正しい犬の飼い方
「犬の気持ち」編
「お、上がりか?」
「はい、お疲れ様です」
「最近忙しかったからな、今日はゆっくり休めよ」
「はい」
5期先輩の労りの言葉に、宗岡哲生(むねおか てつお)は一礼してロッカーを出る。
本当は今にも走り出したいくらいなのだが、さすがに20代も半ばを過ぎた自分がそんな子供っぽい真似を出来るわけが無かっ
た。
(裕さん、待っててくれるか・・・・・っ?)
伝えていた就業時間からは既に1時間は過ぎている。
まさかここから携帯を掛ける事も出来ず、宗岡はそのままドンドン早足になった。
警視庁交通機動隊に所属している宗岡の勤務はかなりハードだ。
一応勤務の時間は決まってはいるが、サラリーマンと違って緊急の出動も多い。
人一倍体も大きく体力もある宗岡は、当初率先して緊急の出の時は手をあげていたが、ここ2年ほどばかりはその呼び出しに
も多少二の足を踏むようになっていた。
それは、そんな時に限って彼の大切な人と一緒にいるからだ。
宗岡の大切な人、小田切裕(おだぎり ゆたか)は、自分よりも10歳近く年長だとは思えないほどに若く、ハッとするほど繊
細な美貌の主だった。
明らかに姿形は男なのだが、その持っている雰囲気は・・・・・まるでどこぞの女優のように華やかで、そして性格も半端なく女王
様だった。
「急いでいるんだ、これで済ませろ」
2年前、スピード違反で捕まえた車。
運転席から降りてきたのはスーツ姿だがどことなく目付きが鋭い男で、宗岡は無意識に腰の銃の位置を確かめた。
急いでいるからこのまま見逃せと言う男の言葉に当然従うことなど出来ず、そのまま無言で違反キップを切っていると、後ろの席
から出てきたのが小田切だった。
一瞬、あまりにも綺麗な容姿に見とれてしまい、小田切が何を言ったのか分からなかった宗岡が、もう一度同じ言葉を繰り返
されてスーツの内ポケットから取り出された財布の中から無造作に金を出されるのを見た時、
「買収は犯罪になります」
そう、強い口調で言ってしまった。
その声の調子に小田切は一瞬目を見張り、それからじっと自分を見つめて・・・・・そのまま車の中に戻っていった。
その一連の動きは本当に流れるようにスムーズで、宗岡は目の前の男に急かされるまでそのまま呆然と立ちすくんでいた。
それからしばらく、宗岡の頭の中からはあの綺麗な男の面影は消えなかった。
あの冷たい綺麗な顔でじっと見られる自分を想像し、その後であの顔が笑ったらどんなに綺麗なのかと想像して、信じられない
ことに下半身が反応してしまった。
まさかと思った。
それまで、ハンサムではないものの、自慢出来るほどの鍛えた身体と、男らしい人懐こい容貌で、学生時代から彼女が途切れ
たことはなかった。
もちろん、真面目な宗岡は一途なタイプなので浮気などはせず、付き合ったそれぞれの彼女とは長く交際をしていた。
ただ、この仕事に付いてからは時間が不規則で激務ということもあり、特定な彼女は作っていなかった。
もしかしたら欲求不満なのかもと、一念発起で慣れないナンパをし、ついて来てくれた女とホテルに行った。
結果から言えば、セックスは出来た。
ちゃんと勃ったし、イクことも出来た。
ただ・・・・・それだけだ。
あの綺麗な男の顔を思い出しながら、自分でペニスを擦る方が女とのセックスよりも感じると自覚した時、宗岡は自分がゲイ
なのではないかと思うようになった。
それまで普通に彼女がいたが、もしかしたら潜在的にその素質があったのかもしれない・・・・・そう思い始めると、どうしても確
かめたくなってしまい、宗岡はネットで調べたその手の男達が集まる店へと思い切って足を運んだ。
「あ!」
「・・・・・」
「あ、あんた、あの時の!」
「・・・・・指を指すな」
目の前のカウンターに、あの美貌の男が座っていた。
左右に見目が良い男達を置き、優雅にグラスを傾けているその姿は店の中でもかなり目立っていた。
(この店にいるってことは・・・・・こいつ、も?)
その手の人間しか集まらない店。宗岡はその可能性を考えると、頭の中がパニックになってしまった。
「・・・・・」
どうしようかと目の前で自分を凝視しながら立ちすくんでいる宗岡をちらっと見上げた男は、やがて口元に微笑を浮かべながら
宗岡に言った。
「私と、遊んでみるか?」
その夜の男・・・・・小田切とのセックスは、宗岡の今までの経験を全て覆すものだった。
同性同士で最後まで出来たこともそうだが、女以上に小田切のセックスの技巧は巧みで、それまでの彼女達からもしてもらった
事のある口での奉仕は、それ以前のものがまるで子供のお遊びだったのかとも思えるようなほどに素晴らしくて。
宗岡を受け入れる後ろの蕾を解すのも、自身の指で淫らに見せつけながらこなし、そして・・・・・そこは別の生き物のように宗
岡のペニスを貪った。
熱く、狭く、うねる内部。
宗岡は何度も何度も小田切の内部で欲情を吐き出してしまった。
もう、これは恋だと思った。
眠れないくらいに相手を考え、同性でも構わないと思えるほどに抱けた。
たった一度だけ会った相手に、この広い東京で、これだけの人間がいる中で再会出来たのだ、もう・・・・・離したくなかった。
「あなたに一目惚れした」
翌朝、直情な宗岡は言葉を飾ることもなくストレートに小田切に告白した。
既にシャワーを浴び、スーツに着替えていた小田切には、昨夜の淫らさは欠片も見えない。
「・・・・・私に?」
「付き合ってください」
「これは・・・・・久し振りに聞いた言葉だな」
小田切は笑った。
馬鹿にしたような笑いではなく、本当に思いがけず楽しいといったような笑い顔だ。
宗岡はそんな顔も綺麗だと思いながら、全裸のままベットに正座してじっと小田切からの返事を待っている。
「・・・・・」
やがて、小田切は身を屈めて宗岡の目線まで顔を下ろした。
「これ・・・・・見えないか?」
「え?」
小田切が指差したのは、スーツの襟元のバッチだ。
どこかで見たことがあるような気がしないでもないが、弁護士や議員のものとは違うだろう。
そんな宗岡の途惑いに直ぐに気付いた小田切は、目を細めながら口を開いた。
「私は羽生会の会計監査をやっている。簡単に言えば、お前達が最も嫌うヤクザだよ」
「!」
その時の衝撃は、2年経った今でも忘れていない。
小田切がヤクザだと聞かされて、一番初めに頭に浮かんだのは、
「まずい」
という、保身ではなく、
「脅される」
という、恐怖でもなく、
「縛りつける方法がある」
という、喜びだった。
小田切がヤクザならば、警察官の自分に対して負い目というものがあるはずだ。一般人なら色々モラルとか何とか考えなけれ
ばならないことも多くありそうだが、初めから道を外しているヤクザ相手ならばゲイでもなんでも関係ないと思った。
「俺の気持ちは変わらない。付き合って欲しいんだ」
重ねて言った宗岡に、さすがに小田切は驚いたように目を見張った。
「ま・・・・・縛り付けられてるのは俺の方だけど・・・・・」
職業的にも自分の方が優位だと思っていた宗岡の思惑は直ぐに覆された。
小田切はヤクザにしておくのには勿体無いほどに頭が切れ、なおかつ・・・・・Sだった。
宗岡はまさか自分がとは思わなかったが、精神的に・・・・・というか、小田切に対してはどうやらMらしく、『犬』と言われても甘ん
じて受け入れてしまっていた。
焦らされても、苛められても、2年経った今でも傍にいてくれることが小田切の答えだと、今の宗岡には確固たる自信がある。
普段は何も言わない小田切が、結構自分を想ってくれていることも知っている。
「あ!」
署から出て急いでタクシーを拾おうとした宗岡は、目の前に止まった車の中を見て目を丸くした。
「裕さん!」
(俺を迎えに?)
敵地である警察署までわざわざ迎えに来てくれたのかと思うと思わず頬が緩んだが、少しだけ窓を開けた小田切の口から出た
のは可愛らしい言葉ではなかった。
「今何時だ?」
「ご、ごめんっ、急に交通事故の処理に借り出されて・・・・・!」
「私には関係ないことだよな」
「あ、え、うん、でもっ」
「せっかく可愛い犬と遊ぼうと思ったんだが、どうやらまだまだ躾が足りないようだ。私は今から別の犬に会いに行くから」
「えっ?ちょ、ちょっと、裕さん、それって誰だよ!」
「気になるなら後をついて来い」
小田切がそう言い終わると同時に車は走り出した。もちろん徐行ではなく、普通にだ。
「・・・・・っ!」
宗岡は迷うことなく車の後を追って走り出した。
後を付いて来いと小田切が言ったのだから、追いかけなければならないと思った。大体、1時間も待たせてしまったのに、こうして
顔を見せてくれるだけでも自分が彼にとっては特別なのだと思えた。
(俺って・・・・・ホントに犬だなっ)
多分、この数キロ先で、小田切は待ってくれているはずだ。
「・・・・・っ」
言葉通りにすれば甘いご褒美をくれる優しいご主人様だと、もう2年も小田切の犬を続けている宗岡には分かっている。
傍から見ればどうかは分からないが、宗岡は結構幸せな犬なのだ。
end