王座への執念
竜人界−
一見した姿形は、人間界のそれとは変わらない。しかし、先人は竜の化身だったといわれる名残か、中には竜に変化出来る者
達がいた。
多くは王族の、純粋な血統の者達ばかりだが、中には突然にその力を備わった者もいる。
竜に変化すれば、嵐を呼び、形あるものを破壊する・・・・・という伝説はあるが、実際の竜は豊かな恵みの雨を降らせ、外界
からの侵略を防いでくれる、強い力の象徴だった。
竜人界の王、紅芭(こうは)は賢王と誉れ高い竜王だった。
妃との間に皇太子、紅蓮、第二王子、碧香という2人の子をもうけ、幸せな日々を送っていた・・・・・が、先王の時代から続く
少子化の流れはいかんともしがたく、更に妹姫が亡くなってまもなく、その夫だった聖樹の反乱もあり、世界全体が暗く打ち沈ん
でいた。
「父上」
「・・・・・どうした、紅蓮」
執務室に現れたのは皇太子紅蓮だった。
まだ成人前であるものの、その物腰や言葉には既に王者としての風格が漂っていた。
皇太子という立場上、紅蓮が次期竜王になるのはほぼ決定した事実だったが、それも最後まではわからないと紅芭は思って
いる。
竜王になるには、その力の証ともいえる翡翠の玉(ぎょく)が光らねば資格を得ないのだ。
「なぜ、叔父上を処罰されなかったのですか?北の谷に軟禁するといっても、再び王家に向かって反逆の機会を窺うことも可
能です。私は、父上のお情けが、後々の王家にとってあまりよいことだとは思いません」
「紅蓮」
「父上、今からでも叔父上を処罰した方がよろしいのではないでしょうか」
「・・・・・」
凍えるほどに冷淡な言葉を言う我が子を、紅芭はじっと見つめた。
元々、妹姫が可愛がっていたこともあり、紅蓮も碧香も、聖樹によく懐いていた。年が近い従兄弟である蒼樹と共に、宮殿内
で遊ぶ姿を何度となく見ている。
しかし、妹姫が亡くなってからの聖樹の変化は、なぜ、どうしてという疑問ばかりで、多くの兵士を失った紅蓮にすれば、聖樹の
裏切りはとても許せるものではなかったのだろう。
「私は、私の決断を正しかったと思っている」
「父上っ!」
「竜王である私の決断だ。お前が口を出すことではない」
「・・・・・っ」
いくら皇太子といえど、竜王の決定に異議を唱えることは容易ではない。しかも、まだ成人していない紅蓮は子供と位置づけ
られていた。
本人は悔しいのだろう、紅い眼差しで自分を睨んできたが、紅芭は下がれと言ったきり視線を外した。
自分の処罰が甘いと言う紅蓮が、今の自分の気持ちを分かってくれるのにはどのくらいの時間が掛かるだろうか。もしかしたら
一生分かってもらえないかもしれないが、それはそれで仕方がないと諦めなければならないだろう。
(何をお考えになられているのだっ、父上は!)
大好きな叔父だった。
綺麗で優しい叔母と深く愛し合い、任務が終わればすぐに叔母のもとへと駆けつけていた姿を紅蓮はよく見ていた。
「叔父上!剣を教えてください!」
「お前が?」
「私も、もう剣を扱えてもよい歳です!」
「・・・・・そうだな。しかし、一応紅芭様にお聞きして後、許しを得ればお前の指南役をかってでよう」
「はい!」
聖樹は剣術はもとより、能力者としても名を馳せていて、変化した竜の姿は父に劣らないほどに立派だった。
それほどに強い聖樹が叔母だけには甘く、優しい。そんな2人を見ているだけで、紅蓮も優しい気持ちになれたのだが。
「紅芭!お前が竜王ではこの世界は滅びる!その命、後世のためにここで絶つ!!」
身体の弱い叔母が亡くなり、随分長い間落ち込んでいた聖樹が、突然王家に、父に反旗を翻した時は心底驚いた。
「叔父上っ、お止め下さい!叔母上は病で亡くなったのですよ!」
絶対に何かの間違いだと思い、必死で止めようとしたが、自分を見る聖樹の目は、優しさの欠片も無く、それどころか笑いなが
ら紅蓮に剣先を向けてきた。
「愚かだな紅蓮。長い間の王家の暗い澱があれを殺したのだよ」
「そ、そんなっ」
「お前が竜王になると言うのも笑止。この世界には全く新しい血を入れねばならぬ。それこそ、お前が毛嫌いしている人間の血
でも、な」
「!」
紅蓮の顔色が変わったことに、聖樹は気付いたのだろう。
「お前も、もう知っているのか」
「・・・・・っ」
「幾ら子が少ない世とはいえ、違う血を引き入れるとは・・・・・お前の父はこの竜人界の均衡を自ら壊そうとしているのかも知
れぬな」
「違うっ!」
「私は王がしようとしていることを手伝ってやろうと思っているだけだ。どうせならば全てを新しくした方がいい」
父に、人間の血を引く愛人がいることを知ったのは偶然だった。
この世界に人間が落ちてくるのは滅多に無いことで、そのほとんどは馴染めないままに死ぬことが多いが、まれにその命を永らえさ
せ、竜人と添う者もいる。
その間に生まれた者は世間から隔離されるように生活するのだが、なぜか父はそんな女に手を付け、子まで産ませてしまった。
少子化のせいで、少しでも子が出来る可能性が高いらしい人間の血を引く者を相手にしたのだと噂で聞いた時、紅蓮は身体
中の血が沸騰するほどの怒りと羞恥を感じた。
竜人である自分達よりもはるかに劣る人間を抱くなど、父は何を考えているのだと激昂し、母を可哀想だと思った。
父がその母子と暮らすことは無かったが、まだ幼い頃、神殿にやってきた者を見たことがある。目の色は自分ほどに紅くは無かっ
たものの、能力は高いことは感じられた。
(人間のくせにっ、竜人の力を持つとは!)
それまでも、紅蓮は人間に対してあまり良い感情は抱いていなかったが、それはどちらかといえば、蔑むといった意味合いが強
かった。
しかし、それ以降は忌むべきものとして、絶対に受け入れられない存在となってしまったのだ。
聖樹はそのことを知っているのだ・・・・・紅蓮は自分の恥部を見られたかのような羞恥を感じた。
宮殿の中では公然の秘密のようになっているものの、けして口には出せないはずの話題。
「叔父上、まさかあなたはあいつを・・・・・っ」
「紅蓮、この世には絶対ということはない。そして、永遠の命というものもな」
「叔父上!」
その後のことを、紅蓮はよく覚えていなかった。
滅茶苦茶に力を発した気はするものの、それは聖樹の致命傷にはならず、かえって宮殿を破壊するだけだったようだ。
誰が自分を助け、叔父を追い払ったのか・・・・・知りたくも無かった。
「紅蓮様」
「・・・・・」
名前を呼ばれた紅蓮は、それでも立ち止まらずに歩いた。
その足が向かったのは地下神殿だ。
「・・・・・」
「・・・・・」
そこには、先ほど自分が集めた3人の青年が既に控えていた。
「紅蓮様、お呼びとお聞きしましたが」
穏やかに口を開いたのは、白鳴だ。紅蓮よりも1歳上の白鳴は、いずれ紅蓮が竜王になった時の政務全般の片腕になっても
らうため、今の宰相の下について勉強していた。
「何か、我らの手が必要なことでもあったのでしょうか」
紅蓮より1歳年下の浅緋は、物心ついた時から剣を持ち、その類まれな剣術の才能を見込まれて、10歳になった時には最
年少で軍に入隊した。紅蓮が竜王になった時には、将軍になることが決まっている。
「懸念事項でも?」
おとなしやかな眼差しなのは、紅蓮と同い年の紫苑だ。紫苑も幼い頃から能力を認められ、今の神官長が直々に引き取って
教育している。
「先ずは紅蓮様の言葉を聞こう」
そう言いきったのは、先ほどからずっと紅蓮の傍に控えている黒蓉。この中で一番年少でありながら、既に紅蓮の側仕えとして
仕官していた。紅蓮に心酔し、その命を差し出すことさえ惜しまないほどに紅蓮のことを考えている。
この4人は、いずれ四天王として自分の手足となり、竜人界のために尽くしてもらわなければならない存在だ。
幼き頃より顔も見知っていて、立場が違えど同じ宮殿内で暮らしているのだ、紅蓮はこの4人のことは無条件に信頼していた。
「父上が叔父上の処罰を決定した。北の谷への流刑だ」
「流刑・・・・・」
「そうでしたか」
その言葉の中に意外だという響きがないので、紅蓮は眉を顰めながら睨みつける。
「お前達は納得するのかっ?」
「・・・・・それが、王のご決断であれば」
先ず、そう答えたのは白鳴だ。
「この世界では王の言葉が絶対です」
続いて言った紫苑の言葉に紅蓮は黙り込んだ。
いくら自分の配下として就くことが予定されている者達でも、今の彼らは現王に忠誠を誓っている。王の決断に異を唱えられな
いことは分かるが、それと同時に、その決断を止むなしとも思っているのだろう。
「・・・・・私は、納得出来ないっ」
「紅蓮様」
「多くの者の命を奪い、王家に反逆した者の処罰がこのように軽いものなどとは・・・・・納得出来ない!」
自分が王であれば、きっともっと厳しい罰を与えた。多分、その命で購ってもらうようにしたと思う。それが出来ない父を弱いと
思い、紅蓮は早く絶対的な権力が欲しいと思った。
自分が正しいと思えることを正しく行える力が・・・・・欲しかった。
そして-------------------竜王、紅芭崩御。
その知らせは竜人界全てに通達され、皆賢王の死を悼んだ。
弟の碧香はずっと泣き通しで、美しい碧色の瞳は暗く沈んでいたが、紅蓮は涙を流さなかった。父の死を悲しいとは思うもの
の、それ以上に次期竜王になるという事実の方が重く圧し掛かる。
自分の言葉、自分の行動、全てがこの世界のものなのだ。
「紅蓮・・・・・竜王とは、上に立つだけの存在ではない」
既に自分の死期を悟った父が残した言葉。その言葉の意味を考える時間は無かった。
「・・・・・」
紅蓮は4人を地下神殿へと呼んだ。
いまだ光らない翡翠の玉をじっと見ていると、4つの声がそれぞれ自分の名を呼ぶ。
「紅蓮様」
「紅蓮様」
「紅蓮様」
「紅蓮様」
紅芭の死と同時に、前任は全て解かれ、白鳴、浅緋、紫苑、黒蓉は、それぞれの立場の最高位に就いた。後は、紅蓮が翡
翠の玉に認めてもらえれば、新しい竜王の誕生となる。
「私は、父上のような甘い采配はしない」
「はい」
子供だから、皇太子だからと、これまで自分の意見は何一つ通らず、父の背中をじっと見ることしか出来なかった。
しかし、これからは自分こそが、全てを見、采配しなければならない立場になった。圧倒的な権力を目の前にした今、紅蓮は僅
かな怖さも感じる。
(私が間違ってしまえば、この世界も間違った方向へと進むことになる・・・・・)
自分の立場に胡坐をかいてはならない。
紅蓮はそう自身を戒めると、地下神殿にある翡翠の玉を見つめる。この玉が輝くのは今日か、それとも明日か。
その時になって自分は竜王として恥ずかしくない者でなければと、紅蓮は拳を強く握り締めながら誓った。
end