相良&奈津編
急に撮影スケジュールが変更になり、樋口奈津(ひぐち なつ)は午後からの予定がぽっかりと空いてしまった。
最近急に忙しくなり、時間があったらしたいことが色々とあったはずなのに、あまりにも急に出来た時間をどうすればいい
のかとっさに思い付かなかった。
いや、急にだからこそ、本当にしたいことだけが思い付く。奈津は、二週間ほど電話でしか話せなかった恋人に会いた
いと思ってしまった。
相良聖准(さがら せいじゅん)。
まだ30代半ばだというのに、海外でも名前の売れている画家。
売れないモデルだった奈津は、彼に見出され、モデルになった絵が切っ掛けで、雑誌モデルやショーにも呼ばれるように
なった。
トップモデルというにはまだまだだが、それでも、かなり売れている方だろう。仕事も増えて、意欲が湧いて、しかし、その
せいでせっかく恋人という関係になった相良と会う時間が極端に少なくなってしまった。
今までは売れないモデルだから、何時でも相良のマンションに遊びに行くことが出来たが、今は一週間に2度がせいぜ
いだ。
余裕があり、意地悪な相良は案外独占欲も強いようで、自分以外の仕事はするな、専属モデルになれとずっと言い
続けているが、今の奈津にその選択は出来ない。一度は辞めようと思ったモデルだが、今ではとことんやってみようと思っ
ているのだ。
そんな奈津の態度のせいか、最近の相良はご機嫌斜めの時が多い。奈津は、突然空いたこの時間は相良に会えと
言われていると思えて、思い切って連絡無しでマンションまでやってきたのだが・・・・・。
「・・・・・留守?」
幾らインターホンを鳴らしても、何の反応も無い。
家が仕事場のような男がこんな昼間からどこに行ったのだろうと携帯に掛ければ、たまたま取引のある画商と会っているら
しい。
そのままマンションで待っているようにと言われた奈津は、貰っていた合鍵で部屋の中へと入った。
「・・・・・絵の具の匂い」
部屋の中は、微かな油絵の絵の具の匂いがした。
自分がモデルの時も何時もこんな匂いがしていたなと思いながら、奈津は相良の仕事場である部屋を覗いてみる。
相良は神経質な方ではなく、奈津が仕事場に入っても怒ることは無い。かえって、自分の仕事に興味を持っているんだ
なと嬉しそうに言うくらいだ。
(書き掛けの絵は無いみたい・・・・・)
相良の綺麗な色使いの絵を見たかったなと思った。彼は基本的に自分の絵を手元に置いておかず、信頼している画
商に全て預けているのだ。
「・・・・・残念」
リビングで待っていようと思った奈津は踵を返そうとしたが、ふと目の端に入ってきたものに視線を止めてしまい、思わず
振り返ってしまった。
タクシーから降りた相良の口元はずっと笑ったままだった。
先ほど別れた画商の坂井も、
「何かいいことあった?」
と、面と向かって聞いてきた。
もちろん、それを口に出して説明してやるほど親切ではなく、相良はふんっと笑みを深くしただけだ。多分、察しの良い
あの男は気付いたのだろう、無理させないようにと余計なことを言っていた。
(無理させるに決まってるだろ、あの我が儘な子猫にはな)
寂しがり屋で、甘えん坊で、直ぐに落ち込むくせに、強がりで。
自分が抱きしめてやらないと不安になるくせに、最近は仕事の面白さを覚えたようで、大切な恋人にこんなにも寂しい
思いをさせているのだ。
(少し、苛めてやらないとな)
始めは、ただ綺麗なだけだった子供。
それでも、自分を睨みつけてくる目の奥の光が気になって・・・・・半分からかうつもりで手を出したのが、思いっきり自分の
方が嵌ってしまった。
その上、愛情垂れ流しの絵のせいで奈津のモデルとしての評価はうなぎ上りで、正直言って面白くない。
奈津が楽しそうに仕事をしている姿を見るのは楽しいが、自分に向かってキャンキャン吼えてくるようなスキンシップも楽し
いのだ。
(それには、傍にいてくれないと出来ないんだよな)
「奈津?」
インターホンは鳴らさず、自分で鍵を開けて中に入った相良が名前を呼ぶが、それに対する返事は無かった。
遅くなったことを怒って、拗ねているのだろうか?
玄関先には見慣れた靴が行儀良く並んでいる。
もしかして眠っているのかと思いながらリビングに行きかけた相良は、途中仕事場の部屋が僅かに開いているのに気がつ
いた。
「奈津?」
名前を呼びながらドアを開けると、求める姿は確かにそこにある。
「・・・・・奈津?」
しかし、その表情は想像していたような拗ねた顔ではなく、頬を赤くし、目元を潤ませた・・・・・欲情した顔だった。
「・・・・・お前・・・・・」
奈津の目の前には、何枚もの写真が並べられている。それは、どれもセックスをした後の、半分イッてしまっている奈津
の裸身の写真ばかりだった。
「今日のカメラマンの人、すっごく綺麗に撮ってくれたんだ。全然俺じゃないみたい」
以前、マンションに遊びに来た奈津がそう言っていたのを聞いて、相良は面白くない気分を味わった。
相良は、奈津の魅力は自分が一番最大限に引き出せると思っているし、写真なんか、カメラが良ければ誰だって上手
く撮れると思っていた。
それを証明するわけではないが、セックスの後の前後不覚の奈津を写真に撮ってみたのだが・・・・・これが案外嵌って
しまい、今では新しいカメラを購入したくらいだ。
今朝出掛けに整理をしたまま、床に放り出していたのを見つけたのだろうが・・・・・。
(怒ってる・・・・・ようには、見えないな)
「奈津?」
「・・・・・これ、相良さんが撮ったの?」
「ああ。結構上手く撮れてるだろ」
「・・・・・」
何を言うでもなく、奈津は困ったような顔をして、身体をモゾモゾと動かしている。その様子と、表情に、ようやく彼が何
を思っているのか思い当たった相良は、ふっと笑みを浮かべてその前に膝を付き、顎を取って上向かせた。
「なんだ、これで感じたのか?」
「か、感じてなんか・・・・・」
「・・・・・そう言えば、最後に抱いたのは二週間前だったな。お前くらい若いんなら溜まってるか」
「・・・・・っ、ヘンタイ!」
口では可愛くないことを叫んでいるが、その目は明らかに誘っている。本職のモデルをこれだけ感じさせる写真を撮れる
なんて、自分の才能は分野を選ばないなと嘯きながら、相良はそのまま奈津の唇を奪った。
「んっ」
直ぐに、蕩けていく身体。しかし、あまりにも感じやすいというのも考えものだ。
今回は自分が撮った際どい写真だったが、もしも普通の撮影でもこんな風になってしまったら、誰だって素直なこの身体
を押し倒して喰らおうとするだろう。
(誰が飼い主か、きちんと教えてやらないとな)
感じるのは、相良の目を通した絵や写真だけなのだと覚えこませるために、相良は今からたっぷりとこの身体を味わうこと
にした。
end