海藤&真琴の場合
真琴(まこと)は悩んでいた。
もう、明日に迫った、恋人同士にとっては大切なイベント。本当はもう用意していなければならないのに、何にするかと
考えるだけ考えて、結局決まらないまま今日になった。
「どうしよう・・・・・」
頼りない声が部屋の中に響く。
後6時間したら、もう2月14日だった。
西原真琴(にしはら まこと)の恋人は、普通という言葉が似合わない人だった。
その容姿もそうだが、なにより職業というか・・・・・彼の生業が、通常ならば人に敬遠されるものだからだ。
大東組系開成会会長、海藤貴士(かいどう たかし)。
本当ならば全く交じり合うことのない世界の相手と、一緒に暮らしてもう2年半以上だ。
日々、好きだという気持ちは育ち、このまま大学卒業して働きだしても、ずっと一緒にいるのだろうということは確信が持
てていた。
そんな大切な相手に贈るバレンタインのチョコ。
男同士だからと渡さないというのは言い訳で、過去、何回も訪れたこの機会には真琴も海藤にチョコを渡した。
しかし、今回はなかなかそんな相談をする時間が無かった。
一つの会派をまとめている海藤はとても多忙だ。
優秀な部下がいたとしても、海藤本人が裁断を下さなければならないことはたくさんある。
今回は大東組の本家に呼び出されることも多々あって(その理由は真琴は分からないが)、夜遅く帰ってくる海藤に
対し、暢気にバレンタインのチョコの話など出来なかった。
「はあ〜」
この時間では、もうチョコを買いに行くことも出来ない。
当日になってしまうが明日の日曜、海藤の目を盗んで買いに行くしかないかと思っていると、テーブルの上に置いていた
携帯の着信音が鳴った。
「あ」
液晶に出たのは海藤の名前だ。真琴は急いで電話に出た。
「じゃあ、今日は帰れないんですか?」
『ああ、悪い』
「い、いえ、仕事なら仕方ないし」
『真琴?』
「ほっ、本当に大丈夫ですよっ」
電話は、今日は帰宅出来ないという連絡だった。
綾辻から聞いたことがあるが、今の大東組の組長は海藤のことを気に入っていて、あの理事選以降、何の役も持って
いない彼に対してかなり仕事をさせているらしい。
それだけ期待されているというのは凄いことだとは思うものの、海藤が疲れてしまわないだろうかと心配になった。
「大丈夫なんですか?」
『うちの方は、倉橋と綾辻に任せていれば大丈夫だしな。幸い、今は大きな問題もないし、比較的手も空いている
時期だ』
「・・・・・」
(でも、それで海藤さんだけが忙しくても大変なのに・・・・・)
『悪いな、真琴』
「気にしないで下さい。それより、気をつけて」
『ああ』
「サンキュー、マコ!」
「マコが一番最初にくれたんだよ、お前、やっぱりいい奴〜」
「でも、俺から渡すっていうのも変ですけどね」
「何言ってるんだ!お前はここの看板息子なんだからっ、他の男とは全然違うの!」
急きこむように訴えてくる同僚に、真琴は思わず笑ってしまった。
2月14日、バレンタイン当日。
この日、バイトが休みだったが、真琴は同僚達にチョコを渡すためにやってきた。ここには女の子がいないので、本来こ
のイベントとは無縁なのだが、前に真琴が世話になっているお礼だとチョコを渡した時とても喜んでくれたので、何だか渡
すのが普通だと思っていた。
「あ、チョコ」
レジカウンターには、小さな籠に入ったチョコがある。
「マコのアイデアだからな。結構これ見てバレンタインの話で盛り上がってさ」
「へえ」
バイト先の皆が喜んでくれたのが嬉しくて、真琴も笑いながら頷いた。家の方にも、家族皆に(兄弟が欲しいとメールを
寄越してきた)送ったし、反対に、母からは海藤と一緒にと手作りクッキーが送られて来た。
胸が温かくなるような気持ちだが・・・・・それでも、真琴は寂しいと感じる。
昨日仕事に出掛けた海藤を見送ってから、もう丸一日以上顔を見ていない。
(今日は、電話もなかったし・・・・・)
もしかしたら、自分のことを忘れてはいないのだろうかとさえ思ってしまって・・・・・。
「マコ?」
「あ、はい?」
「どうした?」
「なんでもないですよ?俺、これから古河さんと会う約束しているからこれで」
「なんだ、あいつ、こんな日にマコとデートか?まだ彼女出来てないな」
「分かりませんよ〜」
店長と笑いながら話した真琴は、今の自分の頭の中に出てきた負の感情を振り払うように笑う。
(そんなこと、絶対に無いよ)
今日には戻ってくる海藤に対し、笑顔を向けなくちゃと真琴は思った。
久し振りに会った古河は、何時も一緒にいた森脇も一緒で、多分そうだろうなと予想していた真琴はちゃんと2人に
友チョコと言いながらそれを渡した。
森脇はあのままの性格で、何人もの知り合いからちゃっかりチョコを貰ったらしい。
古河も、仕事上からか、子供やその母親からかなりのチョコを貰って、お返しが大変だと真剣に悩んでいた。
久し振りの2人は相変わらず楽しくて、優しくて、真琴は海藤のいない寂しさを忘れてしまうほどに笑ってしまった。
しかし・・・・・昼食を一緒にとって別れると・・・・・なんだか、寂しさが増したような気がする。
「・・・・・俺、どうして1人なんだろ・・・・・」
(海藤さん・・・・・帰ってくるのかな)
携帯を見ても、着信もメールもない。忙しいだろうことは想像出来るものの、それでも寂しいと感じる自分の気持ちを
どうすれば抑えることが出来るだろうか。
「・・・・・」
真琴はまだ手にしている紙袋を見つめる。
海藤にと買ったチョコは、もしかしたら今日中に彼に食べてもらうことは出来ないかもしれなかった。
何も作る気はしなかったが、もしかしたら海藤が帰ってくるかもしれないので、真琴は明日に持ち越すことが出来るカ
レーを作った。
キチンに立ち、何度も携帯を見ながら鍋をかき回す。
それをどのくらい繰り返しただろうか。
「!」
インターホンが鳴り、真琴はパッと時計を見た。時刻はもう午後9時を過ぎている。
本当はカメラで確かめなければならないのだがそれも忘れ、真琴は急いで玄関に向かうと、鍵が開く音がするドアを自
分の方から開いた。
「お帰りなさい!」
「・・・・・ただいま」
何時も以上に大きな声で出迎えた真琴に一瞬驚いたような顔をした海藤だったが、直ぐに笑みを浮かべてドアを閉
めながら真琴を抱きしめてくれる。
「悪かったな」
「え?」
「今日は傍にいたかったんだが・・・・・」
「そんなの、全然いいですよっ!」
今日という日のことなんか気にしなくてもいい。今日中にこうして会えたことが嬉しいと、真琴はそのまま海藤の腕を引
いて奥へと進む。
(良かった、帰ってきた!)
こうして、傍にいてくれること自体が嬉しい。
寂しいという自分の気持ちは、海藤の顔を見た瞬間に消え去っていた。
真琴の嬉しそうな表情を見て、海藤は今日中に帰れて本当に良かったと思った。
本家の組長が自分に期待を掛けてくれていることは感じたし、父や伯父も世話になった組織に出来るだけ恩返しをし
ようと思うものの、そのせいで大切な存在を蔑ろにするつもりはなかった。
今日が何の日か、さすがに海藤も知っている。だからこそ、絶対に今日中に真琴に会わなければと、何とか仕事を終
えて帰ってきたのだ。
「お帰りなさい!」
出迎えてくれた真琴の顔は、笑顔だったのにもかかわらず泣きそうな表情だった。
これまでも海藤が家を空けたことはあったものの、今回は本当に連絡をする機会もなくて不安な思いをさせただろうと思
う。
しかし、ここで謝ったら真琴の方が気を遣うだろうとも分かるので、海藤は出来るだけ何時もと同じようにしようと、部
屋着に着替えてキッチンへと向かった。
「カレーか」
「ご飯、まだですよね?一緒に食べましょう」
「ああ」
2人で食事の仕度をして、ダイニングテーブルに向き合って座る。
真琴は自分が食べるのをじっと待っていて、その子供のような真剣な表情に笑みを誘われながら一口口に含むと、海
藤はん?っと真琴の顔を見た。
「隠し味は・・・・・」
「醤油と、蜂蜜でしょう?でも、今日はチョコを入れました」
「チョコ?」
「ごめんなさい、海藤さん帰らないかもしれないって思って、渡すチョコ、カレーに入れちゃったんです」
結構量があったから甘いでしょうと言われたが、海藤にとっては優しい甘さだ。
「じゃあ、これを食べれば2人共チョコレートを食べたということか」
「・・・・・そうかも」
顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。
今日という時間はもう残り少なくなってきたが、海藤は今年もまた恋人として真琴とこの時間を過ごすことが出来た幸
せを味わっていた。
end
海藤&真琴編。
この2人に喧嘩という言葉が浮かびませんでした(汗)。