楢崎&暁生の場合
自分の父ほども年上の大好きな恋人。
気持ちだけではなく、ちゃんと身も結ばれたその人に相応しい存在であろうと思うのに、どうしても子供の自分は些細なことに動
揺し、焦って、何時も恋人に迷惑を掛けてしまう。
明日だって、本当はちゃんと約束をしたかった。男同士だとはいえ、恋人なのだ。些細なイベントも大切にしたいと思う自分は、
かなり女々しいのだろうか・・・・・。
「今度は楢崎幹部にだ」
「・・・・・っ」
小包を受け取った組員が事務所の中に入ってきながらそう言った時、暁生はピクッと肩を揺らしてしまった。
今日は2月14日。世の女の子達の間では勝負の日となるバレンタインデーの今日、羽生会の事務所には朝から荷物がひき
りなしに届いていた。
会長の上杉や会計監査の小田切は飛び抜けた容姿を誇る男達だが、滅多に街に出ることが無いので直接チョコレートを渡
すことが出来ないらしく、皆事務所の方に送ってきていた。
その中には他の組員達宛てもちょこちょこあって、彼らはそれが届くたびに一喜一憂しているが、三番目に多いのは羽生会の
良心とも言える楢崎宛だった。
四十を過ぎ、容姿もどちらかといえば厳つい方だが、面倒見がよく、弱い者に対して優しい楢崎は人気がある。
楢崎が人に好かれるのはとても嬉しいのに、それが彼の隣に似合う大人の女の人達だと思うと焦って、困って、暁生は何も言え
ずに俯くことしか出来なかった。
「どうした?暁生」
そんな暁生に、組員が声を掛けてくる。
楢崎を慕い、彼が可愛がっている暁生の存在は既に羽生会の事務所の中でも珍しいものではなくなっていた。その上、会長で
ある上杉の恋人、太朗とも仲が良いので暁生自身も可愛がってもらっている。
「え、あ、あの」
「あー、楢崎幹部がモテるのが嫌なんだろ?」
「えっ?お、俺は、別にっ」
心中をそのものズバリ言い当てられたような気がして、暁生は思わず声が上ずってしまった。
「あの人は男が惚れるようなカッコいい人なんだから仕方ないって。暁生も、1つや2つは貰ったんじゃないのか?」
確かに、バイト先の子から、義理チョコは幾つか貰った。だが、自分が貰ったものと楢崎が貰ったものの意味はまるで違うと思う。
「な、楢崎さん、甘いもの駄目ですよね?」
「あんまり食べないかなあ。だから皆、酒とかアクセサリーを贈ってくるんじゃねえ?」
「酒とか、アクセサリー・・・・・」
(その方が嬉しいのかな・・・・・)
暁生は持っていた自身のリュックを抱きしめる。その中にこっそり入れている小さなチョコレート。
バレンタインに買うのはとても恥ずかしいので、2月に入って直ぐに買いに行った楢崎へのチョコレート。
でも、頑張って買った1000円のチョコレートと、飲食店の女の人達が贈ってきた高級な酒やアクセサリーのどちらに価値がある
のか、考えるまでもない。
「そう言えば、幹部遅いな」
「本部に行ってるんだろ?」
「また、会長が我が儘言ったのか?」
組員達は既に会話の内容を変えているが、暁生の頭の中はチョコレートのことで一杯だ。これを渡そうか、それとも渡さないで
帰るか、どうしたらいいんだろうかとずっと悩んでいた。
「・・・・・」
楢崎は厳つい顔をさらに顰めて、自身の隣に置いた紙袋を見た。
「・・・・・こんなの、俺に押しつけられてもな」
その呟きが聞こえたのか、運転手をしていた組員が笑いながら言う。
「仕方ありませんよ。上杉会長に恋人がいるという話は有名ですし、それでも一夜だけでもって思う女は多いし。その可能性に
賭けるためにチョコを用意したって、会長に直接は渡せないですしねえ」
「・・・・・」
確かに、上杉は絶対にこの類のプレゼントは受け取らない。
それは相手のことを考えてというより、それを受け取ったとして恋人がどう思うのか、それだけしか考えていないはずだ。
特定の相手がいない時はとても遊び上手、顔も身体も特上で性格だって男らしくユーモアの分かる上杉の人気はシマの中で
も絶大だ。
せめてこういったイベントの時にチョコレートくらい受け取ってくれてもと女達は思うのかもしれないが、楢崎は恋人・・・・・太朗に
誠実な上杉のことを尊敬している。
「楢崎幹部なら絶対に渡してくれるって思うんでしょう」
ただし、つきあいというものがあるのも事実なので、仕方なく預かるだけ預かったが、これらはすべて組員達の腹の中に納まり、
来月まとめて礼状を書くことになるだろう。
「でも、楢崎幹部も貰ってましたねえ」
「俺のは義理だろ」
「そんなこと無いですよ。中には絶対に本気のものが幾つか混ざっているはずです」
「・・・・・そうか?」
「怒る人、いないんですか?」
笑いながら恋人の存在を匂わせた組員に、楢崎は曖昧な笑みを向けるしかなかった。
楢崎が暁生と付き合っていることは組では秘密にしている。上杉や小田切には知られているが、暁生のことを考えると簡単に言
いふらしていい問題ではないと思うからだ。
(・・・・・あいつも、貰っているだろうな)
楢崎にとっては可愛いとしか思えない暁生も、他の人間、それも同世代の少女達から見れば十分恋愛対象となりうる存在の
はずだ。
真剣な思いをぶつけてくるだろう相手がいないとは言い切れない。
「幹部?」
「・・・・・ああ、いや、事務所はどうだろうなと思ってな」
「事務所も多いんじゃないですか?若い奴ら、ここぞとばかり高級な菓子が食べれるって喜んでますよ」
「そうか」
その光景を思い浮かべて少しだけ笑った楢崎は、再び暁生のことを考える。
昨日、電話をした時も特別に今日のことは言われなかった。いくら恋人同士とはいえ、男同士なら今日のイベントは関係ないと
は思うものの、少しでもその考えは暁生の頭をかすめなかったのだろうか。
(・・・・・そんなことを思っている俺の方が女々しいかもな)
考えることも無い。
楢崎はシートに身を預けて目を閉じた。
事務所の中が急にざわめいた。
「楢崎幹部が戻られました!」
「!」
(帰ってきた!)
地下駐車場から楢崎が戻ってきて事務所に入る。いっせいに立ち上がって挨拶をする組員達に見習って立ち上がった暁生は、
「今帰った」
と言う楢崎をじっと見つめた。
「・・・・・」
(目、合った?)
楢崎の視線が自分に向けられたような気がして、暁生は慌てて視線を逸らす。見もしない女の人の姿を想像して妬きもちを妬
いていた自分の顔など見られたくなかった。
「あーっ!やっぱり、楢崎幹部一杯貰って帰ってますね!」
「ほとんどが会長と小田切監査の分だ」
「さすが、あの2人は桁が違いますねえ」
楢崎が組員と話している声を聞きながら、暁生はそっとリュックを持って立ち上がる。このまま自分が帰っても気づく者はあまり
いないはずだ。
(楢崎さんには、バイトが入っていたことを思い出したって言おう)
事務所の裏口のドアを開け、そのまま外に出ようとした暁生だったが、
「暁生」
「!」
不意に背後から声を掛けられ、ビクッと足を止めた。
「どうして帰る?」
「な、楢崎さん」
まさかと思ったが、自分の後を楢崎が追い掛けて来てくれた。自分の存在に彼が気づいてくれたことがとても嬉しいものの、どう
してあの場から離れたかはとても言えない。
「あ、あの、俺」
「・・・・・」
「俺、バイト、思い出して・・・・・」
「本当に?」
嘘だとは言われなかった。それでも確認してくる楢崎に、暁生は嘘を続けることは出来なかった。
「・・・・・ご、ごめんなさい。俺・・・・・俺・・・・・」
無意識のうちにギュッとリュックを抱きしめる。どう説明したって自分の情けなさは露見してしまうだろう。
「俺、あの、あの・・・・・チョコ・・・・・」
「暁生」
どうしても言葉が詰まる暁生に、楢崎が少し声の調子を柔らかくして話し掛けてきた。
「俺達はどちらも男だ。だから、今日のようなイベントにどちらがチョコレートを贈るなんて考えることも無いと思っている」
「・・・・・っ」
(そ、それって・・・・・)
やはり、男の自分からのチョコレートはいらないということなのかと、暁生は唇を噛みしめた。
すると、
「だから、俺がこれを渡しても構わないな?」
「え・・・・・?」
どういう意味なのかと上目遣いに楢崎の顔を見ようとした暁生の手を取った楢崎は、その手にごくシンプルな板チョコを乗せた。
暁生は今日という日をどう考えているだろうか。
そんなことを考えていると、楢崎は無性に自分が何かしなければいけないような気がしてきた。
女々しいとか、自分らしくないとか、考えることは様々にあったものの、要はこんなイベントに乗じてでしか自分の気持ちを愛しい
恋人に伝えられない自分がいるのだ。
だから、事務所に戻る途中寄らせたコンビニで、ごく普通の板チョコを買った。コンビニの店員が少し引き攣った表情をしていた
のは見なかったことにした。
「こ、これ・・・・・」
「今日は、好きな相手にチョコレートを贈る日なんだろう?」
「な、楢崎さ・・・・・」
なぜか事務所から慌てたように帰ろうとした暁生を追い掛け、らしくもなくチョコレートを渡すと、まだ幼さの消えない暁生の表情
が泣きそうに歪む。
自分のしたことが間違いなのかと内心慌てた楢崎はどう宥めようかと思ったが、楢崎が行動する前に暁生は突然抱きついてき
た。
「あ、暁生?」
事務所内ではあまり自分に甘えようとしない暁生の珍しい行動に焦る楢崎はその顔を覗きこもうとしたが、暁生はますます楢
崎の胸に顔を押しつけてくる。
そして、リュックの中と、掠れる声で言ってきた。
「リュック?」
「お、俺も、用意、よ、い・・・・・して・・・・・」
「暁生」
小さな声は、何を言っているのか聞きとれない。
「・・・・・う・・・・・ぇ・・・・・」
「おい」
「・・・・・・っ」
「チョコ、嫌いだったか?」
どうして暁生がこんな風に泣きだしたのかまったく分からず楢崎は思い付いた言葉を言ったが、暁生はただ首を横に振って抱きつ
いたまま離れない。
「・・・・・」
(どうしたらいいんだ・・・・・)
まったく、幼い恋人の感情を読み取るのは容易ではない。
不甲斐無い自身を内心責めながら、楢崎は何度も震える暁生の背中を撫で続けた。
「俺に?」
そんな楢崎が暁生からチョコレートを受け取ったのは、それから10分後のことだった。
end
楢崎&暁生編です。
こちらの2人はまだまだ可愛らしいです。