町の交番には様々な人が来る。
道を訊ねる者も、落し物を拾った者も、世間話をしに来る者達もいる。
その上、その地域の警察署から事件を知らせる連絡もあり、その場合は自転車を飛ばして現場に駆け付けるのも大切な仕事
の一つだった。
関谷篤史(せきや あつし)は、この交番に来てからまだ大きな事件にはあったことが無い。
それはとてもいいことなのだろうが、町を守るんだと張り切っていた篤史にとっては少しだけ物足りないというのも確かだった。
それでも、毎朝通学する学生達から掛けられる、
「おはよー、あっちゃん!」
「あっちゃん、元気ー?」
と、いう言葉が嬉しいし、サラリーマンやOLからの、
「何時もご苦労様」
「頑張って下さいね」
激励の言葉も心に沁みて、大きな事件が無くてもこの町が平和ならいいかと考えていた。
それは、自分のごく身近な所で、とても平和だと言い切れない人物達がウロウロしていることもある。
警視庁の警部なのに、性格もいいかげんでドスケベで、でも顔だけはやたらにいい男で、身長も体格も、篤史が欲しいと思って
いるものを十二分に兼ね備えている緒方竜司(おがた りゅうじ)と。
緒方に負けないくらいの長身に、短かく刈った黒髪に鋭い視線。見た目は硬派なのに、緒方とは類友であるフリージャーナリ
ストの本郷真紀(ほんごう まさき)。
ノーブルな容貌に、優しい眼差し。知的で穏やかな風体なのに、どうしてか、可愛い男の子が好きらしい近所の歯科医、深町
駿介(ふかまち しゅんすけ)。
それぞれが本当にいい男達なのに、どこかが壊れているとしか思えない男達。
ごく普通の男である自分に、それぞれが求愛しているなんて、毎日眠るたびに忘れてしまいたい事実だ。しかし、現実はそう簡
単に現状を変えてはくれない。
仕方ない。
今の篤史はそんな諦めの思いを抱き、とにかく彼らに引きづり込まれないようにしようと強く心に決めていた。
「あの」
ある日、篤史が交番にいると1人の女性が訪ねてきた。
「は・・・・・い」
(綺麗な人だなあ)
振り向いた篤史は思わず語尾が震えるのを辛うじて我慢した。
目の前にいたのは二十代半ばぐらいの綺麗な女性だった。艶やかな黒髪を綺麗に上にまとめ上げ、パンツスーツを颯爽と着こ
なしている。
きっと、どこかの企業に努めているのだろうが、普通の事務職というよりは本人にキャリアがあるように見えた。
「道を聞きたいんですけど」
「あ、はい、どこでしょうか」
彼女の言った会社は、住宅地の中のデザイン会社だった。少し分かりにくいかもしれないと、篤史は机に置いていた制帽を手
に取りながら立ち上がる。
「案内しましょう」
「え、あ、でも」
「それが私達の仕事ですから」
入口に不在の札を下げ、自転車を引く。
「行きましょうか」
「すみません」
頭を下げてから顔を上げた女性の笑顔はやはり綺麗で、篤史は自分の顔が真っ赤になったような気がした。
歩いて30分ほどのその場所まで送ると、大袈裟に感謝してくれた女性は名刺をくれようとした。
こんな風に親切にしてくれた警察官の名前をぜひ知りたいとも言われたが、篤史は任務ですからと告げてその場を辞した。
パトロールから同僚が戻ってくる前に、自分も早く交番に戻らなけらばと思い、自転車に乗って急ぐ。
時刻は午後2時過ぎ。まだ小学生が帰るのには少し早い時間だが、お年寄りの事故も多いので注意しながら走っていると、
「あ」
通り掛かった公園の中から揉めるような声がした。
「・・・・・っ!」
急いで自転車を止めて中に走って行くと、そこには制服姿の少女と中年の男が揉み合っていた。
どう見ても親子ではない2人に、篤史は腰の警棒に手を掛けながら近づいて行く。
「どうしました」
「!」
「け、警察っ?」
篤史の制服を見ただけで男は怯み、両手を上げて愛想笑いをしながらいいわけを始めた。
「あ、いや、こんな時間に高校生がいるなんておかしいと思いまして、その、何をしているのかなと」
「身分証明は持っていますか?」
「あ、あの」
「お巡りさん、こいつ私に3万でどうかって言ってきたのよ。援交しているように見られてるなんて最悪!」
「・・・・・っ」
その途端男は走って逃げだした。篤史もとっさに後を追おうとしたが、今ここにいる少女のケアも大切だと思い、大丈夫と言いな
がら顔を覗きこもうとしたが・・・・・。
「何、逃がしてんの」
「あ、えと」
「ダサイ」
さすがに、その言葉使いはどうかと、篤史も注意を促そうとしたが、少女は短いスカートを翻してさっさと公園から出ていく。
詳しい事情を聴くことも出来ず、なおかつ当人に心の傷(?)を負わせてしまった形になった篤史は、ただ茫然とその場に立って
いることしか出来なかった。
「ん〜?どうした」
「・・・・・さすがの緒方警部も、女子高生の気持ちなんか分かりませんよね?」
重い足取りで交番に戻ってくると、タイミングが良いというのかどうか、緒方が遊びにやってきた。
交番勤務の自分とは違い、捜査の第一線で働いている警部の緒方は絶対に忙しいと思うのだが、彼は呑気に空いている椅子
に座ると嫌味なほど長い足を組んでコーヒーと言う。
インスタントを出すと必ず眉を顰めるので、自腹で(そんなに高い物ではないが)コーヒーメーカーを買った。すると、緒方は愛だ
なとうそぶき、熱烈なキスをしてきたということは・・・・・誰にも言えない。
今日もそれでわざわざコーヒーを入れてやると、篤史は自分もその香りの良いコーヒーを飲む。すると、先程のことを思い出して
しまい、そう呟いたのだ。
「ガキの考えていることは簡単だろ」
「え?」
「ファッションに、メイクに、男に、金。他にあるか?」
「あ、あのですねえ、もう少し言い方考えて下さいよ」
「何があったんだ、言ってみろって」
こんなことを言う緒方の意見は全く参考にならないと思うが、それでもずっとモヤモヤとしていた篤史は先程の出来事を話して
しまった。
「俺・・・・・男を追いかけるべきでしたか?」
「金の受け渡しみたいな決定的な現場を押さえていないんだし、捕まえたとしても厳重注意で終わるだろ。それよりもそのガキ
の態度は気に食わないな。せっかくお前に助けてもらったというのにその態度はなんだ」
「緒方警部・・・・・」
「俺だったら礼と称してホテルに連れ込んで、身体で礼をするがな。あ、もちろんお前限定だぞ」
お前はそんな不道徳なことはするなよと言う緒方のどこに突っ込んでいいのか分からない。
それでも、少しは気分が上昇しては来た。贔屓目もあるだろうが、自分の行動が間違ってはいなかったのだと言ってもらえた気
がしたからだ。
「まあ、気にするな、そんなガキのことは」
「また危ない目に遭わないでしょうか」
「遭ったとしても自業自得」
「・・・・・」
(そんな風に割り切れないんだけど・・・・・)
栗色の髪をゆるくカールした、結構可愛い少女だった。気が強そうだったが、またどこかで喧嘩を吹っ掛けるような真似をしない
だろうかと思うと、このまま忘れてしまうことなんて出来そうにない。
「篤史」
「うわっ」
いきなり腕を引っ張られ、篤史は椅子からずり落ち、そのまま緒方の膝の上に倒れ込んでしまった。
「何をするんですかっ?」
「俺といる時は、俺のことだけを考える約束だろう?」
「は?そ、そんな約束何時・・・・・」
「俺が決めたの」
楽しそうに言いながら、緒方は顔を上げる篤史に笑い掛け、髪をクシャクシャにかき回してくる。子供扱いは止めて欲しいと暴れ
るのだが、緒方の拘束はなかなか緩むことは無かった。
翌日、篤史は何時ものように町中をパトロールしていた。
今は下校時間なので、すれ違う子供達に自転車を下りて挨拶をする。
「あっちゃん、今日ね、とび箱3段とべた!」
「凄いなっ」
「僕はね、逆上がりができたんだ!」
「お、偉いっ」
その日、学校であったことを楽しそうに話してくれる小学生達とは違い、中高生は頭を下げたり、一言声を掛けてくるだけだが、
それでもこうして挨拶をしてくれることが嬉しかった。
「あっ」
その時、篤史は昨日の少女を見掛ける。昨日は気がつかなかったが、よく見ればこの界隈では一度も見たことがない顔だった。
何をしにこの辺りにいるのだろうかそれが気になって、篤史は1人で歩いているその少女に声を掛けた。
「君」
「・・・・・あ、昨日の」
さすがに覚えてくれていたらしい。無視をされなくて良かったと、篤史の頬は安堵に緩んだ。
すると、なぜかその笑みを見た少女が眉間に皺を寄せて横を向いてしまう。
(そ、そんなに顔を見たくなかったのか・・・・・)
「何の用?」
落ち込みそうになった篤史だが、向こうからそう言われて何とか言葉を押し出した。
「君、この辺りに住んでいないよね?昨日あんな目に遭ったのにまたいるし、何か用があるのかなって思ってさ」
「それ、お巡りさんに言わなくちゃいけない?」
「そ、そんなことは無いんだけど」
「・・・・・」
「・・・・・」
(こ、この図って・・・・・)
不機嫌そうな少女と、制服を着た警官。周りから見れば、何かした少女を取り調べているようにも見られるかもしれない。何もし
ていないのにそんなのは申し訳ないと、篤史は話を切り上げることにした。この子のことは気になるが、今の段階では自分は何
も出来ない。
「ごめん、呼び止めて。じゃあ、くれぐれも気を付けて・・・・・」
「兄さんがいるの」
「・・・・・え?」
このまま篤史が立ち去ろうとしたのが分かったのか、少女はまるで引き止めるかのようにいきなりそう切り出した。
「お、お兄さん?」
「この町で歯科医をしてるの。深町って知ってる?」
「ふ、深町先生の妹さんっ?」
まさかの繋がりがそこにあった。
「あれ?篤史君いらっしゃい。虫歯?今直ぐにでも治してあげるよ。ああ、ついでに別の所も診察してあげようか?」
「隣が見えないんですか!」
深町の病院に少女・・・・・深町 栞(ふかまち しおり)を連れてくると、深町は直ぐに診察室から出てきて篤史を抱きしめた。
待合室には数人の患者がいたし、何よりも隣には深町の妹である栞がいるというのに、全く気にする様子の無い深町。抱き締め
られた篤史の方が焦って、深町の肩をバシバシと叩く。
すると、ようやく深町は篤史の少し後ろに立っていた栞の姿に気がついたらしい。
「また来たのかい?」
「いけない?」
「来ても相手が出来ないけど」
「・・・・・ふ、深町先生っ」
(俺の相手をする暇だって無いだろ〜っ)
篤史は少し緩んだ深町の腕の中から抜け出すと、焦りと恥ずかしさで赤くなったはずの頬をバシバシと叩いた。
「お巡りさん」
「なっ、何、かな?」
篤史と深町の間では日常と言える(言いたくはないが)何時ものやり取りだが、初めて見た栞にとっては兄の信じられない行動
は驚くものだったはずだ。
その深町に引きずられるようにして一緒に騒いでしまった自分をどういうふうに見たのだろうか・・・・・篤史が恐々振り向くと、なぜ
か栞の頬には笑みが浮かんでいた。
「お兄ちゃん、やっぱり悪い癖が抜けて無いみたいね」
「え?」
何か、怖い言葉を聞いた気がする。
「ああ、分かった?篤史君は理想そのものの人なんだ」
「あ?」
深町は、妹に一体何を言うのか。
「まあ、分からないでもないわね、私もなんだか苛めたくなったし。無駄に正義感が強いのも、可愛い顔して手垢がついてなさそ
うに初なのもいいけど。でも、あんまり大っぴらにすると患者がいなくなっちゃうわよ」
そう言った栞は、今度こそ篤史ににっこりと笑い掛けた。
どうやら栞は、兄である深町の妙な趣味を知っているらしい。
女よりも男。それも、可愛い少年が好きな兄が何時犯罪を犯すか心配していたようだ。
「あなたに会った時、な〜んか怪しいと思ったのよねえ」
兄のタイプど真ん中だと思ったが、もしも違うのならば近づけさせない方がいいかもしれないと心配もしてくれたと言われた篤史は
口を開けているしかない。
「き、君、嫌じゃないのか?お兄さんが男に、その」
「変な女に取られるよりまし」
「あ、あのねえ」
「それに、お巡りさんって面白いし」
女子高校生に面白いと言われ、篤史は深い溜め息をつきながらその場にしゃがみ込もうとしたが、その身体をしっかりと深町に
抱きとめられてしまった。
「良かったねえ。栞に認められるなんて、やっぱり篤史君は僕が選んだ人だ」
「・・・・・深町先生、ナチュラルに変なこと言わないでください」
「変なことじゃないよ。妹もああ言ってくれたことだし、篤史君、やっぱり君が選ぶべきなのは僕で・・・・・」
「あるはずがないだろ、変態医者」
「!」
深町の言葉を遮ってくれた恩人は、その存在自体が爆弾である俺様警部、緒方だった。
「お、緒方警部?」
「篤史、俺がいない間に浮気する気か?」
「う、浮気って、あのっ」
「僕のことは本気だよね、篤史君」
「・・・・・」
(こ、この現状って・・・・・)
これは、絶対に悪夢だ。
第三者のいるこんな場所で、2人の男に取り合いされる警察官。周りからどんな目で見られているのか考えたくも無くて目を閉じ
れば、
「篤史、ちゃんと俺を見ろ」
と、甘い声が耳元で囁く。
こんな場所で本気で口説く声を出すなと、篤史は心の中で文句を言い続けた。
自分には篤史センサーが付いているのではないか。
今日、車に乗って現場から戻る途中、篤史の姿を見付けた緒方はそう思った。
「け、警部っ、どちらに行かれるんですかっ?」
部下の言葉をあっさりと無視して車を止めさせた緒方は、女子高校生らしき女と歩いている篤史の後をつけた。警察官という仕
事に誇りを持っている篤史が勤務中にナンパをするとは考えられず、何らかの事情で一緒にいるのだろうとは思った。
それでも、最近の高校生は結構遊んでいて、初な篤史が誘惑される危険性はある。
何時2人を引き離そうかと思っていた時に、その行く先が思いもかけない男のもとで、おまけに抑えていない声は外に筒抜けで、
緒方は思わず苦笑が零れてしまった。
(全く、変態兄の妹も変わってるな)
まさか、兄が求愛しているのが男でも構わないと言い出すとは。
「おい」
緒方はそのまま待合室に上がり込むと、唖然とした篤史を深町の腕の中から奪い取った。
「お、緒方警部?」
「深町、これは俺のだって何度も言っているだろ。お前のブラコンな妹にもそう伝えろ」
「ちょっと!あんた、お兄ちゃんの恋人に何するのよ!」
無駄に吠えてくるものの、自分の顔を見るなり色目を使ってくる女達よりはよほど良い。ブラコンな妹の好みは深町なのだろう。
「子供が口を挟むな。それに、こいつはお前の兄貴の恋人じゃない、俺のものだ」
「なっ?」
「緒方さん、篤史君はまだあなたのものじゃないですよ。僕にだって十分可能性はあるんだから、ほら、その手離して下さい」
伸びてくる深町の手から身体を避けると、緒方は篤史の顔を見下ろす。何やら疲れているらしいその顔に我が物顔に唇を寄せな
がら、緒方は態度で所有権を主張した。
end
深町先生の妹登場。彼女は腐女子ではありません(笑)。
次回は別の女難が・・・・・。