「あっちゃん、回覧板!」
「え?」
突然目の前に差し出された物に、関谷篤史(せきや あつし)は戸惑ったような眼差しを落とす。
「・・・・・これ、堺さんちに持っていくんじゃないのか?」
町内の回覧板が交番に回ってくるというのはあまり無いというか・・・・・ないと言い切ってもいい。
多分、親に頼まれて使いに出されたのであろう小学校2年生の顔見知りの少女に、篤史は身を屈めて視線を合わせながら優し
く諭した。
「お巡りさんが一緒に行こうか?」
「でも、ママがあっちゃんにって!」
「・・・・・お母さんが?」
(いったいどういうことだ?)
交番にではなく、自分にということに意味があるのかと、篤史は回覧板を開いてみた。
「町のアイドルお巡りさん・・・・・あっちゃんに聞く50の質問?」
そこには、全く予想もしていなかった文章が踊っていて、篤史は思わず目の前でじっと自分を見ている少女に向かって首を傾げて
しまった。
「町のアイドル?」
「あっちゃん、アイドルでしょ?」
関谷篤史(せきや あつし)は、この町の交番に勤務するようになった、まだまだ新米の警察官だ。
通常の交番勤務では、それほどの重要な事件というものは無いものの、篤史はその仕事に誇りを持って従事していた。
忙しく、それでいて平凡な日々を送っていた篤史の生活が一変したのは、とある事件のせいで知り合ってしまった、警視庁のあ
る人物とその周りにいる人物のせいだ。
警視庁の警部なのに、性格もいいかげんでドスケベで、でも顔だけはやたらにいい男で、身長も体格も、篤史が欲しいと思って
いるものを十二分に兼ね備えている緒方竜司(おがた りゅうじ)と。
緒方に負けないくらいの長身に、短かく刈った黒髪に鋭い視線。見た目は硬派なのに、緒方とは類友であるフリージャーナリス
トの本郷真紀(ほんごう まさき)。
ノーブルな容貌に優しい眼差し。知的で穏やかな風体なのに、どうしてか可愛い男の子が好きらしい近所の歯科医、深町駿
介(ふかまち しゅんすけ)。
揃いも揃って我が道を行くといったタイプの男達に何時の間にか振り回され、篤史は自分が望まないままに、忙しくて頭の痛い
日々を送るようになっていた。
「お、町のアイドル君」
「・・・・・止めてくださいよ」
同じ交番勤務で、3歳年上の山本昭典(やまもと あきのり)にからかわれ、篤史はうんざりした溜め息をつくと、そのまま握って
いたペンを机の上に放り投げた。
「なんだよ、市民に愛されることはいいじゃないか。俺なんて、ここに勤務してから今まで、そんなことをされたことなんて無かったん
だぞ?」
「・・・・・その方が警官としての威厳があるみたいです」
「そうか?」
「そうですよ」
目の前に広げられているA4の紙2枚にぎっしりと書かれてある質問。
それが、警察の仕事に関係あるようなことや、警官としての心構えとかだったらまだいいのだが、書いてあるものは好きな食べ物や
本、動物、休日での家での過ごし方や好きなタイプなど、まるで学校で聞かれるようなものばかりで・・・・・。
(俺は、もしかして警察官って思われていないのか?)
「でも、いきなりどうしてそんなのを書くことになったんだ?」
「どうしても敬遠しがちな警察官をもっと身近に思えるようにしようって、町内会長さんが考えたみたいですよ。・・・・・だから、もし
かしたら山本さんも次に・・・・・」
「えー、それならそれで面白そうだけどな。これを切っ掛けに彼女が出来るかも知れないし」
「・・・・・気楽ですねえ」
確かに、いくら交番勤務をしていても、警察官というだけで意味も無く怖がられたり、反対に反感を抱かれたりすることは多い。
そんな市民の感情を和らげるという考えはとてもいいことだと思うものの、その方法がこれだというのは・・・・・一番初めのターゲット
にされた篤史としては、せめて心構えがあってからだったらと思わずにはいられなかった。
それでも真面目な篤史は、昼休みに食事もそこそこに済ませ、ペンをもって質問の答えを書き込み始めた。
「えっと、小学生の頃のあだ名?・・・・・あっちゃん、と」
(なんだか、今と成長していないのか、俺)
「好きな食べ物は・・・・・焼肉と、スイカ。嫌いな食べ物は・・・・・タコと、数の子。通勤手段?自転車か、バス・・・・・好きな
テレビ番組は、最近見ないからなあ・・・・・アニメとか書いたら馬鹿にされるか?・・・・・ニュース、これが無難だな。好きな昆虫は
絶対にクワガタ、嫌いなのは・・・・・ミミズ。あれは、見るのも触るのもやだ」
1つ1つ、ブツブツ自分自身で突っ込みながら、篤史は質問の答えを書いていく。
「休日は・・・・・家でゴロゴロするか、公園に行って走ったり・・・・・。好きな飲み物は、スコール」
書き始めればどんどん手は進み・・・・・後半になった質問には、少し雰囲気が変わったものが現れた。
「初キスっ?うわっ、そんなの書けるかよ!遅かったら情けないし、早かったら問題だし・・・・・よし、幼稚園の時、みっちゃん先生
としたやつにするぞ!うん、それが無難だ」
(みっちゃん先生?)
交番の中から聞こえてきた可愛らしい声が紡ぎだす女の名前に、緒方は思わず足を止めてしまった。
警視庁の警部・・・・・それも、暴力団担当の緒方に暇な時間は基本的には無いものの、一週間のうち数時間は何とか時間を
作ってこの町の小さな交番にやってきていた。
それは、もちろん篤史に会いにやってくるためだ。
真面目な若い警官。今まで様々な女達と遊んできた自分が、なぜ自分と同性の青年にこんなに心を惹かれたのかは結局は言
葉には出来ないが、キラキラと輝くあの瞳に見つめられると、ズクズクと自分の内面が疼くのだ。
ただ、後輩を可愛いと思っているという思いとは違う、はっきりとした欲情を伴った感情。
あの細い、瑞々しい身体をねじ伏せ、自分の欲望をぶつけたいと思う感情は日々育っていて・・・・・ただ、それをストレートにぶつ
けるには、自分はズルイ大人になっていて・・・・・向こうから自分の手の中に落ちてくるまで、本気の感情を見せたくは無かった。
素直な篤史は感情の変化も直ぐに表情に表れて、見ているだけでもとても楽しく、本当ならばもっと時間を掛けて、篤史が自
分を好きになっていく過程を楽しみたかったが、他にも現れた男達に、そうのんびりもしていられなくなった。
緒方とは類友であるフリージャーナリストの本郷と、歯科医の深町。
深町も変わった男だと思うが、自分の今までの交友関係を、全てとは言わないがかなり知っている本郷は油断がならず、緒方は
少しだけ早く篤史を手に入れなければと思い始めていた。
そんな中、篤史の口から零れた名前。
もちろん、篤史がノーマルな男ならばおかしくはないものの、少しだけ面白くない。
(俺がせっかく会いに来たっていうのにな)
それさえも、こちらの勝手なのだが、そう思ってしまうほどに緒方は篤史にハマッている。ただ、その反面好きな相手を苛めたいという
性癖も少なからずあって・・・・・なぜそんなことを言ったのか篤史の本意を確かめるために、緒方はゆっくりと、静かに近付いていっ
た。
集中していたせいで、篤史は背後に迫る影に気付かない。
「好きなタイプ?」
(・・・・・って、もちろん女の子、だよな?)
最近妙な男達に纏わりつかれているせいか妙に勘違いしそうになるが、本来の自分はちゃんと女の子が好きなのだ。
篤史は心の中で強くそう思うと、今までに好きになったり、告白された女の子のことを思い浮かべたりしながら・・・・・自分の好みを
考えた。
「先ずは、優しいってことだよな。後は、正義感が強くて、真面目で・・・・・可愛い子」
書きながら何だか照れてしまい、篤史は直ぐに次の項目に向かう。
「・・・・・嫌いなタイプかあ」
(・・・・・そう言えば、俺ってどんな子が嫌いなんだろ)
派手な子や、主張のハッキリしている子は苦手だが、それでも嫌いとまでは思わない。
「ん〜・・・・・」
(女の子って枠を破っていいかな・・・・・?)
「・・・・・自信満々の俺様で、強引で、エッチで・・・・・職業が公務員なのに、しょっちゅうサボって・・・・・そのくせ、優秀だって思
われている奴とか」
(うん、そんな感じ)
「後は、自由業と、医者も苦手。にっこり笑って強引な奴は尚更だよな。あ!後、自分が上手いって思ってる奴は最低!キス
は量やテクニックじゃなくて、気持ちでするもんだよなっ」
「じゃあ、みっちゃん先生とは気持ちでしたのか?」
「き、気持ちっていったって、幼稚園児なんだからほっぺに・・・・・あ?」
後ろから聞こえてきた声に思わず答えを返してしまったが・・・・・。
「ほっぺに、なんだ?」
「・・・・・っ」
(こ、この声・・・・・っ)
宝の持ち腐れだと思うほどに低くて甘い声の主・・・・・もちろん、篤史はその声の主をいやというほど知っている。
「・・・・・」
このまま、出来れば知らんふりをしたいと思うものの、多分それではさらに困った事態になりそうな気もして、篤史はコクンと唾を
飲み込むと・・・・・恐々後ろを振り向いた。
「お、緒方警部」
「竜司、だろ、篤史」
ニヤッと口元を緩めた緒方に、篤史は笑みを張り付かせることも出来なかった。
「ん?町のアイドルお巡りさん・・・・・あっちゃんに聞く50の質問?」
「あっ!」
動揺している篤史を尻目に、緒方が机の上に広げていた紙を取り上げてしまった。
直ぐに取り返そうと手を伸ばしたが、圧倒的に手の長さが違うのでそれも叶わず、篤史はキョロキョロと視線を彷徨わせてどうしよ
うかと必死で考えた。
(い、今の嫌いなタイプ以外は、変なこと書いて無かったよな?)
今まで自分が答えてきた項目を頭の中で思い浮かべながら思うが、黙って紙の上に視線を走らせている緒方の口元の笑みが
怖い。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・ふ〜ん」
「な、何ですかっ?」
たっぷりと時間を取って、緒方はそう言った。それがどういう意味の言葉なのか、聞き返したいと思うものの、それをしてはいけな
い気もする。
黙ってしまった篤史に向かい、緒方は先程よりは柔らかな表情になって言った。
「俺の知らないお前の情報を見ることが出来たのは良かったな」
「は、はあ?」
「出来れば、お前の口から直接聞きたかったが」
「・・・・・」
(む、無視!無視しないとっ!)
恥ずかしいとか、照れるとか、そんな風に思う自分はおかしい。
緒方の言葉に大きな意味など無いのだと頭の中で繰り返した篤史は、緒方の手から紙を取り上げると机の上に伏せて置いた。
「篤史」
「は、はい」
「数の子とミミズ、嫌いなのか?」
いきなりの質問、それも、食べ物と昆虫を一緒くたにされて戸惑いはしたものの、書いたことは嘘ではなかったので素直に頷いて
見せる。
「か、数の子はあのブツブツ感がどうも苦手で・・・・・ミミズは見た目です。だって、気持ち悪いでしょ?」
「ん〜、別の意味じゃ、結構喜ばれるものなんだけどな」
「別の意味?」
「数の子天井に、ミミズ千匹。聞いたこと無いか?」
「・・・・・」
(数の子の天井?・・・・・お菓子の家の海版か?ミミズ千匹なんて・・・・・千匹もいたら気絶するって)
何という例えをするんだと、篤史は眉間に深い皺を寄せてしまった。
篤史の表情から、全く別のことを考えているということは容易に想像がついて、緒方は思わず苦笑を零してしまった。
多分、まだ童貞で、AVなどもほとんど見ていないだろう篤史にとって、この例えは難しかったかもしれないと思ったが・・・・・その意
味を伝えた時の篤史の反応を見てみたいとも思ってしまった。
「あのな」
緒方は声を潜め、まるで大事なことを話すかのように耳元に唇を寄せて言う。
「俺が言う数の子っていうのは、女の膣の中のことだよ。膣の中が数の子の触感みたいにザラザラしていて、中に入れてる男とし
ては、物凄く気持ちいいんだぞ」
「な・・・・・っ」
間近にある篤史の体温が、一瞬で上がったのが分かった。
「ミミズ千匹は、セックスでペニスを挿入した時、膣の内がまるでミミズが千匹も絡みつくような感触だという意味なんだぞ。 どっち
も、女にとっては名器の証の言葉なん・・・・・」
「わ、猥褻罪!猥褻罪だぞ!」
言い終える前に、篤史の手がベシッと緒方の顔を押し退けてきた。
心臓がバクバクしてしまう。
こんな昼間に、しかも交番の中で、女性器の説明を平然な顔でする緒方が信じられなかった。自分は話を聞いただけで、こんな
にも顔が燃えるような感じがするのに、だ。
(この人は、本当に筋金入りのヘンタイだ!)
篤史はパッと壁に掛けてある時計を見上げた。あと2分で午後1時になる。
「もう、勤務時間ですから!」
「そんなの、テキトーでいいだろ」
「俺は、刑事じゃないんです!交番の警官は、市民の目に晒されてるんですから!」
「はいはい」
我が儘な子供をあやすような物言いに頭にくるが、これ以上怒っても喜ぶだけだと思うので、篤史はギュッと唇を噛み締めたままグ
イグイと緒方の背を押して・・・・・その時だった。
「あっちゃん、書いた?」
タイミング悪く現れたのは、朝、回覧板を持ってきてくれた少女だった。
小学校はどうしたのかと思ったが、遅れて今日が土曜日だったということに気付く。
穢れない子供にヘンタイを近付けさせるわけにはいかないと、篤史は書き上げたアンケートの紙を急いで回覧板に挟んで少女に
手渡した。
「お母さんによろしくね!」
「・・・・・」
しかし、そう言って直ぐに少女を送り出そうとした篤史の思惑とは違い、少女の視線の先には偉そうに腕を組んだ緒方がいる。
(怪しい気配を感じてるのか?)
そう思った篤史が少女を促そうとした時だった。
「おじちゃん、あっちゃんのなに?ママは、きっときんだんの恋なのよーって言ってたけど、きんだんの恋って何なの?」
「!!」
(こ、子供の前で何ていうことを・・・・・っ)
いや、その母親を責める前に、自分と緒方が周りからどういう目で見られているのかを初めて知って、篤史は気を失ってしまいた
くなる。
だが、少女におじさんと言われた緒方は少しの動揺も見せず・・・・・いや、返って楽しそうに目を細めながら言った。
「ママに言っておけよ、このおじちゃんとあっちゃんは、禁断の恋じゃなく、ラブラブの恋人同士だってな。温かく応援してくれ」
「恋人なの?」
「何を言ってるんですか!」
「おう、そうだ」
「分かった!ママに言っておくね!」
「ちょっ、まっ、待って!」
バイバイと元気に手を振る少女を慌てて止めようとしたが、少女はするりとその指先をかわして走っていく。
いったい、これから自分はどうなってしまうのだ・・・・・呆然とその後ろ姿を見送っていた篤史の耳に、まるで悪魔のような・・・・・そ
れでいて、甘く優しい声が聞こえてきた。
「これで、公認だな、篤史」
(な、何、それ〜・・・・・!)
口の中の叫び声も、目の前の男の笑みに消されてしまう気がする。
早く、早くどうにかしなければ捕まってしまう・・・・・そう思ってしまう篤史だが、既に自分の全身を雁字搦めにしている鎖が目に見
えるような気がしていた。
end