(何で俺が始末書なんか書かないといけないのかなあ〜)
 朝からずっと机に拘束された状態の篤史は、溜め息が出そうなのを何とか我慢した。
 「おい、パトロール行ってくるぞ」
 「あ、はい、行ってらっしゃい!」
自分よりも遥かに年上の上司を立ち上がって見送った篤史は、自転車に乗ったその姿が見えなくなると溜め息を付きながら再
び椅子に腰を下ろした。
 「俺もパトロール行きたい〜!」



 都内某所の町の交番にいる関谷篤史(せきや あつし)は、日夜市民の手助けになるようにと日々の勤務に追われているお
巡りさんだ。
実際の日常では、テレビや映画のように派手な事件があるというわけではない。
交番勤務の篤史の仕事は、町のパトロールや、道案内など、地味なものがほとんどだった。
刑事に憧れて警察官になった篤史も、当初はそんな仕事が物足りない気分がしたものの、今では町の安全を守る大切な役
目を担っていると自負していた。



 そんなごく普通の町のお巡りさんだった篤史だが、最近は少し大きな事件に関わることもあった。
捜査をしているというところまではいかなくても、関わっているという事実が大事なのだが・・・・・それは、二ヶ月前に知り合ってし
まった、警視庁のある人物のせいだ。 
警視庁の警部というその人物は、篤史の憧れる刑事像とはまるで違う・・・・・性格もいいかげんでドスケベで、でも顔だけはや
たらにいい男で、身長も体格も、篤史が欲しいと思っているものを十二分に兼ね備えていた。
・・・・・緒方竜司(おがた りゅうじ)。どうやら男はやり方は問題だが、かなり優秀な人物らしい。
 会うなりキスもされてしまったことは今だ消せない汚点で、その上緒方の知り合いというフリージャーナリストの本郷真紀(ほんご
う まさき)にも変に気に入られて、平凡で平和なはずだった篤史の日常は途端に賑やかに、慌しく変わってしまっていた。



 今篤史が報告書を書いているのも、もとはといえば緒方のせいだ。
一昨日、夜のパトロールの最中に不審者を見つけた篤史は、そのまま男に職務質問をしていた。
初めは大人しく篤史の質問に答えていた男だったが、大きな鞄の中身を見せて欲しいと言うと途端に拒み始めてしまった。
何かある・・・・・急に篤史の胸はドキドキし始めたのだが・・・・・、

 「な〜にやってるんだ、篤史。俺に内緒で密会か?」

 いきなり、気が抜けるようなバカらしい声が掛かった。
その声は、最近すっかり聞き慣れてしまった美声だ。もちろん、その人物の見当は直ぐに付いてしまい、篤史はまだ少年の面影
を残した頬を強張らせた。
 「お、緒方警部」
 「篤史、こんな男が好みなのか?お前、趣味悪いな〜」
 「ちょ、ちょっと、緒方警部!」
 幾ら不審者とはいえ、今はまだその容疑段階の相手だ。言葉を変えれば男は一般市民で、いきなりこんな暴言を浴びせか
けてどうするというのだろう。
男も、緒方の言葉に気分を害したように目付きを悪くしたが・・・・・。
 「なんだ、文句があるのか?」
緒方は全く頓着をしなかった。
 「お前みたいな平坦で特徴の無い顔をした男と、俺みたいに超絶美形ないい男と、どっちが生きていて価値があると思う?お
い、篤史、お前はどうだ?」
 「あ、あのですねえ」
 「まさか、この男の方がいいのか?」
 「そ、それは、緒方警部の方がいい男だとは思いますけど・・・・・あっ」
 思わず漏れてしまった正直な言葉はもう口の中に戻ることなど出来ず、焦る篤史の目の前には顔を真っ赤にして怒りを抑え
ている(不審者の)男と、ニヤニヤ笑っている緒方がいた。



 結果的に言えば、男は鞄の中に結構な量の女物の下着を持っていた。そう、篤史の勘は当たっていて、男は下着泥棒だっ
たのだ。
本来は褒められてもいい現行犯逮捕だったのだが、男の口から緒方の言葉が所轄の刑事に伝えられ・・・・・なぜか今、篤史
が始末書と報告書を書いている。
今の世の中、たとえ犯罪者が相手でも人権は確立されているのだ。
 「・・・・・」
 篤史はボールペンを動かす手を止めた。
どうして自分がこの始末書を書かなければいけないのか、篤史は叫び出したい気持ちだった。もとはといえば全部緒方のせいな
のに、緒方自身は何のペナルティも追っていないのだ。
それどころか、始末書を書かなければならなくなった 篤史に対し、

 「お前、要領悪いなあ」

そう言って笑っていた。
 「くっそ〜っ」
(あのゴーマン悪徳警部めっ、どうしてやったらいいんだろ・・・・・っ)
う〜っと思わず机に突っ伏した篤史の頭上に、
 「関谷君」
不意に、柔らかな声が掛かった。
 「!あ、深町さんっ」
 「どうしたんだい?元気なさそうだけど」
 「い、いいえ、全然!」
情けないところを見られたと顔を真っ赤にした篤史は、眼鏡の向こうの優しい眼差しに照れたような笑みを向けた。



 深町駿介(ふかまち しゅんすけ)は、一ヶ月前にこの町に引っ越してきた歯科医だ。
当初、引っ越してきたばかりで道に迷っていたところを偶然篤史が声を掛けて助け、それから深町は頻繁に交番を覗いて行くよ
うになった。
朝のジョギングの途中や、昼休みの差し入れなど、細やかな気遣いをしてくれる深町に篤史が気を許すのはとても早かった。
29歳という深町は、今や篤史にとっては優しい兄のような存在だった。
 「すみません、変なとこ見られて」
 「それはいいけど、何か困ってる?僕で何か出来るんなら・・・・・」
 「あ、いいえっ、仕事のことですからっ」
 「それなら仕方ないけど・・・・・関谷君がそんな落ち込んだ顔をしていたら心配だし」
 「深町さん・・・・・」
(いい人だよなあ、深町さん。ほんと、同じ男と思えないよな・・・・・あの人とは!)
 幸いに・・・・・と、いうか、今まで深町と緒方がかち合ったことは無く、篤史の頭の中だけで2人を対決させ、何時も当然のごと
く深町が勝っていた。
 「そうだ、関谷君、今度の非番の日は何時?良かったら僕に付き合ってくれないかな」
 「え?」
 「まだ引っ越してから間が無いし、なかなか友人が出来なくて。映画とか一緒に行ってくれないかな?それとも、僕みたいなオ
ジサンとじゃ・・・・・」
 「深町さんは全然オジサンじゃないですよ!俺、喜んでお付き合いします!」
 「そう?良かった。僕はいい所に越してきたなあ、こんな可愛いお巡りさんがいるなんて」



 そして、5日後。
シャツにジーパン姿という、どう見ても高校生にしか見えない格好で、篤史は職場である交番にやってきた。
今日は非番で、深町と映画に行くことになっていたが、待ち合わせは一番分かりやすいこの交番でということにしたのだ。
実を言えば、深町は車で篤史の家まで(篤史は実家暮らし)迎えに行くと言ってくれたのだが、非番とはいえ交番のことが気に
なる仕事熱心な篤史は、一日一回交番を訪れることにしていたので、丁重にその申し入れは断わったのだ。
 「おはよーございます!」
 約束の時間よりも30分も前に交番にやってきた篤史は元気に声を掛けたが、どうやら交番の中には誰もいないようで、ドアに
はパトロール中の為不在という札が掛かっていた。
 「・・・・・どうしよ」
(深町さんが来るまで留守番してるか)
 私服のままでというのには躊躇いがあったが、まあいいかと篤史は椅子に座る。
今日は朝から天気も良く、ぼんやりと通る人波を見つめていた篤史は、何時の間にか睡魔に襲われてしまった。



(ん・・・・・な、に?)
 首筋を猫が舐めている。
くすぐったくて身を捩ろうとしたが、今度は大きな犬が腹の上に乗っているかのように重くて身動きが出来ない。
(くる・・・・・し・・・・・)
ぼんやりと、目を開けた。
まだ眠気が残っているのか、初めは霞が掛かっているような感じだったが、次第にクリアになっていく視界。
 「・・・・・え?」
 目の前に、笑っている深町の顔があった。
 「おはよう」
 「・・・・・お、おはよ・・・・・ごさ、ます?」
(俺・・・・・寝てる?)
どうやら目の前に深町の顔があるというよりも、寝ている自分の顔を深町が覗き込んでいるといった形だった。
わけが分からず視線を彷徨わせていると、天井も壁も見覚えがある・・・・・どうやらここは交番の休憩室のようだ。
 「お・・・・・れ?」
 「迎えにきたら、君が可愛い顔をして寝ていたんでね。こんなところで初めてを味わうのは勿体無い気もしたんだけど、僕も枯れ
ているわけじゃないし、可愛い君を少しでも早く味わいたくて」
 「・・・・・はぁ?」
 深町が何を言っているのか、篤史は全く分からなかった。
しかし、畳の上に寝転がったこの体勢と、
(うわ、ジ、ジーパンが・・・・・!)
なぜか、膝の辺りまでジーパンは下ろされていて、篤史はようやくまずいという気持ちになった。
 「ちょ、ちょっとっ、やめて下さい!」
 「どうして?大丈夫、最後まではしないから」
 「さ、最後までって、いったいどういうつもりなんですかっ!」
(どうしてこんなことになるんだよ〜〜〜!!)
 慌てて目の前の深町の胸を押し返そうとしたが、穏やかで痩せているといった見掛けの印象とは違い、篤史よりも遥かに体格
のいい深町の身体はビクともしなかった。
篤史はとにかく逃げようと身体を捻ってうつ伏せになったが。
 「なに?可愛いお尻が丸見えだよ」
 「ひゃあ!!」
意味深に下着の上から尻を撫でられ、篤史は裏返ってしまった悲鳴を上げた。
その時、





 「また浮気か?泣いちゃうぞ、俺」



その場に全くそぐわないほどのんびりとした、
 「篤史、助けて欲しかったら可愛く叫んでみな」
それでも十分色気のある低音の声が篤史の耳に届いた。



 「緒方警部!!」
 休憩室の入口に手を掛けたまま、楽しそうに口元を緩めて中の篤史と深町を見つめている緒方。嫌味なほどにバランスの良
い長身に纏ったスーツを少し着崩したところが更に色っぽい。
とても警察官には見えないその存在感が有り過ぎる男に、篤史は思わず叫んでしまった。
 「セクハラ警部!とっとと助けろ!!」
 「・・・・・可愛くないなあ」
 あからさまな溜め息を付きながら、それでも緒方はゆっくりと休憩室に入ってきた。
さすがに深町は篤史の身体の上からどいたが、挑戦的な目を緒方に向けることを止めてはいなかった。
 「悪いな、それ、俺のもんだから」
 「・・・・・そんな札は見ませんでしたが」
穏やかに、それでも一歩も引かないきつい口調の深町に、緒方は切れ長の目を笑みで細めた。
 「印なんか、何時だって消せるだろ。そんなもんよりも・・・・・篤史」
 「え、あ・・・・・んんぐっ」
 今だ腹這いの格好だった篤史はいきなり顎を取られ、苦しい体勢のまま唇を重ねられた。
とっさのことに閉じられない口の中に堂々と舌を差し込まれ、思う存分口腔内を犯されていく。含みきれない唾液が顎を伝い、
糸を引きながら畳の上に落ちていった。
 「・・・・・んあっ」
 かなり、長い時間だったはずだが・・・・・ようやく、艶かしく淫らな口付けから解放された篤史は、荒い息を吐きながら顔を上げ
ることも出来ない。
そんな篤史の頭上で、緒方がきっぱりと言い切った。
 「こいつの身体はもう俺に馴染んでるんだ。さっさと別の獲物を捜すんだな」





 ー翌日ー



 「全く、お前からは目が離せない。いいか、お前は俺のものだってことをちゃんと自覚してろよ」
 「・・・・・それも変ですから」
 頑なに机の上から目を離さなかった篤史も、我慢が出来なくなったように顔を上げて緒方に言った。
 「確かに助かりましたけど、あれだって別に俺のせいじゃ・・・・・っ」
 「い〜や、お前が悪い」
 「・・・・・」
理不尽な緒方の言葉だった。
確かに昔から異性にはモテず、男友達の数の方が断然多かったが、それでもこんな風に貞操の危機など感じたことは無い。
警官になって、緒方と知り合ってから急に男が回りに集まってきている感じなのだ。
 「と、とにかく、深町さんもあれで懲りたでしょうし、俺だってもう簡単に襲われるつもりもな・・・・・」

 「関谷君っ!」

 「!」
 信じられない声に、篤史は目の前に立っていた緒方の身体を無理矢理押し退ける。
そこには全く悪びれた様子のない深町が手を振りながらやってきていた。
 「ふ、深町さん、あんた、どうして・・・・・?」
 「ん?もちろん、関谷君ともっと親しくなりたいから。昨日のことで僕の気持ちも分かってもらえただろうし、なんだかこの傲慢な
人じゃ君を任せることも出来ないし」
 「なんだ、結構言うな、お前」
 「緒方警部は黙っててください!深町さん、き、昨日のことは俺も油断したとこがありますが、俺は男と付き合う気持ちはあり
ませんからっ」
 「この人と付き合ってるのに?」
 「付き合ってるじゃないか」
 「付き合ってません!」
 「嘘言うな、篤史。あんなに濃厚なキスをする関係だろ?」
 「あ、あんたが勝手にしたんだろ!」
 「応えたくせに」
 「なんだ、まだ関谷君はあんたのものじゃないみたいだ」
暢気に(篤史にはそう見える)言い合う2人に、篤史はついに爆発したように叫んだ。
 「煩い!仕事の邪魔だ!2人共退去!!」



 いったい、どういう罰なのか・・・・・篤史は泣きたくなってしまう。警官の自分が同性を怖がってどうするんだと情けなかった。
ただ、それでも手に負えない存在が緒方、本郷と続いてもう1人増えたことだけは、否定しようも無い確かなことだった。





                                                                     end