午前中の講義を終えた西原真琴(にしはら まこと)は、丁度掛かってきた携帯を鞄から出した。
液晶に浮かぶその名前に目を輝かせて直ぐに電話に出ると、優しく響く声が名前を呼んでくれた。
「休憩中ですか?・・・・・あ、はい、分かりました」
帰宅が少し遅れるという知らせに少しだけ落ち込んでしまったが、今日は一緒に夕食を作ろうと言ってくれた言葉に気持ちが浮
上する。
「分かりました。お仕事頑張ってくださいね」
携帯を切った真琴は、どうしようかなと考えた。
今日は午後からの講義はなく、バイトも休みだ。買い物に行かなくても、家にあるもので店で出すくらい美味しいものを作ってくれ
る恋人に、今日も全てを任せてもいいのだろうか?
(・・・・・何か、俺が作ろうかな)
恋人と暮らし始めてから、真琴には得意料理が出来た。
カレーに、ビーフシチューに、ポトフ。
要は、材料を切って煮込めばいいのだが、そこに隠し味というものを入れると味はかなり変わってくる。
コーヒーに、ジャムに、醤油に、チョコレート。
料理上手の恋人と、独創的な料理が得意な年上の友人(?)に教えてもらい、少しの工夫で簡単な料理も随分と凝った美味
しいものに変わることを教えられた。
何より、大好きな人の作ってくれたものを、大好きな人と食べるのは、何でもとても美味しい。
「・・・・・よし!」
海藤と一緒に何かを作るのも楽しいが、それでは自分はアシスタント的な楽な部分しか請け負わないままだ。
こういう時こそ、新しいメニューを作って海藤を驚かせよう・・・・・真琴はそう思った。
『社長の好きなもの?やあねえ、マコちゃん、私相手に惚気ないでくれる?』
用件を切り出した時、笑いながらそう言ったのは綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)。恋人の部下で、真琴よりもかなり年上であっ
たが、楽しくて頼りになる、友人というよりは身内に近い存在だ。
プロの料理人並の腕を持つ恋人とは違って、柔軟な考え方で手早く美味しい料理を作る綾辻は真琴にとっては頼りになる先生
なのだが・・・・・。
『ん〜、社長の好きなものっていっても、基本的に好き嫌いの無い人なのよね〜』
「本当に無いんですか?」
『ホント。完璧な男ってや〜ね〜』
「そっか・・・・・」
『それに、前から何度も言うけど、マコちゃんの作るものは何でも美味しいと感じてるはずよ。好きな子が自分のために作ってくれ
てるんですもの、魚が焦げたって、卵が辛くったって、ぜ〜んぶ愛情ってスパイスで美味しくなるの』
「・・・・・」
(その失敗、全部やってるんだけど・・・・・)
自分がそれ程不器用とは思いたくないが、料理はやはり・・・・・センスだ。
「綾辻さん・・・・・」
「たくさん悩みなさい。それが後々楽しかったって思えるから」
結局、綾辻からちゃんとしたヒントをもらえなかった真琴は、少し考えて今日は休みのバイト先の宅配ピザ屋、《森の熊さん》へ
と車を向けてもらうことにした。
「あれ?マコ、どうしたんだ?」
「お疲れ様です」
裏口から入ると、控室には丁度休憩を取っていたらしいバイト先の先輩、古河篤志(こが あつし)と森脇卓也(もりわき たくや)
がいた。
もうそろそろバイトも辞める2人。シフトもかなり減っていたが、それでも真琴達バイトの人間にとっては、まだまだ頼りになる先輩達
だった。
「あ、ちょうど良かった」
何時も真琴を弟のように可愛がってくれる2人に助言をもらおうとやってきた真琴は、休憩時間で良かったと笑いながら訊ねた。
「・・・・・こ、恋人に作ってもらいたい料理?」
「そうです。何がいいですか?」
真剣な顔をして訊ねる真琴に、古河は僅かだが引き攣った笑みを浮かべた。
古河と森脇には、真琴が同性の恋人と付き合っているということは知られているので、変に言葉を誤魔化すことはしなかった。
それに、相手が男だという点を除けば、恋人に作って欲しい料理など隠すことも無いだろう。
「そ、そうだな、俺は肉じゃがなんか・・・・・後、ナスの揚げ漬しとか、あ、揚げだし豆腐なんかも好きだけど・・・・・」
「こ、古河さん、それってハードル高過ぎです」
「あ、ああ、悪い」
作ってもらいたいものというよりも好きな物を口にしたらしい古河は慌てて謝ってきた。謝られることはないのだが、今の自分のレ
ベルで和食はきつい。
すると、
「マコ、こいつ味覚おっさんだから駄目だって」
「森脇」
さすがにおっさん呼ばわりされた古河は面白く無さそうだったが、森脇は一切気にすることなく言った。
「パスタなんてどうだ?簡単だし、見掛けは豪華に出来るぞ」
「パスタ・・・・・」
(・・・・・いいかも)
確かに、面を茹で、絡めるソースは市販の物にもう一工夫すれば何とか見栄えはするかもしれない。
真琴は案外いいかもと頭の中でソースの種類を考え始めた・・・・・が。
「マコ、アルデンテは守れよ?」
「え?」
「パスタは麺が勝負だからな。ただソースを絡めるだけの時と、さらに炒めを加える時では硬さは違うぞ?それだけ守ってれば美
味いものが作れるって」
「・・・・・」
(・・・・・結構、グルメだ、2人共)
店を出た真琴は、我慢していた溜め息をついた。ありがたい助言だったが、今の自分には和食もパスタも1人で作るのは無理
なようだ。
「どっちも、海藤さんと一緒の時ならいいけど・・・・・」
一度、ちゃんと教えてもらってからなら少しはいいかもしれないが、例えば、本を読みながら1人でするのはちょっと・・・・・いや、かな
り無理だ。
「どうしようかな・・・・・」
時刻はそろそろ午後1時になる。
何時ものメニュー(カレー等)を作るのならば、そろそろ煮込み始めなければ美味しくならない。
「う・・・・・時間が無い・・・・・」
「マコじゃん!」
「あれっ?今日シフト休みじゃなかったっ?」
「誰かと代わったのっ?」
「あれ?みんな」
街中で名前を呼ばれた真琴は、その方向を見て思わず笑った。
もう直ぐ小学生から中学生になるカズシ、ユウジ、マサヒコの3人。
真琴のバイト先のピザ屋の直ぐ近くにある進学塾に通っている3人は、塾のある日はほぼ通ってきてくれる常連さんだ。
真琴にとっては弟の真哉(しんや)と同年齢の彼らはまるで弟のように思え、彼らも慕ってくれるので客の中では少し特別な存
在の子達だった。
今日は午前中授業で終わったのだと、3人は真琴に会えてラッキーと喜んでくれている。
(あ、聞いてみようかな)
恋人とは年齢もかなり違うが、もしかしたら何らかのヒントがあるかもしれない。
真琴は少し考えて、好きな人を母親に置き換えて聞いてみた。
「お母さんに作ってもらいたい料理?」
3人は突然の真琴の言葉に顔を見合わせた。
「カズシのとこは中華が多かったよな?料理学校に通ったんだっけ?」
「凝るんだよな〜。俺は普通のハンバーグとかカレーでいいんだけどさあ。どうせ中華は濃い味付けで誤魔化せるとでも思ってる
んだよ。マサヒコんちは菓子作りが趣味だろ?」
「うん、料理よりケーキ作りの方が上手い。でも、自分はダイエット中だからって食べないんだよ。作って人にやってばっかり、勿体
無いってーの」
「あ、それ分かる。俺んちは魚ばっかり。肉が食べたいって言っても、ヘルシーなのよって。自分のダイエットに子供を付き合わせ
るなっていうんだよな〜」
「・・・・・」
(さ、参考にならない・・・・・)
ませているというよりは結構シビアな意見だ。
「あ、あのね、じゃあ、将来好きな人に作ってもらいたい食べ物ってある?」
あまり個人の家の台所事情を聞くのは失礼かと、真琴は質問を変えてみた。もう中学生になる彼らにはそれなりの憧れがある
のではと思い直したのだ。
すると、その反応は真琴が思ったよりも大きかった。
「はい!俺っ、マコが作ってくれるなら卵焼きでもいい!」
「俺はおにぎりでも嬉しいよ!」
「俺なんかっ、大好きなトマトを大好きなマコに切ってもらうだけで嬉しい!」
「あっ、抜け駆け!」
「ずるいぞっ」
「・・・・・」
(もうちょっと・・・・・ましなのも作れるんだけど)
未来の好きな相手をどうして自分に置き換えられたのかは分からないが、それにしてもハードルが低過ぎる。切れ味の良い包
丁ならば誰だって綺麗にトマトは切れるよと、真琴ははあ〜っと再び溜め息を付いた。
『野菜を使った料理?何だっ、マコ!お前が作るのかっ?』
小学生の3人組と別れた真琴は、車の中で再び考え、今度は長兄である真咲(まさき)に電話をしてみた。八百屋である兄
ならば、美味しい野菜を使ったレシピを知っているのではないかと思ったのだ。
「うん、たまには俺が海藤さんに何か作ろうかなって思って」
既に家族には海藤は紹介済みで、真琴も屈託なくその名前を出す。
だが、次の瞬間、
『駄目だ!!』
電話の向こうで叫び声がして、真琴は思わず携帯を耳から離してしまった。
「ど、どうして?」
『美味しい野菜を使った料理は、俺がマコに作ってもらうんだ!その前にあの男に食わせるのは許さないからな!』
「ちょ、ちょっと、あのね」
『真弓(まゆみ)に電話しても同じだぞ。あいつも、パン料理は自分がマコに教えて自分で食うって言ってるからなっ』
始めは呆気にとられて聞いていた真琴だったが、何だか聞いているうちに笑いが零れてしまった。
(相変わらず、優しいんだもんなあ)
恋人のことを盾に言っているが、きっと1人で料理をしたら危ないと思っているのだろう。何時までも真琴のことを小学生かのように
思っている兄達なので、そんな危ないことは駄目だと遠回しに言ってくれているのだ、
「分かったよ、自分の腕以上のことはしないから」
『おっ、おいっ、マコ!』
「真咲兄、ありがと。あ、また美味しい野菜送ってね?海藤さんが喜ぶから」
『!』
「また電話するね」
バイバイと言いながら電話を切った真琴は、兄達が本気で自分の恋人に妬きもちを焼いているとは全く思わなかった。
「結局、決まんなかったな」
マンションに帰るまでにも、恋人と何時も行くスーパーに寄ってみた。真琴の経済観念からすれば少し、と、いうか、結構単価の
高い店なのだが、常々、
「少しくらい高いものでも、安全で美味しいものを食べさせたい」
と、言ってくれる恋人と同じ心境になったからだ。
それでも、これというものは見付からず(美味しそうな魚はあったものの、それで何を作っていいのか思いつかなかった)、真琴は何
も出来ないままマンションへの帰路に立つ。
「真琴さん」
落ち込んでしまった真琴に声を掛けてきたのは、運転手兼護衛の海老原(えびはら)だ。
「決まらなかったんですか?」
「・・・・・はい。俺の腕じゃ作るものも決まっちゃってて・・・・・」
時間は何時の間にか午後3時になろうとしている。結局昼食も食べないで夕飯のメニューを考えていたことになるが、最終的に
決まらなかったら何をしていたんだろうと無駄な時間を過ごした自分を笑いたくなった。
(あ・・・・・)
「海老原さん、すみません。俺の我が儘でいろんなとこに寄り道させちゃって」
しかし、自分以上に無駄な時間を過ごしたのは、ずっと運転してくれていた海老原の方だ。
「いや、全然大丈夫ですよ」
茶髪にピアスという今時の格好の海老原だが、真琴に対してはとても細やかな心配りをしてくれる。
(海老原さんだったら・・・・・なんだろ?)
「海老原さんだったら何がいいですか?」
「恋人に作ってもらうとしたら?」
「はい」
今までずっと真琴に付いていたので、用件は言わなくても分かっていたらしい。
海老原は笑いながら言った。
「俺は、何でも」
「え〜、なんだかそれ、綾辻さんと同じ答えですよ」
「結局、男は好きな子が作ってくれるのなら何でもいいと思いますよ。それがゆで卵でも、ラーメンでも」
「ラーメンでも?」
「愛情はスパイスです」
なんてねと、笑う海老原は綾辻の信奉者なのだろうか?同じ様な言動に思わず笑みを零した真琴は、あっと思いついてしまっ
た。
「海老原さんっ、すみません、さっきのスーパーに引き返してください!」
『後10分で着く』
たった今掛かってきた電話に、真琴は慌ててキッチンに立った。
下ごしらえとして刻んでいた野菜と肉を炒める為だ。
「出来立てが美味しいんだもんね」
海老原の言葉をヒントにして考えた夕食は、具沢山のインスタントラーメンだ。
きっと、海藤は普段は食べないだろうと思ったし、たかがインスタントでも少し手を加えればかなり豪華になる。
「麺はアルデンテだから、帰ってきてからの方がいいか」
少し表現は違うかもしれないが、インスタントラーメンでも麺は麺だ。とにかく、美味しく食べてもらいたいし、インスタントとは言って
も、真琴の常識の数倍の高いものだ。
「こんな高いラーメンもあるんだよなあ〜」
(美味しくて、癖になったらどうしよう)
「あっ」
インスタントラーメンの袋を見て感心したように呟いた真琴の耳に、帰宅を告げるインターホンが聞こえた。
エプロンをしたまま慌てて玄関まで行った真琴は、鍵を開けて大好きな恋人の大好きな顔を早く見たいと、じっと視線を向けてい
た。
そして・・・・・。
「ただいま、真琴」
優しい声が自分の名前を呼び、眼差しが細められる。
「お帰りなさい、海藤さん!」
今日半日、ずっと海藤のことを考えての成果を、早く海藤にも味わってもらいたい。
愛情は確かにスパイスだなと、真琴は降りてくる唇を目を閉じて受け止めながらふふっと笑った。
end
人気投票、第五位のマコちゃんです。
今回姿は見せませんでしたが、相変わらず海藤さんとは熱々の恋人同士だということが分かってもらえたのではないでしょうか?
ゲストもいっぱい出してしまいました(笑)。