慧&いずみ編
ドアがノックされた。
この部屋に直接入ってくる人間は限られているので、北沢慧(きたざわ さとし)は顔を上げないまま書類の上でペンを動
かし続けた。
「失礼します」
「そのまま報告してくれ」
「はい」
香西物産(こうさいぶっさん)という超一流企業の歳若い専務である慧は、常日頃から仕事量が半端なく多い。
もちろん、仕事は面白いし、いずれ社長となる自分はスキルアップしていかなければと思っているが、人間というものは楽
しみがないと無為な人生になってしまう。
「・・・・・」
慧は顔を上げ、今入ってきた相手の顔を盗み見た。
「・・・・・で、続いて午後3時30分、第三会議室で・・・・・」
手帳を見ながらスケジュールを告げるその姿は、ベテランとまでは行かなくても新人の頃から比べれば格段に違う。
「ひ、秘書なんて、出来ませんっ」
この部屋に最初に連れて来られた時、半泣きのような表情だったことを思い出して、慧は思わず口元を緩めた。
(今日もギッチリだ)
慧にスケジュールを告げながら、松原いずみ(まつばら いずみ)は内心溜め息を漏らしてしまった。
慧が忙しいのは以前からだったが、社長である父親が、先週から一ヶ月のロサンゼルス出張に出掛けてからは、その仕
事量は単純計算しても2倍だ。
もちろん、優秀な社員もたくさんいるが、慧が直接目を通さなければならないことは多く、帰りは日付が変わる頃にな
ることも頻繁だった。
(これじゃあ、休日にゆっくりなんて無理かも・・・・・)
慧と最後までセックスをしてから、そろそろ二週間が経とうとしている。
初めて同性を受け入れた身体の痛みは既に消えていたし、動揺や羞恥も治まってきたが、改めて向き合おうと思ったと
同時に慧の方が忙しくなってしまい、なんだかいずみは拍子抜けしてしまっていた。
もちろん、直ぐにセックスしたいと思っているわけではない。
好きだと自覚し、ちゃんと受け入れようと思ったのは確かだが、それでもやはり違和感というものは簡単に消せるものでは
なかった。
ただ、気合を入れて向き合おうとしていただけに、これではなんだかなあと思ってしまうのは、自分がまだまだ子供だから
なのだろうか?
「・・・・・以上です」
「分かった」
「・・・・・あ、えっと、失礼します」
それ以上自分が何も言わなかったので、いずみは慌てて頭を下げた。
もしかしたら、慧が何か声を掛けてくるのかと思っていたのかもしれないが、それが無いと分かってしまうと少しだけ物足り
ないような表情になっている。
(・・・・・可愛い奴)
もちろん、いずみと言葉を交わせないほどに忙しいというわけではない。5分、10分・・・・・いや、30分くらいは、イチャ
イチャする時間はあった。
それなのに、こうしてわざと無関心を装っているのは・・・・・。
「・・・・・え?」
いずみがドアのノブに手を掛けた瞬間、慧は椅子から立ち上がって大股でいずみの側に歩み寄ると、いきなりその腕を
掴んで胸元に引き寄せ、
「んっ?」
驚いて開いてしまったいずみの唇に、そのままディープなキスを仕掛けた。
「・・・・・んっ」
口腔内に滑り込ませた舌は、我が物顔にその中を蹂躙する。舌を絡ませ、唾液を啜って・・・・・何時の間にか背中と腰
に回った手は、スーツの上から小さな尻を意味深に撫でた。
「!」
ビクッと震えた身体は、慧の腕の中から逃れようと焦って揺れるが、返ってその動きが男を誘っているのだということを、い
ずみには身をもって知っていてもらわなければならない。
この身体に恋人である自分は当然触れることは出来るが、他の者が悪戯をしようとする可能性は十分あるのだ。
自分自身を平凡な男だと思っているらしいが、いずみほどに可愛く、面白い存在はないと思っている慧は、その危険性
を教えるために、いや、それ以上に自分が楽しむために、濃厚なキスを簡単には解かなかった。
スケジュールの報告が終わっても何も言わない慧に、少しだけ寂しいなと思いながら退出しようとしたいずみは、いきなり
襲い掛かられ、キスをされて、頭の中がパニックになっていた。
「ふ・・・・・むっ」
クチュ
舌や唾液の絡まる音がいやらしく耳に響き、いずみは恥ずかしくて泣きそうになった。
身体を離そうにも力強い腕はしっかりと腰に絡みつき、あろうことか尻まで撫で回しているのだが・・・・・それを止めることも
出来ない。
散々、口腔内を弄られて、身体を触られて、ようやく慧がキスを解いてくれた時には、いずみは息も絶え絶えになってし
まっていた。
「な・・・・・に、を・・・・・」
「ん?」
「ど、して、キ、キス・・・・・」
「せっかく会社にいるんだ、オフィスラブごっこしたいだろう?」
「・・・・・はあ?」
一瞬、何の聞き違いだろうと思ったが、自分の顔を覗き込む慧の上機嫌な様子を見れば、今の言葉が嘘だとはとても
言えなかった。明らかに、慧は楽しんでいるのだ。
「なに、考えて、れす?」
散々弄られた舌がまだ痺れていて、ちゃんとした言葉が言えないことに気付き、いずみは羞恥で眩暈がする思いだった。
真面目に仕事をしている自分への、これはちょっとしたご褒美だ。
せっかくいずみとセックスして、恋人同士になったと思ったのもつかの間、こんなにも仕事が忙しくなってしまい、からかって
遊ぶ時間もとれない。
そこで思いついたのが、同じ会社にいるからこそ出来る秘密の行為だ。
出来れば、セックスだってしたいところだし、部屋の鍵を閉めればそれも可能だとは思うが、そこまでしたらいずみは羞恥の
あまり会社を辞めると言いかねない。
それならば、キスだけでも・・・・・そう思った。
「いずみ」
「・・・・・」
いずみは、潤んだ瞳で睨んでいる。目元を赤くしたそれでは全く怖くは無いが、それでも慧は神妙にごめんと謝った。そし
て、お前が足りなくてと言葉を継ぐ。
「・・・・・怒ったか?」
「・・・・・馬鹿でしょ、あなた」
そう言って、いずみは合わせるだけのキスをしてきた。
「・・・・・会社では、ここまでです」
「了解」
どうやら、寛大な心で許してくれたらしい恋人に笑みを向けると、慧は実地で教えてもらった子供のようなキスを再びいず
みへと返した。
end