その五
伊崎&楓の場合
伊崎は出先から車を飛ばして日向組の事務所に戻っていた。
途中何度か赤信号でも止まってしまい、そのたびに舌を打ち、スピード違反も犯していることを知りながらも急いだ。
「坊ちゃんが倒れて!」
若い組員から掛かってきた電話に、伊崎は思わずどうしてと叫んでしまった。
二日前、組長の名代として、大阪のある組の結婚式に出席するようになったが、旅立つ日も変わった様子はなく、土産の催促
をされたくらいだった。
(いったい、何があったんだっ?)
どんな容態か。もしかしたら酷い病気なのか。
考えれば考えるほど不安になってしまい、伊崎はただ早く楓の顔を見たいと思った。
「楓さんはっ?」
かなりのスピードを出して事務所に帰った伊崎は、ドアを開けるなりそう叫んでいた。
事務所の中にいたのは数人の若い組員で、血相を変えた伊崎の剣幕に反対に焦ったように立ちあがる。
「わ、若頭っ」
「楓さんは!」
「坊ちゃんは・・・・・」
「伊崎が戻ったのかっ!」
その時、奥の扉が開くと同時にこの日向組の組長であり、伊崎の最愛の恋人である楓の兄の雅行が怒鳴りながら現れた。
若いが、思慮深いと評判の雅行の日頃見ない剣幕に、伊崎は楓の容体の悪さを連想してしまった。
「組長っ、楓さんは今どこにっ?」
「・・・・・来いっ」
「組長っ?」
一刻も早く楓の姿を見たいと思う伊崎の心境は分かっているはずなのに、雅行が背を向けたのは母屋の方だ。
(もしかしたら入院はしていないのか?)
考えている暇はなく、伊崎は急いで雅行の後を追った。
「・・・・・」
「・・・・・」
雅行が伊崎を連れて行ったのは母屋の座敷だった。床の間を背に座った雅行は、膝の上で拳を握り締めて目を閉じている。
何かを考えているような、いや、込み上がる感情を抑えているような様子の雅行に、伊崎は何も言えずに正座をして彼が言葉を
発するのを待った。
誰よりも楓を可愛がっている雅行がここにいるということは、楓の容体に緊急性が無いということだ。それでも、こんな表情をして
いるというのは確かに何かあったに違いない。
(一体、俺がいない間に何があったんだ・・・・・?)
「・・・・・伊崎」
「はい」
ようやく、雅行が口を開いた。
開かれた眼差しは射抜くように自分に向けられている。様々な感情が入り混じったそれにどう反応していいのかと考えていると、
「歯をくいしばれ」
「え・・・・・」
「・・・・・っ」
ガツッ
「く・・・・・っ」
いきなり襟首を掴まれたかと思うと、伊崎は頬に衝撃と痛みと熱さが一気に襲ってきた。殴られたのだと分かったが、何の理由
もなくそうされて、驚きと戸惑いが胸の中に広がった。
もちろん、反射的に避けることは出来たが、雅行が何を考えているのか分からず、彼の下にいる者としてその拳を受けることしか
出来なかった。
「・・・・・なぜ殴られたか分かるか」
「・・・・・いいえ」
「お前、俺との約束を破っただろう」
「約束?」
急に、雅行の口調が組長という立場のものではなくなった気がする。それはどちらかと言えば、楓を挟んだ時に出てくる兄馬鹿
の口調で・・・・・。
「組長、楓さんが何か・・・・・」
「楓が・・・・・あいつ、妊娠したぞ」
「な・・・・・」
全く想像もしていなかった言葉に、さすがの伊崎も惚けたような声しか出なかった。
「成人するまで自重しろと言っただろう!それをお前、よりによって・・・・・妊娠だあっ?男が妊娠するなんて聞いたことが無い!
いやっ、そんなことはいい、楓が妊娠したっていうのが問題なんだ!」
自分の襟元を掴み上げ、激しく締めあげながら呻くように言う雅行の言葉に、伊崎はただ聞きいった。
(楓さんが・・・・・妊娠?)
「あいつも昨日まで全く気付きもしなかった!子供なんだよ!伊崎!お前っ、どうするつもりだ!」
「組長、今のは本当のことなんですか?本当に楓さんが子供を・・・・・私の、子を?」
「あいつがお前以外に身体を許すわけないだろーが!」
「・・・・・!」
(じゃあ、本当に・・・・・!)
戸惑いが、大きな喜びに変わった。
雅行は随分戸惑っているが、伊崎自身は嬉しくてたまらない。望んでも得られないはずの楓との子を、こうして現実に自分の腕
に抱くことが出来るのだ。
「組長っ」
伊崎は目の前の雅行の顔をじっと見つめた。
楓を愛して止まない兄の顔と、尊敬すべき組の長という顔も持つ雅行。年下ながら立派な人間だと思い仕えてきたが、今この場
で伊崎は破門されることも覚悟して頭を下げた。
「楓さんに会わせてくださいっ」
「断る!」
「楓さんに会って、この口で感謝を伝えたいんですっ」
「・・・・・感謝だと?」
「そうです!」
この世界に飛び込んだ時から、伊崎は家族とは縁を切った。いや、自身がそうしなくても、向こうから絶縁を伝えてきたが、それ
でも伊崎は一目見て魅入られた楓の側にいることを選んだ。
ずっと見守ってきた楓と思いが通じ合い、身体を重ねて・・・・・期限付きだが、雅行にも自分達の関係を認めてもらうその寸前
まできての楓の妊娠。雅行の思いに答えられなかったことは申し訳なく思うが、それでも伊崎は嬉しかった。
「お願いしますっ」
本当はこのまま、雅行を振り切ってでも楓に会いに行きたかった。妊娠という、想像もしていなかったことにきっと不安になってい
るだろう楓の側に駆けつけ、大丈夫だと、ありがとうと伝えたかった。
それでも、雅行が楓を愛していることもよく分かるので、伊崎はどうしてもここで彼の許可を得てから動こうと思った。
「組長!」
「・・・・・っ」
バタバタ
恐ろしいほどの緊張感の中、慌しく廊下を走る音がしたかと思うと、
「兄さん!」
「か、楓っ」
「楓さん!」
激しく音をたてながら襖を開けた楓に、雅行が伊崎から手を離し、慌てて駆け寄ろうとした。
「バカッ、走ったりするな!身体に障ったらどうするんだ!」
「戻ってきた恭祐を直ぐに寄越さない方が悪い!兄さんがそんなに意地悪だとは思わなかったよ!」
「そ、それは・・・・・」
「恭祐っ、聞いたかっ?俺、お前の赤ちゃん・・・・・っ」
「ええ、ありがとうございます、とても・・・・・とても嬉しいです」
座っている伊崎に抱きついてきた楓をしっかりと抱きとめながら想いを伝えた伊崎に、楓の嬉しそうな声が耳に届いた。
「うん、恭祐ならそう言ってくれると思った!」
「楓さん・・・・・っ」
(あなたも、喜んでくれているんですね?)
己の子供を腹に宿したということを楓は喜んでくれている。それが伊崎は嬉しくて、さらに強く抱きしめようとしたが。
「伊崎っ、乱暴にするな、楓の身体に悪い!」
忘れていた・・・・・わけではないが、突然横から楓の身体を奪ったのは雅行で、雅行はムッと口を引き結んだ楓に言いきかせる
ように口を開いた。
「いいか、楓。お前はもう1人の身体じゃないんだ。腹に子供がいることを忘れるな」
「兄さん・・・・・」
「それと、親父とお袋にももう伝えなきゃな。大丈夫だ、親父が何と言おうと、俺がお前を守ってやる」
「兄さん!」
雅行の言葉に感動した様子の楓は、今度はギュッと雅行の首にしがみ付いている。
伊崎はぽっかりと開いてしまった腕の中を頬を引き攣らせながら見下ろし、その後に、仲の良過ぎる兄弟を眉を顰めて見つめてし
まった。
(・・・・・いや、問題は組長だけじゃ無いな)
楓を溺愛する先代や、組員達も、今回のことでさらに楓のことを気遣い、甘やかせるに違いない。
その反対に、楓を妊娠させた男である自分に対する風当たりはかなり強くなる気がする・・・・・が、伊崎はたじろぐことは全く無かっ
た。
(楓さんが選んだのはこの俺だ)
今だけはその腕に預けるが、一瞬後は己の腕の中に取り戻そう。伊崎はそう思いながら、目の前で笑い会う兄弟をどう引き離
そうかと考えていた。
to be continued ?
その六
秋月&日和の場合
秋月は日和の自宅の前に立った。
(全く、どういうつもりなんだ?)
三日前の会う約束を電話で突然キャンセルされた時、その理由を聞いても日和は言葉を濁すばかりで何も言わなかった。
きっちりと線は引いているが、言いたいことは案外ちゃんと伝えてくる日和のらしくない行動が気になってしまったが、その時はあま
りにも言いたくなさそうだったので日を置くことにした。
それが今日、突然電話が掛かり、会いたいという。大事な話があるという真剣な響きの言葉に、秋月は当日の予定を全てキャ
ンセルして、こうして日和の自宅までやってきた。
「いらっしゃい」
「・・・・・ああ」
インターホンを鳴らすと、当然出迎えてくれると思った日和ではなく、日和の双子の姉、舞が顔を出した。
何時もは秋月の顔が好きだとミーハーに騒ぐ舞だったが、今日はなぜか表情が硬い気がする。
(日和に何かあったのか?)
僅かな不安が大きく膨らんでしまい、秋月は思わず舞に訊ねた。
「日和は?」
「・・・・・とにかく、上がってください」
その場では理由を話さない様子の舞に、秋月は躊躇うことなく靴を脱いだ。
通されたリビングには日和がいた。
「日和」
「あ、秋月さん」
心許無い表情をしていた日和は、秋月の顔を見た瞬間にホッと安心したような顔を見せる。
そのまま側に行こうとしたが、そんな秋月の腕をとっさに掴んだ舞がこっちにと一人掛けのソファに秋月を座らせ、日和の横には舞
が座ってしまった。
こうして並んでいる様子を見れば、男女の違いがあっても2人は良く似ている。
どちらかといえば舞がきつい美人といった感じで、日和はもっと柔らかな感じがした。
(俺はやっぱり日和だな)
今考えればどうして2人を間違えたのかと思うが、だからこそ日和と出会えたのだなと過去のことを思い出していれば、秋月さん
と舞が硬い口調で切り出してきた。
「私、歳も違う日和と秋月さんがどうして友人なのかなって不思議に思ってたけど、秋月さん、ちゃんとした感じの人だし、日和
も楽しそうだったから文句はありませんでした」
「それで」
今更自分達の関係を探るのかと眉を顰めた秋月に、舞はドンッとテーブルを叩く。
「いったい、どういうつもりなんですか!」
「何のことだ?」
「秋月さん、日和に手を出したでしょう!」
「・・・・・」
秋月は日和に視線を向けた。
(バレたのか?)
どうしてか分からないが、自分と日和の本当の関係が舞に知られたようだ。秋月にすれば今まで分からなかったことの方が不思
議だったが、知られたとしても秋月に何の後ろめたさも無い。
「それがどうした?」
全く悪びれない秋月に、舞はカッと頬を赤くした。
「まさかっ、遊びで手を出したんじゃないでしょうね!」
「勝手に決めるな」
「それなら、どう責任を取るつもりっ?」
これだから女は煩いと言えば、さらに舞が吠えるのは想像がつく。
元々、日和が大学生になれば自分の側に置いておくということも考えていた秋月は、いっそのことこのまま日和をこの家から連れ
出してやろうかと思った。
「お前が言う責任ってどういうもんだ?俺はこいつを手放すつもりは・・・・・」
「じゃあっ、子供もちゃんと認知してくれるんですねっ?」
「・・・・・認知?」
いきなり出てきた生々しい言葉に、秋月は思わず聞き返してしまった。
(認知?)
それは、子供を自分の子として認めることだということはさすがに知っている。
しかし、男である日和を抱き続ける限り、自分にそんな面倒な手続きなど襲ってこないと思っていた秋月は、舞の口から出てきた
単語が自分と日和にどう繋がるのか分からなかった。
「どういうことだ?」
本当は日和に聞きたかったが、不安そうな面持ちの彼よりも舞に聞いた方が早いと、秋月の眼差しは舞へと向けられる。
その視線に恐れることなく、舞は隣に座っている日和の手を握り締めながら言った。
「三日前、私が休みに入って実家に戻った時、日和が急に倒れたんです。両親もいなかったし、私が病院に付き添ったけど、そ
こじゃ分からないって別の病院を紹介されて」
「・・・・・」
それでは、三日前のキャンセルは、やはり身体の調子が悪かったせいなのか。
「それで?容態は」
入院をせずにこの場にいるということは、そこまで深刻な病状ではないのだろうか。
「・・・・・妊娠してるって!」
「・・・・・妊娠?・・・・・って、日和は男だぞ?」
「ごく稀にっ、本当に珍しいけど、男が妊娠するって話があるんですって!もしかして誰かに乱暴されたのかもって日和を問いた
だしたら、相手はあなたって言うじゃない!どうするのよ!」
「日和、本当か?」
「秋月さん・・・・・」
「お前の腹に、俺の子がいるのか?」
「・・・・・秋月さん以外と、あ、あんなこと、してないです」
姉がいる前で自分のセックス事情を話すことなどしたくなかっただろうが、それでも日和は秋月に対してちゃんとそう言いきってくれ
た。もちろん秋月も、日和が自分以外の男に身体を開くなどと思っていなかったが、本人の口からそれを聞いて、即座に分かった
と言って立ち上がる。
「あっ」
そのまま近付き、日和の腕を掴んで立ち上がらせると、舞が慌てて引き止めた。
「ちょっ、ちょっとっ、どうするつもりっ?」
「俺のところに連れて行く」
「はあ?」
「俺の子だろ。こいつも子供も俺がきっちりと面倒見るから心配するな」
「あ、秋月さん、怒ってないんですか?」
日和は秋月の反応に戸惑ったのかそう訊ねてきたが、その言葉こそ秋月にとっては笑い飛ばせるものだった。
「あ・・・・・っ」
秋月は日和の身体を抱きしめた。
その身体の変化は表面上分からないが、それでも確かにここに自分の子がいるのだと思えば、これ以上無いほど大切に扱わな
ければならないと、秋月の腕は何時もよりもずっと優しく日和を包んだ。
「怒るわけないだろ」
「で、でも、妊娠なんて・・・・・お、俺、自分でもどうしていいのか分からなくて・・・・・っ」
「まあ、そうだろうな」
男である自分が妊娠するなど、日和は想像もしていなかったに違いない。秋月も、それを狙って日和の中に精を出していたわ
けではなかったが、その反対に、子供が出来たと知っても素直に受け入れてしまえるほど、秋月の中では日和の存在は特別だっ
た。
「それでも、産んでくれるんだろう?」
「だ、だって、秋月さんの赤ちゃん、だし」
「それだったら何の問題も無い。俺はお前も、お前の産んだ子も愛せるし、お前は俺のために子供を生んでくれる。ほら、後は
何の問題がある?」
戸籍など、紙切れの問題は簡単に処理出来るし、自分には財力もある。
ヤクザという生業は多少ネックになるだろうが、それも十分乗り越えるほどの愛は、ある。
「日和」
「秋月さん・・・・・」
不安そうに揺れていた日和の表情が、次第に静かな喜びに満ちてきた。日和も自分と共にいることを願ってくれているのだと感
じた秋月は、そのまま日和を連れて行こうとしたが。
「ストップ!!」
それまで呆気にとられたように自分達の会話を聞いていたらしい舞が、いきなり割って入ってきた。
「日和っ、ちゃんと母さんと父さんに話さないと!」
「え・・・・・で、でも」
「大丈夫!私も一緒にいるから!」
「舞・・・・・」
頼りになる姉の言葉に、日和は嬉しいと表情を緩める。そんな2人に、秋月は舌を打ちたくなった。
(俺以外に可愛い顔見せるな)
もう、その腹には自分の子がいて、日和の全ては自分のものだと思っている秋月にとって、幾ら肉親とはいえ舞に対する日和の
絶対的な信頼感を見逃すことは出来ない。
「俺も同席する」
「ちょっ、ちょっとっ、話をややこしくしないで!」
「腹の子の父親がその場にいるのは当たり前だろう」
運良く反対されたら、そのまま日和を連れ出すことも出来る。
そんなことをほくそ笑みながら考えている秋月の思惑まで気づかない良く似た姉弟は、これから先どうするかと真剣に話を始めて
いた。
それが秋月によって全て覆されることになることが分かるまで、後数時間-----------------だ。
to be continued ?