その十一
綾辻&倉橋の場合
眠っているはずの優希だが、握り締めた倉橋の指をなかなか離してくれない。
(困ったな・・・・・まだメールを送らないといけないんだが)
「優希」
手を動かしながら名前を呼ぶものの、その声は起こすつもりは全く無いように静かだ。
「優希」
何度か手をゆっくりと動かして引き抜こうとしたものの、やはり小さな指はしっかりと掴んで離れず、倉橋はどうしようかと苦笑して
しまった。
(おとなしく寝てくれたか)
元々、あまり泣かず、良く眠ってくれる母親思いの優希だが、今日はなぜかグズッてなかなか眠ってくれなかった。
それをようやく倉橋が寝かしつけたのを見計らった綾辻は、そっと部屋に入ると優希に寄り添って眠っている倉橋の顔を覗き見た。
(疲れているようだな)
子育てもしているというのに、組の仕事も全く手を抜こうとしない倉橋。何度言ってもそれは本人の性分なので仕方がないと思
うものの、最近あまりにも調子が悪そうで気になって仕方が無い。
仕事復帰してからの倉橋はとにかく忙しく、以前よりは仕事を分担するようにはなったものの、やはり自分が全て目を通さなけれ
ば気がすまない性格らしい。
綾辻も何とか手助けをしているものの、端から自分で仕事を見つけてしまう倉橋にはきりが無かった。
「やっぱり、一度病院に連れて行った方がいいかも」
小さな子供がいるのでなかなか本人が病院に行くという時間が取れないが、ここは少し無理をしても引っ張って行った方がいい
だろう。倉橋はもう、1人の身体ではないのだ。
「大丈夫です」
「ダ〜メ」
「綾辻さんっ、私は今日しなければならないことがあって!」
「社長にはもう連絡済。ちゃんと病院に行って来いって伝言を貰ったわ。それとも、社長の命令を無視する?」
悔しいが、倉橋の海藤に対する忠誠心はまるで強烈な愛情にも似たもので、綾辻は何時も心のどこかで悶々とした思いを抱
いていたが、今回ばかりは堂々と海藤の名前を使わせてもらおうと思っていた。
「克己、絶対に疲れているはずよ。一度ちゃんと診てもらって」
「・・・・・」
「優希のためよ」
本当は、自分のためにと言いたい所だが、直ぐに揺れ動いた倉橋の視線から、自分が口にした言葉はやはりかなり効果的だと
思った。
自分が産んだ優希のためにも、倉橋は何かあってはならない身体なのだ。
「いいわね?」
「・・・・・分かりました」
「良かった」
綾辻はそう言って笑う。とにかく、病院に行って、何も無ければそれこそ良かったと言うだけで済む。
「さあ、ゆうちゃん、お出かけよ」
既に目が覚めている優希を腕に抱き、綾辻は倉橋の背を押した。
「待っていなくてもいいですから」
何度もそう言いながら病院の中に姿を消した倉橋を見届けてから、綾辻は駐車場に車を停めてチャイルドシートから優希を抱
き上げた。
「帰る訳無いじゃないの、ね〜」
病院の中で待つのは優希に悪いから我慢をするが、同じ敷地内から出ることなんて考えてもいなかった。
何も無いとは思っている。思っているが、もしもの時、自分が直ぐに駆けつける位置にいたかったのだ。
(きっと、大丈夫よね)
優希もようやく2歳になったばかりだ。まだまだ、倉橋に何かあったら困ると言うか、倉橋には絶対自分を看取って欲しいと思って
いる。
「やだ、また縁起でもないこと考えちゃった」
自分達は2人、100歳を過ぎたら一緒にポックリと死ぬのだ。それまでは可能性でもそんなことを考えてはいけないだろう。
それから、どのくらい経ったか。
始めは敷地内を散歩したり、芝生の上で遊んでやっていた優希が腕の中で眠ってしまい、綾辻は時計を見下ろした。
「・・・・・二時間」
予め電話を入れていたので、待ち時間というのはほとんど無いはずだ。それなのにこれ程時間が掛かっているということは、もし
かして・・・・・。
「・・・・・っ」
その時、ポケットに入れていた携帯が鳴った。
眠っている優希を起こさないようにと素早く相手を見た綾辻は、それが倉橋の担当医師からだと分かった。
「もしもし」
意識しなくても声が硬くなってしまう。綾辻は医師が直接自分の携帯に連絡してきたわけを素早く考えていた。
「・・・・・っ」
指示された診察室に向かうと、倉橋が心細げな表情で椅子に座っていた。
「あ・・・・・」
部屋の中に入った綾辻の姿を見た瞬間に、その表情が安堵に変化するのが分かる。彼も何か不安を感じていたのだということ
がその変化で分かり、綾辻は安心させるように片手を肩に置き、目の前に座っている医師に笑い掛けた。
「先生、克己を苛めてない?私と違って繊細だから、あまり変なことを言わないでね」
「はは、別に変なことは言っていませんよ。綾辻さんと2人で聞いた方がいいでしょうと言っただけで」
「ふふ」
(それが、脅しにも聞こえるのよ)
医師が患者の身内を呼ぶということは、それだけ事態が深刻だと言っているのも同じだ。それでこちら側が不安になるのだと、
多分医師である男に向かって言ってもよく分かってくれないだろう。
それに、どうやら雰囲気的にはそれ程悪い話ではないのじゃないかとも思えて、綾辻はいったい何事かしらと言葉を継いだ。
「優希君は2歳になりましたね」
「ええ。世の中の2歳児の中で一番可愛いでしょう?」
自分に抱かれたまま眠っている優希の顔を見せるようにして言えば、医師はにこっと笑みを漏らした。
「こんなにも順調に育っているのは、お2人の愛情が深いからでしょう」
「それは当然のことよ。大切な一人息子ですもの」
「いや、違います」
「え?」
「お兄ちゃんになるんですよ」
「「え?」」
それは、綾辻と倉橋の唇から同時に漏れた言葉だった。
「おめでとうございます、お2人目が出来ましたよ」
「!」
「・・・・・っ」
息をのむ倉橋と同じように驚いた綾辻は、細い肩をじっと見た後、再び医師に視線を戻した。
「先生、それって」
「男性体で2人ものお子さんが出来た例は聞いたことが無い。それでも、大丈夫ですよ、倉橋さん。あなたと綾辻さんなら立派
に2人共育てることが出来ます」
「ふ、2人・・・・・」
身に覚えが無いとは、言わない。頻繁ではないものの、優希が大きくなって夜泣きも少なくなった頃から、綾辻が半ば強引に倉
橋を抱いていた。自分の子を産んだ倉橋も愛しいが、1人の人間としても魅力的な彼を抱かずにはいられなかったのだが、まさか
2人目の子供が出来るとは思わなかった。
(・・・・・何時の子かしら)
思わず計算してしまう自分は、表面的には変化は無いものの動揺しているようだ。
そして倉橋も・・・・・かなり驚いたようだが、ゆっくりと自分の腹を見て手をあてている。
「ありがとう、克己」
「綾辻さん・・・・・」
「優希に兄弟を作ってくれて」
1人でも十分奇跡だと思っていたのに、2人もの子供をこの手に抱くことが出来るとは。
じわじわと喜びがこみ上げてきた綾辻は、眠っている優希の顔を倉橋の腹にコツンとあてた。
「ゆうちゃん、弟か妹がここにいるんですって。お兄ちゃんよ」
「・・・・・」
「あーっ、もう!何だか泣けてきちゃう!」
ここに来るまでは、倉橋はいったいどんな病気なのだろうと綾辻は心配で仕方が無かった。それなのに、今自分の全身を包ん
でいるのは御しきれないほどの歓喜だ。
この嬉しさを、早く誰かに伝えたい。いや、いっそのこと全国放送で発表したいくらいだ。
「克己」
綾辻が重ねて言えば、少し戸惑ったような表情の目が向けられた。
「まだ・・・・・、信じられません。私に、優希という素晴らしい家族を与えてもらったばかりだというのに・・・・・それ以上、まだ嬉し
いことが起こるなんて・・・・・」
子供が出来たことを嬉しいと思っていると、その言葉で分かった綾辻は喜んでいいのよと背中をポンと叩いた。
「私達、もしかしたら子沢山家族になっちゃうかも」
「・・・・・馬鹿なことを」
フッと笑みを浮かべた倉橋の唇が、嬉しいという言葉を形どる。
たくさんの幸せと喜びを与えてくれた優希に、今度は兄になる喜びを与えてやることが出来る。
(今度は女の子がいいわね)
着飾って遊べるし、倉橋に似た優しい子になってくれるに違いない。
いや、男ばかりの家族も案外楽しいだろう。
まだ生まれ出てくるのは先だというのに、もう頭の中には4人家族の光景が浮かんでしまい、綾辻は腕の中の優希の頬に唇を寄
せながら呟いた。
「ゆうちゃん、起きて。すっごいプレゼントがあるのよ」
to be continued ?
その十二
海藤&真琴の場合
夜、ベランダに続くカーテンを開けてじっと外を見ている貴央の姿に、海藤はいったいどうしたのだろうと身を屈めて聞いてみた。
「どうした?」
「おほしさまにおねがいしてるの」
「お願い?」
「うん!ゆーちゃんがおとーとになるよーにって!」
子供らしい言葉に海藤は苦笑を漏らした。
部下である綾辻と倉橋の間に出来た赤ん坊。小さなその存在が珍しかったのか、それとも自分で守りたいと思ったのか、貴央は
それから頻繁に弟が欲しいと訴えてきた。
もちろん、優希を引き取ることなど出来ないし、男の真琴に2人目を望むのはとても難しく、海藤も真琴も、
「それは神様次第」
と言ってきたのだが、貴央は星にその願いを託そうとしているらしい。
「ねっ、きっと、おねがい、きいてくれるよね?」
幼稚園に行くようになってから随分と成長し、多少悪い言葉も覚えてくるようになったものの、まだまだ素直な子供の心に変化
は無いらしい。
海藤は貴央を抱き上げ、一緒に空を見上げながら言った。
「何時か、叶うかもしれないな」
夏になって、真琴はよく溜め息をつくようになった。
身体が疲れやすく、食欲も無いらしい。海藤が気遣えば、
「まだ慣れていないからかも」
と、笑いながら答えるだけだ。
幼稚園の行事や父兄がすることは思ったよりも多いらしく、真琴は休学をしていた大学の授業と平行して、とにかく一生懸命に
動いていた。海藤がその職業柄なかなか顔を出せないこともあり、全てを自分がちゃんとしなければならないと思っているらしい。
手を抜くように言っても、
「もう少しだから」
「後ちょっとだけ」
そう言って、無理をしていた。
それが祟ってしまったのか、
「真琴!」
とうとう、倒れてしまい、海藤は強引に真琴を病院に連れて来た。つい一ヶ月ほど前、貴央の定期健診(男性体が産んだ子な
ので、ある程度の年齢まで定期的に検査が有る)で訪れた病院だ。
幸い、自分が傍にいる時でよかったが、これが外だったらと思うとぞっとする。打ち所が悪かったり、もしも車に轢かれでもしたら、
それこそ取り返しのつかないことなのだ。
(俺が全部悪い)
仕事を優先してくれという真琴の言葉に甘えてしまい、彼に全部押し付けてしまった。気遣う言葉は所詮言葉だけで、実際に
は何もしていない。
「・・・・・っ」
後悔しても遅く、海藤は強く拳を握り締めたが、
「・・・・・いたい?」
その手に、小さな手が重ねられた。
「貴央」
「おとーさん、マコ、だいじょーぶ?」
子供特有の高い声が、泣きそうに自分の名前を呼んだ。
子供に不安を感じさせてどうするのだとハッと我に返った海藤は、貴央の頭をクシャッと撫で、大丈夫だと自分自身に言いきかせ
るように言った。
診察は思ったよりも長くなり、海藤の不安は大きくなる。それでも、隣に座る貴央にその気配を感じさせないように、海藤はずっ
と小さな手を握り続けた。
そして。
「海藤さん」
看護師に名前を呼ばれて立ち上がる。
一瞬、貴央をどうしようかと思ったが、海藤はそのまま貴央の手を引いて診察室に入った。
「真琴」
「・・・・・ごめんなさい」
診察用のベッドに横になったまま、真琴は心配をかけてしまったことを謝罪してきた。倒れた時は紙のように真っ白な顔をしてい
たが、今はかなり落ち着いたのか少し色が戻ってきていた。
海藤は真琴の頬に指を寄せる。すると貴央が海藤から手を離して、真琴の腕にしがみ付いた。
「マコッ、いたい?だいじょぶ?」
「うん、ごめんね、たかちゃん。もう大丈夫だし、一緒に帰れるから」
「・・・・・」
本当に大丈夫なのかと海藤が医師に視線を向けると、お座りくださいと椅子を勧められた。
病院は、あまり来たくない場所だ。誰かを失うかもしれない・・・・・そんなことを考えてしまいそうになるこの白い空間にいるから、
嫌な想像ばかりをしてしまうのか。
「先生、真琴は・・・・・」
「びっくりしましたよ、海藤さん。私もこんな例は初めてだ」
「・・・・・」
(初めての、例?)
一瞬、眉を顰めた海藤だったが、悪いことと取るには医師があまりにもにこやかな顔をしている。
病院で、こんな風に医師がにこやかに笑いながら告げる言葉は・・・・・海藤は、ハッとある可能性に思い当たった。
「まさか・・・・・」
「良かったね、貴央君。ずっと兄弟が欲しいって言ってたもんな」
「きょーだい?」
「お兄ちゃんになるんだよ」
「えー!!」
歓声を上げる貴央に、あんぐりと口を開いたままの真琴。そして海藤は・・・・・思わず目を閉じ、今の医師の言葉を何度も頭の
中で反芻した。
貴央が出来た時、それは奇跡だと思った。
愛する相手が同性で、どう願っても子供など出来ないと当然のように思っていた海藤に、家族に恵まれなかった自分に神様がく
れた、唯一無二の光だと思った。
無事に生まれ、小さくても、ゆっくりでも、順調に育ち、今自分のことを父と呼んでくれる愛しい我が子。
親子三人の生活を日々慈しんできた海藤に、再び訪れた奇跡は、貴央にとっても大きなプレゼントになったらしい。
「すごい!おほしさま、ちゃんときいてくれた!」
「え?」
「そうだな」
あの夜のことを知らない真琴は首を傾げているが、海藤は笑って貴央の髪を何度も撫でた。
星に願ってくれたから、いや、その前から、ことあるごとに貴央が兄弟を欲しいと願ってくれたから、こんな素晴らしいプレゼントを神
様はくれたのだ。
そんな風に目に見えないものに感謝する自分がおかしくて思わず笑ってしまった海藤だが、未だベッドで貴央に抱きつかれたまま
放心状態の真琴を見て、真琴と名前を呼びながら腰を屈めた。
「ありがとう」
「・・・・・嘘みたい」
「嘘じゃないだろう・・・・・先生」
「ええ、本当ですよ。詳しい検査をしないと産み月はまだ分からないが、これで真琴君も立派な二児のお母さんだね」
「に、二児・・・・・」
貴央を見た真琴は、次に自分の腹に手をあてた。
「・・・・・うわ」
「真琴?」
「・・・・・嬉しい」
しみじみと呟く真琴の目には涙が滲んでいる。
「俺、自分が兄弟が多いから、たかちゃんも一人っ子じゃ可哀想だって思ったけど・・・・・二人なんて、とても無理だろうって思っ
てました」
それは、育てる自信というよりは、現実的に男の自分に2人目が出来るとは思わなかったのだろう。
「でも、出来た・・・・・赤ちゃん・・・・・嬉しい」
「真琴」
「海藤さんは?」
「嬉しいに決まってるだろう。お前との家族だ、何人いても嬉しい」
海藤がきっぱりと言うと、真琴は何度もコクコクと頷いた。
貴央ができた時のような不安や喜びを、もう一度体験することになる。しかし、今度はどんなことがあったとしても、海藤はしっ
かりと前を見据えることが出来るはずだ。それは、一緒にいる真琴の存在ももちろんだが、貴央という存在もあるからだ。
ここまで貴央を育てることの出来た自分と真琴なら、次の子供も絶対に大丈夫だと確信出来た。
「みんなに報告しなきゃ・・・・・父さん達、絶対びっくりするだろうな」
「御前も、きっと驚く」
だが、皆が一様に喜んでくれる顔が直ぐに思い浮かぶ。
「あ」
その時、真琴が声を上げた。
「ん?」
「海藤さんのお父さんとお母さんにも知らせないと」
貴央が生まれたことを話した時も、一度顔を見に来たがそれきりだ。真琴は季節ごとや行事ごとに写真を送ってくれているようだ
が、それについての目に見えた反応は無い。
「2人とも、不器用なんだよ」
母の兄であり、父の上司でもあった菱沼が苦笑するように言ったが・・・・・今回はどんな風に反応するだろうか。
もしかしたら、また手ごたえのないものになってしまうのではと思ったが。
「絶対、喜んでくれますよね?」
「・・・・・そうだな」
それでも、そう言ってくれる真琴の言葉が嬉しくて海藤は静かに頷くと、貴央の手を握りしめている真琴の手の上から自分の手を
重ねる。
思いはぜったいに伝わる・・・・・そう、信じたいと思った。
to be continued ?