その三
ラディスラス&珠生の場合
「タマが倒れたあっ?」
ラディスラス・アーディンは思わず声を上げてしまった。その声に、伝えに来たはずのラシェルも、少し焦っているように見えた。
「さっき、甲板でふらついていたのを乗組員が見付けたそうだ。顔色も悪くて、そのまま診療室でアズハルに診てもらっているが、
あっ、ラディ!」
ラシェルの言葉など最後まで聞いていられなかった。
(くそっ、一体何があったんだっ?)
昨日も、普通に話をした。食欲は確かにあまりなかったようだが、それでも良く話し、からかうラディスラスに怒ってきて、手を出し
てきたくらいだ。
父親の瑛生とミシュアの件も落ち着き、航海に出発した途端の珠生の体調の変化に、ラディスラスはなぜもっと早く気付かなかっ
たのだろうと自分自身を責めていた。
「タマ!」
診療室の扉を開け放った途端、ラディと中から諌める声がする。目の前にいるのは椅子に腰掛けたアズハルで、側の寝台にこ
んもりとした山が出来ていた。
「タマはどうしたっ?」
「・・・・・ラディ」
「なんだっ、小言なら後にしてくれっ」
「いいえ!」
「・・・・・アズハル?」
いきなり腕を掴んできたかと思うと、アズハルは何時に無く険しい眼差しを向けてくる。それがいったいなぜなのか・・・・・分からな
いまま、ラディスラスは視線を寝台に向けて何だと硬い声で訊ねた。
「あなたがタマに手を出したのは知っていましたが、どうやら無理矢理でもないようですし、タマの歳も考えて見てみぬ振りをしてい
ました」
突然何を言い出すんだと、ラディスラスはようやくアズハルを真っ直ぐに見つめる。
すると、綺麗に整った顔がすぐ側まで来たかと思えば、
「どうして中に出したんですかっ」
「・・・・・はあ?」
いきなり小声で言われた言葉に、ラディスラスは今度こそわけが分からなかった。
中に出す・・・・・それは身体を重ねた後に吐き出す精液のことだろう。
男同士なので妊娠の心配はあるはずがないが、相手の身体を気遣うのならばそれぐらいの配慮はして欲しいということか?
(じゃあ、俺が中に出したせいで腹の具合が悪くなったってことか?)
しかし、それはもう両手で数えられないほど前の話だ。幾ら恋人という関係になったとしても、恥ずかしがりやな珠生はなかなか
身体を合わせることを承知してくれず、前回も多少強引な所もあったが、あの時出した精液がいまだ身体の中に残っているとは
考えられなかったし、見た限り身体の痛手も、一番最初の時から比べれば遥かにましだったと思うが・・・・・。
(全部、俺の身勝手な思いだったってことか?)
「アズハル、タマはいったい・・・・・」
「・・・・・妊娠しています」
「そうか、妊娠・・・・・妊娠?」
耳慣れない言葉に、ラディスラスは聞き違えたと思ってもう一度聞き返してしまった。
男である珠生が妊娠などするはずが無い。
「悪い、今ちゃんと聞こえなかったようだ」
「・・・・・」
そう言うと、アズハルが皮肉気に口元を歪めたが、直ぐにハア〜ッと大きな溜め息をつくと、いいですか、よく聞きなさいという前
置きをした後に口を開いた。
「タマは、妊娠しています、多分、いえ、確実にあなたの子でしょう?」
「え・・・・・」
「うわあ〜!!アズハルのばかあ〜!!!」」
「タ、タマッ?」
いきなり大きな声がして、布が頭から被さってきた。
慌てて頭から布を取ったラディスラスの目に見えたのは、寝台の上にペタンと座っている珠生の姿。
その顔はもちろん、開かれた胸元まで赤く染まっていて、アズハルの言葉がけして冗談ではなく、ありえない男である珠生の妊娠
というものをラディスラスに教えてくれた。
「タマ!」
驚きの次にこみ上げてきたのは喜びだ。
今まで妻を持つどころか特定の相手さえ作らず、自身の子供のことなど全く考えたこともなくて、女の中に精液を出すことも避けて
きた。
多分、今までは身奇麗ではなかったと思うが、それでもそれだけ用心していたので、どこかに隠し子がいるなどという可能性はほと
んど無いといっていいはずだ。
ただ、珠生に関しては・・・・・どうしようもないほどの一目惚れ。欲しくて、自分だけのものにしたくて、半ば強引にその身体を奪っ
て、自分の全てを身体の中に吐き出した。そこには妊娠させようという思いは全く無く、ただ自分の全てを受け止めて欲しかったか
らなのだが、それが結果的に妊娠に繋がるとは。
「タマッ、本当に俺の」
「言うな!」
「タマッ」
「お、俺っ、男なのに〜っ!赤ちゃん、どうするんだよ!」
ラディスラスも考えていなかったが、当の珠生にとっても今回の妊娠は全く想像もしていなかったことだろう。
中に出さないでと言っていたのも、ただ身体の中から征服されるというのが嫌だったので言っていたはずだが、こうなってしまうとそう
した方が良かったのかどうか・・・・・いや、悪いはずが無い。
「タマ、でかした!」
「は、はあ?いみ分かんない!」
「お前と俺の子だ、男ならいい男だし、女なら絶対に美人だ!」
どんなに可愛いだろうか、想像するだけで顔がニヤケてしまう。
しかし、既に子供が生まれた時のことを考えているラディスラスとは違い、珠生はまだこの状況を受け入れようとはしていないよう
だった。
「ラ、ラディッ、何言ってるんだっ?俺に産めって言うのっ?」
「じゃあ、お前は産まない気か?」
まさかなと思わず訊ねれば、珠生は瞳を揺らして口ごもる。
「そ、それは・・・・・アズハル、ホントに俺、赤ちゃんいる?間違いじゃないっ?」
「・・・・・タマ、私は医者です。確かに今まで男の妊娠というものは聞いたことはありませんが、あなたの腹の中には確かにもう一
つの命が宿っているんですよ」
「・・・・・うそお〜」
珠生の声が、虚しく診療室に響いた。
「ラディ、妊婦というものは精神的に不安定になるものです。あなた、しっかりタマを支えなさい」
「アズハル、味方してくれるのか?」
一番に反対しそうなアズハルが意外にも自分を叱咤激励してくれる。自分と珠生の関係を、子が出来たことでようやく認めたの
かと思えば、アズハルは辛辣な口調で続けた。
「したくはありませんが、尊い命です。私は無事にこの世に生み出す手伝いをするつもりですし、まだ全く父親の自覚の無いあな
たの代わりにタマを支えるつもりです」
(おいおい)
「馬鹿、父親は俺だ。タマも子供も俺に任せろ」
血の繋がりは無くても何十人もの乗組員を我が子同然に可愛がってきたのだ。本物の自分の子を、それも最愛の珠生が生ん
だ子を可愛がらないわけがない。
(きっと、ベタベタに甘い親父になりそうだ)
「男だったら早いうちに泳ぎを覚えさせないとな。タマのように泳げなかったら海賊の頭になれない」
「お、泳げないで悪かったな!」
珠生はラディスラスの足元に落ちた布を拾い上げ、再び身体に巻きつけて寝台に臥せってしまった。そんなに急激な動きをして
腹の子に障らないかと気になるが、ブツブツと聞こえてくる愚痴の様子にどうやら大丈夫なようだと思った。
「お前は俺が抱いて泳ぐからいいんだって」
「・・・・・ラディ、ノンキすぎ・・・・・。ホントにどうするんだよ・・・・・」
「タ〜マ、何を悩むことがある?せっかく神が与えてくださった命だ。喜んで迎えるのが本当だろう?」
「・・・・・」
「タマ、安心してボロボロ産め。子守は余るほどにいるからな」
たくさんの我が子に囲まれるのも悪くないと思ってそう言えば、
「ラディのアンポンタン〜!!」
意味不明の、それでも多分怒っているのだろう珠生の声がする。
しかし、どんなに文句を言われようとも、もう完全に珠生は自分のものになり、そこに2人の愛が形になってあるのだ。
可愛くない罵声もラディスラスにとっては心地良い愛の告白で、早速エイバル号中にこのめでたい話をするべく、ラディスラスは布
の上から珠生の頭らしい部分に唇をおとして言った。
「今日から俺の妻になったが、お前は男だから海の神に妬まれることは無い。幸運だったな、タマ、きっとお前も腹の子も祝福さ
れるぞ」
「いみ、分かんない!」
「ははは!」
珠生が倒れたという一報を聞いた時は、全身が冷たくなって呼吸さえままならなかったが、それがこんなにも嬉しい出来事に変
わるとは思わなかった。
船の上で今以上に珠生を大切にし、立派な子を産んでもらわなければならない。
「よし、報告だ!!」
「ま、待ってっ!」
「お前は寝てろ、タマッ。祝いの言葉は俺が全部持ってきてやるからな!」
上機嫌で笑いながら医務室を出たラディスラスは、扉が閉まる直前まで聞こえていた珠生の文句の言葉など全く耳に入っては
来なかった。
to be continued ?
その四
昂耀帝&千里の場合
昂耀帝は眉を顰めていた。
(ちゃんと医師に診せているだろうな)
本当は自身が立ち会いたいくらいだったが、それだけは絶対に嫌だと断られてしまい、それならば必ず診察を受けよと言い置き、
松風もつけている。
本人も調子が悪いという自覚はあるようなので逃げ出すようなことはしないと思うが、千里のことだ、その結果が出るまでは確信
を持てない。
「・・・・・まだか」
もう、かなりの時が経ったように思う。
診察が終われば知らせが来る手筈になっているが、もしかしたら簡単に要因が分からないほどの病なのだろうか?
「・・・・・」
我慢出来なくなった昂耀帝は立ち上がると、そのまま千里の部屋へと向かった。
「うくっ」
「ちさとっ?」
夕食をとろうとした時、千里は急に口を押さえたかと思うと、そのまま御簾を押し開き、廊下へと走り出て庭へ身を乗り出した。
口にしたものを吐いていると直ぐに分かり、昂耀帝は自らの箸も投げ捨てて千里のもとに駆け寄った。
「大事無いかっ?」
帝である己と、寵妃である千里の口にするものは全て毒見を終えており、そこに何かを仕掛けることなど出来るはずがなかった。
しかし、絶対にという保障は無い。毒見を終えてここまで運んでくる間に・・・・・そう疑えばきりが無く、昂耀帝は呻く千里を抱いて
松風に命じた。
「直ぐに台盤所にいるもの全員と、膳を運んだ女房達を捕らえろ!」
「ち、ちが・・・・・」
「ちさとっ」
昂耀帝が毒を仕込んだ者を捕らえる手筈を命じようとした時、千里が抱きしめている己の腕を掴んできた。
「き、きもち、悪い・・・・・だけ」
「なにっ?」
「匂いが、嫌だった。人のせいじゃないからっ」
心配する自分に対して怒鳴るのは許し難いが、それでもこれだけ話せるのならば毒ではないというのは本当だろう。
しかし、気分が優れなかったことや、未だ青白い顔色もただ事ではないような気がして、昂耀帝は即座に医師を呼ぼうとしたの
だが。
「嫌だ!」
「ちさと、聞き分けるのだ。このように急に変調をきたすなどただ事ではない。優秀な医師ゆえ、お前は安心して横たわっておれ
ばいいのだ」
「身体を見られるのが嫌なんだって!こんな女の格好をしているのに本当は男だなんて知られちゃったら、女装好きの変態だっ
て思われるだろ!」
「お前が何を言っておるのか分からんっ」
昂耀帝も、千里の身体を医師とはいえ他の男に見せたいとは思わない。それでも、自分では病のことなど全く分からないので、
ここは仕方なく譲歩するのだ。
「とにかく、明日にでも医師を呼ぶ!必ず診察を受けるのだぞ!」
今朝になっても気分が優れないままだったらしい千里は医師の診察を受けると言ったが、昂耀帝にはその場にいないでくれと言
われてしまった。
夫が妻の心配をするのが何が悪いと、そこでまた2人して言い合いになってしまったが、松風が間に入ってとにかく診察を受けるこ
とが先だと言われてしまい、昂耀帝は渋々それを受けいれたのだ。
しかし、待てども一向に連絡が無く、心配は限界を超えてしまった。
昂耀帝は無言のまま渡り廊下を歩き、やがて千里の部屋の前に行くと、外に控えていた女房がその姿に気付き、直ぐにあっとひ
れ伏した。
「ちさとは」
「あ、あの、まだ・・・・・」
「まだっ?」
(いったい何時まで身体を触れさせる気だ!)
ベタベタと、診察以外の目的で千里の滑らかな肌を医師が触っている光景が頭に浮かんでしまい、昂耀帝はその想像にカッと
血が上って、
「あっ、御上っ、お待ちを!」
部屋に押し入った。
「ちさと!」
いきなり御簾を押し開くと、丁度千里の小袖が押し開かれ、すんなりとした足が見えていた。
「何をしておる!」
気分が悪いからということで、下半身に触れる意味など全く無い。昂耀帝は携えていた扇を医師に投げつけ、そのまま千里の身
体を抱え込んだ。
「御上っ、そのように手荒になさっては!」
なぜか焦ったように言う松風は自分を責めている。昂耀帝はきつく松風を睨みつけ、何をしているのだと低く唸った。
「お前が付いていながら、なぜちさとの肌に無用に触れさせている!」
「それには理由がございますゆえっ」
「どのような理由があったとしても許せるものではない!」
まだ披露目を行ってはいないが、千里は帝である自分が妻問いをして迎えた愛しい妻だ。
不用意に誰かに触れさせてもいい身体ではないのだと言い放つと、なぜか松風は大きな溜め息をついた。
「松風!」
医師も、他の女房達も、皆その場にひれ伏しているというのに、なぜか松風だけは顔を上げて・・・・・。
(何を・・・・・笑う?)
「御上」
「なんだっ」
「おめでとうございます」
「・・・・・何?」
何を言われているのか全く分からない昂耀帝はいぶかしむような眼差しを向けたが、松風はさらに頬を綻ばせ、その場にゆっくりと
手を付いて頭を下げた。
「ちさと様、御懐妊でございます」
「・・・・・懐妊、だと?」
「はい」
「・・・・・ちさとは男だぞ」
「確かに、ちさと様のお身体は男性のものですが、その腹には確かに子が宿っておられます。間違いなく、御上の御子でござい
ますわ」
「・・・・・」
重ねて言う松風の言葉に、昂耀帝はしばらく声を発することが出来なかった。
(ちさとが・・・・・私の子を?)
確かに、千里とは何度も身体を重ね、己の精をその最奥に放ってきた。しかし、形容は違えど己と同じものをその下半身に付け
ている千里は確かに男子で、懐妊などするはずが無い・・・・・そう思っていた。
「ちさと・・・・・」
呆然とその名を呟けば、それまで横を向いていた千里がチラッと視線を向けてくる。しかし、眉間には深い皺があり、この懐妊を
喜んでいるようにはとても思えなかった。
「・・・・・間違いだよ、きっと。俺、男なんだぞ?た、確かに彰正と、その・・・・・エッチ、してるけど、でもっ、妊娠するはずないし!
ねっ?間違いだよねっ?」
千里の言葉に、初老の医師は首を横に振り、しっかりとした声音で幼子に言いきかせるように口を開く。
「ちさと様、確かにあなたのお身体は女性のそれではございませんが、腹には確かに御子がおられます。私も初めての経験です
が、御上のご寵愛が深いゆえの、天からの授かりものでしょう。まことに、おめでとうございます」
頭を伏せて重ねて祝辞を述べる医師の姿に、昂耀帝はようやく歓喜が湧きあがってきた。
「お、おめでとうって言われたって・・・・・」
千里はどう反応していいのか分からないような表情のまま、自分の腹を見つめている。
改めて見れば重い袿は既に脱がされて、身体は締め付けられてはいない。昂耀帝はそんな千里の身体を気遣わなければなら
ないと分かっていたが、どれほど自分が嬉しいのかと伝えたくて・・・・・。
「うわあ!」
止める者などいるはずが無く、昂耀帝はそのまま抱きしめている腕にさらに力を込めた。
「あ、彰正っ、くるし、って!」
「ちさとっ、でかした!良い子を産んでくれ!」
「は、はあ?何言ってるんだよ!俺は子供なんてっ」
「既に東宮はいるゆえ、必ず男子を産まなければならないということもない。お前に似ればどちらでも愛らしいだろうし、私も必ず
や愛おしむ!」
そう言うと、千里は再び反論しようとするが、今は千里の愛らしい我が儘を聞いている場合ではなく、千里の夫として、腹の子
の父として、しなければならないことは山ほどあった。
「松風、披露目の宴は中止だっ。腹の子に障りがあるといけない」
「はい」
「直ぐに乳母の選定もせねばな」
「御上、少し気がお早いのではございませんか?」
「何を言うっ。ちさとが我が御子を産んでくれるのだぞっ?」
男子の身で、己の子を宿してくれたのだ。無事産まれるまで、子はもちろんのこと、千里にとっても安らかな気持ちになれる環境
を整えてやらなければならない。
昂耀帝は腕の中の千里を見下ろし、頬を綻ばせた。
「ちさと」
「・・・・・変な顔っ」
「ははは、しばらくは閨を共にしても、子のためにお前の身体を可愛がってやることは出来ぬが・・・・・我慢致せ」
「あ、あんたっ、馬鹿だろ!!」
相変わらず可愛くないことを言う千里だが、腹に子がいる時は仕方が無いと鷹揚な気持ちでいてやろう。
(これで、私のもとから逃げることなど出来ぬな、ちさと)
何度も姑息な手を使って逃げ出そうとしてきた千里だが、子の父である己の傍から逃げることはもうしないはずだ。
そして、愛する者に自身の子を産んでもらうという喜びまでついてくるのだ。昂耀帝は腕の中でむずがる千里の身体をさらに強く
抱きしめながら、高らかに笑い続けた。
to be continued ?