王宮の広い中庭。
季節ごとに色とりどりに咲く花々と、青々とした木々。
王族達だけではなく、王宮で暮らす兵士や召使達も自由に憩うことが出来るように整えられた居心地の良い空間で、先程から
全く進展のない会話が繰り広げられている。
 「7回」
 「2回」
 「・・・・・7回」
 「2回」
 「・・・・・それ以上は妥協出来ぬ」
 「私も出来ません」
睨み合うようにして芝の上に座っているのは、この国の第一王子にして皇太子の洸聖と、奏禿の第一王女で洸聖の許婚でもあ
る悠羽の2人だ。
身も心も結ばれた、後は婚儀を待つだけの幸せな2人がなぜこんな言い合いをしているのか、それには話が少し遡らなくてはならな
かった。






 奏禿の第一王女という公の立場でありながら、本当は男として生を受けた悠羽。彼は複雑な家庭の事情の為に第一王子と
名乗ることは出来なかったが、それでも自分の弟を愛していたし、家族も、そして国も愛していた。
 けして裕福とはいえない奏禿の王女が、なぜ大国である光華国の皇太子の許婚になってしまったのか、そこにもまた複雑な事
情があるようだったが、悠羽は・・・・・いや、奏禿の人間は始めその話を本気とは受け取っていなかった。
様々な国の間にある柵を考えて、一番害の無い小国の姫を仮の許婚とし、将来は一番相応しい相手を選ぶのだろう・・・・・皆
そう思っていた。

 しかし、奏禿の人間の気持ちとは裏腹に、適齢期になった光華国の皇太子洸聖は、正式な許婚として悠羽を呼び寄せ、悠
羽も大国の命令には逆らうことが出来ずに、たった1人の供サランを連れて、光華国へとやってきた。

 それから短い期間に色々なことがあった。
悠羽自身の心も身体も傷付けられることもあったが、その全ての事件の中で悠羽は改めて洸聖と向き合い、やがて皇太子として
は立派だが、人間としてはまだ成長途中のような洸聖に気持ちを寄せるようになった。
2人で成長し、共にこの光華を更なる繁栄に導いていこうという気持ちになった時、既に悠羽は洸聖に惹かれ、そして洸聖も自分
とはまるで違う、大きな視野を持った心優しく明るい悠羽を愛するようになっていた。

 そうして2人は光華国の現王洸英の許しも得、正式な婚儀の日取りも決まって、今は幸福の絶頂のはずなのだが・・・・・これま
で育ってきた環境の違いか、婚儀を行う点で意見はかなり食い違ってしまった。



 式典の期間や招待客など、大国として譲れないものがあると主張した洸聖に、悠羽も小国ながら王女として育ってきたので同
意はした。
対外的にも王女として嫁ぐので、衣装もかなり華やかで、宝飾も代々の王妃が着けていたものらしい高価なものを洸聖は言い、
悠羽はそれも受け入れた。
 ただ。
 「衣装替えなど、婚儀と披露宴の2度でいいではありませんか!」
 「披露宴は5日間あるんだぞっ?毎日同じ衣装で出席すると言うのかっ?」
 「どこがいけませんか?ただ座って祝辞を受け取るだけで、汚れるようなこともしないでしょう?たった5日の披露宴の為に、莫大
な財政を支出するなど考えられません!」
 式と、国の重鎮達への挨拶と、披露宴。日毎、事々に衣装を替えると主張する洸聖と。
式と披露宴と、衣装は2枚で十分だという悠羽と。
浪費という観念ではなく、ただ当たり前のように悠羽を着飾り、見せびらかしたいと思う洸聖と、ケチというわけではないが、日々倹
約した生活を送ってきた悠羽の価値観はなかなか合わなかった。
明日には、もう最終的な衣装の打ち合わせをしなければならないというのに、いまだ2人の意見は平行線のまま、今日洸聖は午
前中の執務を終えて悠羽と昼食をとったのだが、そのまま話は婚儀の衣装のことになり、今こうして王宮の中庭で不毛な言い合
いが続けられているのだ。



 「何だ、まだやってるのか」
 少し離れた場所で2人の様子を見ていたサランは、不意に後ろから肩を叩かれた。
振り向くまでも無く声で誰だか分かるので、視線は悠羽から離れないままサランは冷たく言い放った。
 「面白がっておられる場合ではありません」
 「でも、アレって痴話喧嘩だろう?」
 「・・・・・」
 「ねえ、サラン、どちらが勝つか勝負してみる?お互いの唇を賭けて」
 「答えが分かっている勝負をするつもりはありませんし、そんな不誠実なことをしていると黎に言い付けますよ」
きっぱりと言い切ったサランに、洸竣は苦笑を浮かべながら肩を竦めた。



(なぜにこんなに頑固なのだ、悠羽は。素直に私の言う通りにすれば、誰よりも美しい花嫁にするものをっ)
 なかなか、はいと言わない悠羽に洸聖は焦れていた。
容姿的に言えば、共に付いているサランや洸竣の召使である黎、そして今は隣国にいる弟の莉洸の方が、悠羽よりもはるかに造
作はいいだろう。
しかし、洸聖は悠羽の大きな目も丸い鼻も、ソバカスもクシャクシャな髪も、誰が何と言おうとも愛らしく思っている。そんな自分の
愛しい相手を他の者に自慢したいという男の欲望を、なぜ悠羽は理解してくれないのだろうか。
(まさか、いまだ私との結婚を躊躇っているわけではないであろうな?)



(どうして、洸聖様はこんなにも頭が固いんだろう。私的なことで国の大切なお金を使うよりも、民の為に役立つことに使えばいいも
のを)
 悠羽は、全く意見を曲げない洸聖に呆れてしまった。
光華国という大国の皇太子である洸聖の婚儀だ、ある程度は覚悟をして洸聖の言う通りに従ってきた。
披露宴が5日も続くなど馬鹿らしいと思うし、この為に何匹分もの家畜の肉や野菜が使われるのかと思えば気が遠くなってしまい
そうだ。
(洸聖様は、全然私の言葉に耳を傾けて下さらないんだからっ)
 悠羽は、自分で自分の容姿のことを自覚している。どんなに着飾ろうとも、美しく凛々しい洸聖の隣に並び立つには、自分はあ
まりにも不恰好だ。
洸聖が笑われない為にも最低限の装いはしなければならないだろうが、過剰なそれは自分が惨めになってしまうだけのような気も
する。自分はいい・・・・・洸聖が影で嘲笑われるのは嫌だった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 チラッと目線を上げると、洸聖は腕を組みながら悠羽を見詰めている。
先程までの剣呑な雰囲気は薄れて、どうしたものかと困っているように見えた。
(私を子供のように見ていらっしゃるのか・・・・・?)
少し落ち込みそうになった悠羽だが、俯いたその視線が洸聖の足元へと向けられると・・・・・あっと唇を開いてしまった。
(敷物・・・・・していなかった・・・・・)
 この中庭では色んな立場の人間が憩うが、王族の人間は大抵中ほどや池の側に作られている東屋で休むことが多い。
ただ、悠羽は奏禿にいた頃から川遊びや木登りが好きで(魚や木の実を取るという生活上必要なこともあったが)、直に草の上に
座ったり裸足になることが好きだ。
そんな悠羽と幼い頃から共にいるサランはもちろん、今は蓁羅にいる莉洸や黎も、裸足の気持ち良さを知って、よくこの庭で悠羽
と一緒に笑い転げていた。
 洸聖も、悠羽と心が通い合うようになって、よく中庭に出たり遠乗りにも共にするようになったが、今・・・・・洸聖は敷物も敷かず
に直に芝の上に腰を下ろしている。
それは、以前の洸聖からはとても考えられない行動だった。
 「・・・・・洸聖様」
 「ん?」
 「・・・・・」
 「どうした、悠羽?」
 こみ上げてくる思いを抑えるのに必死な悠羽は、口を開くことが出来なくなってしまった。
このまま何かを言えば、洸聖の前でみっともなく泣きそうになってしまう気がするからだ。
(変わっていないことはない・・・・・洸聖様は、ちゃんと、私に歩み寄って下さっている・・・・・)



 急に大人しくなってしまった悠羽の顔を洸聖は覗き込もうとした。しかし、ますます悠羽は深く俯いて、まるで洸聖に顔を見せたく
ないような態度を取る。
(何なのだ・・・・・)
一瞬眉を顰めた洸聖だが、ふと視線を落とした先の悠羽の指先が震えているのに気づいた。
(私は・・・・・無理を強いているのか?)
 悠羽の為を思い、悠羽に良かれと思って言っていることが、当の本人には重荷になってしまっているのだろうか?
悠羽に辛い思いをさせてまで自分の我を通そうとも思わず、洸聖はそっと手を伸ばして悠羽の手を握りしめた。
 「それ程に、嫌か?」
 「・・・・・」
 「もしもそうならば、私は・・・・・」
悠羽の思うようにしてもいい・・・・・そう言い掛けた洸聖は、悠羽の手を握り締めた自分の手が更に握られていることに気づいた。
小さな、少しカサ付いた悠羽の手。とても一国の姫とは思えないほどの荒れている手だが、洸聖にとっては自分できちんと生きて
いる尊い手だと感じられた。
どんな姫よりも、一番自分に相応しい手だ。
その手が、まるで甘えるように、縋るように、自分の手を強く握り締めてくる。洸聖は悠羽に頼られているということを実感して、思
わず口元に笑みが浮かんだ。
(これ以上、仲違いもしたくない)
 「悠羽、婚儀は私達2人のものだ。お互いが納得出来るように歩み寄らないか?」
 「・・・・・はい、私もそう思いました」
 「まことに?」
 「このまま仲違いをして、式が流れてしまうのも嫌ですから」
 「そのようなことがあるわけが無いであろう!」
 「洸聖様」
 「どのようなことがあろうとも、お前は私の妃にする。これ以上は待てるか」
 何時、誰が、悠羽の価値に気付くか分からない。人の価値というものは容姿だけにあらずと気付いた者に、悠羽を奪われるよう
なことだけはあってはならないのだ。
(もしもそのようなことがあれば・・・・・戦を起こしてでも取り戻すがな)



 洸聖の言葉がくすぐったい。
洸聖ほどの男にそれ程に欲しがられて、嫌だと言う人間などいないだろう。
 「では、もう一度、話し合いましょう」
 「ああ」
(どうしよう・・・・・)
 衣装は2着で十分だと思ったが、洸聖の思いをそのまま無視し、自分の我を通すことはしたくない。お互いが納得し、頷ける答
えとは何か、悠羽はじっと洸聖を見詰めた。



(どうするか・・・・・)
 今でも悠羽を着飾りたいという思いは消えてはいない。多分、悠羽は自分がもう一度7着と言えば、今度は否と言わずに頷くだ
ろう。しかし、大切な悠羽に無理を強いてまで、洸聖は周りの目を気にしたいとは思わなかった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「では、もう一度同時に言うか」
 「はい」
一呼吸置いた洸聖は、せ〜のと合図をした。

 「「5着」」

 自分の希望より2着少なく。
悠羽の希望より3着多くて。
(・・・・・これは、私の方が気遣ってもらった・・・・・そういうところか)
 「意見が合いましたね、洸聖様。それでは5着にしましょうか?」
 「そうだな」
顔を見合わせて、笑い合って、洸聖が悠羽の手を取って立ち上がらせる。
どんなに意見が対立しても、こうしてきちんと向き合って話をすれば必ず分かり合える・・・・・2人はしみじみとそう感じて、来るべき
婚儀を2人共に心待ちにするようにギュウッと強く手を握り合った。




                                                                       end