秋月&日和の場合
目の前の男が怒っているというのは感じるが、日和(ひより)はそれがなぜなのかが全く分からない。
(一昨日、電話した時は機嫌が良かったけど・・・・・)
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(居たたまれない・・・・・)
無言のまま、隣で煙草を口にくわえた秋月の横顔をチラチラと見ながら、日和は漏れそうになる溜め息を何とか押し殺
す。
狭い車の中で吐かれた煙に思わずコホコホと小さな咳をすると、
「・・・・・」
それに視線を向けた秋月は、黙って車のウインドーを下した。
(こんなとこは、優しいんだけどなあ)
高校3年生である沢木日和(さわき ひより)には、秘密の恋人・・・・・に、近い男がいる。
それは、秋月甲斐(あきづき かい)。
男は同級生でもなく、普通の会社員でもなく、弐織組(にしきぐみ)系東京紅陣会(とうきょうこうじんかい)若頭という
立場の男だった。
男が一方的に日和を見初め、今の関係を迫られたのだが・・・・・多分、男は思ったほどに強引ではなかったと思う。
身体の関係になるまである程度は待ってくれたし、それ以前も、以降も、酷いことはされていない。むしろ、戸惑うほど
に優しくされて、日和はもう秋月に抵抗する気持ちも無いのだが、それは未だに秋月には告げていなかった。
もう、脅されて付き合っているとは言わないが、それでもまだ完全な恋人とは言えない関係のまま、穏やかな時間が
過ぎているが・・・・・。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
(・・・・・何を怒ってるんだろ?)
一昨日、この日に会いたいと連絡をした時、電話の向こうの秋月は一瞬黙り込んだ後、直ぐにそうかと答えてくれた。
その声が何だか嬉しそうだと感じたのだが、それは今日会った時にも、何時も以上に優しげな眼差しを向けられて、日
和は妙に居心地悪く感じたものだ。
(何時からだろ?機嫌が悪くなったの・・・・・あ)
日和は少しだけ視線を後ろにずらす。
後部座席には綺麗にラッピングされたプレゼントが2つ、のせられていて・・・・・。
「・・・・・」
(あのチョコあげた後だっけ?機嫌が悪くなったの・・・・・)
「秋月さん、これ」
車に乗ってしばらくして、日和は手にしていた紙袋の中から2つの包みを取り出した。
「バレンタインのチョコ」
「そうか、ありがとう」
丁度信号待ちで止まっていたので、秋月は日和の方を振り返り、目を細めて笑い掛けてくれる。
「まさか、お前から・・・・・」
「母と姉からです」
「・・・・・母と、姉?」
「2人共秋月さんのファンだから、随分奮発したそうですよ」
今日も、実は2人に絶対にチョコを渡してくれとせっつかれたので会う約束をしたのだと笑いながら言うと、その次の瞬
間から秋月の頬に笑みは無くなってしまった。
(チョコがいっぱい貰えるなんて、男としては嬉しいし、自慢だろう?)
秋月が何を怒っているのか分からなくて、落ち着かない日和は喉が渇いてきてしまう。すると、丁度目の前にスーパー
の看板を目にした。
「・・・・・あの、そこでちょっと止めてもらっていいですか?」
「・・・・・なんだ?」
「喉が渇いたからジュースを・・・・・」
「それならコンビニでもいいだろう」
「コンビニは高いから」
「・・・・・」
呆れてしまったのか、秋月はそれには答えてくれなかったが、日和が言ったスーパーの駐車場に車を入れてくれた。
店の中に入っていく後ろ姿を見ながら、秋月はハアと溜め息をついた。
「全く、分かっていないな」
自分がなぜ不機嫌になってしまったのか、日和は全く気付いてはいない。
大体、恋人(らしき)相手に、他の女からのチョコレートを笑いながら渡す時点で、まるっきり自分の立場を自覚してい
ないと言っていいだろう。
『あの・・・・・14日、会えますか?』
日和から電話があった時、秋月はてっきり日和が自分のためにバレンタインのチョコを渡してくれるのだろうと思った。
いくら男同士とはいえ、この日が恋人同士にとって大切なイベントであるということは秋月も知っていたし、現に数日前
からシマの水商売の女達や、組員の女房子供から、数え切れないほどのチョコが送られていた。
以前は気にしなかった日も、日和と付き合うようになってからは妙に気になって・・・・・だからこそ、あの電話が日和か
らの愛の言葉にさえ聞こえてしまったのだ。
「まさか、母親と姉きからとはな」
もちろん、日和の家族だ。付き合う上では嫌われるよりは好かれた方がいいとは思うものの、それでも日和本人に自
覚が無ければ話にならない。
おまけに、コンビニではなくスーパーに飲み物を買いに行くなど、どこまで庶民なのか。
「・・・・・まあ、そこも気に入っているんだが」
秋月と付き合っても、きちんと自分の価値観を失わない日和を、心のどこかで自慢に思っている自分もいる。
「・・・・・」
秋月は窓を開け、新しい煙草に火をつけた。
これ以上無視をしようにも、日和が分からないままでは単なる苛めにしかならない。戻ってきたら先ずチョコのことを聞い
てやると秋月は思った。
10分ほどして日和は車に戻ってきた。
「はい、あったかいコーヒー」
自分の飲み物だけではなく、秋月の分もきちんと買ってきたことに、自分の存在が忘れられているわけじゃないのだと、
気分が少しだけ高揚した。
(出来るだけ、穏やかにな)
自分は大人なのだ、あまり子供じみた追及はしない方がいい。
「日和、あのな」
「それと、これ」
秋月が話を切り出そうとする前に、日和はスーパーの白いビニール袋を秋月の膝の上に置いた。
何だと訊ねなくても、半透明の袋からは中身が丸見えだ。
「これは・・・・・」
「今日、バレンタイン当日だからもう半額になってたんですよ?」
「・・・・・半額」
「レジのおばさん、俺見て笑ってました。きっと、モテない男が見栄のために自分で買ってるんだろうって思ったんでしょ
うね〜」
失礼しちゃうと笑っている日和の横顔をじっと見つめた。
そして、次には今膝の上に乗せられている、いかにもスーパーで売っているような、洒落ているとは言い難いチョコに視線
を落とす。
「・・・・・日和、これは、俺に?」
「だって、バレンタインだし」
「・・・・・」
「本当は、母さん達にそれを渡されるまで、あまり意識していなかったんです。俺、男だし、男の俺が秋月さんに渡す
のもおかしいんじゃないかって思って・・・・・でも」
何も無いのも寂しいからと、照れ臭そうに顔を赤くしている日和が、秋月は無性に愛おしくなってしまった。
本当は、日和も考えたのだ。
一応は付き合っている形の秋月に、バレンタインのチョコを渡した方がいいのではないか、と。
しかし、女の子がたくさんいる売り場にはとても入り込めなかったし、変な奴と思われても嫌だなと思い、結局は用意し
なかった。
秋月と知り合って初めてのバレンタインではないが、今の自分はもうほとんど秋月に絆されていて、恋人かと聞かれた
ら、一瞬戸惑っても頷くと思う。
だから、スーパーで、売り場の小さくなったチョコレートを見た時、やっぱり買わないとと思ってしまったのだ。
(なんか、今更なんだけど)
「・・・・・日和」
「え・・・・・と、秋月さん、いっぱい貰ってるんですよね。あんまり安っぽいのも似合わない・・・・・」
「これが欲しかったんだ」
「え?」
秋月の手が自分の手に重なった。
「これしかいらない」
「・・・・・」
「お前の母親と姉さんからのチョコもありがたいと思うが、俺にとって欲しいのはお前のチョコだけだ。だから、お前が何
も用意してくれていないと思った時、大人げなく不貞腐れてしまった」
悪いという秋月に、日和は目を泳がせてしまう。
「・・・・・そ、そうなんですか?」
(じゃあ、怒ってたのって・・・・・)
今ようやく秋月の不機嫌さの理由が分かり、安堵すると同時に恥ずかしくなって、日和はじわじわと自分の顔が熱く
なっていくのが分かった。
「日和」
「・・・・・っ」
途端に、甘く響く秋月の声。
「ス、スーパーの駐車場・・・・・っ」
「見せ付けてやれ」
顎を取られて近づいてくる秋月が、からかうようにそう言う。
今から何をされるのかもちろん分かっている日和は、どうか誰にも見られないようにと思いながら、促されるままに顔を上
げていた。
end
秋月&日和編。
バレンタインを気にする秋月と、呑気(に見える)日和です。