杉崎&三郎編





 「はい、どうぞ」
 「・・・・・」
 何時ものように差し出された弁当箱を自分の前に置いた准教授、杉崎桂一郎(すぎさき けいいちろう)は、蓋を開け
て中身をじっと見た。今日はコロッケにインゲンの胡麻和え、蟹の形のウインナーに、卵焼き。
 以前、弁当に色彩がないと言ってから、どうも気を遣ってくれているらしい。自分の言葉をきちんと聞いてくれる相手に
対し、杉崎も相手に言われた通りきちんと手を合わせて言った。
 「いただきます」
 「どうぞ」

 杉崎は自分自身を変わっているとは思わない。
ただ、礼儀を知らない相手が嫌いだし、化粧やしゃべりだけに熱心な女生徒も、ナンパにだけ精力を傾ける男子生徒も
嫌いなだけだった。
 ごく普通のことを言っているだけだが、相手はそれをかなりプレッシャーに感じる。
自然に避けられるようになっていて、そんな相手に杉崎も自分から近付くことはなかったが、そんな杉崎にも、ここ数ヶ月
で驚くほどに身近に近づけた生徒がいた。

 田中三郎(たなか さぶろう)。ごく一般的というか、今では珍しいほどに普通の名前を持つこの青年は、杉崎の受け
持つ講義を取っている大学の2年生だ。
 平凡な名前に見合う平凡な容姿。色が白いのは七難隠すというが、それは女に向けられる言葉だろう。
ただ、奨学金を受けているので、普段の学習態度や成績は良い方だった。

 遅刻をすると単位を取らせないという取り決めをしていた杉崎の講義に、規定の5回遅刻してしまった三郎を救済する
ために(他の生徒も同様だが)、部屋の掃除をさせたことから今の関係は始まった。
 思った以上に気が利き、のんびりとした雰囲気の三郎が傍にいるのは居心地が良く、大家族で人の面倒を見慣れて
いるせいか、杉崎の健康面も心配してくれ、手製の弁当まで作ってくれるようになっていた。

 一時はお互いの誤解と妙な遠慮から疎遠になりかけたが、人には興味がないはずの杉崎自身が歩み寄り、再び居心
地のよい時間を満喫している。

 「食事の前は挨拶してくださいね。俺にってわけじゃなくって、食べ物に対しての感謝かなあ」

そう言った三郎の言葉の通り、こうして食事の前に手を合わせて『いただきます』と言い、食べた後に『ごちそうさま』と言う
ことも、今では不思議でも苦でもなく思っていた。



 杉崎はチラッと目の前の三郎を見た。
(・・・・・らしくない)
部屋に入った時から妙にそわそわした様子に見えたが、それはこうして向かい合って食事をしている時も変わらない。
杉崎は箸を置き、三郎に言った。
 「何があった?」
 「え?」
 「ここに来ることで、何か言われたのか?」
 人に嫌われている杉崎の部屋に三郎が頻繁に訪れる。その理由を周りの人間は色々と噂しあっているらしい。
杉崎にとっても、三郎にとってもどうでもいいことなのだが、不愉快なことは早めに決着を着けた方がいいとも思った。
 「言われたって、いうか・・・・・」
 三郎は少し困ったような表情をする。平凡な容姿の彼だが、その笑顔を心地良いものと思っている杉崎にとって、三郎
にこんな表情をさせること自体が面白くなかった。
 「言いなさい」
 「・・・・・」
 「田中」
 「・・・・・あの、代わって欲しいって、言われて」
 「・・・・・なんだ、それは」
話は順を追ってするものだと、杉崎は淡々と注意した。



 以前、杉崎のことをあまり知らなかった頃の三郎は、彼のことを気難しく、容姿を鼻に掛けた人かなと思っていた。
しかし、当初の規定を破ってしまった三郎を救済してくれたり、物言いは尊大だが的を得ていると思ったり、浮世離れし
ている言動は天然なのだと分かると、なんだか歳の離れた無邪気な弟達と同じように思えてきた。
 もちろん、歳も違うし、容姿も違うが、その内面はとても綺麗だと思える。
そんな杉崎と共にいる時間は居心地良く、講義以外にも色んなことを教わることが出来て、三郎は2人でいる時間を楽
しいと思うようになったのだが。

 「ねえ、サブちゃん、R2(アールツー)ってどんな感じ?」

 杉崎のあだ名、『冷血の麗人』通称、R2(アールツー)と言いながら、周りは杉崎の部屋に通うようになった三郎にその
人となりを聞いてくるようになった。
彼の私的な面を自分の口から言うのもおかしいと思ったが、当たり障りのないこと・・・・・杉崎が実際はとても優しく、親
切な人なのだと説明すると、始めは三郎が気を遣って嘘を言っているのだと思っていた者達もだんだんと信じるようになっ
てくれた。

 しかし、それは困った事態も引き起こしてしまったようで。
女生徒の中から、自分も杉崎の研究室に通いたいという者が現れた。多少とっつきにくくても、その容姿と地位は女の子
の目から見ればかなり美味しいらしい。
 紹介してくれと言われ、何度も断ったが、今日は4、5人に囲まれて拝み倒されてしまった。
それで、一応話だけはすると約束させられてしまったのだが・・・・・。



 三郎の話に、杉崎は明らかに不機嫌そうな表情になった。
 「断りなさい」
 「えっと、でも、みんな可愛いし、いい子だし・・・・・」
 「私は学校に遊びに来ているわけじゃない」
 「・・・・・はあ」
もっともな、それでいて取り入る隙のない答えに、三郎は思わず頷いてしまう。この剣幕では、とても外で待っている彼女
達を呼び入れるなんて無理だ。
 「あの、俺は邪魔じゃないんですか?」
 「邪魔だったら部屋に入れない。田中、食事は美味しく食べなければ栄養にならないんじゃなかったか?これ以上私を
不機嫌にさせないでくれないか」
 「・・・・・はい」
(後でメール送るか)
 多分、可愛くて魅力的な女の子は無視しようと思っても気になるのだろうし、自分のように平凡で空気のような男はい
ても邪魔にならないのだろう。
(俺も・・・・・結構今の雰囲気が好きだし)
色々と首を傾げる言動はあるものの、基本的に杉崎と一緒にいるのが楽しい三郎は、彼女達から責められるのも覚悟
で弁当を食べるのを再開した。



(全く、誰だ、田中に馬鹿なことを言ったのは)
 最近、講義が終わった途端に駆け寄ってきて、教室を出る前に杉崎を呼びとめる生徒が増えてきた。勉強熱心なのは
歓迎するが、もしもこれがそれ以外の目的、例えば成績を上げるためのゴマすりだとか、単に自分の容姿を目的としてい
たら、それだけでも立ち止まっていた時間を過去に戻って返してもらいたい。
 「・・・・・」
 そう思いながらコロッケを箸で切ると、杉崎はその中身の色を見て手を止める。
 「・・・・・コロッケが、白い」
 「あ、センセ、そのコロッケ、豆腐コロッケ。ヘルシーだし、家計にも優しいんです」
 「豆腐がコロッケになるのか?」
 「まあ、食べてみて下さい」
 「・・・・・」
杉崎はマジマジとそれを見つめ、内心ドキドキしながら口に含んだ。三郎が食べれない物を作るはずは無いし、絶対に
美味しいということも分かっている。
 「・・・・・豆腐の味がする。これは、ツナか?」
 「ダイエット中のうちの女連中には好評なんです」
 「・・・・・なるほど。あんなに柔らかいのに、ちゃんと形になっているのはツナのせいか」
 「へへ、教えましょうか?」
 三郎は楽しそうに豆腐コロッケの作り方を説明してくれたが、理屈では分かるものの、とても杉崎には作れないだろうと
いうことも分かった。
(本当に、田中は面白い)
 こんなにも興味深い人間を、手放すことはとても考えられない。
(・・・・・いっそのこと、田中に協力してもらうか)
女を相手にすると思われるのが悪い。自分がゲイだと言い、三郎にキスする場面を見せれば、今後は静かになるはずだ。
もちろん、本当にキスをするのではなく、あくまでもふり、だが。
そう考えるととてもいい案のような気がして、杉崎は、三郎に無理難題を押し付けて来た女生徒達に、明日にでもきっぱ
りと引導を渡してやろうと思いながら、三郎の作ってくれた弁当を口に含み・・・・・再び言った。
 「田中、このウインナーはどうして蟹の形をしているんだ?こういう風に売っているものなのか?それにしては歪だが」
 「あのねえ、センセ、それも俺が作ったんです」
 「・・・・・田中は、芸術的センスもあるな」
 思わず前言を取りなすようにそう言うと、三郎は怒った素振りも見せず、プッと豪快にふきだす。年下のくせにこんな風に
心が広い所も気に入っている。



取りあえす、杉崎の研究室は、今日も居心地の良い時間が支配していた。





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