堅と楽 (まじめとふまじめ)
「綾辻さん、ちょっとご相談があるんですが」
珍しく社内の綾辻の部屋を訪ねた倉橋は、すこし言いにくそうに口を開いた。
「あら、改まって何かしら?」
もうすぐ、注文したピザを持ってあの青年が来る頃だ。
海藤が今朝その名を口にするまで、倉橋は出来ればあの出来事が海藤の気紛れであればいいと思っていた。
多分あの青年は、平凡な、そして家族に囲まれて幸せに暮らしてきたのに違いはなく、自分達のような裏側の世界など知りもしな
いだろう。
(しかし、やはり本気なんだろうな)
気に入ったのは直ぐに分かったが、実際にこうして行動に出ると、まさかという思いの方が強かった。
しかし、こうなれば青年に諦めてもらうしかない。海藤ほどの男がその存在を求めているのだ。
「あの・・・・・」
海藤、倉橋、綾辻と、三人の中で綾辻は一番若く見えるが、実際綾辻は倉橋の一つだけだが年上で、今年34歳になる。
組に入ったのも綾辻の方が先なので、プライベートでは倉橋は敬語を使うことが多かった。
「男同士の・・・・・その、性行為は、やはり受け入れる方が大きな負担を負うでしょうね?」
「まあ、そうじゃない?あ、克己も今日社長が手を出すと思う?」
綾辻はまだ会った事のない青年を想像しながらニヤッと笑った。
何時もは冷徹で硬いオーラを振りまいている海藤がここのところ機嫌がいいのは、きっとその青年だと目星を付けて、綾辻は早くその
青年を見てみたかった。
自分が命を預けてもいいと思ったくらいの男を、あれ程目に見えて変えたのはどんな人物か、今日その青年を呼んだと聞いて、綾
辻は今か今かと待っているのだ。
「ふふ、多分、社長溜まっているだろうから、きっと激しいわよ。それに社長って今まで男相手にしなかったでしょ?勝手分かってる
のかしらね」
「・・・・・下世話ですよ」
「社長には内緒よ。それで、話は?」
「何か、用意しておいた方がいいでしょうか?」
「そっか〜、克己は想像出来ないわよね〜」
「・・・・・」
(あなたも女専門でしょ)
さすがに口には出さないが、倉橋の眉間の皴は深くなる。
綾辻は人を惹きつけるオーラと人懐こい人柄、そして面倒見の良さで、様々な分野への人脈はかなりのもので、あの海藤も一目置
くほどだった。
それは夜の世界にも共通するもので、綾辻と街を歩いているとひきりなしに声を掛けられるくらいだ。
(全く、一言ったら十返る・・・・・)
こうなることは予想出来たが、海藤のセックス事情を下っ端の組員に相談出来るはずもなく、倉橋は今にも部屋から出たいのを我慢
して、綾辻の答えを待っていた。
「・・・・・」
ふと、倉橋は視線を感じて目を向けると、先程まで座り心地のいい椅子に腰掛けていた綾辻が、ほとんど目の前にといっていいほ
ど近くに立っていた。
「綾辻さん?」
「克己」
意識的に声を落とした綾辻が、素早く倉橋の腰に手を回して引き寄せた。
ほとんど同じ位の背丈だが、綾辻の目線の方がわずかに高い。
「その子が来るまでに何が必要か・・・・・自分で確かめてみる?」
女なら腰砕けの甘い声。
一瞬倉橋の体が強張ったのが分かって、綾辻は笑みの形のままの唇を寄せたが、二人の唇が触れる瞬間、倉橋の声が冷たく響
いた。
「ピザの配達の時間ほど、あなたのセックスは早いんですか?」
「は?」
「配達時間は30分以内ですよ。それももう切っているでしょうけど」
「・・・・・っ、お前なあ、萎える事言うなよ」
「立ってもいないくせに何を言ってるんです。ほら、時間がないんですから」
「・・・・はあ〜」
すっかり気分がそがれた綾辻は溜め息をつきながら倉橋から離れると、自分の机の中から小さなビニールの包みを一つ取り出して
投げ渡した。
「これは?」
「女の生理用品」
さすがに驚いた様子の倉橋に、綾辻はやっと何時もの調子を取り戻した。
「その子、多分初めてだろうから出血するはずよ。服を汚させるわけにはいかないでしょ」
「・・・・・こんなものが、なぜあなたのデスクの中にあるんですか?まさかここで何か悪さを・・・・・」
「さあ、どうでしょ?」
「・・・・・」
「そろそろ来る頃じゃない?迎えに行こうっと」
沈黙してしまった倉橋をその場に置いたまま、綾辻は回復した気分で噂の青年を出迎えに部屋を出た。
end
真琴があんな目にあう直前の倉橋と綾辻の会話です。
いったい綾辻は何の為にデスクにそんなものを入れていたのでしょうか? 謎な人です。