その九





江坂&静の場合







 数日前から、静の体調が悪いことは気付いていた。
しかし、それを言えば、

 「少し、疲れているだけだから」

そう言って、心配しないでと付け加えられてしまう。
無理に病院に連れて行くことも考えたが、江坂自身の仕事も立てこんでしまい、つい先延ばしにしてしまったが・・・・・江坂は今
夜そんな自分を殺したいほどに後悔してしまった。




 「静っ?」

 玄関まで出迎えてくれた静を何時ものように抱きしめようと手を伸ばした江坂は、そのままフラッと腕の中に倒れ込む静をしっか
りと抱きとめた。
 「静っ」
 「だ、大丈夫、だから」
 「・・・・・」
 「貧血、かな」
 「病院に行きましょう」
 真っ青な顔色で笑う静を見ていられなかった。自分に気を遣っているというのも面白くない。
 「言うことを聞かないのなら救急車を呼びますよ」
 「・・・・・っ」
江坂の本気を感じ取ったのか、静はそれ以上反論はしなかった。
 「大人しくして下さい」
 江坂はそのまま静を抱き上げて外に出る。そこにはまだガードがいて、静を抱いて現れた江坂を僅かに驚いた表情で見たが、
 「河瀬に連絡しろ」
その江坂の一言で全てを察知し、即座に動く。
河瀬とは、大東組の専任の医師だ。大学病院にもコネのあるこの男のもとに行けば、万が一重い病だとしても即座に次の手が
打てる。
 もしも、静が気を失ったり、もっと容体が悪いようだったら本当に救急車を呼んだかもしれない。表面上何時もと変わらない江
坂だったが、内心はかなり焦っていた。




 車の中からある程度の様子は伝えておいた。
大きな個人病院の裏口に車を付ければ、直ぐに内科の専門医師が迎えに来る。
 「急げ」
 「はい」
 大東組はかなりの資金援助もしているので、外来の時間が終わったのも関係なく治療は始められる手筈になっていた。
 「静さん、とにかく安心して医師に任せていなさい」
 「・・・・・ごめんなさい、迷惑掛けて・・・・・」
 「これは迷惑ではなく、心配です。とにかく、ちゃんと診察を受けて下さいね」
さすがに倒れてしまったことを気にしたのか、静も素直に頷いて医師の後ろをついて行く。
(自分の足で歩けても、もしかしたら・・・・・)
今まで全く考えたこともなかったが、静が己の持っている権力や財力でもどうしようもないような重い病だったとしたら、自分は一体
どうなってしまうだろうか。
 「・・・・・馬鹿な」
 江坂は想像するのを止めた。
考えるまでもなく、江坂は静を失う自分を想像すら出来なかった。




 江坂は時計を見た。
もう、病院についてからゆうに二時間は経っているというのに、一向に静はおろか医師も説明に現れない。
さすがに、病気に関しては専門家に任せることが一番だと思っていた江坂は急かすこともしなかったが、いい加減どうなっているん
だと途中経過だけでも知りたいと思った。
 丁度、そんな江坂の我慢の限界に合わせたかのように医師が現れる。傍には静の姿はなくて、江坂は眉を顰めたまま立ち上
がった。
 「容体は」
 「向こうで、よろしいですか」
ロビーには人影はないが、ここでは言い難いことなのか。ますます嫌な予感は大きくなるものの、江坂は覚悟を決めて診察室へと
入った。

 「静さん」
 「あ」
 中のベッドで横になっていた静は身体を起こそうとしたが、江坂はそれを仕草で止めると傍の椅子に腰かけて笑みを向けた。
 「無理をしないでそのまま横になっていなさい。話はこのまま聞けばいいでしょう」
普段、氷のように冷たい眼差しと口調の江坂を見慣れている医師は、静に向ける江坂の柔らかな愛情に満ちた言動に驚いた
ように目を見張っているが、他人にどう思われようと構わない江坂は直ぐに医師を見据えた。
 「ここで言えることなんだな?」
 もしも悪い病気ならば、さすがに静のいない場所を選ぶはずだ。それが、静も同席することを許すということは、本人に聞かれて
いもいいという病状のはずだ。
そこまで考えた江坂は、少し落ち着いて医師と向き合うことが出来た。
 「・・・・・大変不躾ですが、お2人はその・・・・・」
 「はっきり言ったらどうだ」
 「・・・・・肉体関係がおありなんですね?」
 「あ、あの」
 さすがに静は動揺したようだったが、江坂にとって静との関係は恥ずべきものではないので、即座に肯定し、その続きを促す。
医師の話が、下世話な同性同士の身体の関係を訊ねるのが本題ではないと感じたからだ。
 「実は、小早川さんは・・・・・その、妊娠されています」
 「・・・・・妊娠だと?」




 さすがに、江坂は驚いて聞き返す。
その江坂に向かい、医師は検査結果を淡々と述べる。最後にエコーでその姿を見せられると、さすがの江坂も信じるしかなくなっ
て・・・・・思わず傍の静を振り返ってしまった。
 「静さん」
 「・・・・・俺が、妊娠?」
 検査の結果は静も今初めて聞いたらしく、とても信じられないというように呟いている。しかし、科学的に証明されたそれらを見
せられたら、認めざるをえないといったように自分の腹を見下ろした。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 静が腹の上に置いた手に、江坂は自分の手を重ねる。この手の重みが子供に負担にならないかとさえ思っている自分が、とて
も自分らしくなくて苦笑が漏れた。
(私が、人の親になるのか)
 昔は、権力者の娘を娶り、この手に権力を握ってやろうと思っていた。
しかし、静を知り、彼を手に入れて、女と結婚するという選択が江坂の中から消えた。それを後悔はしていなかったし、自分自身
の力だけでどれだけ出来るか試してやろうとさえ思っていたのだ。
 そんな中、静が妊娠したという事実を聞かされ、一瞬困惑した江坂の胸に溢れたのは喜びだった。
 「ありがとうございます、静さん」
 「あ・・・・・」
 「私の幸せは、全てあなたが運んでくれるんですね」
愛する者も、その愛する者との結晶も、この手に入れることが出来る。幸せとは、こんな気持ちを表す言葉ではないのだろうか。

 「お、俺・・・・・まだ、信じられなくて・・・・・」
 「仕方がありません、私もそうですから」
 「・・・・・そんな風に見えない」
 「それは、もう私が父親の気分になっているからかもしれません。愛しい妻と子を守るのが、私の役目でしょう?」
 少し冗談めかして言えば、静がようやく表情を和らげた。
とても悪かった顔色も、今は少し落ち着いたのか少し色が戻ってきている。
(子供が出来たからには・・・・・色々と考えなければならないな)
 静には大学を休学してもらわなければならないし、万が一のことが無いようにガードも増やした方が良いかもしれない。出来れ
ば、栄養士や、専門の看護師も・・・・・。
 「・・・・・江坂さん、変なこと考えていないですよね?」
 「え?」
 「俺、1人でも大丈夫ですよ」
 「静さん、それは・・・・・」
 静は簡単に言うが、江坂は今回ばかりは素直に頷けなかった。
子供ももちろんだが、一番大切なのは静の身体で、彼に何かあったらと思うと気が気では無くなる。仕事柄常に傍にいることはと
ても無理なので、江坂は自分が安心出来るだけの万全の対策を取らなければと考えていたのだが。
 「もちろん、このお腹の中に子供がいるのは大切で、大変なことだと思うけど、でも、江坂さんが傍にいてくれるんでしょう?」
 「静さん」
 「だったら、他に人なんていりません」
 静は、何時も簡単な一言で江坂のことを幸せにしてくれる。静に対する時だけ、自分はとても単純な男になってしまうという自
覚のある江坂は、今ももちろん・・・・・幸せだった。

・・・・・が。
(静はああ言ったが、やはり出来ることは全てしておかなければな)
 「では、詳しい検査は明日」
そう言って、江坂は静の身体を抱き上げる。
 「わっ、あ、あのっ、歩けますけどっ」
悪い病気ではないことを知った静は、そうされることをとても恥ずかしがったが、
 「歩く振動も、お腹の子に障るかもしれませんから」
そう嘯く江坂は、これからはこの言葉で存分に静を甘えさせようと企んでいた。





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その十





上杉&太朗の場合








 「なんだか、最近疲れやすくってさ。ご飯もあんまり食べれない」

 先日会った時に聞いた最愛の恋人の言葉はあまりにもらしくなくて、上杉は思わず笑い飛ばしてしまった。
 「お前、それはテストが気になってるんだろ?赤点、大丈夫か?」
 「う・・・・・多分」
そう言って、テストの範囲の広さを嘆いていた姿を思いだし、上杉は一瞬口元を緩めてしまったが、直ぐに気を取り直して前方を
見つめる。

 『ジローさん、ごめん、来てっ』

(やっぱ、遊ばせ過ぎたか)
 会いたくて、放課後や土日も引っ張り回してしまったが、それが結果的にまだ学生の恋人・・・・・太朗の学業の負担になったの
かもしれない。
 「参ったな」
(あの親父に、どんな文句を言われるんだか)
頭が痛いが、太朗だけに責任を負わせることは出来なくて、上杉は覚悟を決めて車を走らせていた。




 数日前から太朗と連絡が取れなかった。
テスト期間でもなく、喧嘩をしているわけでもなく、どうしてだと不思議に思っていた矢先、今度は来てくれという電話が掛かってき
た。
声はどこか焦っているようで、聞き返そうにも直ぐに切れてしまい、折り返し掛けた電話には太朗は出てくれなかった。
 よほど、両親に絞られているんだなと思いながら太朗の自宅前に着いた上杉は、そのままインターホンを鳴らす。
すると、バタバタと慌ただしい足音がして・・・・・。
(いや・・・・・しない?)
 少し、時間を置いてドアを開いたのは、太朗の母の佐緒里だった。
 「・・・・・どうぞ」
何時もは顔を見るなり嫌味は言うものの、小気味良い会話が出来ていたと思うのに、今日は少し硬い表情のまま言葉少なに
上杉を促す。
その時点で何時もと違うことに気付いた上杉は、眉間に皺を寄せて靴を脱ぎ、太朗の家へと上がることにした。
(何があった?)
 太朗の家族に問題を抱えているものは1人としていない。それでは自分に関係することかと思えば、心当たりがあり過ぎて困っ
てしまう。対立するどこかの組がもしも太朗にちょっかいを掛けてきているのだとしたら即座に手を打たなければならないなと、原因
がまだ分からないだけに何をどう考えて良いのか、さすがの上杉も無言になってしまっていた。

 「あ、ジローさんっ」
 「タロ」
 茶の間にいた太朗の表情はどこか冴えなくて、何時も元気が良い太朗を見慣れている上杉にとっては違和感があり過ぎた。
(もしかしたら、何か病気だってことか?)
 「タロ、お前・・・・・」
 「上杉さん、座って」
 「あ、ああ」
先に部屋に入っていた佐緒里が促し、上杉は落ち着かないままその場に腰を下す。すると、ソファに座っていた太朗が立ちあがっ
て近付こうとしたが、
 「太朗」
母の一言で、太朗は固まった。
 「おい」
 いったい、何があったのだと、上杉は事情を説明してくれるように佐緒里を見たが、佐緒里は何時もは見せない厳しい表情の
まま、上杉さんと切り出した。




 「確かに、もう何年も付き合っていて、何の関係も無いなんて考えるのは子供か、盲目的に子煩悩な父親しかいないと思うけ
ど。さすがに私は違うのよね」
 「・・・・・なんだ、それは」
分かりにくい言葉を羅列するより、はっきり言って欲しい。
そんな上杉の心境が分かったのか、佐緒里は大きな溜め息をついてから、上杉から視線を逸らさずに口を開いた。
 「太朗、妊娠してるの」
 「・・・・・なんだと?」
 それは、さすがの上杉も想像したことのない出来事だ。
佐緒里の言うように何年も付き合い、その身体を抱いてきた上杉だからこそ、太郎が紛れもない男の身体だということを知ってい
る。その太朗と妊娠なんて、どう結び付けようとしたって無理だ。
 「・・・・・どういうことだ?」
 それでも、佐緒里がこんな真剣な顔をして自分を騙そうとしているというのも考えられなくて、上杉は即座に否定はせずに聞き
返した。
 「最近調子が悪そうで、昨日は無理矢理引きずって病院に行ったの。検査してもなかなか原因が分からなくって、最後に出て
きた結果が妊娠よ。私だって、信じられなかった。この子が男だっていうのは産んだ私もよく分かってるし・・・・・でも、お医者様か
ら聞いた話では、最近ホルモンの関係で男が妊娠する例も出てきているんですって」
 「タロがそれだっていうのか?」
 「・・・・・身に覚えないって言ったら殺すわよ」
 「・・・・・有り過ぎるほど有るな」
 この身体を大人にしたのも、快感を教えたのも自分だ。他の人間が抱くわけが無いし、そんなことがあったとしたら上杉はその相
手をこの世から抹殺したはずだ。
 「タロ」
 上杉は太朗に視線を向けた。
自分と母親の会話を不安そうに聞いていたが、目が合うとホッと安堵したような表情になる。
 「俺の子だな?」
 断定して聞けば、太朗は小さく頷いて、その後にどうしようと呟いた。本当は、あの電話の時から不安で不安で仕方が無かった
だろうに、ここまで我慢するなんて馬鹿だ。
そんなことはもう決まっている。
 「産め」
 「え?」
 「上杉さんっ、簡単に言わないで!」
 「簡単じゃない。タロに子供が産めるんなら、当然産んでもらうしかない。せっかく出来た俺達の子だ、タロ、お前だって産んでく
れる気だよな?」
 戸籍上の子供はいるとはいえ、血の繋がった我が子をこの腕に抱くのは初めてだ。それも、愛しくてたまらない太朗との子供。
(神様も粋なことするじゃねえか)
男同士でも、本気で愛し合っていればこんな奇跡も生まれるのだと、自分達で堂々と見せびらかせてやればいい。周りがどんな
反応をしようとも、上杉は太朗を守るし・・・・・いや、太朗は守られるだけの存在ではないはずだ。
 「・・・・・産む」
 「太朗、あんた・・・・・」
 「母ちゃん、俺達のこと、本当に欲しくって産んでくれたんだろ?俺、母ちゃんや父ちゃんに大切に思われていること、ガキの頃か
ら分かってた。だから、このお腹にいる子も、もう分かってるんじゃないかって思うんだ、俺とジローさんが、本当に望んでいるんだって
こと。もちろん、全然想像もしていないことだから怖くって仕方ないけど・・・・・ジローさん、傍にいてくれるんだよな」
 「当たり前だろ、俺は父親だ」
 「じゃあ、絶対に大丈夫!」
 不安でたまらないだろうに、太朗はそうはっきりと言いきった。
そんな太郎をソファから立ち上がった上杉は抱きしめようとして・・・・・頭をクシャクシャに撫でる。今どんな状態かわからないが、安
定するまでは無理はさせられない。
腹の中に子供がいるということだけでも大変な太朗を支えるのは自分の役目だ。
 「母ちゃん」
 髪を撫でた後、肩に置いた上杉の手に自身の手を重ねてギュッと握り締めてきながら、太朗は佐緒里を呼んだ。
上杉も同じように視線を向ける。太朗の気持ちを踏みにじるようなことを言えば、今まで気が合うと思っていた目の前の相手はそ
の瞬間に敵になるだろう。
 必死な息子の眼差しと、威嚇する上杉の視線を真っ向から受け止めた佐緒里は、片手で頭を押さえながら溜め息をついた。
 「私だって・・・・・子供を見殺しになんて出来ないわよ」
 「母ちゃん!」
 「七之助さんにはあなた達から説明してね。太朗が具合悪いのを気にしていたから、今日は早く帰ると思うわ」
 「何も知らないのか?」
 「言えるわけ無いでしょう」
確かに、あれだけ太朗を溺愛している父親がこの事実を知れば、まず上杉を殺しに行くと喚いてしまうことだろう。
負けるとは思わないが、太朗の父親をその目の前で打ち負かすことも出来ないなと考えた上杉は、待てよと思い直した。
(一発くらい、素直に殴られてやった方がいいか)

 どんなに上杉を憎く思っても、太朗の腹に奇跡のように出来た孫をどうにかするなど考えもしないはずだ。佐緒里のように悩み、
混乱しながらもきっと受け入れるだろう父親の心境を考えれば、愛しい者を一度に2人も手に入れることの出来る幸運な立場の
自分が、少しは痛みも味あわなければならない。
 「父ちゃん・・・・・怒るかな」
 「お前に対しては無いんじゃねえか」
 「・・・・・ジローさんが怒られたら、俺、絶対庇うから!」
 「ああ、頼むな」
(そうなったら、ますます怒り心頭だろうが)
 可愛い太朗が庇う男に対し、殺気にも似た思いを抱くだろうが、上杉にしたらそんな感情は向けられ慣れているのでなんとも思
わない。
 「産まれてくるのが楽しみだな」
(ようやく、全部が俺のものになる)
 自分の子供は多分可愛いと思うだろうが、それ以上に母親になろうと懸命になる太朗は可愛いに決まっている。
上杉は今からその光景を想像して、ニヤつく頬を戻すことが出来なかった。
その時だ。




 ピンポーン

 「あっ、父ちゃんだ!」
 太朗の言葉に、佐緒里がチラッと上杉を見てから立ち上がって玄関に向かう。
(さて、どう言うかな)
今から繰り広げられるバトルを前に、上杉は不安げに自分を見上げてくる太朗の唇を素早く奪っていた。





                                                              to be continued ?