マコママ編
「あれ?」
日曜日の午後、リビングのソファに座ってノートパソコンを見ていた開成会会長である海藤貴士(かいどう たかし)は、聞
こえてきた声に顔を上げた。
そこでは、愛する伴侶である西原真琴(にしはら まこと)が冷蔵庫の中を覗いている。
「無いなあ」
「なーねー」
まるで真似をしているように、同じように首をかしげているのは、正真正銘真琴の産んだ息子であり、自分の血を受け継
いだ貴央(たかお)だ。
2歳を過ぎた今、自分の意志もしっかりと告げてくるし、歩けるようにもなっているので少しも目が離せない。その上、何
時も一緒にいる真琴の真似をよくするので、真琴自身は困っていると良くこぼしていたが、見ている海藤は微笑ましい気
分だった。
「どうした?」
「桃缶が無くて」
「桃缶?」
いきなり出てきた言葉に、さすがに海藤は聞き返してしまう。
「この間買ったと思うんですけど・・・・・ごめんね、たかちゃん、今から買いに行ってくるから」
「わざわざ買いに行くのか?」
「1人でおもちゃの片付けが出来たら、後で桃を食べようねって約束したんです。約束は守らないと、ね?」
「ねー」
真琴と一緒に元気よく答える貴央に、海藤は目を細めた。
「じゃあ、車を出そう」
そんなつもりは全くなかった真琴は、
「え?あ、いいですよ、仕事中でしょう?俺、たかちゃんと散歩がてら行ってきますから」
「・・・・・俺は仲間外れか?」
「そ、そんなことっ」
それこそ考えていないと慌てて首を横に振ったが、海藤の口調も表情も思いがけなく優しいもので、もしかしてその言葉
は海藤の冗談なのかと真琴はやっと分かった。
(いいのかな)
海藤は自分自身があまり両親に可愛がられた記憶が無いせいか、始めは貴央に対しても戸惑うことが多いようだった
が、元々優しい人なので直ぐにその対応にも慣れたし、積極的に家事にも育児にも手を貸してくれる。
もちろん、普通以上に忙しい人なので四六時中共にいるというわけではないが、それでも空いた時間は貴央とよく遊ん
でくれた。
マンションの近くの公園にも3人でよく行くが、考えたら貴央が産まれてからスーパーなどに一緒に行く回数は減った。
赤ん坊の時はあまり連れ歩かない方がいいかと思っていたし、成長してからは(買い物に関しては)真琴と貴央だけで出
掛けることが多かった。
「いいんですか?」
「ん?」
「だって、あの・・・・・もしかしたら、変な目で見られるかも知れないし・・・・・」
男同士の2人連れが子供を連れていても、普通それが家族だとは思われないだろう。
だが、見知らぬ視線の多い店では、好奇の目が向けられてしまう可能性は高い。自分はともかく、海藤が嫌な思いをし
たら嫌だと思った。
「構わないだろう、家族なんだから」
「海藤さん・・・・・」
「ついでだ、夕食の買い物もするか」
そう言って立ち上がる海藤に、真琴も慌てて支度をするために貴央を部屋に連れて行く。不安に思いながらも、もちろ
ん海藤も含めた家族3人で出掛けることはやっぱり嬉しかった。
「たかちゃん、海藤さんとお出かけだよ、嬉しいね」
「いっしょ?」
「うん、みんな一緒」
途端にはしゃぎ始める貴央を宥めながら、真琴も何時しか笑っていた。
何時も買い物にくる高級スーパーに着くと、そこでもまた一悶着あった。真琴がカートに座らせようとするのを貴央が嫌
がるのだ。
自分で歩きたい貴央と、少しも目が離せない貴央をカートに乗せておくのが安心な真琴。どちらの気持ちも分かるが、ま
だ足元がおぼつかない貴央を歩かせることが心配だという真琴の気持ちの方を優先した方がいいだろう。
「たかちゃん、乗りなさい!」
「や!」
「たかちゃんっ」
「貴央、抱っこしようか」
店の入口で睨み合っている2人の様子を見てふっと笑った海藤がそう言うと、貴央はパッと顔を輝かせてうんと頷く。
そのまま貴央を抱き上げた海藤は、真琴の手からカートを取って歩き始めた。
「あっ、お、俺がっ」
「何時もお前がしてくれているんだ、たまにはさせてくれ」
「でも、料理はほとんど海藤さんが作ってくれてるでしょう?」
「役割分担がきちんと出来ていていいじゃないか」
腕に感じる貴央の重みは、当たり前だが赤ん坊のころよりもかなり増している。何時も抱いているというわけではない
だろうが、こんな幼い、それも目が離せない子供を連れての買い物は大変だろう。
世の中には2人や3人、そして、それ以上の子供を持つ母親もいるらしい。真琴が子供を産むまでは子供など視界に
入っていなかったが、今の海藤は違う。
「あ!プリー!」
「プリ・・・・・プリンか?」
「ちょーだい?ね?ちょーだい」
可愛くねだる姿はなかなか強敵で、このままでは際限なく物を買い与えてしまいたくなるかもしれない。真琴は毎回この
可愛さと攻防を繰り返しているのかと、海藤は感心してしまった。
端正な容貌の海藤が、彼によく似た貴央を腕に抱く。その顔を見れば親子だろうと直ぐ分るのだろう、何だか自分が連
れているよりはよほど見事な絵になっていた。
それに・・・・・。
(あ、あきらかに、見られてる・・・・・ような)
日曜日の午後のスーパーには家族連れも多いが、その女性だけではく男性も、チラチラと海藤に視線を向けているのが
分かる。
休日仕様のラフな格好ながら、高価だろうと一目で分かる服。長い手足に、冷たいほどに整った容貌。それでいて、貴
央に話しかける表情はとても優しくて・・・・・。
(見惚れちゃうの、分かるかも)
「まこ!もも!ももちゃ!」
「あ、うん」
貴央はしっかりと桃のことを覚えているらしく、それが欲しいと大きな声で言ってくる。真琴はそのまま缶詰の棚へと向か
おうとしたが、海藤の足は果物売り場へと迷いなく進んだ。
「海藤さんっ、缶詰はこっちですよ?」
「折角来たんだ、生の桃の方がいいだろう」
果物売り場に行くと、海藤は貴央の顔を棚に近付けるようにしてやった。
少し季節を外れているが、品揃いの豊富な店だけにちゃんと桃もあって、それは綺麗に色づいた、いかにも美味しそうな
ものに見える。
「かーどーしゃ、ももちゃは?」
「これが桃だ。何時も切ってあるものしか見ないから分からないか?」
「ももちゃ・・・・・」
子供の好きそうな形に、鮮やかな色。
欲しがって直ぐに手を出そうとする貴央を宥め、海藤はそれを1つカートに乗せたが、貴央はもう一個と言った。
「もう1つか?」
「もーいっこ!ももちゃ、もーいっこ!たかちゃとー、まことー、かーどーしゃ!」
どうやら、1人1ずつと言いたいらしい。食べきれないのにしっかりと自己主張するんだなと思いながら3個目の桃を手にし
た時、真琴が手に桃缶を持って現れた。
「たかちゃん、こっちの桃でいいよね?」
「・・・・・ももちゃ、こっち!」
「えー、高いのに・・・・・それじゃあ、1個だけだよ」
「やー!」
「たかちゃんっ」
真琴がカートから桃を取りだそうとすると、貴央は抱いている腕から身を乗り出して駄目だと言っている。頑固な所はど
ちらに似たんだろうかと思いながら、海藤は笑って言った。
「真琴、貴央はみんな1個ずつ食べるんだって言っているんだ。喧嘩しないように3個買っておこう」
「まこ、ちゅー」
貴央は真琴が怒っていると思ったのか、機嫌を取るようにそう言って、手を伸ばした。
「もー」
その可愛らしさに負けたのか、真琴は苦笑しながら貴央に顔を近付け、頬にブチュッと熱烈なキスを受けている。
「かーどーしゃも、ちゅー」
「ん?」
海藤が聞く前に、ブチュッと、こちらもぶつかるようなキスを頬に受けた。
(桃の礼か?)
誰が見ても、幸せな家族の風景。
その中に自分がいるのが気恥ずかしいが、こんな風に皆で買い物に来るのも楽しい。今度からは毎週末来ようかと思い
ながら、海藤は休日を愛する家族とゆっくりと過ごした。
end