胸の前でしっかりと手を合わせ、目の前に並んでいる数字をじっと見つめる。
番号は、ちゃんと覚えていた。お前はそそっかしいから、桁を間違えないようにと母に言われ、落ちてもちゃんと連絡するんだぞと父
に言われ、兄ちゃん頑張ってと弟に応援された。
もう落ちた時のことを考えなくてもいいのにと思うが、確かにその覚悟はちゃんとしておいた方がいいだろう。
「大学行かなかったら、俺のとこで花嫁修業してろ」
「そ、そんなのっ、不毛過ぎる!」
「そうか?」
試験を受けた直後は大丈夫だと何度も自分に言いきかせたが、日が経つにつれてどんどん自信は無くなって。
そんな太朗を励ましてくれたのは家族や友人の言葉と、なにより俺様な恋人の傲慢な言葉。彼と共にいるのはもちろん嬉しいけ
れど、それと大学の合格は全く別の問題だ。
今回落ちても来年。恋人の言葉は負けず嫌いな自分の心を反対に奮い立たせてくれるものだった。
「ほら、番号は?」
「えっと・・・・・なくかもよ?」
「はあ?」
「だから、なくかもよ。7904」
「なんだ、その語呂合わせは」
笑いながらそう言われたが、番号を見た時にとっさにそう思ってしまったのだから仕方が無い。
(それに、落ちて泣くだけじゃないし!)
物事は常に良い方に考えると何度も口の中で呟きながら目を動かし続けた太朗(たろう)は、
「あっ」
思わず声を上げてしまった。
その隣で、恋人の笑う気配を感じる。
「また、祝い事が出来たな」
「・・・・・ん」
「これで、お前も大学生か」
「も・・・・・子供って、言えなくなるだろ」
「バ〜カ。俺にとっては、お前は何時まで経っても子供でいいんだよ」
何だそれはと言い返したいのに、今の太朗は口を開けば泣き声になってしまいそうな気がしてしまう。
そんな太朗の気持ちを十分分かってくれている恋人・・・・・上杉滋郎(うえすぎ じろう)は、大きな手で髪の毛をクシャッと撫でて
くれた。
「おめでとう」
「・・・・・ありがと、ジローさん」
苑江太朗(そのえ たろう)は数日前に無事高校の卒業式を終え、本日の合格発表で見事春から大学生になることが決まっ
た。
実力を出せれば大丈夫だと言われたものの、今日までずっと落ち着きのない日を過ごしていた。
合格か、不合格か。高校受験の時ももちろん緊張したが、大学受験の今回は将来の夢に直接繋がる出来事であり、ずっと応
援してくれた上杉の気持ちも背負っているので、どんどん追い詰められる気がしていたが・・・・・結果、こうして桜は咲いてくれた。
「ありがと、ジローさん、一緒に来てくれて」
合格者の名前が貼り出される頃から自分と一緒にこの寒空に立ってくれた上杉の気持ちに感謝すると、上杉はそんなことかと
笑っていた。
「当たり前だろ。大事な恋人の人生の第一歩だ。良くも悪くも、立ちあえて嬉しいぞ」
「・・・・・そっか」
書類を受け取って校門の外へと向かう太朗達とは反対に、続々と校門をくぐってくる同じ年頃の男女。この中のどのくらいの人
間が合格し、友人になれるのだろうかと思うとドキドキとワクワクが止まらない。
(でも・・・・・みんなどう思っただろ)
明らかに親子、兄弟の関係には見えない太朗と上杉。
上杉はごく普通のスーツを着てきてくれているものの、やはりその堂々とした体躯と男らしい容貌は目立っていて、合否を確認に
来た親達や、キャンパスの中を行きかう女子大生達も興味深そうな眼差しを向けてきていた。
まさか堂々と腕を組んでカミングアウトするつもりはないものの、意味深な眼差しは傍にいて面白いものではない。
合格の高揚感も手伝い、太朗は上杉の腕をギュッと掴んだ。
「どうした?珍しいな、甘えるなんて」
「・・・・・合格したし」
「そうだな。祝いに何が欲しい?」
「ん〜、何時もいっぱい貰ってるし」
「やってるか?」
「貰ってるよ」
(合格発表なんかに、こうしてついてきてくれてるじゃん)
それだけではない、上杉は太朗の卒業式にも姿を現してくれた。太朗にとっての新しい旅立ちにちゃんと立ちあってくれる彼の
優しさと覚悟が、太朗にとっては何よりのプレゼントであった。
大きな拍手とともに、卒業生が体育館を出ていく。
絶対に泣くはずが無いと思っていたのに、太朗は鼻の奥がつんとしてしまい、自分は泣いているのだということを自覚してしまった。
(終わっちゃった・・・・・)
これでもう、この学校ともお別れだ。
現実的に言えば、まだ大学関係のことで学校を訪ねて来ることはあるだろうが、それでも、生徒としてこの中を歩くことはもうない。
「・・・・・」
(あ、いた)
視界の中に、ハンカチを握り締めている母と、厳つい顔にたくさんの涙をためている父が映る。そんな2人に少しだけ笑みをうか
べて見せた太朗は、列に合わせて外へ出た。
「なあ、これからどうする?」
「カラオケ行かない?」
「俺、彼女と一緒に帰るつもり」
しんみりしていた式とは違い、外へ出た卒業生達の会話は賑やかで、太朗は手にした卒業証書を見なければ今日が卒業式
だということを忘れそうだなと思った。
「タロ、親父さん達待ってるのか?」
「あ〜、うん、多分。父ちゃん、一緒に写真撮ろうって張り切ってたし」
「はは、らしいよな」
太朗の家族とも顔見知りの親友、大西とは、大学を受かればまた一緒だ。
自分よりも頭の良い大西が落ちるということはほぼ無いだろうと思っている太朗は、この3年間で随分大人びた大西の顔をじっと
見上げた。
「な、何だよ、タロ」
その視線があまりに真っ直ぐ過ぎたのか、大西の視線は逸らされ、声も少し揺れていたが、太朗にはそんな微妙な男心を察す
ることが出来なかった。
「ん〜・・・・・改めて、よろしくって思ったから」
「え?」
「まだ一緒にいられたらいいよな」
子供っぽい思いかもしれないが、太朗はまだまだ沢山の友人を作りたいし、新しいことに挑戦もしたい。
そして、そこには自分というものを良く知っている友人がいてくれたら、もっと楽しくなるような気もしていた。
(俺、ちゃんとお前のこと親友だと思ってるんだからな?)
気恥ずかしい言葉は胸の中で囁いただけだったが、そんな太朗の思いは大西にもちゃんと伝わったらしく、大西は苦笑しながら
太朗の髪をわしわしと撫でてくれた。
「当たり前。俺とお前はまだまだ一緒にいるの!」
合格発表を見る前にそう言い切ってしまう大西に笑うと、なぜかゴホゴホと咳き込んだ大西は、帰りはかなり大変だぞと早口に
言った。
「帰り?」
「お前、結構人気あるから」
「先輩!一緒に写真撮ってください!」
「握手っ、お願いします!」
「先輩の物っ、何か貰えませんかっ?」
高校生活最後のホームルームを終えて教室を出ることになった太朗達3年生には、後輩達の凄まじいお願いコールが襲ってき
た。今日で実質学校に来るのが最後の卒業生に、最後の最後、アピールする場だからだろう。
「ありがとうございますっ、タロ先輩!」
「ううん、俺もありがとう」
太朗も、思った以上に引っ張りだこになった。
自分より背の低い女の子とも、頭一つ分高い後輩とも、受け取った花束を抱いて満面の笑顔で写真を撮る。向けられる好意
がどんな種類のものかは分からないが、それでも好かれるというのは嬉しい。
名札もボタンも乞われてあげたし、それはハンカチや上靴にも至った。そんなものでいいのかとも思ったが、もう着ないものを欲し
いと思う者にあげるのは嫌ではない。
ただ、子供っぽいかもしれないが、第二ボタンは駄目だと言った。
(貰ってくれるかどうか、分かんないけど)
外で自分が出て来るのを待ってくれている大人の恋人がどう思うかも分からないが、太朗は自己満足でもいい、自分の高校生
活を凝縮したものとして、それを彼に渡したいと思っていた。
「タロも大学生か」
「少しは、ジローさんんと一緒にいてもおかしくなくなったかな?」
「・・・・・バカか、お前は」
上杉は呆れたように言うものの、それは太朗にとっては大きな問題だった。
そうでなくても大人でカッコいい上杉(本人には言えない)の傍にいるのはプレッシャーで、大好きだという気持ちとはまた違った感
情があった。
それは歳の差というものも大きく、何時まで経っても子供扱いしてくる上杉に対し、嬉しいと思う反面もどかしくも思っているからか
もしれない。
だが、これからは少し違う。少しは、上杉が立っている場所へと近付けたはずだ。
「卒業祝いに、合格祝いに、誕生日か。何を贈っていいのか迷うな」
「そんな、大層なものでなくったっていいよ」
おめでとう・・・・・そう言ってくれただけでも嬉しいのだ。
「はは、俺がそんな男に見えるか?」
「・・・・・見えないから、ちょっと怖い」
「まあ、楽しみにしてろ」
ニヤッと笑う上杉はどんなことを考えているのだろうか。
(もっと牽制しておいた方がいいかなあ)
自分への愛情故と分からなくもないが、それでも自分はごく平均的な一般市民だし、未成年だ。手の余るものだったら母に協
力して返却しようかと思いながら、太朗は嬉しい気持ちで迎える自分の誕生日を心待ちにしていた。
そして、3月29日。
太朗は上杉の運転する車に乗っていた。
昨夜、父はじっと太朗の顔を見て、明日は出かけるのかと聞いてきた。上杉と付き合うようになってから、色んなイベントを彼と過
ごすようになり、それに比例して家族と過ごす時間が少なくなって・・・・・太朗もそれを寂しいと思っていた。
それでも、上杉を選ぶのは、いずれ自分がこの温かな家族の中から旅立たなければならないからだと分かっているからで、その
後、ずっと一緒にいてくれるだろう上杉のことをもっと大切にしたいと思う。
「うん、ごめん」
「・・・・・遅れてでも、ちゃんと誕生日祝いするぞ」
「うん!」
(父ちゃん、絶対にジローさんを連れてくるなって言ってたけど・・・・・)
太朗はちらっと運転する上杉の横顔を見た。
(絶対、ついてくるだろうな)
「ん?どうした?」
「ううん、なんでもない」
今日は顔を合わせるなり、おめでとうという言葉とキスをくれた。
上杉とこれからどれ程の誕生日を一緒に迎えるかは分からないが、多分、そのたびに今のような嬉しい気持ちになるだろう。
「飯は中華でいいか?」
「外で食べるの?」
「俺に作れって言うのは無謀だ」
「そうだね、海藤さんじゃないし」
「今、他の男の名前を出すなんざ、いい度胸じゃねえか」
脅すような言葉も、顔が笑っているから少しも怖くない。
「いいじゃん、海藤さんよりジローさんがいいとこっていうのも一杯あるって!」
「例えば?」
「え?」
「海藤より俺が勝ってるっていうのはどんなとこだ?」
まさかそう切り返してくるとは思わなくて、太朗は眉間に皺を寄せて考え始めた。直ぐに言葉が出てこないことに上杉は不満を抱
いているだろうかと思ったが、視界の端に映る男の頬には、先程よりも楽しそうな笑みが浮かんでいた。
美味しい中華料理をお腹一杯食べて。
食後のデザート兼誕生日ケーキを買った太朗達は、午後8時過ぎに上杉のマンションに着いた。
今日は始めから泊まるつもりだった太朗は、自分で風呂の用意をし、上杉にはコーヒー、自分にはココアを入れてリビングに落ち
着く。
(あ、言わないと)
「ジローさん」
「ん?」
スーツの上着を脱ぎ、ネクタイとシャツを緩めた格好の上杉に、太朗はペコッと頭を下げた。
「今日は本当にありがと。美味しいご飯と、ケーキと・・・・・それに、卒業式に来てくれたことも、合格発表を一緒に見てくれたこ
とも、俺全部嬉しかった。今年は凄くいい誕生日だったな」
「おい、プレゼントは今からだぞ」
「え?」
「飯ぐらいでお前を釣れるとは思わないって」
苦笑しながら言った上杉は立ち上がると、サイドボードの上にあった大きめの茶封筒を差し出してきた。
なんだろう・・・・・そんな思いのまま上杉を見上げると、これはお前のだと続けて言われる。太朗は首を傾げながら中を見て、数枚
入っていた書類を取り出した。
「・・・・・養子縁組届書?」
「そうだ」
「え?これ・・・・・俺、ジローさんの養子にって・・・・・」
「バ〜カ。俺達にとっては婚姻届と一緒だろ。日本じゃ残念ながら同性同士の結婚は認められてねえしな」
「・・・・・」
太朗は呆然とその書類に目を落とす。
(俺と、ジローさんが結婚?)
どんなに好きでも、男同士は結婚出来ない・・・・・太朗の頭の中にはその常識があった。確かな繋がりがないのはやはり不安で
あったが、それでも太朗は上杉の愛情を信じていたし、自分の気持ちにも自信があった。
その証拠のように、以前の誕生日に上杉からは指輪を貰い、それが2人の間の大事な、目に見える繋がりだと信じた。
だから、いきなり目の前に出された、本当に結婚出来るという可能性が直ぐには信じられない。
「ゆ、指輪・・・・・」
「ああ、あれは婚約指輪になるな。結婚指輪はまた改めて贈る。そうだな、今度は2人で選ぶか」
「そん・・・・・な・・・・・」
「本当は今すぐにでもお前をかっ攫いたいところだが、お前が家族を大事にしているのも分かるしな。だからせめて後4年は放し
飼いにして、大学卒業と同時に俺の籍に入れる」
「は、放し飼いってなんだよ・・・・・」
何時もの調子で切り返したいのに、情けないが自分の声が震えているのが分かる。
そんな太朗の頬を擽るように上杉は手を伸ばしてきた。
「お前の意見は聞かない。俺がそう決めたんだ、だから留年なんかするなよ?」
「・・・・・」
「それとも、バツ一の男は嫌か?」
「そ・・・・・な、の・・・・・」
「タロ」
「お、俺がっ、ジローさんを婿に貰おうと、お、思って・・・・・っ」
「それも魅力的だが、あいにく俺の方が年上だ。諦めろ、タロ」
太朗は上杉に抱きつく。なんと言葉を出していいのか分からなくて、それでもこみあがる感情を上杉に受け止めて欲しかった。
まだ子供である自分の存在を、上杉がこんなにも真剣に考えてくれているとは正直、思ってもみなかった。
ずっと一緒にいたいと思っていたが、それはそれぞれの心の中の思いなのだと。
それなのに、上杉はこんな風にきちんと形にして見せてくれる。嬉しくて嬉しくて、太朗はただうんうんと頷くことしか出来なかった。
自分の身体をしっかりと抱きしめてくる太朗に、上杉は勝手に答えを考える。
もちろん、OK以外の返事を聞くつもりは無かったが、ここまで喜んでくれるのならば暴走した甲斐もあったものだ。
(もう、逃げられないぞ、タロ)
はなから逃がすつもりはないが、籍を入れてしまえばそれこそ法律にも守られる。簡単に自分から離れていかないようにとする鎖
は、こんなに薄い紙切れでもいいのだ。
卒業式の時、太朗は待っていた自分にボタンをくれた。第二ボタンの意味を上杉も知らないわけではなかったが、それよりも目
がいったのは制服で、太朗は全てのボタンや名札も無く、手には抱えきれないほどの花束を抱いていた。
拙い、と、思った。
いくらお互いが好き合っていても、太朗にはこれから数えきれないほどの出会いがあり、素直で真っ直ぐなこの存在を好きになる
者はきっと現れる。同世代のそのライバル達に、年上の自分はどう対抗出来るか。
早く自分のものにしておかなければ・・・・・手の平のボタンを握り締めながら、上杉の頭の中には様々な方法が渦巻いていた。
さすがに拉致監禁をするわけにはいかず、尚且つ強固な結びつきとして今回の養子縁組を思いついた。
成人を迎えれば、親の同意無しで大丈夫だし、さらに大学を卒業したとしたら太朗の両親も文句は言わないはずだ。
いや、言ったとしても、本人が望めば手続きは出来る。後4年くらい、あっという間のはずだ。
「おい、タロ」
「・・・・・」
「タ〜ロ、顔見せろ」
泣き顔を上杉に見せたくないのか、太朗はますます上杉にしがみ付いてくる。
(まいったな・・・・・誕生日プレゼントはこれだけじゃないんだが)
スーツのポケットの中には無造作に入れた鍵がある。太朗の家と大学、そして上杉の事務所ビルのほぼ中間点にあるマンション
の鍵だ。
会う時間を増やすために必要だと思ったし、ここよりももっとセキュリティーも良く、広いその場所を、早く太朗に見せてやりたいと思
う。
(車よりも高いって言ったら怒るだろうな)
まだしばらく、それが太朗名義にしていることは黙っていた方がいいかもしれない。
今はそんな話よりもとりあえずキスがしたくて、上杉は強引に太朗の顔を上向かせると、涙と鼻水でグチャグチャになった顔を見て
笑いながら、深い恋人のキスを仕掛けた。
end
タロジロ、本編終了後のオマケ+太朗の誕生日編。
考えればヤクザ部屋の攻様の中で、ジローさんが一番行動力があるのかも(笑)。
太朗が新しいマンションが自分のものだと分かった時、どんな反応を示すかちょっと気になります。