、意地悪で、全てを自分の思い通りにしているこんな相手でも、やはり敵わない相手がいるのだろうかと、振り回さ
れている立場の日和は少しだけ胸がすく思いがした。
「羽生会と八葉会が揉めてたらしいが、お前何か聞いてるか?」
「さあ・・・・・小田切が動いていたとは聞きましたが」
「小田切か。あいつも変わった男だしな。あのまま本家にいれば、理事にはなれたものだが・・・・・」
「それだけ上杉を買ってるんでしょう」
「俺はお前を買ってるぞ」
「それは初耳ですよ」
男は更に何事か言ったが、日和には全く意味が分からないことで、ただ身体を硬くしたままそこにいるだけだ。
やがて、話が終わったらしく、初老の男はもう一度日和に視線を向けた。
「この男は一筋縄ではいかないぞ。用心しな、舞妓さん」
「は、はい」
「それは・・・・・失礼でしょう」
「ははは」
笑いながら立ち去る男をぼうっと見送っていた日和は、不意に耳元に唇を寄せられて囁かれた。
「誰も彼もにいい顔を見せるな」
「・・・・・っ」
怒っているのではないだろう、どこか笑いを含んだ言葉に、それでも日和は緊張してしまってコクコクと頷くだけだ。
その度に、自分の頭で何かが揺れる気配がする。
「あ、あの、何時までこの格好で・・・・・」
「俺が満足するまで」
「そ、そんな・・・・・」
「似合ってるぞ、可愛い舞妓姿」
日和は自分の姿を見下ろす。
豪奢な黒地に大きな牡丹の花の振袖という大人っぽいその姿・・・・・男である自分が、好き好んでこんな女装を・・・・・舞妓姿
をしているとこの男は思っているのだろうか?
(無理矢理こんな格好をさせたのはあんたじゃないか・・・・・!)
そう文句を言ってやりたいが、気が弱く、争いごとを好まない日和は攻撃的な言葉を言うのさえ無理だ。
「お、俺は・・・・・」
「用が済むまでは黙って我慢しろ」
「・・・・・」
(我慢してるって分かってるんじゃないかっ)
心中でそう叫びながら、日和は渋々頷いた。
この夏、日和は京都で舞妓修行をしている双子の姉、舞のもとへと遊びに行った。
男女の性別の違いが有るとはいえ、姉弟仲の良かった舞と会えるのがとても嬉しかった。
大人しくて引っ込み思案な自分とは違い、中学を卒業すると同時に親戚がやっている置屋(舞妓や芸妓を派遣する所属事
務所のようなもの)に単身修行に行った姉。
始めは置いていかれたと思っていた日和も、一年以上経った今は頑張って欲しいと応援していた。
そんな久し振りに会った舞が、しつこい客に困っているという話をした。
どうやら町で自分を見初めたらしい相手がここまで自分を突き止め、会いたいとアプローチを掛けて来ているという。
そして、その相手がヤクザだということで、どうしてもお座敷に出たくない舞は、自分と容姿が酷似している日和に1日だけの身代
わりを頼んできた。
もちろん、舞妓の所作など全く分からず、何より女装ということに強い抵抗を覚えた日和はさすがに頷かなかったが、ここでも姉
弟の上下関係は健在らしく、更に男でありながら柔らかな女顔でもあった日和は、何時の間にか舞妓としてそのヤクザの前に出
ることになってしまった。
結果的に言えば・・・・・どうやらヤクザが見初めたのは、去年京都にやってきた日和の方だったということだった。
それだけでも驚いたというのに、男ということもばれてしまった日和はただその場を逃げ去るだけで、ついでに京都からも逃げようと
したのだが・・・・・。
「俺に捕まったことを諦めるんだな、日和」
その言葉通り、どうやら日和はこの男、東京紅陣会若頭、秋月甲斐(あきづき かい)に、不本意ながらも囚われてしまったよう
だった。
(こんな格好・・・・・誰にも見せられないよ・・・・・)
結局、東京に帰る道中で、自分の身辺は全て話した(話すように仕向けられた)日和だったが、東京に戻ってしばらくは何の音
沙汰も無かった。
毎日秋月からの連絡をビクビクして身構えていた日和は、もしかして自分が男だということで秋月が見限ってくれたのではないか
と安易な方向へと思考が向かったが、夏休みも後残り一週間と迫った昨日、
『よお、日和。大人しく待ってたか?』
いきなり、秋月から連絡があった。
そして、攫われるように翌日、なぜか新橋に連れて行かれ、ある家で何時の間に用意していたのか自分の身体にピッタリと合う
舞妓の振袖を着せられ、前よりは薄い(前回は舞と似せる為にわざと通常より濃い目の化粧にしていたのだが)化粧まで施され
て、日和は自分の意思ではなく、再び舞妓へと変身させられてしまった。
しかも、以前は舞の振袖を着ていて少し派手だと思ったが、今回は日和の性格に合ったように少し大人しめで、それでも十
分華やかな感じの装いで、明らかに秋月が日和の為に用意したのだということが分かった。
「ど、どうしてこんな格好・・・・・っ」
二度と着ないと思っていたきつい帯を締められている日和を覗きに来た秋月に文句を言おうとすると、なぜか目を細めて笑わ
れてしまった。
「決まってる。お前の可愛い姿がもう一度見たかった」
「!」
(こ、この人、何言ってるんだっ?)
「ま、舞妓がいいなら、俺以外のちゃんとした・・・・・」
「バカいえ」
「・・・・・」
「お前の舞妓姿が見たいって言ったろ」
「・・・・・」
(何、考えてるんだよ・・・・・?)
もちろん、日和自身が舞妓姿になりたいわけでは毛頭ないが、日和のこの姿に満足して上機嫌の秋月に逆らうことなどとても
出来なかった。
日和にとってはヤクザというのはとても怖い存在だ。
怒らせて何かされるよりは、黙って従って時が過ぎるのを待っていた方がマシ・・・・・事なかれ主義の日和は何とか自分にそう言
い聞かせて、秋月に連れてこられるままに都内の高級住宅地にある大きな屋敷までやってきた。
どうやら今日はその屋敷でお茶会のようなものがあったらしい。
日和が秋月に連れられてやってきた時には茶会自体は終わっていたようだったが、日本庭園といってもいい(テレビでよく見るよう
な立派な庭だ)場所には、かなりの人間がいて談笑していた。
入って直ぐ出会ったのが先程の初老の男で、秋月は男と別れると日和の肩を抱くようにしてドンドン奥へと歩き始めた。
「あ、あの、どこに?」
「一応、主人には挨拶しておかないとな」
「お、俺も一緒にですか?」
「1人で待ってるか?」
「え・・・・・?」
意外にも秋月は日和に選択肢をくれた。
一瞬考えた日和だが、庭を歩くにつれて自分に突き刺さってきた視線が時間をおくごとに強くなることも感じていた。
(・・・・・見られてる)
中にいたのは男女とも幅広い年齢の者達だったが、明らかに日和は目立っている・・・・・と、いうか、浮いていた。
多分最年少であると同時に、舞妓姿の人間など他にはいない。
お茶会なだけに着物を着ている者達は多かったが、それはごく普通のもので、振袖を着ている者自体あまりいなかった。
そして、なぜか痛い視線・・・・・それは主に女のようだ。
日和の目から見ても大人で、綺麗な女達が多かったが、彼女達はなぜかきつい眼差しで日和を見ていた。
その視線の理由は、日和にも分かるような気がする。彼女達はきっと秋月の側にいる自分が面白くないのだろう。
ヤクザということを抜きに考えれば、秋月は日和の目から見てもカッコいい大人の男だった。
粗野なイメージなど全く無く、どこか弁護士や医者のような知的な雰囲気を持ち、身長も高く、顔もいい。
着ている服もオーダーメイドのようにしっくりと身体に合っていて、多分秋月は女からすれば理想の男なのだろう(ヤクザということ
はあくまでも置いておいて)。
そんな男の隣に、自分のような舞妓がいたら・・・・・。
(面白くないよ、きっと)
もしも秋月と離れてしまったら、どんな風に絡まれるかも分からない。
そう思うと怖くて、日和は思わず秋月の腕を掴んだ。
「い、一緒に行きます」
日和としては知らない場所に1人でいたくないという思いもあったが、自分が秋月に触れた途端に更に強くなった視線の意味を
考えるのは怖い。
(俺の意思じゃないのに〜)
「よし、いい子だ」
秋月はそんな日和の肩を抱くようにして歩き始める。
その頬に笑みが浮かんでいたことを、俯いていた日和は気付くことが出来なかった。
「会長」
「おお、秋月か。お前もう来ないと思っていたが・・・・・そっちの子はなんだ、珍しいな、半玉(はんぎょく)か?」
「京都の舞妓ですよ」
「舞妓か」
「・・・・・」
(おじいさん・・・・・だ)
屋敷といってもいい大きな家の奥に通された日和は、秋月と話している相手をチラッと見上げた。
先程の男よりも更に年上で、頭などはほとんど真っ白といってもいいくらいだったが、その肌艶はまだまだ若いといっても良かった。
ただ、眼光が鋭いのはさすがにヤクザという感じで、日和は目線が合わないようにと直ぐに俯いた。
「・・・・・で、ここに連れて来たっていうのがお前の答えか?」
「はい。大変光栄なお話でしたが、ご覧の通り、今の私はこれに夢中でして・・・・・他の女には目が行きません」
「勿体無い話だがなあ」
「ええ、本当にありがたいとは思っていますが」
「・・・・・」
(何の話をしてるんだろ?)
2人の会話が全く分からない日和だったが、ここは大人しくしていた方がいいだろうと思って黙って控えている。
すると、廊下を歩いてくる人の気配がし、
「失礼します」
女の声が聞こえたかと思うと、入室の許可が下りる前に障子が開けられた。
「秋月っ、女連れだって噂だけど、その女は誰?」
「・・・・・っ」
(こ、怖い・・・・・)
女は艶やかな振袖姿で、髪も化粧もこれ以上ないというほど綺麗に装った姿だった。
しかし、外見の美しさに反し、その目は憎々しげに日和を睨んでいる。
日和は思わず秋月の背に隠れるように顔を逸らした。
「秋月!」
「お嬢さん、この子は私が今もっとも大事にしている子ですよ」
「だ、大事?・・・・・お前っ、縁談相手の私にぬけぬけとそう言うのっ?」
「!」
(縁談っ?)
女の言葉に日和は驚いて目を見張ったが、秋月の方は激昂する女に対して静かに口を開いた。
「昔世話になった小関(おぜき)の御前のお話、とてもありがたく思っていますが、何分今はこれしか目に入らないんです」
「そ、そんな女っ、囲ってれば済むことじゃない!私だってヤクザの娘よ、夫に女の1人や2人っ」
「無理でしょうね」
「どうして!」
「これ以外、勃たない」
「・・・・・」
(うわ・・・・・酷い言い方・・・・・)
この話を要約すれば、どうやら秋月は目の前の男から言われた目の前の女との縁談を断わる手段として、自分にこんな格好を
させてここまで連れてきたようだ。
面と向かって断わるよりも、舞妓などに入れあげている自分は止めた方がいいと自分を卑下した形にしたようだが、どうやら女は
日和の存在に余計に苛立っている感じだ。
(ど、どうするんだろう・・・・・)
しかし、日和の不安をよそに、幕を引いたのは意外にも目の前の老人、秋月が小関の御前と言った男だった。
「みっともない真似はよせ」
「だ、だって、おじいちゃま!」
「大体、今回の見合いはお前がどうしてもと言って来て、俺が秋月にねじ込んだ話だ。その俺に対して、正面きって断わりを入
れてきた秋月の覚悟がお前には分からないか?」
「・・・・・っ」
「このまま無理を通しちゃ、紅陣会を抜けるぞ、こいつは。秋月とお前、わしがどちらを選ぶか、お前にも十分分かるな?」
「すまなかったな。日和か・・・・・可愛らしい名前だな。今度座敷に来ておくれ」
「・・・・・良かったんですか?」
「ん?」
もう用は済んだと、待たせてあった車に乗り込んだ日和は、隣に座る秋月の横顔をじっと見つめた。
「あのおじいちゃん、騙しちゃったんですよ?俺、男なのに・・・・・」
「あの人にとって、お前が女だとか男だとかは関係ないんだ。要は、俺にはお前という存在がいる、それだけ分かれば話は早い
んだよ」
「・・・・・そうかなあ」
まだ高校生の日和には分からない大人の話。それでも、日和は何だか大役をこなした様でホッとしていた。
多分秋月は後腐れない芝居の相手として自分を選んだのだろう。
(これで終りかも・・・・・)
急に笑みを浮かべた日和に、秋月は何を考えているのかをとっさに悟ったらしい。
口元を吊り上げ、不意にその名を呼んだ。
「日和」
「え?」
何ですか・・・・・そう言う前に、日和の唇は秋月のそれに重なっていた。
いや、貪られているという表現の方がいいか・・・・・突然のことに抵抗する間もない日和の口腔内には秋月の舌が滑り込み、傍
若無人に犯していた。
こんなキスなどしたことがない日和は、呼吸の仕方も分からずに酸欠状態になってしまう。
ギュっと秋月の腕にしがみ付いていた手が力無く下に落ちた時、思う存分日和の口腔内を貪った秋月の舌がようやく離れた。
2人の唇を結ぶ唾液の糸。
日和の顎をべったりと濡らしていた唾液をペロッと舐め上げた秋月は、ショックでぼんやりとした目を向けてくる日和ににやっと笑い
掛けた。
「確かに今回は見合いを断わる手段でお前を使ったが、これで終わりというわけじゃないぞ」
「・・・・・え?」
「その心も身体も喰らい尽くすまで・・・・・離さないからな」
異郷の地で見つけた小さな光。
綺麗な涙を流していた綺麗な存在を見付けた時、秋月はどうしてもその存在を手に入れたくなってしまった。
生きている場所も違う。
年齢も離れている。
性別さえ、自分と同じ男だと分かっても、欲しいという気持ちは消えなかった。
「日和・・・・・」
大切にその名を呼ぶと、着物越しでもその身体が震えたのが分かる。
秋月はもう逃がすつもりはないその存在を、腕の中にしっかりと囲い込んで離さなかった。
(囚われたのは・・・・・俺の方かもな)
end