「お前は私を愛していないのか!」
「ア、アルティウス?」
いきなり立ち上がり、荒々しい口調で激怒したアルティウスを、有希は驚いたように見つめてくる。
何時もは愛しい妃のこんな幼い表情も可愛らしいと思うのだが、今ばかりはわざと惚けられているような気がしてどうにも我慢が
出来なかった。
険しい表情のまま背中を向けるアルティウスに、有希の戸惑った声が掛かってくる。
「ど、どこに行くの、アルティウス?」
「私のことを形式上の夫だと思っているそなたに言う必要はないだろう!」
「そ、そんなことっ」
何かを必死で言おうとしている気配はわかったが、感情が爆発したアルティウスはそれを聞いてやる気遣いが出来なかった。
今はここにいて、これ以上の暴言を有希に吐かないようにしなければということだけが頭の中にあり、ガタッと椅子が動く気配を背
中に聞きながら私室を出てしまった。
この世で一番の大国、広大なエクテシアを支えているのが、今世の王、アルティウスだ。
先代の王の長子として生を受け、生まれながらに時代の覇者としての地位を約束されたアルティウスは、突然神の悪戯で異世
界に出向き、そこで出会った少年、有希を一目で欲しいと思ってしまった。
その後、有希と共にエクテシアに戻ってきたアルティウスは、その白い心も身体も情熱的に求めた。
今までも欲しいものは何でも手にしてきたアルティウスだったが、本当に欲しい有希の心はなかなか自分の手の中に堕ちてこず、
苛立ちと焦りのために随分酷い真似もした。
結局、様々な苦難を乗り越え、有希はアルティウスを選んでくれ、正式な妃にもなった。
性別は男だったが、その時には妾妃との間に既に皇太子を含めた幾人もの子供を授かっていたので、後世の心配をする必要も
なく、アルティウスは生涯でただ一人見付けた愛しい妃と、幸せな日々を過ごすことだけを思い描いていたが。
優しく素直な有希は、その情をアルティウスだけではなく、周りの者にもまんべんなく降り注ぐ。
子供達はおろか、臣下たちや民にまで、その美しい笑顔を惜しげもなく向ける有希のことが少し憎らしくなり、アルティウスは思わ
ず言ってしまったのだ。
「私を蔑ろにしていると、また新しい妾妃を連れてくるぞ」
もちろん、それは虚言だ。
有希が嫌だと、自分だけを見て欲しいと泣いて縋ってくるのを内心待っていた。
しかし、
「・・・・・本当はそうなのが普通だし・・・・・でも・・・・・」
有希はアルティウスの言葉を許諾するようなことを言ったのだ。
その瞬間にカッと頭に血が上ったアルティウスは、有希がどんな表情をしていたのかまで見ることなく、荒々しい音をたてて部屋
を出た。
有希の優しい性質は愛すべき美徳ではあるが、自分以外のものに向けられるのならばその目を柔らかな布で塞ぎ、優しい言
葉を掛けられないように口も封じて、2人の部屋から出られないように足枷も付けたいと切実に思う。
ただ・・・・・それが出来ないほどに有希を愛しく思っているアルティウスは余計に苛々としてしまい、この鬱憤を晴らすにはどうし
てくれようかと廊下を歩いていた。
「とうさま!」
その時だ。
数人の召使いを従えた2人の王女がやってきた。
「アセット、シェステ、どうした」
「かあさま、お時間ある?」
「ユキか」
「わたしたち、かあさまとあそびたいの!」
「・・・・・」
アルティウスは眉を顰めた。本当は今にも有希の時間を分け与える気はないと怒鳴りたいくらいだが、さすがに幼い我が子を恫
喝するわけにはいかない。
それまでは単に自分の血を引いた王家の子供だという、どこかよそよそしい思いしかなかったのだが、有希と共に自身とも過ごす
時間が増えて可愛らしいという思いは生まれていた。
「・・・・・ユキは今忙しい。遊びたいのならばまた次の機会に」
「は〜い」
案外、素直に言うことを聞いた王女たちを、子供は聞き分けのないものだと思っていたアルティウスは意外に思う。
「・・・・・我が儘を言わないのか?」
「だって」
「かあさま、いつもおっしゃっているもの。いちばん大切なのはおとうさまだから、おとうさまのご用がある時は2人といっしょにあそ
べないよって」
「ユキが・・・・・そんなことを・・・・・」
アルティウスの目からすれば何時でも子供達のことを優先していたようにしか見えなかったが・・・・・そう言えば、本当に有希の傍
にいたい時や必要な時は、必ずと言っていいほど温かな胸に小さな手で抱きしめてくれた。
(王女たちよりも、私の方を・・・・・)
自然に頬が弛みそうになったが、ハッと先程のことを思い出した。いくら自分との時間を大切にしようとしてくれていても、他の者
に譲ろうと思うなど言語道断だ。
それだけは許してはいけないと、アルティウスは必死で揺らぐ気持ちを押し止めた。
王女たちと別れたアルティウスは胸の中がざわめいていた。
王女たちの言葉で、今直ぐにでも有希のもとに引き返したいという気持ちが生まれていたが、一方でこんなにも直ぐに自分の方
が折れるのも悔しいと感じる。
「アルティウス様」
中庭を通る渡り廊下を進んでいたアルティウスは、向かいから歩いていきた有希付きの召使い、ウンパが膝を折るのを見た。
そう言えば、今日は朝から有希の傍にいなかった。
「どこに行っていた」
召使いというだけでなく、護衛も兼ねているウンパが勝手な行動をとったのではないかと自然と声を低くしたが、なぜかウンパは
にこやかに笑いながら恐れながらと告げてきた。
「ユキ様に頼まれましたものを買いに町まで」
「ユキが頼んだだと?」
普段から質素倹約を心掛けている有希は、今までに自分からアルティウスに何かをねだったということはない。
この世界随一の大国、エクテシアの正妃だというのに、これほどまでに控えめでなくてもいいのにと、有希が何も言わない分、ア
ルティウスは自ら率先して有希に様々なものを買い与えていた。
それさえも、嬉しそうというよりも困ったような顔をして受け取っているというのに、召使い風情に何を頼んだのか。
「一体、何を買ってきた」
有希の身を飾る装飾品ならば許さないと思いながら問い詰めると、ウンパは意外な名前を口にした。
「・・・・・それは」
「はい、香辛料でございます」
意外にもそれは、それほど値が張るわけでもない調味料の一種だった。
「・・・・・」
「最近、王に自らの手でお作りになったものを食べて頂く機会が少なくなってしまったからと、今宵はぜひ時間を作って王に喜ん
でいただきたいとおっしゃっていました。城の中にある材料でも十分らしいのですが、ユキ様、絶対に美味しいものを食べて頂くの
だと色々考えられたようです」
「・・・・・ユキ・・・・・」
アルティウスは有希に何かをしてやることに喜びを感じているが、同時に有希からしてもらうことにも今までにない幸せを感じて
いた。
料理もその一つで、友人であり、意外にも料理上手なバリハンの皇太子妃から様々な調理方法を書簡で教えてもらっていて、
簡単なスープから込みいった料理まで、手が空いた時に作ってくれるそれを、アルティウスはこんなにも美味しいものを食べたこと
がないといつも思っていた。
最近は政務がたてこんでしまい、共に手伝ってくれる有希も多忙でなかなか料理にまで手が回らなかったようだが・・・・・今日、
その多忙な時間の中でアルティウスの好物を作ってくれようとしていた。
(私は、お前の心中を察することが出来なかった・・・・・)
「王?」
「ユキは・・・・・」
「はい」
「・・・・・いや、よい」
いったい、有希は何を作ってくれようとしていたのだろうか。
あんなふうに勝手に腹を立て、暴言を吐いたアルティウスに呆れてしまい、結局は作らないという結論になってしまったのではない
だろうか。
アルティウスは唇を引き結ぶ。
今にも、このまま振り返って部屋に戻り、有希の細い身体を抱きしめたいと思った。
しかし。
アルティウスの天よりも高い矜持はなかなか折れず、ウンパと別れてそのまま足を前へと向ける。それでも、明らかに速度は鈍く
なり、何時でも止まるのではないかと思うほどゆっくりになって・・・・・。
「これは、王」
「・・・・・ディーガ」
そこにいたのは占術師、ディーガだった。
本来は国の外れに居を構えていたディーガも、有希が現れてから王室抱えという形になり、専用の部屋も与えた。
有希の国の言葉を理解し、博識であるディーガの存在はアルティウスにとっても心強かったが、今は少し気まずい気持ちだ。
「今日はユキ様とお過ごしになられていたのでは?」
「・・・・・あれは・・・・・」
「・・・・・」
「ユキは、どうしてその口で嫌だと言わぬ」
唐突なアルティウスの言葉にディーガも戸惑っただろうが、長衣から覗く目の中には大きな驚きは見えない。
静かにすべてを受けとめると言ったディーガの様子に、アルティウスは思わず先程の有希との会話を話してしまった。
「・・・・・それはそれは」
一言も口を挟まずに聞いていたディーガは、アルティウスが口を閉じたと同時に目を細める。その言葉の中にも楽しそうな響きを
感じ、アルティウスは胡乱な眼差しを向けた。
「何がおかしい」
「いえ・・・・・お2人はいまだ新婚のようだと思いまして」
「・・・・・私を侮っておるのか」
嘲笑されるのは我慢出来ないと思わず拳を握り締める。そんなアルティウスを見つめ、ディーガはさらに目元を弛ませた。
「以前のあなたなら、今のお言葉の前に剣を振りかざしておられたでしょう。怒りを感じても、過度な暴挙に出ない。それも、ユ
キ様の影響なのかもしれません」
「・・・・・っ」
確かに、ディーガの言う通りだ。若くして王となったアルティウスは、その立場を揺るぎないものにするために少しの綻びも見逃さず、
どんな問題も厳重に処罰してきた。
どんなに恨まれようとも、恐れられても、それがこのエクテシアの王の業なのだと思えば受け入れられたが、有希と出会い、愛する
ようになって、アルティウスは許すということを知った。
力だけでなく、言葉や思いでも相手を変えることが出来るのだと知って、その方が自分の心も安寧を保つことが出来ることが嬉し
く思った。
しかし、それと妾妃のことは意味が違う。
「ユキは私を他の女と分かち合うこともやむなしと思っている」
「それは違うと思います」
「どこがだ!」
「ユキ様はあの年頃では感心するほどに周りを見ることが出来る御方です。もしも本当に王がお望みなら、新しい妾妃様を迎
え入れることを反対しなくても、その内心ではきっと悲しみの涙を流されておりますよ」
泣く・・・・・その言葉に、アルティウスの胸が大きくドクンと脈打つ。
「今も、多分席を立たれた王を想い、泣かれているのではありませんか?どうか、目に見えぬ心をくみとってさし上げて頂きたく思
います」
「・・・・・っ」
アルティウスは踵を返す。
ここまで言われ、もう強がって我慢することは出来なかった。
「ユキ!」
「・・・・・っ」
まだ出ていって間がない部屋に引き返し、荒々しく扉を開け放ったアルティウス。弾けたように振り向いた有希は大きな目をさら
に大きくして驚いている様子だ。
「ア、アルティウス・・・・・?」
その目が少しだけ潤んでいるのを見たアルティウスは、カッと頭に血が上る。
「泣くぐらいなら、なぜ嫌だと言わぬ!」
口ではそう怒鳴っていても、アルティウスの胸の中を占めるのは熱い思いだ。
泣くほどに嫌だと言えば済むことなのに、アルティウスの立場を考えてそれさえも口に出せない有希が健気で愛おしい。
大股で近付いたアルティウスは、中途半端に椅子から腰を浮かせた有希の細い身体を抱きしめ、そのまま深い口付けをした。
小さな口を軽くはみ、緩く開いたそこから舌をさし入れて、熱い口腔内を思う存分犯す。
「んむっ」
唾液さえも甘い有希との口付けだけで身体が熱くなる自身に呆れながらもそれを隠すこともなく、勃ち上がり掛けたものをその足
にすり寄せれば、さすがに恥ずかしそうに身を捩られた。
「ぁ・・・・・はっ」
ようやく長い口付けから解放すれば、有希は荒い呼吸を整えるように激しくせき込む。
その背中を何度も撫でてやっていると、落ち着いたらしい有希はおずおずとアルティウスの背中に手を回しながら聞いてきた。
「・・・・・どうしたの、アルティウス」
「もう一度聞く。私が妾妃を迎え入れても良いのか」
「・・・・・っ」
諍いの原因になったことを再度口にすると、腕の中で有希の身体が強張ったのがわかる。
「ユキ」
身体を揺すり、その答えを促すと、しばらくして小さな声が耳に届いた。
「・・・・・いや、だ」
「ユキ」
「嫌だ・・・・・だって、だって、僕は、アルティウスのこと・・・・・」
そこまでで十分だった。普段まったく我が儘など言わない有希の、本当に小さな小さな我が儘。
アルティウスは先程までの不機嫌な思いなどあっさりと消え失せ、満面の笑みを浮かべながらもう一度強く有希を抱きしめた。
ようやく、お互いの心の昂りも落ち着き、寝台に腰かけたアルティウスは自身の膝に有希を抱いていた。
まだ日は高いものの、このまま甘い身体を味わうのもいいかもしれない・・・・・そんなことを思いながら明確な意思を持って細い足
を撫で上げた時だった。
「僕、仕方がないとは言ったけど、でも、許しているつもりはないよ」
ペシっとその手を叩いた有希が、思いがけなくはっきりと言う。
「ちゃんと聞いて、アルティウス」
「ん?」
「もしも、アルティウスが僕以外の人と、その・・・・・してしまったら、絶対に簡単には許さないと思う」
「ユキ・・・・・」
思い掛けない有希の言葉に、すべてを従順に受け入れるだろうと思っていたアルティウスの予想は間違っていたらしいことに気
付いた。
有希はアルティウスの膝から下りると真正面に立ち、少しだけ眉を顰めながらさらに言った。
「アルティウスの立場を考えたら、そういう申し出を簡単に断れないということもわかっているつもりだけど、それでも僕だけと言っ
てくれた言葉に嘘があったら、やっぱり許せない」
半ば呆けて有希の言葉を聞いていたアルティウスの顔は、次第にゆるゆると弛み切ってしまう。有希が妬いていることがようやく
そこでわかったからだ。
(私がお前以外をこの手に抱くと思うのか)
それは、あり得ない。
甘い身体を知ってしまった今、アルティウスはどんな絶世の美女が目の前に立とうとも、ペニスが反応しないと自信を持って言え
た。
「安心しろ、ユキ。そのような申し出があったとしても門前払いをしてやる」
「・・・・・違うよ」
「なに?」
「同じ断るにしても、ちゃんと相手のことを考えて言葉を尽くさないと。アルティウスみたいに最初から喧嘩腰だったら、相手に失
礼でしょう」
「・・・・・私に意見をするというのか」
有希を泣かさないようにすると言っているのに、何をごちゃごちゃと言っている。
そう思っているのがあからさまに表情に出たのか、有希は大きな溜め息をついた。
「・・・・・っ」
それが、まるで我が儘な子供を見るような眼差しだと思った瞬間、アルティウスの中に新たな怒りが溜まってしまった。
どうして自分の思いをわかってくれないのか、感動し、抱きついてくれないのか、様々な不満が溜まってしまい、
「もうよいっ!」
アルティウスは立ち上がった。
「お前から許しを請いに来ねば、私の怒りは鎮まらないぞ!」
「ア、アルティウスッ」
呼び止める有希の声を振り切り、アルティウスは再び荒々しく扉を開いて出て行った。
「まったく、ユキの奴っ、私の思いも知らずに・・・・・っ!」
こんなにも有希のことだけを考え、有希の良いようにと考えて行動をしているのに、肝心の本人がそれをわかってくれないとはど
うにも悔しい。
(どうしてくれよう・・・・・っ)
今晩、あの身体を組みしき、気を失うまで責め苛んでやろうか。
そんな不穏なことを考えていたアルティウスの前に、
「父上?」
皇太子エディエスが、何人もの衛兵に囲まれるようにして現れる。
「・・・・・どうなされたのですか?」
「・・・・・」
我が子に、愛する有希の不満をぶつけるまで・・・・・後、僅か。
・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
大国エクテシアの王、アルティウスの、少々不満ながらも平和なある一日の光景である。
end
アル&有希。
アルティウスの怒りは50メートルで納まるようです(笑)。