「あっちゃん、パトロール?」
公園で遊んだ帰りなのか、腕にサッカーボールを持った少年にまるで友達のように声を掛けられた篤史は、こいでいた自転車
を止めて笑いながら答えた。
「ああ、日も暮れたし、お前らも早く帰れよっ」
「うん!バイバイ!」
「おー」
関谷篤史(せきや あつし)は、去年の春にこの街の交番に勤務するようになった、まだまだ新米の警察官だ。
もちろん、『地域のお巡りさん』という任務も重要だとは思っているが、いずれは凶悪犯を追いかける刑事になりたいと日夜張り
切って勤務している。
篤史の勤務するこの交番は、都内とはいえ古くからの下町の中にあって、近所の人は世間話をしに交番に寄ることもあるくら
いで、とても重大な事件が起こるとは言いがたいが・・・・・。
「・・・・・?」
公園の前を通り掛った時だった。
篤史はトイレの傍に立っている男を見て足を止めた。
(見掛けないな・・・・・)
この辺りの人間でないことは一目で分かった。
ドクンッと、篤史の胸は大きく鼓動を打ち、唾を飲み込む音が耳に響くような感じがする。
「・・・・・」
篤史はそっと自転車から降りると、腰の警棒に手をやった。
相手は175センチほどある篤史よりも背が高く、はだけた胸元のシャツから覗く胸板も厚いようだ。
(サングラスにチェーンネックレスなんて・・・・・怪し過ぎる)
住宅地には似合わない、チンピラ風の男。しかし、その雰囲気はただのチンピラにも思えない。
篤史は一回深呼吸すると、職務質問をする為に男に近付いた。
「・・・・・」
「・・・・・っ」
(気付いた?)
男は篤史が側に寄るより先にこちらを振り向いた。
ただ、サングラスをしているので警官姿の篤史にどんな表情をしているのかどうかは分からない。
「そ、そこで何をしているんですか」
(くそっ、動揺してる・・・・・っ)
こんな状況が初めての篤史は自分が思っている以上に緊張していたようだった。口から出た声がみっともなく裏返ったことに動
揺するが、相手の男も思わずといったようにふき出している。
恥ずかしくて、篤史は誤魔化すようにすごんだ。
「こんな公園で何をしているのか教えてもらいたいんだが、何か身分を証明するものは?」
「ない」
堂々と言い放った男の声は低くよく響く大人の男の声で、篤史は自分よりも堂々としているその不審者に迫力負けしないよう
にと、童顔といわれる顔に精一杯の威嚇を込めて言った。
「ちょっと、交番まで来てください」
「・・・・・今は無理だな」
「え?」
「仕事中」
「し、仕事中って、あのなあっ、公園でこんな格好で、何してるんだって言うんだよ!」
「・・・・・黙秘」
「!」
「黙秘権ってあるだろ」
「・・・・・っ」
(確かにそうだけど!)
こんな怪しい男に権利と言われても、はいそうですかと直ぐ解放出来るはずがない。
(え、えっと、こういう時は先ず本部に連絡して・・・・・いや、人を頼ってばっかじゃ駄目だろ、俺!)
手柄をたてたいわけではないが、こんないかにも怪しい男を何時までも野放しにしておけるはずがない。
「・・・・・」
篤史は、いざとなったら足でも引っ掛けて公務執行妨害とでも言ってやろうと、少しずつだが男との間合いをつめていった。
そんな篤史の行動に、男の口元には僅かな笑みが浮かんだような気がするが、それでもすみませんの一言も言う気が無いらし
い。
「・・・・・」
「・・・・・」
「い、言うことをききなさい」
「あのな、今俺は・・・・・っ」
不意に、男の気配が変わった。
今までののんびりとした空気からいきなり、張り詰めたような緊張感に包まれたような感じだ。
(な、なんだ?)
「・・・・・誤魔化す時間はないか」
「え?」
そう呟いたかと思うと、男はいきなり篤史が被っていた帽子を取り、自分の着ていたジャケットを脱いで制服の上からはおらせ
ると、
「お・・・・・!」
その行動に篤史が怪訝そうに何かを聞こうと開き掛けた口をそのままキスで塞いでしまった。
「!!」
(な、なんだ、これっ?お、おれ、仕事中!!)
たった今まで職務質問をしていた自分がその相手に、しかも自分よりも大柄な相手にキスをされているなど、頭が混乱して認
めたくはなかった。
しかし、唇を合わせるだけではなく舌まで入れてきた濃厚なキスに、篤史はますますパニックになる。
「んんー!!」
抱きしめる男の胸を押し返そうにも、その厚い胸板はビクともせず、ますます拘束を強めているような気がした。
「・・・・・!!」
「・・・・・」
「何だ、オカマのラブシーンか」
「・・・・・っ」
(だ、誰かに見られた!)
呆れたような何者かの声が自分の背中を通り過ぎたことを知って篤史は抵抗を止めた。
どんなに無理矢理だと声を大にして言っても、警官が職務中にキスをしていたという事実は覆されない。いや、偶然なのかわざ
となのか、男が帽子を取って上着を着せ掛けていたせいか、通り過ぎた相手は篤史が警官だとは気付かなかったようだった。
(た、助かった・・・・・)
とにかく、この体勢をどうにかしなければ・・・・・そう思って今度こそと篤史が腕を振り上げる前に、唐突に男は篤史の身体を
解放した。
「お、お前・・・・・!」
「ご馳走さん」
「ごっ?」
「その反応、今時女子高生でもしないんじゃないか?」
「!お前っ、まさか、援助交際をしているのか!」
「・・・・・例えばだ。えらく生真面目なお巡りさんだな」
そう言って笑った男の声には馬鹿にしたような響きは無く、かえって篤史は怒りのやり場をどうしていいのか困ってしまった。
これで篤史が女ならば、強制猥褻で男を緊急逮捕出来たし、まだ幼い子供だとしても淫行罪という罰則もある。
しかし、篤史はもう子供とは言えない歳だし、男だし、何より警察官だ。
市民の安全を守るべき警察官の自分が怪しい男相手にキスされたのだと、どうして報告書に書けるだろうか。
「い、今の俺に対しての行為は不問にするけど、お前が怪しいということには変わりない。とにかく一緒に交番に来てもらおう」
「それは、残念」
「なにっ?」
「俺も職務中」
「・・・・・はあ?」
怪訝そうな篤史の面前に、男がジーパンのポケットから取り出したものを差し出した。
それは篤史にとっては見慣れたもので・・・・・いや、同様のものを・・・・・持ってる。
「警視庁・・・・・警部?」
「緒方竜司(おがた りゅうじ)だ。悪いが俺もヤマを追ってる最中でな」
笑いながらそう言った緒方は、呆然と自分の顔を見つめている篤史の胸ポケットから勝手に警察手帳を取り出して見た。
「巡査の、関谷篤史か。よし、覚えた」
そう言うと手帳を再びポケットに戻し、緒方は固まったままの篤史の唇にもう一度キスした。
「・・・・・なっ」
「とりあえず、今日は急ぐから、またな」
何時の間にか2人の直ぐ側には車が停まっていた。それが覆面パトカーだと、篤史はまだ分からない。
「急いで!緒方さん!」
「分かてるって。じゃあな、篤史」
まるで嵐のように立ち去った男を、篤史はなすすべも無く見送ることしか出来なかった。
−一週間後ー
篤史は交番の中で新聞を広げていた。
そこにはつい数日前に暴力団の麻薬取り引きが摘発されたことが書いてあり、その取り引き場所の一つとして篤史の交番の管
轄内・・・・・あの公園の直ぐ側の民家の名も上がっていた。
(麻薬取り引きか・・・・・)
まさかあの平和な公園の直ぐ側の家で、そんな恐ろしいことがあったとはとても想像出来ない。
とにかく、子供達に何も無かったことだけが救いだと思った。
(・・・・・俺は災難だったけど・・・・・)
あの日出会った派手な男。見せられた警察手帳は偽物ではないと思うが、なぜあそこで自分にキスしたのかは今もって謎だっ
た。
しかし、篤史にとっては相手に全然敵わなかった迫力の差とか、結局何も出来ずに立ち去るまで見送ってしまった情けなさとか
は消してしまいたいもので、なぜとかどうしてとかは考えないようにすることにした。
ただ、男が篤史の身体に掛けたジャケットは当然のごとく煙のようには消えてくれなく、勝手に処分することも出来ない真面目
な篤史はそれを拾得物として保管することにした。
「パトロール行ってくるぞ」
「あ、いってらっしゃい」
先輩巡査長を見送った篤史は、気分を切り替えて書類の整理を始める。
すると、しばらくして帳面の上に影が落ちた。
「どうしました?」
道でも聞かれるのかと何気なく顔を上げた篤史は、そこにあの日の男・・・・・自分の唇を奪って立ち去った男の姿を見た。
「あ、あんた!」
「取調べを受けに来た」
笑みを含んだ男の声は、あの日に聞いたものに間違いはない。
たた、その服装はネクタイはしていないが上等そうなスーツで、サングラスも掛けてはいなかった。
(お・・・・・男前じゃんか〜)
声に似合った端正な・・・・・しかしどこか危険な香りがするような色気を持った容貌を間近に見て、篤史は気圧されたかのよう
に椅子を後ろにずらしてしまった。
「な、何の、、ご、用で、しょう」
「だから、あの日の職質の続き」
「職質って、は、張り込みしてたんでしょう?」
「俺が偽者だったらどうするんだ?」
「に、偽者?」
「とにかく、じっくり話したくてここまで来たんだ。そんなによそよそしくするなよ」
笑いながら、男・・・・・緒方はゆっくりと椅子に座ったままの篤史に覆いかぶさってくる。
まるで魅入られたかのようにその顔を呆然と見つめていた篤史だったが・・・・・。
「あっちゃん、おはよ!」
元気に声を掛けてきた顔馴染みの小学生の声にハッと我に返った篤史は、もう数センチで唇が触れてしまいそうなほどに近
付いていた緒方の顔をグイッと引き離した。
「わ!忘れ物!拾得物預かってますから!」
「忘れ物?」
「ジャケットです!確認して持ってってください!」
そう言うと、篤史は交番の奥に逃げるように駆け込んでいった。
「・・・・・面白い」
退屈な張り込みの最中に声を掛けてきた巡査。
もしあそこで警察と接触しているところを見られたらまずいととっさにキスをしてしまったが、男相手に緊急とはいえそんな行動を
取ってしまったのは、篤史が緒方の好みのタイプだったからだろう。
猫のように丸くつり上がった目元も、微笑ましい正義感も、鼻っ柱の強さも、何もかも自分にとっては好ましい。
「さてと・・・・どうやって口説くかな」
かなり手ごたえはありそうだが、それもまた楽しいだろう。
交番内では逃げることなど出来ないはずだ。
緒方は笑いながら、篤史がどんな表情で現われるのかを楽しみに待っていた。
end
やくざに間違われたマル暴の刑事×ご近所に人気の可愛いお巡りさん。 リクエスト回答第10弾です。
ヤクザみたいな刑事って、文章で表現するのって難しい・・・・・(泣)。