アレッシオ&友春の場合
『』は日本語です。
「友人に、お土産が買いたいです」
今朝、思い切ってそう言うと、意外にもすんなりと許可が出た。
それは、彼自身もその友人達のことを知っているからかもしれないと思いながらも、友春(ともはる)はようやく1人で屋
敷から出られたことにホッとする。
もちろん、護衛という名の監視役の男達もいるが、友春とは可能な限り口を聞いてはならないと言われているらしく、
かえって都合が良かった。
ヴェネツィアのカルネヴァーレからシチリアの屋敷に戻ってから直ぐ、こんなことを思いついた自分は一体どうしたのだろ
うと思うが、それでも、自分のために何時も何かをしてくれる相手のために、少しでも感謝の思いが返せるならと考えて
いた。
老舗ながら、小さな呉服店の息子だった大学生の友春が、イタリアの政財界に強固な影響力を持つカッサーノ一
族の首領、アレッシオ・ケイ・カッサーノと出会ったのは、非日常的な出来事だった。
平凡な自分と、容姿も背景も特別なアレッシオ。初めに身体を奪われ、次に、その心も要求された。
最初は強引だった彼も、今では友春に愛を乞う。
それは時には強引だが、時にはこちらが苦しくなるほどに必死で、友春は容易に拒めなくなっている。少しは、アレッシ
オのことを思っている証拠に、こうして自らイタリアにまでやってきたのだ。
今回はヴェネツィアのカルネヴァーレに連れて行ってもらい、楽しくて、少しだけ胸の苦しい思いもした。
その礼ではないが、この時期に何気なく渡せるものを用意しようと、友春は思い切ってシチリアの町に出ることにした。
「オカシ、ヤさん、お願いします」
「・・・・・」
「あの、オカシ・・・・・」
「オカシとは何ですか?」
「あ・・・・・」
ついてきてくれた男に行き先を述べたものの、どうやら友春の言葉は通じなかったらしい。どう言えば分かるだろうかと、
友春は鞄の中に入れていたガイドブックを取り出した。
旅行気分のつもりではなかったものの、万が一迷った時のためにと買っていたのだが・・・・・。
「あ、あの、ここ」
写真の店を指差すと、どうやら分かってくれたらしく頷いた。そのまま、車は明確な意図を持って動き始めた気がする。
(あ、今度は店の人と話さないといけないんだった)
車は30分ほど走って目的の場所に着いた。
『うわ・・・・・』
そこは結構な人だかりで、ガイドブックに載っているせいか日本人の姿も見える。
そして、意外にも男の客もいて、友春は少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。
(あの中に紛れたなら買えるかも)
しばらく店の外で様子を窺っていると、団体らしき客が出て行った。
その隙に店の中に入った友春は、あまりにも焦ったせいか誰かとぶつかってよろけてしまう。
「大丈夫?」
腰を支えてくれたのはどうやら男で、多分地元の人のような気がした。
「君、日本人?中国人?男の子でチョコを買いに来るなんて珍しいね」
「え、あ、あの・・・・・」
「ああ、ごめん、言葉分からなかった?」
「い、いえ、ゆっくり、お願い、わかります」
「良かった。ぶつかったお詫びに何かプレゼントさせてくれない?君には甘いチョコレートが似合いそうだ」
「は?」
早口の男の言葉を完璧に聞き取れていないかもしれないが、どうやら女の子相手のくどき文句に近い言葉を言ってい
る感じだ。時々、可愛いとか、エキゾチックな目だとか、友春の身体に触れながら言ってくる。
(男だって、分かってるはずだけど・・・・・)
確かに、この国の人間からすれば小柄だろうが、体付きからも相手は自分を男だと認識しているはずで、それなのに
こんな甘い言葉を囁いてくるのかと驚いてしまう。
さすが情熱の国だなと半ば感心しながら、それでも友春は助けてもらえるかもしれないと男に聞いた。
「一番、美味しいの、どれ?」
「ん〜、人気があるのはこれかな?でも、俺はこっちがお勧めだけど」
「美味しそう・・・・・」
指を指されたのはどちらも美味しそうだ。
「自分で食べるの?それとも、プレゼント?」
「あ、プレゼント。お礼、したい人」
「ふ〜ん・・・・・男?」
「・・・・・え、えっと・・・・・」
「ああ、もう分かったから答えなくてもいいよ。今日、これを渡すんだ、ふ〜ん」
「・・・・・っ」
笑う男の視線に、友春は居心地悪くなってしまった。
(ま、まさか、ここもバレンタインとか・・・・・あるとか?)
日本では、女の子が男に愛を告白したり、愛情の証としてチョコをプレゼントするが、イタリアでも同じ習慣があるのだ
ろうか。
「恋人に渡すなら、チョコは止めた方がいいんじゃない?愛は形が残るものじゃなくちゃ」
「えっ、あ、そ、そんなっ」
男に渡すと分かって、どうして直ぐに恋人と思うのだろうか不思議で、友春は思わずマジマジと男の顔を見上げてし
まう。すると、
「私以外の男を見るな」
「あっ」
不機嫌そうな低い声とともに腕を後ろに引かれ、友春は倒れこむかと思ったが、その背は厚い胸にしっかりと支えられ
ていた。
「トモが菓子店に?」
友人への土産が買いたいと言ってきた友春に外出の許可を与えたものの、もちろんその行動は逐一アレッシオに入っ
てきていた。その報告の中で伝えられたその事実・・・・・アレッシオは一瞬考えたが、直ぐにあることに思いつき、思わず
口元に笑みが浮かんでしまった。
(私にチョコレートを贈るつもりなのか?)
2月14日、バレンタインデー。
イタリアでは、女から男に愛を告白する日ではなく、チョコレートを渡すこともない。その日は恋人同士でプレゼントを交
換する日で、形が無くなってしまうチョコレートなどの食べ物や枯れてしまう花を贈ることはないし、義理もない。
恋人達が、愛を深める日だ。
そんな日に友春が菓子店に行った。アレッシオ以外の誰に渡すことがあろうか。
アレッシオは友春がどんな表情でそれを選ぶのか、どうしても自分の目で確かめたくなってしまい、連絡を受けた店へと
車を急がせたが・・・・・。
「・・・・・」
(何だ、あの男は)
店の中で、友春が1人の男と向かい合っている。
アレッシオも顔の知らないその男はどうやら店で偶然知り合ったらしいが、同じようにウインドーを覗き、顔を赤くして友
春が話している様を見ていると、どうしても引き離したくなってしまった。
そのまま、護衛が開けたドアをくぐり、男と間近で話していた友春の腕を引くと、
「ケ、ケイ?」
友春の驚いたような声が自分の名を呼んだ。
どうしてアレッシオがここにいるのか分からなかったが、そんな友春に先ほどまで話していた男が声を上げて笑い掛けて
きた。
「ちょうどいいじゃないか、恋人本人に選んでもらえばいい」
「え?あ、あの・・・・・」
「恋人?」
怪訝そうに男に聞き返すアレッシオの声に、友春は違うんですと言う。
(お店の中で、何してるんだろっ)
まるで、男同士の痴話喧嘩に見られないかと焦った友春は、アレッシオの腕を引いて外に出ようとした。しかし、アレッシ
オの足はビクともせず、目の前にいる男に更に訊ねている。
「今の言葉の意味は?」
「可愛い男の子が、大切な人にプレゼントを渡したいって言ったんだ。今日、そんなことを言うなんて、それこそ恋人っ
てことだろう?」
「そうなのか?トモ」
「だ、だからっ」
友春は何と答えていいのか分からなかった。
全部間違いだというのは違うと思うし、かといって男の言っていることは、自分の言葉を過大解釈していると思う。
ただ、友春がそんなふうに焦れば焦るほど、アレッシオは今の男の言葉を信じたらしく、ふっと笑みを浮かべて悪かった
と言っている。
お幸せにと友春にウインクを残して男が立ち去ると、友春は店の中で恥ずかしくて逃げ出したい思いに駆られてしまっ
た。
見知らぬ男の言葉と、友春の態度で、アレッシオの気分は急激に浮上した。
「トモ」
「・・・・・っ」
友春が出掛けたいと言ったのは、自分のためだった。そう思うと、何だか気恥ずかしくも嬉しく、このままその身体を抱き
しめて押し倒したいくらいだ。
「トモ、私は・・・・・」
「こ、これ、ください!」
突然、友春は既に包装した形で棚にあった包みを1つ取り、持っている金を置いて店を飛び出していく。
ゆうに品代の三倍はあるだろう金額を見たアレッシオは、呆気にとられている店員にチップだと短く言い残して友春の後
を追った。
まだ夕方とはいえない時刻、町の中には人影は多かったが、アレッシオは直ぐに友春を捕まえることが出来た。
「ここから歩いて家には戻れないぞ」
「い、いいんですっ」
「トモ」
『お店で、あんな・・・・・恥ずかしいっ』
そう言いながら、友春の足は止まらない。
そうでなくても羞恥心の強い友春には恥ずかしくてたまらない出来事だったらしい。アレッシオに対しても何時も以上に
感情を剥き出しているので、周りから見れば痴話喧嘩をしているように見えるだろう。
(それも、いいか)
アレッシオにとってはこんな友春を見るのも新鮮だし、今はその手にしている菓子の袋を何時自分に手渡してくれるの
かが楽しみで、早足に歩く友春の直ぐ後ろを、口元に笑みを浮かべたまま悠然と歩いていた。
end
アレッシオ&友春編。
今連載中の本編終了後という設定です。