真新しいブレザーの制服のネクタイが少し窮屈で、貴央は人指し指を入れると軽く緩めた。
 「遅い・・・・・」
もう待ち合わせの時間は5分過ぎたのに、待ち人の姿は現れない。向こうが絶対一緒に行こうと言ったのでこのままおいていくつも
りは無かったが、いったいどうしたのだろういう心配が頭の中を掠めた。
(・・・・・迎えに行った方がいいかな)
 踵を返そうとしたその時、
 「たかちゃん!」
甲高い声が自分の名前を呼ぶ。
今日から高等部に進学した自分にはあまりにも可愛らしい呼び方だが、相手は昔からそう自分を呼んでいるので嫌だという意識
は何も無かった。
 「遅かったじゃないか、ユウ。何かあったのか?」
 「き、緊張して、お腹が痛くなっちゃった・・・・・」
 「・・・・・」
 その光景があまりにも鮮明に頭に浮かんでしまい、大きく溜め息をついて目の前の小さな頭をクシャッと撫でてやる。
 「慌てなくていいから」
 「・・・・・ごめんね、たかちゃん」
 「いいって」
そう言いながら、貴央は歩き出す。
その後ろから、チョコチョコという擬音が聞こえそうなほどの早足でユウ・・・・・優希が着いて来た。
 昨日、貴央が通っている男子校の中等部に入学した優希。同じ敷地内にあるので一緒に登校するのは構わなかったが、この
分だと明日から車で送ってもらった方がいいのではないだろうか。
 「・・・・・」
 ようやく155センチを越したばかりの身長に、華奢な体躯。父親である綾辻に似た栗色の癖毛で、色白の肌に、大きな目と、
一見少女っぽい優希は両親共にあまり似ていなかった。
少し心配性な母親(?)である倉橋に似て神経質な所があるが、赤ん坊の頃から優希を知っている貴央も、過保護だという自
覚はあった。
(男子校だしなあ)
 どうしても、可愛らしい容姿の少年によこしまな気持ちを抱く者はいる。貴央もまだ身長が低かった時、何度も追いかけられた
り告白もされた。
自分はそんな相手を撃退する腕力も気概もあったが、気弱な優希はやはり誰かが守ってやらなくてはいけない気がする。
 中等部と高等部。離れているので常に目を配っていることが出来ない。
せめてこうして登校時に一緒にいる時には、変わった様子がないかということを見極める気持ちだった。




(怒ってないかな)
 少し前を歩く貴央の後ろ姿を見ながら、優希は少し泣きそうになった。
昨日の入学式も緊張し過ぎて真っ青になってしまい、両親に心配を掛けてしまった。だから、翌日は大丈夫だということを行動
で示すためにも1人で登校できると告げたが、そこに貴央の名前を出してしまったのだ。

 「たかちゃんと一緒だから大丈夫!」

 まだ15歳だが、父親である海藤の遺伝子か、既に170センチを越える身長に、漆黒の髪と涼やかな目元の、綺麗な綺麗な
幼馴染。
しかし、その外見を裏切るように世話好きで、優しくて、特に優希のことは本当の弟のように可愛がってくれていた。
両親も、そんな貴央と一緒なら大丈夫だと思ってくれたらしい。
 何時も何時も、愚図で泣き虫な自分につき合わせて申し訳ないと思うが、優希にとって貴央は理想の人で、彼のようになりた
いと思える人物だった。だから、じっとその背中を見ていたいのだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・っ」
 不意に、貴央が振り向いた。
 「な、何?」
 「手」
 「手?」
 「手、繋ぐ?」
その言葉に、優希は目を瞬かせる。
お互いが小学生だった時はともかく、高校生と中学生になって、それも男同士、手を繋ぐのはおかしいだろう。
 「たかちゃん、あの」
 「気分悪いんじゃないか?」
 周りには同じ学園に通うらしい、同じ制服を来た者が何人も歩いている。
彼らが一様にこちらを見ているのは、多分貴央を見ているのだ。
(・・・・・なんか、嫌だ)
 「・・・・・」
 自分だけの大切な幼馴染を誰かに分け与えるのは面白くなくて、優希は反射的に差し出された貴央の手を取った。
途端に周りがどよめき、優希は視線を彷徨わせてしまうが、貴央は全く動じていないらしい。
 「お前、ちゃんと朝飯食った?」
 「う、うん」
 「コーヒーだけとかじゃないぞ?」
 まるで自分の食卓を見られたかのようだ。
 「・・・・・サラダも食べた」
 「ウサギじゃないんだからさ」
怒ってはいないが、呆れている。そんな貴央の声に落ち込む。
 「だから、僕・・・・・おっきくならないのかな」
 「ん〜」
 「パパ達は2人共背が高いのに・・・・・」
 どちらも体格が良い方ではないと思うが、身長は平均以上にある。2人の子供なら似てもおかしくないのに、自分はなぜか成
長が止まってしまっていて・・・・・。
 「・・・・・男同士の子供だからかな・・・・・」
だから、少し成長が悪いのかもしれないと呟くと、手を繋いでいた貴央のそれに強く力が込められた。




 「誰に言われた?」
 自分でも驚くほど低い声が出た。それに怯えたのか、優希が手を離そうとする。
それさえも面白くなくて、貴央は立ち止まると優希と向かい合った。
 「親のこと、誰に言われた?言ってみろ、俺がぶっとばしてやる」
 「た、たかちゃん?」
 「男と女で親だなんて誰が決めたんだ?世の中には母親だけや父親だけの家族だっている。その中に、2人共男の親がいたっ
ておかしいことなんて一つも無いぞ」


 小学生の時、どこから話が漏れたのか、貴央が男同士の間で生まれた子供だという噂が広まった。
貴央の中では海藤と真琴が親だという事実に間違いが無かったし、身近には綾辻と倉橋というカップルもいて、2人の間にも優
希という子が生まれていた。

 特別な子。
 異質な子。

 遠巻きに見られ、陰口を叩かれた時、貴央は悔しくて泣いた。そして、家に帰ると、どうして自分には母親がいないのだと真琴
を詰ってしまった。
 泣きそうな真琴の顔を見た時、自分の言葉が言ってはいけなかったものだと気がついたが、それでもショックは消えてくれなくて、
帰ってきた海藤にもその怒りをぶつけてしまい・・・・・初めて、叩かれた。

 「俺にとって、お前は大切な子供だ。だが、それ以上に真琴は唯一の存在なんだ。真琴が産んでくれたお前を愛しているが、そ
の真琴を否定するのなら、俺はお前を愛することが出来なくなる」

 衝撃的な言葉だった。子供だから無条件に愛されると確信していたのに、父は真琴の存在のために自分を切り捨てることが出
来ると言う。
体が震えて、どうしていいのか分からなくて・・・・・そんな時、真琴が貴央を抱きしめてくれた。
 「そんなことあるはずないだろ!俺も、貴士さんも、お前のことが大切だし、愛してるよ!」
 まだ、子供だった貴央にも、真琴の深い愛情は伝わった。性別など関係なく、家族というものはこうなのだと。
貴央は、真琴を切り捨てることなど出来ないし、真琴は無条件で貴央を愛してくれる。そして、そんな貴央を父もまた、愛してく
れるのだと、その時は何となくだが伝わった。


 歳を経るごとに、やはり自分が特別な子であるということは感じたが、それでも両親の愛を疑うことは無かった。
いろいろ勉強をして、今では世界各国に男同士の間に生まれた子が増えてきたのだという事実も知ることが出来た。
 大多数の中の少数派が間違っているなどと、誰にも言わせない。もしも、優希が今そのことで苛めを受けているとしたら、自分
はその相手にきっぱりと言ってやれる。

 「ユウは、どの家族よりも親に愛されている」

 「ご、ごめんなさいっ」
 優希がガバッと頭を下げてきた。あまりに勢いが良かったので、貴央の手が弾みで外れてしまう。
 「ユウ?」
 「ぼ、僕、なかなか身長も伸びないし、理由を考えるのが嫌になって、それでっ」
 「・・・・・じゃあ、苛められてないんだな?」
 「うんっ」
考えたら、まだ入学して2日目だ。苛めがあるないというのが分かるのはまだ先かもしれない。もっとも、そんなものは無い方がいい
のは当たり前だが。
 「それなら良かった」
 貴央は笑った。その顔を見て、優希も笑う。
(ん〜・・・・・その顔)
 「・・・・・ユウ、お前あんまり無防備に笑うなよ?」
 可愛らしいその笑顔に、誤解する者が現れるとも限らない。そんな思いで忠告するのに、優希はコトンと首を傾げてどうしてと
言ってきた。
 「え?僕が笑うのって、たかちゃんの前だけだよ?」
少し人見知りの気がある優希は、本当に仲良くなるまでは挨拶の時も強張った笑みになるらしい。そのせいでとりすましていると
思われることもあったが、本人は顔の筋肉まではどうしようもないだろう。
 「それもちょっと問題だけど・・・・・まあ、いっか」
いずれ優希にも多くの友人が出来て、登校する時に腹が痛くなるほど緊張するということは無くなるだろう。
兄代わりとしては世話を焼くことがなくなるのは嬉しい反面、実際にそうなると寂しく思うだろうなと思いながら、貴央はもう一度ほ
らと手を差し出した。




 貴央が自分のために怒ってくれたことが嬉しい。貴央にとって自分は特別なんだなと実感できたからだ。
中学生になった貴央とはなかなか会う時間が無くて、もう自分のことなど忘れてしまい、新しい友人達や学校のことが大事になっ
たのだろうと寂しく思っていたが、どうやらそれは杞憂のようだ。
 「たかちゃん、お弁当一緒に食べられる?」
 「お前と?」
 「・・・・・駄目?」
 「いいよ、慣れるまでしばらく付き合う」
 しかたないなと笑われても、約束できたことは良かった。
 「たかちゃんのお弁当、海藤さんが作ってるんだよね?」
 「ああ、父さん、これが俺とのコミュニケーションだからってさ。忙しいから悪いと思ってるんだけど・・・・・。お前のところは?アヤさ
んか?」
 「ううん、克己さんが作ってくれてる」
2人を比べたら、ダントツに綾辻の方が器用なのだが、倉橋がその役目を譲らなかったのだ。
(克己さん、意外と頑固だし)
綾辻の方はパパと言われるのをむしろ喜んだが、倉橋には「克己さん」と呼ぶようにと言われた。ママと呼ばれるのは抵抗があるら
しいし、かといってパパは綾辻だと決めていて、後はその呼び方しか選択がなかったようだ。
 「へえ、楽しみ」
 「高等部に行っていい?」
 中等分に来られると、貴央のファンが増えてしまうと思いながら言うと、
 「駄目。高等部に来たらお前、目を付けられる」
そんな、余計な心配をされる。
 「どこで食べるんだよ?」
 「どこにするかな」
 「静かな場所ってある?」
 入学したばかりの優希はまだまだ学校内の様子が分からないが、3年通った貴央には秘密の場所の一つや二つはあるのでは
ないか。
 「じゃあ、昼までに考えておくから」
その言葉に頷いた優希は、繋いだ手を見下ろして自然に笑みが零れてしまった。






 秀麗な容貌の貴央と、西洋人形のようにフワフワとした可愛らしい優希。
その2人の登校風景が学園の名物と認識されるのは、それから間もなくのことだった。





                                                                      end






今回は未来予想図の一つです。
貴央高校1年、優希中学1年。