相良&奈津編
相良聖准(さがら せいじゅん)は画商の坂井と共に、自分のマンションのリビングにいた。
先程からずっと相良の眉間には幾筋かの皺があり、その表情は憮然としている。
反対に坂井はニヤニヤと面白そうに笑みを浮かべながら、リビングのガラスのテーブルの上に広げられている雑誌をピンと
指で弾いた。
「何だ、その顔は。綺麗に撮れてると思わないか?」
「・・・・・奈津のスケジュールは全部俺が押さえていたつもりだが?」
「どうしても断れない仕事ってのは世の中にはあるんだよ」
「・・・・・」
相良は嫌々雑誌に視線を戻した。
巻頭のカラーの見開きのページにアップで映っているのはモデルのナツ・・・・・いや、相良にとっては恋人の樋口奈津(ひ
ぐち なつ)だ。
画商の坂井の知り合いのモデル事務所に所属していた奈津とは、相良の絵のモデルをしてもらうという事で出会った。
容姿は繊細に整っているがモデルとしてはイマイチで、最後のチャンスとして相良の絵のモデルを引き受けたらしい。
確かにモデルとしては綺麗な奈津だったが、その存在はまるで綺麗な人形のようで、生きている人間としての生々しい
艶やかさが欠けていた。
その無味無臭の美に、相良は色をつけていったのだ。
(俺の絵以外のモデルは断れと言ったはずなのに・・・・・)
30代前半ながら海外でも高名な画家の相良には、奈津を専属にするだけの力は十二分にあった。
奈津も最初は独占されることを内心喜んでいたようだったが、事務所社長からの命令で今回の雑誌のモデルを引き受
けることになってしまったようだ。
「綺麗だろ」
「・・・・・」
「そそるっていうのかな・・・・・女とは違う色気だ」
いや、その雑誌だけではない。その雑誌の仕事以降、奈津の仕事は途切れなかった。
相良の専属モデルになったということがかえって奈津の価値を高め、奈津もその期待に応える様に頑張った。
「喜んでやれよ」
「・・・・・」
「お前があいつを変えたんだろう?」
(俺じゃない・・・・・あいつは自分で変わっていったんだ)
元々性格は負けず嫌いな上、仕事に対しては真摯な思いを持っている奈津。それに中性的な色っぽさを加えると、本
当に不思議で魅力的な存在感を醸し出すようになった。
元々奈津自身がそんな風に変わる素質があったということなのだろうが、それをリアルタイムに感じることが出来るのが自
分以外にもいるという事実が面白くない。
「・・・・・お前だろ」
「ん〜?」
「奈津の事務所の社長とお前・・・・・何かあるな?」
「どうだか」
奈津の評価では、優しくて真面目だという風になっているが、実際の坂井はくえない男だ。
今も相良の質問にははっきりと頷かず、同時に否定はしないという卑怯な曖昧さを楽しんでいる。
「おい、本当に・・・・・」
さらに相良が問い詰めようとした時、突然インターホンが鳴った。
時計を見ると、約束の時間まで後5分という時間になっている。
「ああ、奈津君が来るのか?」
相良の視線だけで坂井は悟ったのか、笑いながらソファから立ち上がった。
「お邪魔虫は帰るか」
「あ、坂井さん」
「今日はオフ?」
「はい、あの、何か相良さんに用が・・・・・」
「もう終わったよ、ごゆっくり」
玄関から聞こえてくる声を聞きながら、相良はわざとソファから立ち上がらなかった。
相良だけのモデルでいるという約束を破った奈津に、自分は怒っているのだということを知らせる為だ。
しかし。
「ねえ、相良さん、今坂井さんが・・・・・あ!これ買ってくれたんだ!」
リビングに入ってきた奈津は、テーブルの上に広げられた雑誌を見て顔を綻ばせた。
「これ、すっごく表情がいいって褒められたんだ!ね、相良さんから見てどう思う?」
相良の答えをドキドキしながら待っているのが丸分かりのその表情は、目の前の雑誌の中にいる妖しげなモデル、ナツで
はなく、相良の恋人、樋口奈津の顔だ。
「ね?」
「・・・・・」
「ねえってっ!」
相良は笑った。
たとえモデルのナツが不特定多数の人間のものになったとしても、奈津のこの表情はきっと自分だけのものだろう。
「そうだな」
「うわっ」
いきなり、相良は奈津の身体を抱き上げた。
「答えはベットで、な」
「え〜っ?」
もっともっと、自分だけが見れる奈津の姿が見たい・・・・・そう思った相良は、暴れる奈津の身体を難なく腕の中に閉じ
込めながら、そのまま寝室へと歩いて行った。
end