楢崎&暁生編
「幹部、あれ」
夜の繁華街を歩いていた羽生会の幹部、楢崎久司(ならざき ひさし)は、一緒にいた部下の組員の指差す方向に
視線を向けて僅かに眉を顰めた。
そこには、40を過ぎた自分の歳若い恋人が、同世代らしい若者達と笑いながら話している。
(友人、か?)
まだ午後9時を過ぎた時間で、街を出歩いていてもおかしくはなかったが、元々は恋人の方が楢崎の下へと押しかけた
形だったし、恋人と呼べる関係になってからはほとんど自分の傍にいる為に事務所に入り浸っている姿しか見なかったの
で、こうして歳相応の仲間といるところを見るのは初めてかもしれなかった。
「ああいう顔をしていると、普通の青年ですね」
「・・・・・そうだな」
まだ20そこそこの恋人、日野暁生(ひの あきお)。偶然絡まれていた彼を助けたことから、自分のことを慕ってくれ、一
途な思いを向けてくれた。
さすがに、いい年をした自分がこんなに若い青年を、それも同性を恋愛対象にするなど考えられなかったが、今では楢
崎にとって暁生はとても大切な存在になっていた。
暁生が、自分と全てを分かち合いたい・・・・・セックスをしたいと望んでくれていることも分かっていたが、まだこれから先
色んな人間と出会う可能性が大きい暁生が、楢崎以外の相手を好きになることだって有りうるだろう。それが、もしも彼
に相応しい少女だったら・・・・・男に抱かれたという経験が後々にネックになってしまうかもしれない。
暁生が将来、別れたいと言ってきた時、彼が何の未練も無いように、最終的に身体を繋ぐことはしない方がいい・・・・・
いや、それは多分言い訳だ。
自分がのめり込んでしまうのを防ぐために、その一線を守っているだけかもしれない。
(俺は、臆病だからな)
「幹部、声を掛けますか?」
「・・・・・いや、それは無粋だろう」
どんな集まりかは分からないが、暁生には暁生の世界がある。
そう思いながら楢崎は別の方向へと足を向けたが、
「楢崎さんっ?」
存在感のあるその姿を、暁生は見逃さなかったようだった。
街中で久し振りに高校時代の仲間に会った。
大学に行っている者も、働いている者も、自分のようなフリーターもいたが、化粧や服装の向こう側には確かに見慣れた
懐かしい顔があった。
本当だったら、自分も彼らのような、恋人やファッションのことを話して楽しんでいたのかもしれないが、話している内に心
の中に生まれたのは、自分は幸せだなということだ。
くっついたり、離れたり。そんな恋愛も楽しいかもしれないが、自分にとっては一生に一度の今の恋に出会えたことが最
高の幸せだ。
(・・・・・なんか、楢崎さんに会いたくなっちゃったな)
「あ、暁生、お前彼女は出来たのか?」
「え?俺?」
「そーそー、暁生は奥手だったもんね〜」
「お、俺は・・・・・」
「え?もしかして出来たのか?」
何と答えようか、一瞬迷った。
幾ら今時ゲイが珍しくないとはいえ、身近な人間の告白に引く者もいるかもしれない。気の置けない友人達が自分から
離れてしまうかもしれないと思うと、今の自分の恋を後ろめたくは思っていないはずなのに躊躇ってしまった。
「あ、ねえ、あそこの人、渋〜い」
「え?・・・・・なんだよ、いかにもって感じ。おい、あんまりジロジロ見ない方がいいぞ」
「だって、カッコイイよ、ね、暁生」
「え?」
女友達に促されて視線を向けた暁生は、そこに大好きな人の姿を見つけて反射的に叫んでしまった。
「楢崎さん!」
「え?」
周りが、驚いたように自分と楢崎を交互に見る。無理も無いかもしれない、いかにも今時の若者という風な自分と、明ら
かにその筋だと分かるような存在感のある楢崎と、いったいどんな繋がりがあるのだろうと混乱しているのだろう。
「あ、暁生、お前、あの人知ってるのか?」
「違うんじゃない?ほら、あっち行ったし」
楢崎は、一瞬だけこちらを見たが、直ぐに知らん顔をして歩き出した。
それが無視をしたわけではないと、彼のことをずっと見てきたから分かる。きっと、自分達の関係を周りに悟らせまいとしてく
れているのだ。
大きな、広い背中。堂々としているその後ろ姿が、何だか悲しんでいるように見える。
「・・・・・っ」
暁生は唇を噛んだ。自分が可愛くて楢崎1人を悪者にしようとしたことが、自分の恋を悪いことだと思おうとした気持ちが
許せない。
「・・・・・知ってる」
「え?」
「俺の、大好きな人!」
驚いたようなざわめきを背に、暁生は走り出した。
「楢崎さん!待って!」
せっかく無関係を装ったのに、暁生は自分から腕にしがみ付いてきた。さすがに振りほどくことが出来なくて、楢崎は少し
だけ困ったように言う。
「いいのか?」
「え?」
「友達だろう?変な風に思われるんじゃないのか?」
「いい。もう、恋人って言ってきたし!」
「なに?」
「恋人・・・・・だよね?」
「暁生」
何時でも逃がしてやろうと腕を広げていたというのに、当の本人は逃げ出さないとしがみ付いてくる。
楢崎は、視線を背後に向けた。先程まで暁生と笑いながら話していた若者達が、今はこちらを心配そうに見つめている。
「暁生・・・・・」
どれ程の勇気を持って自分のもとにやってきたのか、楢崎が感じるのは嬉しさだ。この手を離さなくてもいい・・・・・そう思
うと、今まで押さえ込んでいた想いが湧き上ってくるのを感じる。
「・・・・・もちろん、恋人だ」
「!」
そう答えた瞬間、暁生が嬉しそうに笑った。
子供っぽいその表情に、楢崎も頬を緩めて・・・・・そのまま身を屈め、暁生の唇に触れるだけのキスをする。
街中での、キス。
それが、自分達しか見えないカップルのものならばまだしも、その界隈では名の知れている楢崎が、いかにも普通な、しか
し、明らかに青年だと分かる暁生にキスをしたのだ。
「な、楢崎さん」
いっせいに向けられる視線にしり込みしてしまったような暁生に、楢崎はふっと笑みを浮かべて言った。
「俺も、牽制しておかないとな」
あの、暁生の友人達の中には、この素直な青年に好意を持っている者もいたかもしれない。しかし、今更自分もこの手
を離すことは出来ないのだ。
(これは、俺だけのものだ)
恥ずかしそうに、自分の胸に強く顔を押し付けてくる暁生を抱きしめながら、楢崎は一刻も早く暁生の全てを手に入れ
たい・・・・・そう思った。
end