その七
宗岡&小田切の場合
「1時間以内に帰って来い。出来ないならマンションの鍵を返してもらう」
愛しい恋人からの電話が仕事が終わったと同時に(まるで見ていたかのようなタイミングで)あって、宗岡は夜の国道をバイクで
走っていた。
本当はもう少しスピードを出したい所だが、白バイ隊員である自分が規則違反を侵すことは出来ないし、きっと、恋人もそんな
宗岡の性格は把握していて、間に合うギリギリの時間を言ってくれているはずだ。
警察官である宗岡の恋人は、羽生会というヤクザの組の幹部だ。
スピード違反を取り締まった時に出会い、夜の街で再会して、なぜか身体を重ねることになってしまい・・・・・自分の方が溺れて
しまった。
ヤクザというイメージに全くそぐわない、綺麗で気品のある恋人。その上彼はとても傲慢な性格で、何年も一緒に暮らしている
宗岡のことを未だに恋人とは認めてくれていなかった。
それでも、彼が眠る場所に自分を入れてくれていることが、テリトリーに入ることを許してもらっているようで嬉しいし、今のところ
恋人が身体を許しているのは自分だけだという気配も分かるので、宗岡は物足りない思いは残ったままでも、それなりに幸せな
日々を過ごしていた。
約束の時間3分前、宗岡はギリギリでマンションの玄関前に立った。
インターホンで恋人を呼び出しても彼が出迎えに来てくれるわけではないだろうと、慌ててカードキーを取り出し、暗証番号を押し
て中へと入った。
「ただいま!」
大きな声を出しても返事はない。
(まさか・・・・・遅れてないよなっ?)
自分の時計が遅れていたという可能性を考えて、一瞬頭が真っ白になりそうだったが、宗岡は直ぐに靴を脱ぎ、リビングへと足早
に向かった。
「裕さん!」
「・・・・・」
愛しい恋人はソファに座っていた。スーツを着たまま、長い足を組み、何時もは寝る間際まで離さない眼鏡を外して・・・・・目を
閉じていた。
「ゆ、裕さん?」
元々色白の恋人・・・・・小田切は、今日はさらに顔色が青白い。
いや、ここ数日は顔を合わせる時間が少なかったので、何時から彼の様子がおかしかったのかははっきりとしないが、数日前一緒
にベッドに入った時は、珍しく小田切が抱きついてきたことを思い出した。
「・・・・・っ」
まさか、何か深刻な病気なのかと、宗岡はとっさに小田切の足元に跪き、下からの彼の顔を見上げるようにして訊ねる。
「調子が悪いのっ?」
「・・・・・」
「病院はっ?行ってないなら今から俺が・・・・・」
「煩い」
「!」
何時もと変わらない口調だが、やはり少し元気が無い。
宗岡はますます心配になって、小田切の膝を抱こうとしたが、
「触るな」
なぜか、その手はパシッと弾かれてしまった。
目を開いた小田切はじっと宗岡を見下ろしている。綺麗で鋭い眼差しにじっと見つめられると妙に居心地が悪く、宗岡はモゾ
モゾと身体を動かして小田切から少しだけ距離を取った。
「ゆ、裕さん、あの・・・・・」
「・・・・・」
大きな溜め息が小田切の口から漏れ、宗岡はビクッと肩を揺らしてしまう。
彼がこんな態度を取るのは、自分が何か意に沿わない言動をとった時だ。一体何が彼の逆鱗に触れたのか分からず、そのまま
謝ったとしてもますます悪化するだろう。
宗岡は意を決して小田切に訊ねた。
「裕さん、俺、何かした?裕さんがそんなに不機嫌になるほど悪いことしたって覚えが・・・・・」
「違う」
「え?」
「私は単に呆れているだけだ」
「あ、呆れ?」
(それって何のことだ?)
宗岡の疑問はそのまま表情に出ていたのか、小田切は眉間に僅かな皺を寄せたまま、もう一度大きな溜め息をついた。
「お前が父親で大丈夫なのかと心配している」
「・・・・・父親?・・・・・って、俺、まだ結婚してないけど・・・・・」
男である小田切を一生の恋人として選んだ時点で、自分の子供を望むことは止めた。諦めたわけじゃない、小田切が側にい
てくれさえすれば子供など必要ないと本当に思えたからだ。
それは小田切も分かってくれているはずだと思った宗岡は、不意に別の可能性が頭の中に浮かんでしまった。
(ま、まさか、裕さんに子供が・・・・・)
小田切がどこかの女に子供を作らせ、その子供を引き取って宗岡が父親代わりに育てるという形になってしまうのかと思ってしま
い、宗岡は泣きそうな気分になってしまった。
小田切の子供を嫌いになれるはずがない。それでも、小田切が自分以外とセックスをしたということを簡単には許せない。
「お、俺・・・・・わ、別れない、けどっ」
「・・・・・」
「・・・・・でもっ、裕さんも相手の女と別れてくれよっ?二度と俺以外とセックス・・・・・っ」
「馬鹿か」
「ばっ、馬鹿って、あのねっ」
「私がセックスしているのはお前だろう?その子供の父親といえば、認めたくないがお前しかいないということだ」
「・・・・・え、っと、よく分かんないんだけど・・・・・」
ヤクザでも、インテリの小田切は宗岡がよく分からない難しい言葉を使うことも多い。
今の言葉の中には難しい言葉はなかったものの、その繋がりがよく分からなくて宗岡は情けないが再び理由を訊ねる。
案の定、小田切は呆れたような顔をしたが、今度は宗岡にもよく分かるように一番分かりやすい言葉で現状を説明してくれた。
「私の腹の中に子供がいる。今セックスをしているのはお前しかいないから、この子の父親はお前だということだ。分かったか?」
「え・・・・・ええぇぇぇっ?」
あまりにも想像外の言葉に、宗岡はそれこそ驚きで頭の中が真っ白になってしまった。
小田切がセックスをしている=自分だけ=嬉しい。
これは凄く分かりやすい。しかし、
自分とだけセックスをしている=小田切は男・・・・・妊娠。これがどうも頭の中で繋がらなかった。
「に、妊娠って、女がするもんじゃ・・・・・」
それとも、単に自分の知識不足かと思ったが、小田切はその通りだと頷いた。
「確かに妊娠は女の特権だな。だが、今日医者に聞いたが、ごく稀に男が妊娠する事例が世界にはあるらしい。まあ、私が選
ばれるに値する人間だというのは理解出来るが、それが妊娠までとは・・・・・本当に笑える」
そう言った小田切の口角が上がった。
「哲生」
「は・・・・・い」
「お前、セックスのたびに私の中に出していただろう?」
「は、はい」
「それが、この腹の子のもとだ。お前が父親だというのは多少不安だが、公務員ならばこの先食べることには困らないだろうし、
色々と扶養の特権もあるだろうしな」
「ゆ、裕さん」
「私も組を止めるつもりは無い。会長にはしっかりと産休と出産祝いを貰って、せいぜい楽をさせてもらおうか」
この先のことを考えたのか、小田切はクツクツと楽しそうに笑っている。
しかし、宗岡の中では未だに混乱の方が大きくて、そんな小田切の顔をただ呆けたように見つめることしか出来ないままだ。
「・・・・・哲生」
すると、小田切が少し身を乗り出し、両手で宗岡の顔を挟む。細い指先が、ゆっくりと意味深に頬を擽った。
「・・・・・っ」
「嬉しくないのか?」
「う、嬉しくないとかそんなんじゃ・・・・・た、ただ、まだ信じられなくて・・・・・」
視線を下に移せば、小田切の下半身が見える。しっかりとベルトを巻かれた腹は、まだ膨らみも無くて・・・・・本当にこの中に赤
ん坊がいるのかと、疑問というよりも不思議に思えて仕方が無いのだ。
「俺の・・・・・子、なんて・・・・・」
「哲生」
「・・・・・あ、でも、これで裕さん、俺だけのものになるのか・・・・・?」
今まで、その甘い身体を腕に抱けるのは自分だけだったとしても、心まではとても掴めなくて何時もイライラとしていた。
だが、その腹の中に宗岡の子供を宿したとしたら、それこそ子供には悪いが、小田切の全てが自分のものになる理由としては十
分だ。
(うわ・・・・・嬉しいっ)
ジワジワと歓喜を感じ、宗岡はそっと小田切の腰に抱きついた。
「ありがとう、裕さん」
頬に触れていた指先が、今度は宗岡の髪を優しく擽る。手付きまでこんなに穏やかに感じるなんて、それこそ彼が母親になるから
なのかと感慨深く思っていた宗岡の耳に、小田切の楽しそうな声が届いた。
「馬鹿だな。子供が出来たとしても私がお前ものになるんじゃない。お前が、私から逃げられなくなるだけだ。せいぜい、大事にし
てもらおう」
「・・・・・」
(・・・・・こっちの方が、裕さんらしいかも、な)
子供が出来たとしても、小田切の本質が変わるわけではない。
そう思っても、自分達の間が今以上に特別な関係になるのは確かだと思い直し、絶対に大切にするからと誓いながら、宗岡は既
に子供の名前まで考え始めていた。
to be continued ?
その八
アレッシオ&友春の場合
【会いたいです】
友春から短いメールが届いて二日後、アレッシオは日本行きの自家用ジェットに乗っていた。
普段は全く我が儘を言わず、そればかりか愛の言葉さえ囁かない最愛の恋人が、こんなにも情熱的なメールを送ってきてくれた
ことが嬉しかった。
それと同時に、その後何度電話をしてもメールを送っても友春から返事が来ないことが気になっている。
恋人・・・・・友春につけたガードから、彼の身に危険が迫っているわけではないという報告は受けたが、メールが送られてきた日、
友春が総合病院に行ったという事実は聞いた。
それはかなり長い時間だったようで、ガードもその内容を調べようとしているが、今もって調査中なのだという回答が来た。
(いったい、何の病気だ?)
多分、友春は不安になってあんなメールをアレッシオに送ってきたのだろう。
どんな難病だとしても、万が一不治の病だとしても、アレッシオは自身が持つ財力と権力を駆使して、最高の医療を受けさせる
つもりだった。せっかく手に入れた最愛の恋人を、病魔などで失うつもりは全く無い。
「トモ・・・・・」
どんなに不安な日々を過ごしているのか、アレッシオは一刻も早く友春の側に行き、その身体を抱きしめて、何も心配すること
は無いのだと言いきかせてやりたかった。
日本に着いたのは既に日も暮れかかった時刻だった。
アレッシオは用意されていた車に乗り、そこから友春に電話を掛ける。今回の来日のことはまだ知らせていないのだ。
「・・・・・」
ずっと拒否をされていたのでどうかと思ったが・・・・・、10コール以上呼び出し音が鳴った後、
「トモ」
『・・・・・ケイ』
ようやく、友春は電話に出てくれた。
「声が聞きたかった」
『ご、ごめんなさい』
責めるつもりは無く、本当にそう思ったから言ったのだが、友春はメールや電話を無視したことを直ぐに謝罪してきた。
電話越しでも分かる弱々しい友春の様子に、アレッシオは眉間に皺を寄せてしまったが、それでも声は優しくと心掛けて言葉を
続けた。
「トモ、どこにいる?」
『今?家にいます』
それはもう確認済みだ。夜遊びをしない、生真面目な友春らしい。
「私も会いたい」
『ケ、ケイ』
「トモは?あのメールに書かれた気持ちは本当?」
しばらく、沈黙が続いた。アレッシオは根気強く友春の言葉を待ち、その空気に負けてしまったのか、ようやく小さな声で友春は己
の気持ちを吐露してくれた。
『・・・・・会いたい、です』
「その言葉を直接聞きたかった」
『え?』
「トモ、恋する男は愛しい者の願いならば全て叶えることが出来るんだ」
「ケイッ」
友春の家から少し離れた公園に横付けした車の中から出たアレッシオは、その入口に立っていた友春の姿を見て笑った。
もう日本に来ているのだと伝えた時の驚きは大きく友春は何度も本当かと聞き返してきた。その上で、友春は家ではなく外で会
いたいと言ったのだ。
(家族に聞かれたくない話・・・・・家族は知らないのか)
自分と友春の関係は既に彼の両親には報告済みだ。強引だとは思ったが許しも貰っているし、ある程度のことならば両親がい
ても全く構わないと思うのだが、もしかしたら友春は病気のことを家族には言えていないのかもしれない。
友春の力になれるのは己しかいないとアレッシオは強く心に決め、友春の身体を抱きしめた。
「会いたかった」
「・・・・・」
「トモは?」
「・・・・・会いたかった、です」
「私に言うことがあるな?」
腕の中の友春の肩が揺れたのが分かる。それでも、治療は一刻も早い方がいいのだと、アレッシオは現状を早く把握したかった。
「言いなさい」
きつい言葉にはなっていないだろうか。
それだけに気をつけて、友春をじわじわと追い詰める。
「ケ、ケイ、僕・・・・・」
「私には言ってくれるな?」
「・・・・・っ」
「トモ?」
突然、友春はアレッシオに抱きついてきた。抑えていた感情が一気に爆発したかのようなその行動に、アレッシオが驚いたのは一
瞬で、直ぐに友春を強く抱きしめて何度も名前を呼んだ。
「トモ、トモッ」
「ケイ、ケイ、どうしよ、僕、ぼ・・・・・く・・・・・」
「トモ、落ち着いて話すんだ。私はお前の全てを受け入れる。私の愛の深さは、お前ならば分かってくれるだろう?」
「・・・・・」
「トモ」
「・・・・・あ・・・・・あ、かちゃん、でき、た・・・・・」
「あかちゃん?」
その単語がよく分からなくて、アレッシオは思わず聞き返してしまう。
すると、友春はますます強くアレッシオに抱きつきながら、もう一度震える声で伝えてきた。
「あ、赤ん坊が、出来たんです・・・・・」
(赤ん坊だと?・・・・・私の目の届かない所で、トモが女を抱いたというのかっ?)
友春の安全と共に、その身辺に余計な人間を近付けさせないためにガードをつけたというのに、その目を盗んで友春は女を抱
いたというのか。
・・・・・いや、友春が自ら進んでそんなことをするはずが無い。性悪な女が友春を強引に押し倒して犯したのだろう。
(直ぐに始末しなければ)
アレッシオの胸の中にどす黒い嫉妬が渦巻くが、それを友春には見せなかった。それよりも、相手の女の名前を聞く方が先だ。
その後で、不手際を犯したガードの処罰も考えなければならない。
「トモ、相手は誰だ?」
「・・・・・え?」
「子供が出来た女だ」
友春は目を見開き、直ぐにあっと何度も首を横に振った。
「ち、違う」
「分かっている。トモは何も悪くない」
「ち、違うんです、ケイッ、赤ちゃんが出来たの、出来たの・・・・・俺なんです!」
「・・・・・トモ?」
友春の身体が男だというのは、何度も抱いているアレッシオには当然分かっている。
そして、当然のように妊娠するのは女で、男の友春が妊娠するはすが無い。するはずが無いが・・・・・友春がこんなにも真剣に、
自分に嘘をつくはずが無かった。
「・・・・・本当に?」
微かに頷いた友春は、途切れ途切れに話してくれた。
一ヶ月ほど前から体調が思わしくなく、先日ようやく意をけっして病院に行けば、なんと妊娠を告げられたらしい。世界では男でも
妊娠する者が稀にいるそうで、友春はその希少な存在になった。
教えられた妊娠時期は丁度2ヶ月ほど前。それは、日本に来たアレッシオが一週間ほど滞在し、片時も友春を離さなかった時
期と重なる。
「ケイ、ケイ、どうしよう、僕、赤ちゃんなんて・・・・・」
友春は1人で悩み、それであのメールを送ってきたのだ。
本人は全てを告げた上でどうしていいのか分からないと不安でいっぱいの顔をしているが、アレッシオはまるで正反対の気持ちだっ
た。こんなにも嬉しい出来事は、友春に愛を告白された時以来だ。
「トモ!」
優しくしなければならないのは分かっていたが、強く抱きしめずにはいられなかった。
「産んでくれるな?」
「え・・・・・」
「本当はこのままイタリアに連れ帰りたいが、身体に障ってはいけない」
せっかく、奇跡のように宿った自分と友春の子供だ。細心の注意を払い、無事に出産までさせなければ。
(ようやく、トモの全てが私のものになるのか)
心の奥底から湧き上がってくる歓喜に、アレッシオは晴れやかに笑った。
「ちょ、ちょっと、ケイ?」
「出来ればイタリアで生んで欲しいが、トモも親がいる方が安心だろう・・・・・しかたない、私が日本にいられるように直ぐに手配
をするしかないか」
「あ、あの」
「マンションを、いや、一軒家がいいか。直ぐに国際結婚の手続きもするし、ベビーシッターの選別もしておかなければ。楽しみだ
な、トモ、お前に似た子供なら、きっと私も愛することが出来るだろう」
友春さえいれば何もいらないと思っていたが、その最愛の友春との間に家族が出来るのだ。
「愛は奇跡を生むものだな」
「ケ・・・・・ッ」
戸惑っている友春の唇にキスをしながら、アレッシオは直ぐに両親にも報告しなければと思う。
(いや、その前に友春との愛を確認しなければな)
友春を裸に剥き、その腹に何度もキスをしてやろうと思いながら、セックスはしてもいいものかどうか、香田に連絡をして訊ねよう
かと真剣に考えていた。
to be continued ?