高校生になっての初めての夏休み。
中学の時とそれほど変わらないだろうなと思っていたが、たった1年の差ではあるが随分と出来ること、許してもらえることが広がっ
た気がする。
たとえば、友人の家に泊りに行くとか。
少し遠出をする時とか。
それまでは簡単には許可は下りず、子供のように心配をされていたものが、
「たかちゃんのこと、ちゃんと信じてるから」
大好きな母、真琴(まこと)にそう言われると、自分の行動に責任を持たなければならないと思うようになった。
友人はそれを親の作戦だというが、子供の貴央(たかお)から見ても天然が入っている真琴に、そこまで深い考えがあるとはとて
も思えない。
もしもそうだとしても、嫌な思いなんてしない。自他共にマザコンだと認めている貴央は、今日も帰る連絡を真琴にメールで送っ
ていた。
「貴央」
「ん?」
海に行った帰り、電車の窓からぼんやりと外を見ていた貴央は、友人の丹波啓輔(たんば けいすけ)に声を掛けられて視線
を向けた。
たった1日でよく日に焼けているが、きっと自分もそうだろう。今夜、痛くなかったらいいなと漠然と思いながら、貴央は何だと返事
を返した。
「なんで逆ナン無視したんだ?あれ、きっとホテルまで直行出来たと思うぞ」
「初めて会った相手に、そんなことするわけないだろ」
「お前頭固いな〜」
「・・・・・」
今日の海水浴には、貴央と丹波以外、3人の友人を含めて出掛けていた。
男ばかりの一団で気の置けない楽しい時間を過ごすつもりだった貴央とは違い、3人は積極的に女の子に声を掛けていて、その
フットワークの軽さにさすがに呆れてしまうほどだった。
貴央と丹波は帰宅部だが体格も身長もそれなりにあり、後の3人も運動部でがっしりした体格をしている。
容貌も悪くはない3人のナンパの成功率は高く、黙っていても女の子が寄ってくる丹波も含めて、貴央は賑やかで甲高い女の子
達の声に辟易としたものだ。
それを避けるために海に1人で入ったが、そんな貴央に年上の女の人たちが話し掛けてきた。大胆なビキニと上手にメイクされ
た顔。
綺麗だとは思ったがそれだけで、誘いを断って戻ってきた貴央に友人たちはつめ寄り、そこに断ったはずの女の人たちがやって
きて・・・・・貴央としてはかなり参ったと思ったくらいだ。
その時、丹波はニヤニヤと笑っていただけだったが、どうやら経過は気になっていたのかもしれない。
「女子大生って言ってたよな。メアド貰ってただろ?お前は教えたのか?」
「知らない相手に教えたくないし」
「でも、教えないと知り合いになれないじゃん」
「・・・・・」
(確かにそうだけど・・・・・)
歳に合わない固さは、多分父親似だと思う。人と慣れ合わない父は、本当に自分が気を許した者しか周りに置かないが、貴
央もそんな父の考えに素直に同調出来るのだ。
「そんなんだから、マココンって言われるんだぞ」
友人たちの間では、マザコンと同意語とされる真琴コンプレックス。真琴に依存しすぎだと揶揄されているのはわかるが、それ
のどこがいけないのか。
男の身体で自分を生んでくれた真琴。その出産は、女の人が普通に子供を産むよりも危険が高く、その上周りの好奇の視線
だって相当なものに違いなかったはずだ。そんな中で自分を生み、育ててくれた真琴のことを大好きで、大事に思ってなにが悪
いのかと、貴央は少し目に力を込めて丹波を睨んだ。
父譲りの切れ長な眼差しは、こんなふうに威嚇を込めるとかなり威力があるらしい。
丹波は直ぐに悪かったとポンポン肩を叩いてきた。
「俺だって、マコさん好きだし。可愛いもんな、あの人」
友人たちの前でも天然ボケを発揮する真琴は、かなり好意的に見られているのは知っていた。しかし、あまりにもあっさりとそう
言われると面白くない気分も生まれた。
「マコはやらないから」
「わかってるって」
冗談だよと言う丹波に貴央も視線を緩めると、陽の落ち始めた街並みへと再び視線を向けた。
「ただいま」
「お帰り」
リビングで貴央を迎えてくれたのは真琴ではなく父だった。
土曜日の今日も仕事で出掛けていたが、思ったよりも早い帰宅だったようだ。
「・・・・・マコは?」
「買い忘れがあったとかで出掛けてる」
「へえ・・・・・」
(珍しい)
自分以上に真琴に甘い父が、自分がいるのに真琴を1人で行かせるとは思わなかった。何時もならば父が車を出すだろうにと
思っていると、ポンと頭の上に手を置かれる。
「お前が帰った時、誰かがいないと寂しいだろうからって」
「・・・・・子供じゃないのに」
今朝、夜が明ける頃に始発で出掛けた貴央が夕方帰ることは真琴も知っていた。
「行ってらっしゃい、気をつけて」
眠そうにしながらも早起きをし、朝食を作ってくれて、玄関まで見送りに来てくれた。そこまでしてくれなくてもいいのにと思ったが、
まさか帰宅した時のことまで考えてくれているとは。
しかし、考えたら真琴は小学校の時も中学校の時も、朝と夕方は必ずと言っていいほど貴央を見送り、出迎えてくれていた。
どうしても用があっていない時は、父が、父が無理ならば貴央が懐いていた組員がいてくれて、1人きりの寂しさを感じることはな
かったと思う。
「貴央」
「・・・・・」
「真琴は無理をしているわけじゃない。自分がしたいから、していることだ」
「・・・・・うん」
「それに、誰かが家にいるというのはいいと思わないか?俺も、真琴と一緒になって知ったことだが・・・・・三十もとうに過ぎてか
ら知った俺とお前とじゃ、俺の方が損をしている」
珍しく揶揄するような父の言葉に、貴央はマジマジとその顔を見つめる。まだ身長も、体格も、遥か自分の上を行く父。
ヤクザという反社会的な組織に属しながらも一般企業も経営し、大勢の人間たちの上に立つ父。
とても大きな存在なのに、こんなふうに言うのはとても珍しい。
「父さん」
「ただいま〜!」
その時だ。元気な声と共に、バタバタと廊下を歩く音がして真琴が現れた。その手には酒屋の紙袋がある。
(父さんのだ)
多分、最近父がよく好んで飲んでいる冷酒を買ってきたに違いない。どんな時も父が一番なのは仕方がないと諦められる貴央
の顔を見て、真琴はにっこりと笑った。
「お帰り、たかちゃん。どうだった?」
「うん・・・・・楽しかった」
「その顔色を見れば良く分かるよ。はい」
「え?」
軽く頬を撫でた後、真琴は酒屋の紙袋の陰にあったビニール袋の中から小さな瓶を取り出して手渡してくれる。
「ローション。日焼け止め塗っても結構焼けてるよね。これ、風呂上がりにたっぷり塗ったらいいと思うよ」
綾辻さんの受け売りだけどと笑う真琴を見ているうちに、貴央の頬はジワジワと赤くなっていった。
(俺のことも、ちゃんと・・・・・)
真琴の頭の中には父だけでなく、ちゃんと息子の自分も存在している。嬉しいと素直に思えた貴央は、小さな声でありがとうと礼
を言った。
自室でパソコンを開いていた優希(ゆうき)は、じっとその画面に見入っていた。
そこにはデジカメのメモリーから抜き出した写真の画像が並んでいる。
「・・・・・」
それこそ、赤ん坊の頃から一緒に育ってきた貴央とのツーショット写真は多くて、笑ったり、泣いたり、怒ったりと、自分でも驚く
ほど感情豊かな表情で映っていた。
「・・・・・これ、去年のだ」
ふと目に止まった写真は、去年の花火大会に行った時のものだ。
浴衣を着て、しっかりと手を繋いでいる。中学生の貴央は恥ずかしかったかもしれないが、優希はその手を離したくなかった。
「・・・・・ヨーヨー・・・・・」
お互いの手に1つずつ持っているヨーヨー。
貴央は青いヨーヨーを釣り上げることが出来たのに、優希は出来なくて露店のおじさんがはいと赤いヨーヨーをくれた。優希の容
姿からその色を選んだのかもしれないが、そんなにも女の子っぽいのかと悔しくて泣いていると、
「ユウ、俺のと交換しよう」
「た、たかちゃ・・・・・」
「青色、好きだろう?」
貰った青色のヨーヨーは、空気が抜けて萎んだ後も、しばらくは大切にとってあった。
優しくて、カッコいい貴央。小さな頃から友達よりも優希を優先してくれていたのに、高校生になった途端以前よりも疎遠になって
しまった。
中等部と高等部の違いはあっても同じ学校に通うことが出来たのに、貴央はドンドン1人で大人になっていく。優希は自分だけ
が取り残されたような気がしてとても寂しかった。
「ユウも行くか?」
「・・・・・行かない」
今日、多分貴央は友達と海に行ったはずだ。
自分がいなくても、きっと楽しい時間を過ごしただろう。こんなふうにいじけた気持ちになるくらいなら一緒に行けば良かったと思う
のに、どうしても行くと言えなかった。
トントン
その時、部屋のドアがノックされる。
「優希、入ってもいいか」
「う、うん」
慌ててパソコンの電源を落とすと同時に、部屋の中には母が入ってきた。
「今日はずっと家にいたようだけど・・・・・身体の具合でも悪いのか?」
「へ、平気だよ?」
「優希・・・・・」
「あ、暑かったから出たくなかっただけ!本当に大丈夫だから!」
優希は今の自分の顔を見られたくなくて顔を逸らしたが、しばらくしてそっと頭に手が置かれるのがわかった。あまり好きではな
い柔らかな猫っ毛を、母が優しく撫でてくれる。
普段は父以上に厳しい母だが、こんな時は言葉以上に静かで大きな愛情を与えてくれた。
「なにかあったら、直ぐに言いなさい。私は何時だってお前の味方だから」
「・・・・・うん・・・・・」
(でも・・・・・こんな僕の気持ち知ったら・・・・・呆れ、ない?)
置いていかれるのは寂しい。
何時だって、一番に自分を見て欲しい。
貴央が誰よりも大切に思っている人よりも・・・・・そう、望むのはやはりおかしいのだ。
(マコさんのことだって、僕、大好きだもん・・・・・)
母が去ってしばらくして、優希はようやく部屋から出た。
「あ」
すると、ドアの直ぐ横の壁に背もたれるようにしてしゃがみ込んでいる父の姿を見付ける。
「ユウ」
「あ・・・・・僕・・・・・」
誰よりも母のことを大切に思っている父。その母に悲しい顔をさせてしまった自分を叱りに来たのかもしれないと思い、優希は反
射的にギュッと目を閉じてしまった。
「な〜に泣きそうな顔してるの。ユウは笑顔が一番ラブリーなのに」
「・・・・・パパ」
恐々目を開いて視線を向けると、父は何時ものように笑いながら自分を見下ろしている。
「ただし、克己の次にね」
相変わらず母が一番の言葉に、優希は泣きそうに笑った。本当に、気持ちが良いくらい母にベタ惚れの父の言葉は、聞くたびに
呆れるのになぜだか嬉しくなる。自分の両親が男同士という特殊な関係だというのに、幼い頃からこんなふうに父が母への愛情
を隠さないので、優希は自分が愛されていなかったとは思ったことがない。
「・・・・・ねえ、パパ」
「ん?なに?」
「僕・・・・・欲張りなのかな」
何よりも、誰よりも貴央の傍にいたいと思うのは、独りよがりな子供の我が儘なのか。
「いいじゃない、それでも」
「え?」
自分に甘い父もきっと諌めるだろうと思ったのに、その反応は思い掛けないものだった。
優希が大きな丸い目で父を見つめると、父はにっこりと笑って頭を撫でてくれる。母と同じ、優しい仕草。でも、くしゃくしゃと、時
折乱暴にかき撫でるのが嫌だ。
「本当に欲しいものは手を伸ばさないと自分のものにならないわよ」
「手を、伸ばさないと?」
「だから、私は克己を手に入れた。ユウは私の子だもの、しつこさは親譲りよ、きっと」
「・・・・・」
(手を、伸ばさないと・・・・・)
じっと、相手から来てくれるのを待っていても、事態は少しも動かない。本当に望むのなら、自分が一歩踏み出さなければと、
父はそう言っているのだと思った。
今回の海水浴も、意地を張らずについていけばよかったのだ。貴央の友人が一緒でも、きっと貴央は自分のことを1人にはしな
かったと思う。
「ユウ?」
「電話、する」
今出てきた部屋の中に急いで戻った優希は、机の上に置いていた携帯を手に取る。しばらくじっと見つめていたが、やがて思い
切って短縮番号を押した。
『たかちゃん?』
携帯に掛かってきた優希からの電話。ちょうど自分も電話をしようとしていたのでタイミングが良いと思わず笑ってしまった。
その笑みをどう取ったのか、途端に不安そうに揺れる声に、優希の性格をわかっている貴央は直ぐに言葉を継いだ。
「俺も今ユウに電話しようとしたからびっくりしたんだ」
『たかちゃんも?』
「今日のお土産。ストラップ買ったんだ、イルカの奴。早くそれを渡したいなって思って」
最初は浜辺の貝殻をと思ったが、優希も中学生になったのでもう少しちゃんとした土産が良いかと考え直したのだ。
海の家で偶然に見付けたが、クリクリとした目が優希に似てるなと思って直ぐに買った。
『あ、あのね、僕もたかちゃんに会いたいって思ってて』
「うん」
『来週の花火大会・・・・・一緒に、行かない?』
優希の言う花火大会は直ぐに頭に思い浮かんだ。しかし・・・・・。
「あ、でも、丹波たちにも誘われてて・・・・・」
『あ、あの人たちも一緒でいいからっ』
「ユウ?」
(珍しい、ユウからそんなこと言うなんて・・・・・)
貴央の友人たちを苦手にしている(からかわれるのが嫌なようだが)優希が、引くのではなく自らついて行くと言いだすのはとても
珍しい。いったいどんな心境の変化があったのだろうかと思ったが、もちろん駄目ではなかった。
「じゃあ、一緒に行こう」
『うん』
「また、去年みたいにヨーヨー釣りもしようか」
『うん!』
大きく頷く姿が想像出来るような声に、貴央は早速明日、土産を渡しに家に行くからと約束をした。
一週間後の花火大会で会うことになったが、あれを渡した時の優希の顔は自分だけが見たいと思ったのだ。
『じゃあ、明日昼から行くから』
「うん、待ってる」
電話を切った優希は、自分の顔がヘラヘラと笑み崩れているだろうと思った。しかし、貴央がお土産を買ってくれ、花火大会の
前にわざわざ届けてくれると言ってくれたことが嬉しくてたまらなかった。
そして、去年のあのヨーヨーのことも、ちゃんと覚えていてくれたのだ。自分が貴央にとって特別な存在であることを自慢に思っ
てもいいだろうか。
「明日、たかちゃん来るんだ」
(イルカって、どんなのだろう)
友達と一緒に楽しんでいる時、貴央が優希のことを思い出してくれた証。それがたとえ貝殻一つでも、優希にとっての大切な
宝物になりそうなのに、ちゃんとストラップを買ってくれた。
「パパの言った通り・・・・・」
父が言ったように、こちらから一歩踏み出せば、相手もきちんと向き合ってくれる。そんな単純なことが嬉しくて、優希は今日1
日ずっと落ち込んでいたことも忘れてしまいそうだ。
(あ・・・・・っ)
早く、自分が笑っている姿を母に見せたい・・・・・唐突にそう思った。
きっと、先程の会話だけでなく、今日1日の行動を見てずっと心配をしてくれていたに違いない。
貴央が真琴を大切に思うように、優希も母のことが大切だし、大好きだ。早く安心させてやりたくて、優希は携帯を机に置き直
すと母が待つリビングへと急いで足を向けた。
end
貴央&優希。
夏休みの一コマ。相変わらずゆうちゃんはウジウジしております。