相羽&藤永の場合
「ん?私にもくれるのかい?」
「あなたにあげなくて、誰に渡すというんです?」
「まったく・・・・・。そんな目で見られると、私が特別な存在だと誤解するだろう?」
「ふふ」
言葉とは裏腹に、少しも困った様子を見せない壮年の男に、藤永はフッと目を細めて笑い掛けた。
年に数回しか顔を合わせず、今はセックスもしない関係だというのに、この男はこんな風に何時も自分に甘い。そんな甘さに甘え
ている自分もずるいが、性悪な自分を振りまわして楽しんでいる男も十分人が悪いだろう。
「今日は、キスくらいはしてくれるのかな?」
「・・・・・特別な日ですからね」
藤永はそう言って男の後頭部を抱き寄せる。
昔と変わらない、懐かしいコロンの香りに少しだけかつての日々を思い出しながら、藤永は笑みの形になっている男の唇にそっと
キスをした。
短い逢瀬を終えて藤永が事務所に戻ってくると、その場にいた組員達はいっせいに立ち上がって頭を下げてくる。
その顔ぶれにチラッと視線を向けた藤永は、ある存在がいないことに首を傾げた。
「相羽はどうした?」
「今、裏に」
「裏?」
「会長、今日何の日か知っています?」
「・・・・・あー、なるほどな」
(さっきの俺と同じようなこと、か)
今日が何の日か、もちろん藤永は知っている。だからこそ、今まで幾つか寄り道をして、藤永も感謝の気持ちを伝えてきた。
男を性的、そして恋愛対象に見る藤永がここまでの地位に上りつめるまで、自身の力はもちろんだが協力をしてくれた数人の存
在がある。
今はもう、身体を重ねることはなくなったが、それでも絆は断ち切らずにいた。
そんな、世間から見たら異質なバレンタインデーを過ごす自分とは違い、若頭である相羽はごく普通のイベントを甘受しているの
だろう。
若く、気遣いが出来、若頭という地位にある相羽に惚れる女は多く、今特定の存在がいないことで自分がと立候補する者達
が多いと他の組員の噂で聞いていた。
こんなイベントなど、そんな女たちからすれば格好の機会だろう。
(俺は何も言えないし、な)
「どんな女だ?」
内心の複雑な思いをいっさい感じさせず、藤永は冗談交じりで組員に聞く。すると、話したくてうずうずしていたのか、組員は弾ん
だ声で言った。
「今の女でなんと8人目ですよ!《ERUZA》のNo.1、愛!まだ21歳で、こう、胸もデンとあって・・・・・」
「分かった、分かった」
止めなければそのスタイルの薀蓄まで話しそうな様子に、藤永はさすがに苦笑して止める。
「直接来るだけじゃなく、宅急便もあるし。ここでの一番人気は若頭ですね」
「・・・・・」
「あっ、会長宛もいっぱい来てますよ」
さすがに言い過ぎたと思ったのか焦ったフォローをされたものの、藤永は別に女からチョコを貰いたいと思ってはいないし、実際に受
け取っても嬉しいとも思わない。
組の者は、自分が男相手に足を開いていたことを知っている。今更だと思いながら、藤永は自室へと向かった。
「相羽さんっ、一度だけでもいいのっ」
綺麗に化粧した女が、必死な様子で自分の腕に縋ってくる。
それを冷静な目で見つめながら、相羽はこの女の正体を頭の中で探っていた。
「何時も私達を守ってくれてありがとう。私、そんな相羽さんを何時も見ていたの」
言葉から、自分のシマの中の飲食店に勤める女だというのは分かった。
しかし、聞いた名前は特に重要だと記してもおらず、相羽にとっては大切な相手ではないだろう。
「・・・・・」
そして、そんなことよりも相羽には気になって仕方がないことがある。会長の藤永と朝からまったく連絡が取れず、どこにいるのか
分からないことだ。
組織の上に立つものが所在不明だとは笑えない。特に、藤永はふらっとどこにでも出かけてしまうし、相羽は何時も気が気では
なかった。
「相羽さん!」
藤永がいない時は、決まって彼はどこかの男と一緒にいる。
その相手が誰か、何人か、相羽は把握しているつもりだが、それを諌める権利は自分にはないと知っていた。男を恋愛対象にす
る藤永に、恋愛を止めろというのは・・・・・自分のエゴでしかなかった。
「相・・・・・」
「悪いが、俺は今、清竜会のことを考えるだけで精一杯なんだ。他のことはとても考える余地が無い」
「で、でもっ」
「じゃあ。・・・・・チョコレート、ありがとう」
これを受け取っても、自分は口にしない。甘い物が苦手というよりは、想い人がいる自分はこれを食べることは出来ない。
(清巳さん・・・・・)
何時になったら、自分の方を見てくれるのだろう。
何時になったら、自分以外の男に抱かれている彼をこの手に出来るのか。何度も考えているそれは、結局は何時も答えが出な
いものだった。
会長室に入った藤永は、椅子に深く腰掛けて空を見上げた。
誠実なあの男は、きっとチョコレートをくれる1人1人に誠実に対しているだろう。だが、きっと、その思いに答えることはしない。
あの男には影のように疫病神がついているから・・・・・。
「は・・・・・はは」
藤永は目を閉じる。こんなことを考えているなんて自分らしくない。
何時だって奔放で、傲慢で。男を振り回してこそ、藤永清己なのだ。
トントン
その時、ドアがノックされる。誰だか見なくても、その叩き方で分かった。
「どうぞ」
中に入ってきたのは案の定相羽だった。少し疲れたような表情をしているが、相変わらず・・・・・いい男だ。
「どうした?もう用は終わったのか?」
「・・・・・すみません、私用で席を外しまして」
嫌味にも丁寧に返答する相羽に苦笑する。それを言えば、自分の方こそどのくらい謝罪していいのかも分からないほど私用で
出掛けているのだ。
「モテるな、相羽。本命からは貰ったのか?」
「・・・・・」
「まあ、お前ほどの男なら、本命だけでなく女の4、5人いたって誰も文句は言わないだろうがな」
相羽の男らしい眉が顰められた。
きっと目の前の男は、藤永が自分の言葉にどれ程傷付いているのか分かっていない。
毎日毎日、記憶がリセットされる相羽にとって、自分などの小さな感情の機微など取るに足らないものかもしれないが、それでも
少しは覚えていて欲しいと思うのは我が儘だろうか。
「・・・・・」
藤永は椅子から立ち上がり、デスクを回って相羽の直ぐ前に立つ。怪訝そうな眼差しを向けてくる相羽に、藤永は見せ付ける
ようにポケットに手を入れた。
裏口から事務所に戻ると、藤永が来たことを告げられた。
よりにもよって自分が席を外している時にとその間の悪さに舌を打ちたい気分だったが、とにかく直ぐに会わなければならないと思っ
た。
自分はけして、望んでチョコレートを受け取っているわけではない。
女などに目をやる隙間などまったく無いほどに、ただ1人だけに恋焦がれていると告げればどんなにいいだろうかと思うのに、藤永
にとって自分が恋愛対象ではないと分かっている上でそんなことはとても言えなかった。
(俺のことなんか、子供だと思っているだろうな・・・・・)
憧れて憧れて、ようやく藤永の側で働けるようにしてもらったというのに、不注意で厄介な病気を持つ身体になってしまった。
記憶が1日でリセットされる。
そんな厄介な男をそのまま若頭として側に置いてもらえているだけで十分幸せなのに、それ以上を望んだら絶対にバチが当たって
しまいそうだ。
今日も、きっと藤永は愛人と会っていたはずだろう。
どんな会話をし、綺麗に笑って・・・・・キスをしただろうか。
トントン
そんなことを思いながら会長室に入った相羽は、直ぐに藤永にからかわれた。
女など、今の自分達の間では関係ないものなのに、きっとこの自分の思いを知っていてこんなふうにはぐらかしているのだ。
(愛しているのは、ずっと前からあなただけなのに・・・・・っ)
事故以来、毎日毎日消えて行く記憶。
叶わないこの恋の痛みを少しでも和らげる為に、神様がこの病気を自分に与えたのだと思うほどなのに、それでも、毎日毎日藤
永に恋している自身の気持ちに気付いてしまう。
いっそ、この気持ちごと記憶が無くなってしまえば楽なのに、多分本当に消えてしまっても・・・・・自分はまた、新たに藤永に恋
するのだろうなと自嘲するように口元を歪めた。
「ほら」
「・・・・・何ですか?」
そんな時だ、藤永が立ち上がったかと思うと、そのまま自分の前までやってきた。そして、背広のポケットに手を入れたかと思うと
そのままその手を差し出してくる。
「手を出してみろ」
「手、ですか?」
いったいなんだろうと考える間もなく言われた通りにすると、手の平にポンと意外なものが置かれた。
「これ・・・・・」
「お裾分け。お前が貰ったものの中じゃ一番安いものだがな」
駄菓子屋で売っているようなチョコレートキャンデー。藤永とはまったく似合わないそれに思わず呆気に取られていると、藤永はそ
れがおかしいと綺麗に笑った。
「口直しにはなるだろう」
「あ・・・・・」
(清己さんが、俺に・・・・・)
「あ、ありがとうございます」
「さて、どんな礼をしてもらおうかな」
藤永はじっと自分を見上げてくる。
「・・・・・」
「・・・・・」
「あ、あの・・・・・」
「チョコの返事、今聞いてもいいのか?」
「!」
反射的に相羽は藤永を抱きしめる。どうしても高まる感情を抑えられなかった。
(言っても、いいのか?)
この思いを伝えてもいいのだろうか。相羽は甘い香りのする藤永の身体をますます強く抱きこみながら、自分の背中に回った手に
力が込められるのが泣きそうに嬉しかった。
「・・・・・」
何時ものように目覚ましが鳴る前に起きた相羽は、自分の身体に残る気だるさと甘い疼きに、昨夜自分が誰かを抱いたことを
知った。
しかし、必ず書き残しているはずのメモには誰の名前も書かれていない。
「・・・・・」
相羽は深い息をつく。幸せな気分がしていたのだが、それはきっと気のせいなのだろう。
「・・・・・?」
もう直ぐ鳴る目覚ましを止めようと手を伸ばしたベッドヘッドに、この部屋にそぐわないものが置かれていた。手を伸ばして取ったそ
れは、子供が食べるようなチョコレートキャンディーだ。
「・・・・・昨日は・・・・・2月、14日?」
バレンタインにチョコレートを貰ってもおかしくはないが、一体誰がくれたものだろうか。身を起こしてベッドから下り、部屋の中を見
回したがそれ以外のチョコは無いようだし、何か特別な意味があるように思えるのだが・・・・・。
「・・・・・・」
それを手にしてしばらく考えたものの、相羽は何も思い浮かばずに首を振った。多分これは、組員が冗談でくれたものかもしれな
い。
それでも、なんだか直ぐに食べることも、ましてや捨てることも出来なくて冷蔵庫に入れた。
「腐るものじゃないしな」
気が向いた時に食べればいい。
そう決めると、事務所に向かう仕度をするためにバスルームに向かう。気だるい情交の雰囲気を漂わせたまま、藤永に会うこと
は出来ない。
「・・・・・また、始まるのか」
相羽にとって、数え切れないほどの新たな1日の始まり。
気ままで我が儘な愛する人に会うために、相羽は今日も気を引き締めなければならなかった。
end
相羽&藤永編です。
こちらはやはりビターな感じ。