久し振りの休日。
関谷篤史(せきや あつし)は、母親に頼まれた買い物をしに街へと出掛けた。
普段忙しくて、なかなか自分の所轄外には出掛けることが無い篤史。自分ではゆっくりしようと思うのだが、ついつい何時もの習
慣からか、目的地に真っ直ぐと急ぎ、そのまま帰宅するという時間配分になってしまう。
(バスの時間までもう少しあるか)
せめてコーヒーくらいは飲んで帰ろうかなと思った篤史がふと視線を動かすと、視界の端で何かが引っ掛かったような気がした。
(指名手配犯か?)
自分が気になるというのはそうとしか思えないと、今度は注意深く道路の反対側へと視線を向けると、
「・・・・・スケベ・・・・・警部?」
視界に入ったのは、男の魅力全開の見慣れた男で。
何時もは着ないスリーピースの背広を着た男。こんな広い街中で偶然出会ってしまうなんてと妙にドキドキとしてしまったが、篤史
の浮き足立った気持ちは、振り向いた男の視線を追い掛けた後、冷水を浴びせかけられたかのように萎んでしまった。
「・・・・・っ」
男は、1人ではなかった。
彼の傍には、これもまた色っぽい美女が、滴るような媚を眼差しに込めて男・・・・・緒方竜司を(おがた りゅうじ)を見つめていた。
関谷篤史(せきや あつし)は、町の交番のお巡りさんだ。
通常の交番勤務では、それほどの重要な事件というものは無いものの、篤史はその仕事に誇りを持って従事していた。
忙しく、それでいて平凡な日々を送っていた篤史の生活が一変したのは、とある事件のせいで知り合ってしまった、警視庁のあ
る人物とその周りにいる人物のせいだ。
警視庁の警部なのに、性格もいいかげんでドスケベで、でも顔だけはやたらにいい男で、身長も体格も、篤史が欲しいと思って
いるものを十二分に兼ね備えている緒方竜司(おがた りゅうじ)と。
緒方に負けないくらいの長身に、短かく刈った黒髪に鋭い視線。見た目は硬派なのに、緒方とは類友であるフリージャーナリス
トの本郷真紀(ほんごう まさき)。
ノーブルな容貌に、優しい眼差し。知的で穏やかな風体なのに、どうしてか、可愛い男の子が好きらしい近所の歯科医、深町
駿介(ふかまち しゅんすけ)。
それぞれが強烈な個性を放つ彼らに男同士なのに迫られ、無視をするつもりが振り回されて、篤史は職務以上に忙しい私生
活を送っていた。
「・・・・・あれって、恋人なのかな」
(凄く、綺麗な人だった)
緒方とつり合う歳の、大人の女といった雰囲気だった。
とても、自分をからかって大声で笑っている彼と同一人物とは思えなくて何度も見返したが、どう見てもその男は間違いなく緒方
だった。
(俺には、何時も馬鹿にしたような顔しか見せないくせに)
あの綺麗な女の人には、愛情をこめた眼差しを向けていて・・・・・きっと、あまりのギャップにショックだったのか、少しだけ胸がチ
クッとしたのは、それ程問題に思わなくてもいいことかもしれない。
「・・・・・」
篤史は溜め息をつきながら、流れる景色を見つめた。
車も持っていない自分はこうして公共の移動手段を使うしかないのに、緒方はあれから高級外車に女を乗せて走り去った。
まだ昼過ぎだが、今から2人がどこに行くのか・・・・・ちょっと考えたくはない。
「・・・・・」
(別に、恋人同士だったら何しようといいけどっ)
「それなら、どうして俺にちょっかいなんか・・・・・それって、やっぱりからかってるのか?」
だとしたら、趣味が悪い。
自分の考えに眉を顰めた篤史は、窓ガラスに映った自分の不機嫌丸出しの顔を見てますます面白くないと思った。
「・・・・・え?」
その時、ちょうど止まったバスの窓の外に、再び見知った顔を見付けた。
(本郷・・・・・さん?)
タクシーから降りてきた長身の男は、本郷だ。記者らしくない洒落た服装をした彼は、そのまま身を屈めるようにタクシーの中を覗
いていて・・・・・やがて、差し伸べていたらしい手を取ってタクシーから降りてきたのは和服姿の美女だった。
「・・・・・」
何時もからかうように自分と接している本郷だが、その美人相手には気を遣っている様子が見て取れる。
「あ・・・・・」
直ぐにバスは走り出してしまって、篤史の視界から2人はどんどん遠くなっていく。それを、思わず振り返って見ながら、篤史は思
わず何だよと口の中で呟いていた。
せっかくの休みだったのに、篤史のテンションは地を這っていた。
別に、おかしなことでも何でもない。最初に見た緒方にしても、あれだけ男の魅力全開にしていたら、女の1人や2人・・・・・いや、
5人や10人、惹きつけてもおかしくなんて全然ない。
本郷だって、軽過ぎる言動を置いて考えればモテる要素だらけの人で、彼もまた女性から見たら魅力的な男なのだろう。
「・・・・・」
篤史は足を止めた。このまま家に帰ることも、交番に行くこともなんだか気が進まない。
「・・・・・深町先生のとこ、行ってみようかな」
少々変態っぽい言葉を言うものの、基本的に深町は優しい人で、今のモヤモヤとした気持ちはきっと晴れるような気がする。
「うん、そうしよう!」
篤史は気持ちを切り替え、足の方向を変えた。
交番からそれほど遠くない場所にある深町の病院。
手ぶらでは悪いかと、おやつになりそうなシュークリームを買って病院まで来た篤史は、そっと窓から中を覗いてみた。
「・・・・・やだあ、センセったら!」
「ホント、エッチなんだもん!」
「そう?僕だって男だからねえ。あの可愛らしいお尻を見ると触りたくなっちゃうんだよねえ」
「・・・・・っ」
(な、何を言ってるんだっ?この人!)
ハンサムな歯科医と、美人の歯科助手がいると評判だとは聞いていたが、今聞こえて来たこの若い女の声はきっとその歯科助
手達の声なのではないか。
「ねえ、先生」
弾むような女の声を聞いて篤史は口を引き結び、そのまま病院を後にした。このまま、このドアを開けて中に入っていくことなど、
篤史にはとても出来なかった。
「・・・・・何なんだよ」
歩きながら出てくるのは文句の言葉ばかりだ。
そして、その言葉を向ける相手は3人もいて、篤史はそれぞれに違った言葉で、それでいて同じ意味の文句を言い続ける。
緒方に対しては、
「ヘンタイ警部。女が好きなら、俺に変なことばかりするなよな!」
と、言い、本郷に対しては、
「ノー天気記者は、男を口説く暇があったら取材をしろ!」
と、唸り、深町には・・・・・。
「男の尻を可愛いなんて言うな。女の子の方がいいのは決まってるだろ!」
・・・・・なんだか、とても虚しい気がする。
今まで3人が3様の言葉で自分に言い寄ってきて、それを篤史は迷惑だと確かに思っていたのに、こんな風に彼らに自分以外の
恋愛対象・・・・・当たり前だが、男には女というように、ごく当たり前の存在をその隣に見てしまった時、なんだか自分だけが置い
て行かれたようで寂しく感じてしまったのだ。
「・・・・・」
篤史は溜め息をついた。
「情けないなあ・・・・・俺」
それでも、そんな風に思ってしまうほどには、篤史の中であの3人はそれなりの存在になったということだ。そんなこと、絶対にあ
の3人には言えないが。
「・・・・・交番に行こう」
逃げ場のつもりではないが、あの場所が今篤史が一番落ち着く場所だ。調書の清書でもしていれば自然に時間は過ぎるだろ
うと思った。
篤史が交番に行った時、丁度同僚は不在だった。
時間帯によってはこういう時もあって、篤史はタイミングよく自分が来て良かったと思う。道案内や、落し物など、予想外に交番に
やってくる市民は多いのだ。
「えっと、確か落し物の清書を・・・・・」
ロッカーを開け、書きかけの書類を探し出した篤史は、そのままデスクに座ってペンを走らせ始めた。
どのくらい経っただろうか・・・・・。
篤史は溜まっていた清書を終えて顔を上げると、そろそろここに来て一時間ほど経ったことに気付いた。
もうパトロールに出ている同僚も帰る頃かなと思いながら書類をしまおうとした時、
「お、可愛い尻発見♪」
「ひゃあ!!」
いきなり尻を鷲掴みにされた篤史は、それこそ飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。
「おっ、緒方警部っ?」
ニヤニヤしながら立っていたのは緒方だった。
先程街中で見たスリーピースの背広といういでたちのままの緒方は、ネクタイだけを少し緩めた姿だ。
(ど、どうしてここにいるんだ?)
明らかに1人・・・・・いや、篤史はバッと外に出て道を確かめたが、あの綺麗な女性はそこにいなかった。あの後デートをしたと
して、この時間ここにいるということは・・・・・。
「あ、あの」
「ん?」
「デ、デートじゃなかったん、ですか?」
「デート?」
不思議そうに聞き返すその表情はとても芝居には見えない。いや、緒方ほどの男が自分を騙すくらい容易なことだと思うが、彼
ならば隠すというよりも自慢げに話す方だと思う。
(もしかして、さっきのって・・・・・)
「あれ、また先を越されたのかあ」
「!ほ、本郷さんっ?」
「久しぶり、あっちゃん。相変わらず可愛いな」
「だ、だって、さっき、着物の女の人と・・・・・」
それだけで、本郷は篤史が何を言っているのか直ぐに分かったらしい。
「あ、なんだ、見たんだ?あれ、俺の義理の義姉さん。結構美人だったろ?」
「は、はあ」
(義理の義姉さん・・・・・なんだ)
だからこそ、あんなふうに自然な笑みを向けていたのかと、言われたらなるほどと頷ける。
すると、今の篤史と本郷の会話を聞いて先程の自分への質問の意味が分かったのか、緒方は目を細め、楽しそうに笑いなが
ら篤史を見つめた。
「お前、さっきの女を見たのか?」
「み、見たっていうか・・・・・、べ、別に、捜していたわけじゃないし、ちょ、ちょっと見掛けただけでっ!」
「ふ〜ん」
自分とあの女が一緒にいる所を見てあの態度。明らかに、篤史は女に対して妬いたのだろう。
(女に妬きもちねえ)
あれは、今内偵中のターゲットの愛人だった。半日付き合えば情報をくれると言ったので、女の注文通りの格好をして会いに行っ
たのだが、女がそれ以上の関係・・・・・身体の関係まで求めて来たので、そのままあっさりと捨てて来た。
以前の緒方ならば食指が動いてもおかしくないほどにいい女だったが、警察官である緒方はさすがに犯罪関係者の女とは寝な
い。そこまで女に飢えてはいなかった。
女といたのは正味2時間ほどだったが、強い香水と、わざと押しつけて来たブニブニと柔らかな胸の感触を払拭するために篤史
に会いたいと思ったが、この交番に来たのは勘だ。
篤史のシフトを前もって把握している緒方は、今日非番なことも当然知っていた。だが、きっとここに来れば会える・・・・・そう思っ
たのだ。
(俺の勘は大当たりだし、可愛い妬きもちを妬いた顔も見れたし。まあ、あの女の分は綺麗に帳消しだな)
しかし、本郷が来たのは少し予定外だ。
そして、本郷に対してまでも妬きもちに似た(あくまでも、似た)感情を抱いたというのは、少々強引にでもその身体に自分の存在
というものをよく教え込んでやらないといけないかもと思った。
(緒方警部はデートじゃなくて、本郷さんはお義姉さんで・・・・・なんだ、そうなのか)
顔が、何だかにやけてしまいそうだ。別に、篤史は2人に対して特別な感情を抱いているわけではないが、絶対にないはずなの
だが、自分を忘れてはいないのだと思うとなんだかホッと出来た。
「・・・・・あれ?」
(じゃあ、もしかして・・・・・)
この2人が自分の勘違いだとすれば、もしかしてもう1人も・・・・・。
「篤史君、ケーキを頂いたんだけど食べないかい?」
ニコニコと人の良い笑顔を浮かべながら現れた深町に、もう驚かないぞと思いながら篤史は訊ねてみる。
「あの、深町先生、さっきお尻がどうとか、こうとかって」
「あれ?病院まで来てくれたんだ?それならそのまま入ってきてくれたら良かったのに。僕の言葉だけじゃ、女の子達に君の尻
の可愛らしさを知ってもらえなかったんだ。触りながら説明したら一番なのになあ」
「なっ、何を言ってるんですか!」
やはり、自分は深町達の会話の一部だけを聞いていたようだ。
少しずつ、どこかがずれてしまって、そのせいで自分があんな風に落ち込んでいたのかと思うと、情けなくて恥ずかしくて、ジワジ
ワと頬が熱くなってくる。
(ま、拙い)
この状況は自分に不利だ。
緒方はどうやら自分の勘違いと複雑な感情に気付いているらしいし、本郷も、深町も敏い男達だ、そう時間も掛からずに何かに
気付くのではないかと不安になる。
「・・・・・俺、今日は非番なんで・・・・・帰ります」
ここは逃げた方がいい。
篤史はとにかく出直そうと思い、自分よりも大きな男達の間を通り抜けようとした。
「どこ行くんだ、篤史」
しかし、
「なんだか、面白そうな話だなあ、あっちゃん」
どうやらこのまま、
「僕にもちゃんと説明してくれないかな」
この男達は篤史を解放してくれないようだ。
「可愛いなあ、篤史。お前が俺に妬きもちを焼いてくれる日がくるなんて、待ちに待った感じだな」
「んっ」
そう言った緒方は、長い指で篤史の唇をそっとなぞった。何かを連想させるように、焦らすように、篤史の唇に触れた手は、その
まま頬へと移動する。
くっと上を向かされるこの体勢は、何だか今にもキスをされるような感じでいたたまれなかった。
「それって、俺に対してもだよな?あっちゃん。そうじゃなきゃ、あんなふうに女のことを聞いてこないよな?」
「ひゃっ」
本郷は笑いながら篤史の手を取り、その指先を意味深に舐めた。
「そうなんだ?篤史君。じゃあ、僕にもそう感じてくれたのかな?」
「うわあ!」
するっと尻を撫でられて篤史が大声を上げた時、
「あれ?関谷来てたのか?」
丁度タイミング良く、パトロールから同僚が戻ってきた。
「あ〜あ、逃げたな」
「逃げられたか」
「残念」
さよならと慌てたように言った篤史が交番を飛び出していく。その後ろ姿を見送る3人の頬には、未だ消えない笑みが浮かんだま
まだ。
「妬きもちも、好きな子なら嬉しいものだねえ」
本郷は思い出し笑いをし、
「僕はまだ堪能していなかったんだけど」
深町は未練たっぷりのように、篤史が走り去った方向を見ている。
しかし、そんな2人の言葉を全て覆すように、緒方が馬鹿を言うなと笑って言った。
「何度も言わせるな、あいつは俺が最初に見付けた、俺だけのもんなんだよ。お前らが見るのは構わないが、涎垂らした口で食
うことまでは許してないからな」
「お前、ズルイ」
「ずるいなあ」
「あ、あの・・・・・いったい何があったんですか?」
3人の会話を聞いても一向に事情が分からないらしい篤史の同僚が、恐々と理由を訊ねてくる。
そんな相手に向かい、緒方はふっと口元を緩めて、内緒と言い放った。
「あいつがどうして可愛い顔をするのか、俺以外の奴に教えるわけねえだろ」
次に篤史に会った時、どんなふうにからかってやろうか。そう考えるだけでも楽しくて、緒方はもう見えなくなってしまった篤史の赤
い頬を思い浮かべて再び笑った。
end
今回はあっちゃんの妬きもち(笑)。
3人いますが、やはり本命はあの俺様キングでしょうか。