「・・・・・なんだか、騒がしいですね」
「申し訳ありません。奥のお客様がちょっと・・・・・直ぐに人を呼びに行かせますので」
「・・・・・いいえ、私が」
「倉橋さん」
「これでも、私も多少は心得もありますので」
経済ヤクザ開成会(かいせいかい)の幹部である倉橋克己(くらはし かつみ)は、その夜偶然、赤坂のバーにやってきていた。
本来、酒が出る店、というか、夜の繁華街に関係のある仕事は、同じ幹部の綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)も、組員達も倉橋
には任せなかった。
それは頼りないというよりも、酒の弱い倉橋に余計な負担を掛けさせたくないという過保護な気遣いのせいだ。
しかし、今夜はたまたま、倉橋が1人でいる時に、今度大阪から来る客を接待する店から連絡があった。
先方の好きな酒など、情報を教えて欲しいという言葉に、それくらいなら自分でもと思った倉橋は、誰にも言わずに資料を持って
店にやって来たのだが・・・・・。
(場所柄を考えられないのか)
接待用に選んだ店だけに、落ち着いていてかなり雰囲気はよい感じだった。
それなのに、奥に場違いな集団がいる。20代後半らしい、どこか金持ちのボンボンといった感じの男1人に、20歳そこそこの若
い女が3人。
店の雰囲気を壊すその集団に、倉橋は静かに近付いていった。
「失礼、場所を間違えていませんか」
「なんだあ?」
いきなり、冷たい声音で話し掛けられた男は、多分女達への見栄だろうが、半分喧嘩腰に倉橋に視線を向けてきた・・・・・が、
その剣呑な目が驚きに見開かれた。
「聞こえませんでしたか?」
「あ・・・・・いや」
「申し訳ないが、この店は騒ぎに来るところではありません。大人しく飲むか、それともこのまま出て行きなさい、いいですね?」
「あ・・・・・はい」
男だけではなく、女達も倉橋の涼やかな容貌に半ば口を開けて目を見開いている。そんな女達に向かい、倉橋は冷ややかな
微笑を浮かべた。
「分かっていただけたら結構です」
「いいっ?もう、絶対に1人で飲み屋に行かないでよっ?約束よっ、約束!」
それから数日後。
先日のバーでの一件をどこから聞いたのか、綾辻に頭ごなしにそう言われてしまった倉橋はあまり面白い気分ではなかった。
大体、ヤクザの組の幹部である自分が、夜の繁華街を1人で歩く事も出来ない、それも、子供のように注意されていると、いっ
たい誰に言えるだろうか。
(別に、飲まなかったら何でもないことなのに・・・・・)
あからさまに反抗するのも大人気ないと思ったものの、大人しく言うことを聞いているのも悔しい気がする。
倉橋は綾辻が事務所に不在の時を狙って、組のシマの見回りに言ってくると事務所を出た。
「倉橋幹部っ、同行させてください!」
「自分の仕事をしなさい」
「倉橋幹部っ、車を出しますのでっ」
「構うな」
(どうして誰も彼も・・・・・)
歩きながら倉橋は眉を顰める。
けして女っぽい容貌をしているとは思わない自分が、どうしてこんなにも心配をされるのだろうか。
それは中学を卒業してから頻繁になってきて、高校時代や大学時代も、数少ない友人の何人かは倉橋の保護者のように注意
し、傍にいた。
(私の何がそうさせるんだ・・・・・?)
「・・・・・」
考え込みながら歩いていた倉橋は、ふと視界の中に揉めているような男女を映した。どうやら男はホストのようで、女はOL風の
若い女だった。
「しつこいのよっ」
「いいじゃないか、少しくらい〜」
「・・・・・」
(キャッチか)
多分まだ見習いか、それに近いくらい年数の浅いホストなのだろう。まだ自分に客が付いていないホストはこうやって街で客を捕
まえるのだが、どうもそのやり方はスマートではないようだった。
「放してってば!」
「おい、どうしたんだよ」
そんなホストに、仲間のホストが2人近付いてきた。危機感を感じたらしい女の顔色は青く、このままでは警察沙汰になってしま
いかねないと思ってしまった倉橋は、そのまま足を早めてその一団に向かった。
「何をやっている」
「え・・・・・あっ」
「く、倉橋幹部?」
「私の顔を知っているのか?」
「い、以前に見掛けたことがありますっ」
それは、嘘ではないだろう。ここは開成会のシマで、倉橋は1人ではないが何回もこの街を歩いている。まだ新人らしいホスト達
が倉橋の顔を知っていてもおかしくはないと思いながら、倉橋はいきなり現れた自分に驚いている女に向かって軽く頭を下げた。
「申し訳ありません、無理にお誘いをしてしまって。この者達はしっかりと教育しますので、どうかお許し頂けませんか?」
「あ、は、はい」
どう見てもどこかのエリートサラリーマンか弁護士のような知的な雰囲気を持つ倉橋に女も呆けたようにコクコクと頷く。
倉橋はそれを確かめてから、3人のホストを目線で促した。
ビルの陰に3人を呼んだ倉橋は、身長だけは自分よりも高い男達を、少しだけ顔を上げて下からねめつけた。
「強引なキャッチは禁止されていると知らないのか」
「い、いいえ、で、でもっ、俺達、なかなか客が付かなくて・・・・・」
「今日、売り上げがなくちゃ首だって・・・・・」
「どうしても、止めたくないんです」
口々に悲観的なことばかり言う男達に、倉橋は呆れてしまった。今ここで倉橋にそんなことを訴えてもどうにもならないというより、
そんなことを言っていたらこの世界では生きていけないだろう。
「幾つだ」
「み、みんな、19歳です」
「・・・・・東京の人間じゃないのか?」
「俺とこいつは、神奈川からで、こいつは静岡から、です」
「店はどこだ」
「え?」
案内されたホストクラブは、開成会の息が掛かった場所だった。倉橋は実際に店には来たことは無かったが、名前は知っていた
し、店長とオーナーには年に数度会っている。
「く、倉橋幹部っ」
倉橋が3人のホストを背に従えて店のクロークに現れた時、ドアボーイから連絡が行って駆けつけた店の店長は何事かと焦って
いたが、倉橋は何でも無いように言う。
「彼らの同伴だ」
「・・・・・え・・・・・あ、あの」
「15分くらいしかいられないが、席に案内してくれ」
綾辻が事務所に帰ってくるまでには戻っておかないと後が煩い。
倉橋が店長と3人のホストに囲まれてフロアを横切ると、いっせいに視線が集まってきた。
最近はホストクラブにも気軽に男が遊びに来ることもままあるらしいが、それも話のネタに友人達とや、カップル、話し相手が欲しく
て来るのは幾らか年配の男だ。
そんな中で、倉橋ほどに容姿共に突出している男が1人で来るとはかなり珍しい。
しかし、基本的にホストクラブの金銭面に関しては詳しくても、ホストの仕事の何たるかはよく分かっていない倉橋は、奥のVIPル
ームに腰を下ろすと、目の前で緊張した様子で立ったままのホスト達を見た。
「接客はしないのか?」
「あ・・・・・あの、お、お飲み物は?」
「ウーロン茶」
「ウ、ウーロン茶?」
「私は酒が駄目だ」
「あ、はいっ」
直ぐに1人が部屋を出て行く。
残った2人はどうしようかとしばらく顔を見合わせていたが、やがておずおずといったように倉橋から少し離れた位置のソファに腰を
下ろした。
「・・・・・」
(若いから、仕方がないのかもしれないが・・・・・)
まだ全然垢抜けておらず、上昇志向も見えない若者達。これではこの世界では生きていけないだろう。人事ながらもどうするの
かと、倉橋は内心溜め息をついてしまった。
ウーロン茶は運ばれてきたが、それから会話が弾むということもない。
倉橋はしばらく腕組みをしていたが、やがて時計を見て立ち上がった。
「あ、あのっ?」
いきなり動いた倉橋に、ホスト達は自分達が何かしたのかと焦ったようだが、倉橋はただ単に始めに言った時間が経ったから立
ち上がっただけだった。
「あっ」
VIPルームの入口に立っていた店長は、慌てて頭を下げてくる。その姿に、倉橋は淡々と言った。
「ここはカードでも構わなかったな」
「は、はい」
「では、この三人の名前でドンペリを1本ずつ」
「ドンペリ、ですか?」
思った以上に店長の声は店内に響いて、それでなくても倉橋の動向に視線を向けていた客の女達やホスト達は驚いた顔をす
る。
「3本は、ボトルに入れられるんですか?」
「私は飲めないからな。今ここにいる女性達に振舞ってくれ」
背中に歓声を聞きながらカードで支払いを済ませた倉橋が店を出ると、
「待ってください!」
たった今ドンペリを入れてやったホスト達が後を追ってきた。
「あっ、ありがとうございます!」
「最近、滅多にドンペリなんか出ないのに」
「俺達なんかの為に・・・・・っ」
「これきりだ」
礼を言い続けるホスト達に、倉橋は静かに言い切った。
「シマの中の人間全てに肩入れなど出来るはずはない。今日は、たまたま縁があって顔を知ったお前達に僅かながら協力をし
たが、これで最初で最後だと思いなさい。今日の売り上げで首が繋がっても、今までのような心根ではこの世界で生きていくこと
は絶対に出来ない」
「・・・・・」
「もしも次に会った時、お前達に輝きがなかったら私は無視をする。今この時間を無かったことにするつもりだ。私にこの時間が
無駄だったと思わせないようにしてくれ」
「夜8時以降は、1人での外出禁止!」
先日、またも1人で繁華街に、それもホストクラブに行ったことがなぜかバレてしまった。いったいどの組員が綾辻に進言している
んだと眉を潜めるが、倉橋は自分が夜の街でかなり有名なことを自覚していない。
連れが、開成会の会長と、夜の街の有名人である綾辻。
そして、自身も一滴も酒を口にせず、冷然とした佇まいで酒の席に座っている倉橋は、クールビューティーとして名高いのだ。
「・・・・・なぜ私が、中学生のように外出禁止を言われなければならない?」
「倉橋幹部」
「全く、あの人の言っている意味は理解出来ない」
口では文句を言いながら、それでも言い付けられた通りに事務所にいる倉橋を組員達は苦笑して見つめる。
「綾辻幹部も色々心配なんじゃないですか?」
「何を?」
「えっと・・・・・その、例えば、酔っ払いに絡まれるとか」
「私を女子供と一緒にするな。少しは心得もある」
もちろん、組員はけして倉橋を弱いとは思っていないが、あくまでも倉橋の強さはルールがある試合でのもので、夜の街の何で
もありな攻撃には弱いのではないか・・・・・それが皆の一致した意見だ。
平均身長はあるものの、少し痩せ過ぎな倉橋。
常に組のことや海藤のこと、そして、倉橋とは正反対の破天荒なもう1人の幹部、綾辻の心配をしているので、もしかしたらその
心労(大部分が綾辻)が重なっているせいではと心配している組員達は、綾辻の少々過保護な締め付けも納得していた。
「送っていきましょうか?」
「社長が働いているのに、私だけ帰れるはずがないだろう」
「でも、飲みに行ってますから、帰りは何時か・・・・・」
それは、先日倉橋が1人で打ち合わせに行ったバーだ。
「真琴さんをそんなに待たせるほどに飲まれる人じゃない。私が迎えに行ってそのまま送るから、お前達も番以外の者は構わず
に帰りなさい」
「い、いえっ、俺達もまだっ」
それこそ、倉橋を残して帰れない組員達は、早く綾辻から連絡が来るのを待っていた。
「お疲れ様でした」
それから2時間後 --------------------- 。
綾辻からの電話でバーまで迎えに行った倉橋は、店のドアの前で深く頭を下げた。
「わざわざすまないな」
「そうよ、克己が来ることないのに〜。あいつら、明日苛めてやらないとっ」
先方は既に待機していた組員がホテルまで送った後だ。
相変わらず酒に強いらしい海藤と綾辻は全く酔った素振りも見せなかったが、綾辻はどうやら倉橋が迎えに来たことを面白く思っ
ていないらしい。
(別に酒を飲むわけじゃなく、迎えに来ただけだというのに・・・・・)
店の前まで車で来て、このドアまで数メートル。いったい何が起きるというのだろうか?
「では、社長、このままマンションに・・・・・」
そう言った倉橋が顔を上げた時、
「あ!いた!!」
いきなり大きな声がして、倉橋は腕を掴まれた・・・・・いや、掴まれそうになった瞬間、綾辻が身体を割って入ってきた。
「捜してたんですっ、この間のこと謝ろうと思って毎日この店に通っててっ。名前も何も教えてくれなかったんで、ここで待つしかな
かったんですよ!」
「・・・・・克己、知ってる人?」
「・・・・・」
「ほらっ、一週間前、この店で騒いでいたのを叱られた!」
「・・・・・ああ、あの時の。わざわざ謝罪など必要なかったんですが・・・・・」
倉橋にとれば日常の中の一コマだったが、相手に取ったらかなりショックだった出来事なのかもしれない。
自分の言動に後悔はなかったものの、ここは一応何かを言った方がいいのだろうか・・・・・そんなことを思っていた倉橋よりも先に、
綾辻がにっこりと貼り付けたような笑みを男に向けて言った。
「は〜い、わざわざご苦労様。でも、この人は忙しいの。あの時のことは忘れて、もう捜したりしないでね?」
「あ、いや、俺はっ」
「じゃあね〜」
「ちょ、ちょっとっ、綾辻さんっ」
綾辻は倉橋の背中をドンドン押して店の外に出る。
「綾辻さんっ、いきなり何をするんですかっ」
倉橋は車の前まで来た瞬間、綾辻を振り返って文句を言った。しかし、そんな倉橋以上に綾辻の顔は怒っている。
「克己、あんた、変なフェロモン出してるんじゃないでしょうねっ?」
「・・・・・はあ?」
「1人で外を歩かせたら、変なのばっかり引き寄せちゃって!それもっ、男ばっかりよ!もうっ、心配で外に出したくなくなるじゃな
いの!」
(・・・・・何を言ってるんだ?この人は・・・・・)
綾辻の言っている意味が分からずに、倉橋は傍にいる海藤を見上げた。その倉橋の視線に、海藤は少しだけ目を細めて口元
を緩める。
「余計な心配だろうが・・・・・させてやれ」
綾辻の心の平穏の為になと言われても、意味が分からない倉橋は何と言葉を返していいのか分からない。
(フェロモン?・・・・・匂いか?)
こっそり自分の手首を鼻に近付けても、特に何の匂いもしないと思う。
「克己!これからは午後5時以降の1人での外出禁止よ!」
綾辻は、まだ怒ったように何か叫んでいる。
(午後5時・・・・・私は小学生か・・・・・)
それでも、多分・・・・・その言葉を出来るだけ守ろうとする自分を、倉橋はとっくに予想が付いていた。
end
人気投票、第二位の倉橋さんです。
夜の街で人気のある倉橋さんの一面を覗いてもらいました。モテモテフェロモン爆発です(笑)。