綾辻&倉橋の場合
「お前、幾つ貰った?」
「俺、3つ」
「俺なんか、5つだぜっ」
「俺は10個!お前ら、まだまだだな」
「・・・・・」
(外にまで聞こえる声で何を話しているかと思えば・・・・・)
大東組系開成会の幹部である倉橋克己(くらはし かつみ)は溜め息を噛み殺した。
今日、2月13日。
明日が何の日かさすがに分かっているし、組員達が浮き足立つことも分かるが、それは仕事中にする話ではないだろう
と思う。
倉橋は無言のままドアを開けた。
「!」
「く、倉橋幹部っ」
「お疲れ様ですっ」
中にいたのは十人ほどの組員だ。土曜日だからか、年嵩の組員達はおらず、ほとんどが若い組員達なので今のような
話が出てきたのかもしれない。
「お前達」
「は、はい!」
「明日、チョコは絶対に受け取るな」
「え・・・・・」
「事務所に持ち込んだら即座に減俸、いいな」
「そんな〜っ」
情けない嘆きの声がどこから聞こえたのか、倉橋は一切無視をする。ここは学校ではなく、仕事場だ。それも、普通
の会社ではないのだ、もっと気を引き締めてもらわなければならない。
それが出来ないのならば組を出てチンピラにでもなってもらうしかないと、生真面目な倉橋は唇を引き締めて一同を見
回した。
そして、翌日。
2月14日は日曜日で、事務所は閑散としている。
それでも倉橋は昼前にはやってくると、当番の組員達を労い、昼飯に行くようにと小遣いを渡してやった。
「あ、ありがとうございます!」
「一時間で戻ってくるように」
「はいっ」
幾ら、土日祭日関係ない仕事だとはいえ、誰だって人が休んでいる時に働きたくはないだろう。そんな中、出て来た
者達を気遣うのは当たり前だと思っていた。
倉橋自身は仕事を溜めないようにはしているものの、探せばしなければならないことは次々と出てくる。
今日もそんな仕事を片付けようと、事務所のパソコンを開いたが・・・・・。
「ん?」
(何だ?このマークは)
画面に出ているハートマーク。事務所のパソコンは個人のものではなく、誰もが扱えるようになっているので、個人的
なものをここに残すというのは考えられないが・・・・・それでも気になり、倉橋はそのままハートマークをクリックしてみた。
「・・・・・」
出てきたのは数字の羅列と棒グラフ。
仕事の関係かとそのまま消そうとした倉橋は、そこに出ている《海藤》という名前に引っ掛かってもう一度画面をよく見て
みる。
すると、それは・・・・・。
「何だ、これは・・・・・っ」
それは、バレンタインのチョコの獲得数のグラフだった。
(いったい、何時・・・・・まさか、仕事中かっ?)
最終更新日は何と10分ほど前だ。どうやら外からもアクセスできるようになっており、その情報がリアルタイムにグラフに
表れている。
1位は当然のように海藤で、百単位の数だ。
2位は綾辻、そして3位は倉橋・・・・・それがベスト20位まであり、よく見ればチョコの推定金額まである。
倉橋の眉間の皺は更に増えた。
「いったい、誰がこんなものを作ったんだ・・・・・」
減俸では済まさないと思った時、
「あら、克己」
ドアが開くと同時に暢気な声が聞こえてきた。
開成会のもう1人の幹部である綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)が休日に事務所に来ることは珍しくない。
しかし、それは仕事をしに来るのではなく、仕事をしに来た倉橋に会いに来るためだ。
男同士でありながら、恋人という関係である倉橋に対し、綾辻は必要以上に甘やかしたい気持ちがあった。
それは、倉橋の頑なで生真面目な性格を思えばこそで、もう少し肩の力を抜くようにという助言のつもりもある。
どちらにせよ、人の少ない休日の事務所の中ではキスをすることも案外簡単(倉橋は嫌がるが)で、特に今日は特
別な日ということもあり、綾辻はどうやって倉橋を驚かせるかと楽しみにやってきたのだが・・・・・。
「・・・・・」
「どうしたの?」
「・・・・・」
「可愛い顔が台無しなんだけど」
1階の事務所にいた倉橋はパソコンの前に立ったまま、かなり険しい表情をしていた。
一体どんな緊急事態があったのだろうかと、口では暢気に問い詰めながらも綾辻も緊張したが、
「・・・・・これ、見てください」
「これ?」
どうやら、パソコンの画面を見ろと言っているらしい。
「何よ?エッチな画像見てるんじゃないでしょうね〜」
そう言いながら側に歩いてパソコンを見た綾辻は、
「あ、これ」
見覚えのあるその画面に、思わず声が漏れてしまった。
「あ、これ」
「・・・・・これ?」
画面を見た綾辻の反応に、倉橋は瞬時に考えた。どうやら、綾辻はこの画面に心当たりがあるらしい。・・・・・いや。
(まさか・・・・・)
「・・・・・あなたが作ったんですか?」
口にすれば、もはや倉橋にとっては確信になってしまった。こんな馬鹿馬鹿しくも緻密な計算をするなど、組員達がと
考えるよりは遥かに納得出来る。
「ん〜」
「綾辻さん」
誤魔化しは許さないと睨み付けると、綾辻は降参するように両手を上にあげた。
「ちょっと、気になったから」
「・・・・・何をですか」
「克己を好きな人間ってどれくらいいるのかな〜って」
「・・・・・は?」
「バレンタインのチョコって結構分かりやすいでしょ?だから表にしてみたんだけど、これが結構あって大変だったの。何
人か手分けして・・・・・」
「何を考えてるんですかっ、あなたは!」
珍しく、倉橋は声を上げてしまった。呆れて、本当は声も出ないのだが、どうしても一言言ってやらなければと思い、目
の前の綾辻を睨んだ。
「そんな馬鹿馬鹿しいこと考える暇があるんなら、しっかりと仕事をしてください!他の者にも手伝わせていたなんて、
ただの減俸じゃ済ませませんよ!」
「何がいけないの?これ作ったのは仕事の時間外だし、今日なんか日曜日なんだから構わないでしょ?」
「あ、綾辻さん、あなた・・・・・」
「大体、愛する克己を他の人間に取られまいと必死になってる私に、ちょーっと冷たいんじゃないの?」
「冷た、い?」
(で、でも、こんなものを作ること自体・・・・・)
倉橋は直ぐに反論しようとしたが、仮にも恋人という立場の綾辻がそれ程自分のことを考えてくれていると知って、頭
ごなしに怒鳴るというのもし難い。
何と言えばいいのか、倉橋は視線を泳がせてしまった。
自分の真摯(多少、やり過ぎかもしれないが)な思いに打たれたのか、倉橋の表情が怒りから戸惑いへと変わった。
優しく、素直なこの男を落とすのはもう一押しだ。
「ねえ、克己」
綾辻は倉橋をデスクに追い詰める。両腕でその身体を挟むようにすると、倉橋は逃げられない焦りを誤魔化すように
口を開いた。
「・・・・・とにかく、あれは直ぐに消去してください。会長にもご迷惑です」
「克己は?」
「私も・・・・・」
「私が貰った数を見て、何とも思わない?」
実を言えば、海藤よりも綾辻の方がチョコレートを貰っている。表に出ることが限られている海藤よりも、広く浅く付き
合いの多い自分には本命、義理も含めてかなりの数があった。
それを少し細工しているのだが、それでも百単位の数を見て、恋人である倉橋は何とも思わないのだろうか?
「・・・・・」
「克己」
「・・・・・」
「ねえってば」
耳元に唇を寄せて囁くと、首を竦めた倉橋の耳元は真っ赤に染まっていた。
「そ、それは、義理でしょうっ」
「え?」
「一応、渡すだけで、あなたにとっては本命じゃないんですから・・・・・っ」
どうやら、綾辻のチョコは全て義理チョコだと思いたいらしい。その単価を見ればとてもそうは思えないはずだが、無理矢
理にでもそれで納得しようとしている倉橋の様子が可愛くて、これ以上追い詰めるのも可哀想かと思ってしまった。
「ふふ、じゃあ、本命チョコ、何時貰えるのかしら?」
「・・・・・っ」
「期待していいんでしょう?」
「出、出掛けてきますっ、留守番をしっかりお願いしますよっ」
急に綾辻の胸を押し返した倉橋は、そのまま事務所から出て行く。
その後ろ姿を呆気にとられて見送った綾辻は、やがてふっと笑みを零してしまった。
(どうやら、期待してもいいみたいね)
生真面目な彼は、たとえコンビニでもチョコを買いに行くはずだ。値段など関係なく、愛情の深さが勝負なのよと思い
ながら、綾辻はパソコンのデーターを未練なくあっさりと消去した。
end
綾辻&倉橋編。
何時も負ける倉橋さんを勝たせたかったのですが・・・・・やっぱり負け(苦笑)。