緒方&篤史編





 東京23区のとある町の交番にいる、町のお巡りさんの関谷篤史(せきや あつし)。
まだまだ新人に毛が生えたくらいの勤務期間であったが、何時も一生懸命で明るい篤史を町の人々も受け入れてくれ
て、篤史はその期待に応えようとますます使命感に燃えて勤務についていた。
 「う〜、寒い」
 そして、今も自転車で夜のパトロールをしている最中だ。
深夜といえる時間、こうして篤史が住宅地を回っているのは・・・・・。

 「下着泥棒、ですか?」
 「そうなの!娘のと私のものが昨日!もう2回目なのよっ?」
 篤史が任務に就いた早々、交番にやってきたのは1人の中年女性だ。来るなり凄い勢いでまくし立てられて面喰って
いた篤史だったが、その要件を聞いてようやく思い当った。
 最近、この界隈では下着泥棒が多く、篤史が聴取を取っただけでも3件ほどあった。今目の前にいる中年の女性の話
は聞いていないが、調べると10日前に先輩が調書を取っている。
 「高い下着だし、何より気味悪いし!最近は用心して部屋の中に干していたんだけど、ここ数日雨が続いたでしょ?
少しだけって思って外に出したら、その隙に・・・・・」
 「2回目なんですか・・・・・」
 「早く捕まえてくれないと安心出来ないわ」
 「はいっ、絶対に捕まえます!」

 軽犯罪だと思われがちだが、下着泥棒から今度は生身の女性へと、犯行がエスカレートすることはよくある。今のうち
に絶対に捕まえなければならないと、篤史は深夜のパトロールをかって出たのだ。
 「0時20分か・・・・・」
 さすがにこの時間になると、住宅地には人影は無い。
(下着泥棒はこの時間と・・・・・確か、早朝が多かったんだっけ)
今日は徹夜も覚悟するかと思った時だった。
 「ドロボー!!」
 「!」
 静まり返った空気に、甲高い女の声が響いた。
篤史は直ぐに自転車の向きを変えて向かうと、100メートルほど先の家の玄関先に人影が見えた。
 「どうしたんですかっ?」
 「あっ、お巡りさんっ、泥棒!下着ドロボーが!」
 「どっちですかっ?」
 「右に、自転車で!」
 「分かりました!」
 この短いやり取りの間でも、周りの家の明かりがつき始めた。危ないから絶対に出ないようにと叫びたいが、こんな深
夜にそれも出来なくて、篤史は自分が捕まえればいいのだと急いで自転車をこいだ。



 こんな深夜に自転車に乗っている人間は目立つ。
それに、悲鳴を聞いてすぐに追い掛けたので見逃す可能性は少ないと思った通り、篤史はほどなく面前を走る自転車を
見つけた。
 相手はまさか警官がこんなに近くにいるとは思っていなかったらしく、悠然と自転車を走らせている。
 「・・・・・っ」
(逃がすか!)
さらにスピードを上げた篤史の気配に気付いたのか、犯人がパッと振り向いた。その差は10メートルも無く、逃げ切るこ
とは無理だと思ったのか、犯人はいきなり自転車を止めると、なんと篤史に向かって体当たりをしてきた。
 「うわっ!」
 大きな音がして自転車が倒れ、その下敷きになってしまった篤史は痛みに顔を歪める。
追い打ちを掛けるように、犯人は倒れた篤史の上に馬乗りになり、拳を振り上げる姿を見た瞬間、篤史は思わず目を
閉じた。



 ガッ

 「う・・・・・っ」
 肉のぶつかる鈍い音と共に呻き声を上げたのは篤史・・・・・ではなかった。
 「・・・・・」
(え?)
 「お前、よくこの可愛い顔を殴れるなあ」
 「お・・・・・緒方、警部?」

 緒方竜司(おがた りゅうじ)・・・・・出会いが最悪なセクハラ男の正体は、警視庁の警部だった。
見掛けは上等のいい男だが、性格はかなり問題があり、なおかつ、自分のことを欲しいと言っているのだから始末に負え
ないのだが、男が警察官としては優秀な(ある意味問題児らしい)人間だということはもう知っている。

 何時仕事をしているのか、暇があると篤史のいる交番にやってきて、ひとしきり自分をからかって帰っていたが・・・・・ま
さか、こんなにタイミング良く現れてくれるとは思わなかった。
 「ぐうっ」
 地面に倒れた犯人を遠慮なく足蹴にしながら、緒方は茫然と見上げる篤史に向かい、ふっと眼を細めて笑った。
 「調書が溜まって、帰りが遅くなってな。お前の勤務時間を思いだしているかなと交番を覗いたら、お前がパトロールに
出たって聞いて・・・・・タイミングばっちりだったな」
 「は・・・・・あ」
 「どうした?」
 「・・・・・」
 「しっかりしろ、篤史。こいつを捕まえて調書を取るまでがお前の仕事だろ」



 珍しく1日机に向かっていた緒方は、何だか無性に篤史の顔を見たいと思ってしまった。
この自分に向かって生真面目に説教をしてくれるなど、篤史くらいしかいない。そして、その小言を聞くことが楽しいなど、
まるでマゾだと言われるかもしれないが、それもまた面白いとしか緒方は思わなかった。
 交番に行くと、目当ての篤史はおらず、同僚という男に下着泥棒の話を聞いた。
もてない男の馬鹿馬鹿しい犯罪だと思ったが、緒方は気が向いて篤史の姿を捜そうと思い、そのまま町に出て篤史のパ
トロールの道順(調べ済み)を追って・・・・・そして、本当にタイミング良く、あの場面に行き当たったのだ。
 「本当に、ありがとうございました」
本署の人間が犯人を連れて行った後、篤史は緒方に向かって深く頭を下げてきた。
 「どうした、浮かない顔して」
 手錠は篤史が掛けたことにして、緒方は自分の名前を出さないようにと言ったのだが、どうやら真面目な篤史は譲られ
た手柄をあまり良くは思っていないらしい。
(それとも、借りを作ったって思ったのか?)
 緒方は考えた。
自分にとってはたいして気にならないことでも、篤史にとってそうでないのならば、何らかの取引をしてやった方がいいの
ではないかと思った。
 「篤史、御褒美くれ」
 「え?」
 「お前に協力した御褒美。まあ、セックスは無理だろうから、キスで許してやる」



 「セッ・・・・・?」
(こ、この人、何考えてるんだっ?)
 下着泥棒を実際に捕まえたのは緒方なのに、手錠をかけたのは自分だった。それが篤史の中では割り切ることが出来
なかったのだが、どうやら不真面目な男はそれさえも自分をからかうネタにしようとしている。
いや、もしかしたらそれは、篤史のことを考えて言ってくれているのかもしれないが・・・・・。
(例えが最悪なんだよな)
 「篤史」
 楽しそうに笑っている緒方は、自分がキスなどするとは思っておらず、ただ困っている顔を見て楽しんでいるのだろう。
この苛めっ子への答えはただ一つだ。
 「・・・・・っ」
 「・・・・・」
 「今回だけですからね、こんなこと」
 触れるだけのキスも、篤史にとってはかなり思い切った行動だ。
目の端で緒方が驚いたような表情が見えるが、そのことを嬉しいと思うよりも、次は絶対に自分だけの力で犯人を逮捕
してみせると、篤史は今まで以上に使命感に燃えていた。





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