「お巡りさん、ちょっと道を聞きたいんですけど」
 「はい?」
 机に座って報告書を書いていた関谷篤史(せきや あつし)は、直ぐに顔を上げて立ち上がった。
目の前に立っていたのは初老の女性で、両手に紙袋を持っている。
 「どちらですか?」
 「4丁目の鈴川さんてお宅なんですけど」
 「4丁目の鈴川さん・・・・・」
篤史は壁に張られた地図で場所を確認した。ここからならば歩いて15分ほどだ。
 「案内しますよ、あ、荷物持ちます」
 「いいえ、そんなにしていただく事は」
 「丁度パトロールに出る頃ですから。東さん、ちょっと出てきます!」
 「おお!」
篤史は奥にいた巡査長に声を掛けると、女性の荷物をさっと持ってにっこり笑った。
 「行きましょうか」



 新米警察官の篤史は、この町の交番に勤務するようになってようやく1年を越した。
当初は、念願の刑事になる為の通過点と思っていた交番勤務だが、思ったよりも激務で、そして街の人々との関係も深く、
篤史は町のお巡りさんというのも大事な存在なのだと思うようになった。

 そんな篤史が、2週間ほど前に、偶然とはいえヤクザの麻薬密売の取り引き事件に巻き込まれた。
いや、巻き込まれたと言っても、篤史が関わったのはそれを取り締まる側の刑事とで、刑事にあるまじき軟派で強引なその男に
不覚にも唇を奪われてしまうということがあったが、そんな不名誉なことは早く忘れてしまおうと、篤史はふとした時に思い出して
しまう相手の唇の感触を頭を振って追い出していた。



 「ありがとうございました」
 「いいえ」
 何度も何度も頭を下げられて返って恐縮した篤史は、道を教えるだけでよかったのかもと少し考えながら自転車に跨ろうとし
た。
その時、不意に無線が入った。
 「はい、関谷です」
 『東だ。本署からうちの管轄内で発砲事件があったと連絡があった。抗争絡みのようだが直ぐに応援に行ってくれ』
 「了解!」
(こんな街中で発砲するなんて!)
怪我人がいないことを願いながら、篤史は急いで現場へと急行した。



 「規制線を張るから整理を頼む」
 「はいっ」
 篤史が駆けつけた時には既に犯人は逃走した後だったが、鑑識が色々調べる為に野次馬や報道陣を整理しなければなら
ない。
巡査である篤史もそちらの応援に回され、黄色いテープの向こうに人々を誘導した。
 「下がってください!」
 警察官の制服を着て言う篤史の言葉にはほとんどの者が従うが、中には強引に身体を割り込ませて中を覗こうとする者もい
る。
それは多くが、知る権利を主張するマスコミだった。
 「ちょっと、もう1枚だけ写真撮らせてくれよ」
今回の発砲では数人が撃たれて、アスファルトにも建物の玄関先にも大量の血痕の跡がある。
鑑識作業が済めば洗い流されるであろうそれを今のうちに撮りたいのだろうが、篤史はそんな人の不幸をカメラに収めたいという
気持ちが理解出来なかった。
自然と眉を顰め、口元をムッと引き結んで、篤史はきっぱりと言い切った。
 「出来ません」
 「ちょっとぐらいいいだろ?」
 「出来ません」
 「融通利かないのか、お巡りさん」
 「出来ないって言ってるだろ!」
 思わず言い返した篤史に、カメラマンはようやくその顔に視線を向けた。
 「・・・・・なんだ、まだ子供か」
 「・・・・・っ」
(なんだっ、こいつ!)
わざと篤史を怒らせようとしているのか、それとも本当にそう思っての言葉なのかは分からないが、普段から童顔を気にしている
篤史にとっては気持ちのいい言葉ではなかった。
 「・・・・・っ」
 睨むようにして見上げた男は、首から一眼レフのカメラを提げて上から篤史を見下ろしている。
そう、身長差からして見下ろすと言う言葉が一番合っていた。
(・・・・・何食ったらこんなに大きくなれるんだ?)
目線を上げなければならないほどの長身。短かく刈った黒髪に鋭い視線。
ラフなシャツに、ジーパンという格好に、肩には重そうな鞄を提げていた。
 「ん?どうした、お巡りさん。俺に見惚れてるのか?」
 「・・・・・!」
(そうだ!あいつに似てるんだ!)
 「だからこんなにムカツクのか・・・・・」
 篤史の唇を強引に奪ったあの強制猥褻犯・・・・・その正体は警視庁の警部という信じられない男、緒方竜司(おがた りゅう
じ)。
目の前の男はその緒方に雰囲気が似ているのだ。
緒方が見た目軟派なホスト男なら、目の前のこの男は硬派なむっつりスケベか。
(うわっ、どっちも最悪・・・・・)
 「絶対に関わりあいたくない・・・・・」
 「おいって」
 ブツブツと呟く篤史を不審に思ったのか、男は少し身を屈めてその顔を覗き込もうとする。
その瞬間、
 「うわっ」
 「・・・・・」
いきなり、篤史は背後から首に腕を回されて、後ろに引き倒されそうになってしまった。しかし、その背は何かに当たって地面に
倒れることは無かったが。
 「なっ・・・・・にを!」
暴漢かと身構えた篤史の頭上から、低くエッチくさい声が振ってきた。
 「人のもんに手を出そうとするなよ、本郷(ほんごう)」



(こ、この声は・・・・・)
 篤史は言葉の意味よりもその声自体に動揺してしまった。
 「なに、このお巡りさん、お前のもん?」
 「ああ」
 「・・・・・残念、面白そうだと思ったんだがな」
 「早いもん勝ちなんだよ」
 「制服プレイもし放題か・・・・・」
 「混ざるか?」
 「え?いいのか?」
 「う・・・・・」
 「まだキスしかしてないがな、感度はいいみたいだし、これからの教育次第では・・・・・」

 
「うるさーーーーーい!!」

頭上で交わされる言葉の意味はほとんど分からないが、何か怖いことを言われている気配は感じてしまった。
 「は、離してください!」
篤史は自分の首に回された手を強引に解くと後ろを振り向く。そこには案の定、忘れたくても忘れられない強烈な存在感を持
つ緒方が、唇に笑みを浮かべて立っていた。
相変わらずのフェロモン垂れ流し状態の緒方に、篤史はアワアワと視線を彷徨わせてしまう。
 「こんなとこで会えるなんて、運命を感じるな、篤史」
 「ご、誤解を生むようなことは言わないで下さい!もうっ、ここは現場なんですよっ?緒方警部は捜査に来たんじゃないんです
かっ?」
 「たまたま身体が空いてたから借り出されてな。それより、篤史、俺のことは竜司さんって呼んでいいんだぞ?」
 「誰が呼びますか!」
堂々と恥ずかしげもなく馬鹿なことを言う緒方に反論した篤史だったが・・・・・。
 「・・・・・なんだ、まだデキてないのか」
 「・・・・・!!」
(わ、忘れてた!)
 緒方の出現にカメラマンの男の存在をすっかり忘れていた篤史は、恐る恐る振り返って男を見る。
男は篤史と視線が合うと、ふっと楽しそうに笑った。
 「なんだか臆病な兎みたいで可愛いな」
 「う、兎・・・・・」
(警察官の俺を、う、兎?)
 「俺、こういうもん。覚えて」
男は強引に篤史に名刺を押し付ける。そこには有名新聞や雑誌と契約しているフリージャーナリストという肩書きと、本郷真紀
(ほんごう まさき)という名前が書かれてあった。
 「あ、あの、現場でこんなものを渡されても困りますからっ」
 今回はたまたま手伝いに借り出されたものの、本来町のお巡りさんである篤史は大きな現場に立ち会うことはほとんど無いだ
ろうし、目にする情報もたいしたものは無い。
とても記者である本郷が満足するようなものはないだろうし、そもそも捜査情報を教えることは出来なかった。
それに。
(な、なんか、関わらない方がいいみたいだし・・・・・)
緒方と通じるものを持つ本郷と、この先も関わるつもりはとても無い。
篤史は慌てて手にした名刺を本郷に差し出した。
 「申し訳ありません、これ、受け取れませんから」
 「どうして?」
 「ど、どうしてって・・・・・」
 「そりゃ、俺のもんが勝手に他の男と連絡取るわけがないだろ?おまけにお前は油断ならない」
 「お前に言われたくないな」
 刑事と記者。
しかし、それ以上に2人は深く付き合いがあるようだ。
どちらにしても篤史はチラチラと自分達の方を見る野次馬や他の警察官の視線が痛くて、早々にこの場から離れようと思った。
 「緒方警部はこの方とお友達なんですよねっ?」
 「お友達・・・・・かなあ?」
 「友達ではないな」
 「どうでもいいです!知り合いならこれ、返しておいてください!」
そう言うと、篤史は手にしていた名刺を緒方のスーツのポケットに入れると、急ぎ足で別の場所へと移動して行った。



 「・・・・・死者はいなかったんだ・・・・・」
 翌朝、交番で新聞を広げた篤史はほっと安堵して呟いた。
幾ら暴力団同士の抗争とはいえ、誰かが死ぬのはやはり胸が痛む。今回はどうやら撃たれた3人とも命には別状が無い様で、
篤史は先ずは良かったなと思った。
後は管轄の人間が捜査を進めてくれるだろう。銃を持って逃走している犯人を早く捕まえて欲しいと思った時・・・・・。
 「あっちゃん、お客さん!」
 交番の中に近所の子供が駆け込んできた。
 「交番を探してた人、連れてきた!」
 「ああ、ありがと」
篤史はにっこり笑って子供の頭を撫でた。
 「いいことしたな、賢。ほら、ご褒美」
机の上に置いてあった缶の中から飴玉を一つ、子供にやる。落し物を持ってきた時とか、こうして道案内してきた時とか、子供
達がいいことをした時は、こうしてささやかなご褒美をあげることにしているのだ。
篤史自身も昔近所のお巡りさんから、落ちていた100円玉を届けた時に飴を貰った。それがとても嬉しかったことをいまだに覚
えていた。
 「ありがと!」
 子供も嬉しそうにそう言うと、交番の外に駆け出す。
元気がいいなあと笑いながら篤史は立ち上がった。
 「おい、車に気を・・・・・うぎゃ!」
 「あっちゃん、俺も飴が欲しいな」
 「お、緒方警部・・・・・」
どうして朝っぱらからこんなとこにいるのかと言いたかったが、驚きのあまり声が出ない。
 「こ、交番を探しにって・・・・・」
 「そう言った方が、後から驚くお前の顔が見れるだろう?相変わらず可愛い顔してるな。昨日は途中で逃げられたからな、今
日はたっぷり可愛い顔を堪能するぞ」
 「な、何を言って・・・・・仕事!そう、仕事してください!この犯人逃走中でしょ!」
篤史は焦ったように今見ていた新聞を緒方に突きつけたが、緒方はそんな篤史の慌てぶりに目を細めて笑った。
 「それ、俺の担当じゃないしな」
 「だ、だって、昨日現場にっ」
 「あれは単に手伝い。だから時間はたっぷりある」
(ま・・・・・ずい・・・・・)
 「・・・・・お、俺、パトロールに・・・・・っ」
 入口に立つ緒方を大きく避けるようにジリジリと外に出ようとした篤史だったが・・・・・。
 「あ、やっぱりここか。見当つけてきた甲斐があったな、お巡りさん」
 「ひっ」
何と、外には昨日の記者、本郷が笑いながら歩いてくる。
 「なんだ、あいつも行動早いな」
固まってしまった篤史の視線の先を見た緒方は本郷の姿に苦笑しながら呟くと、そのまま篤史の耳元に唇を寄せた。
 「・・・・・っ」
 「他の男になびくなよ」
 「・・・・・嘘だろ」
前門の虎、後門の狼・・・・・そんな諺が篤史の頭の中をかけ巡っていた。





                                                                   end