アルティウス&有希の場合
エクテシアの若く勇猛な王、アルティウスは、先程から執務室の中をうろうろと歩き回っていた。
部屋を訪れる者達はその落ち着きの無い様を見ると一瞬ギョッとして足を止めるが、アルティウス自身は一向に気にな
らない。
それよりも、先程の側近の言葉が気になって仕方がなかった。
「王妃様は、姫様方と食堂に閉じこもっておられます」
妾妃達に生ませた5人の子供。
愛情が無いわけではなかったが、以前のアルティウスはどこか一線を引いて子供達と接していた。それは、全て母親の
違う子供達を権力争いに巻き込むことが嫌だったからだ。
しかし、正妃に迎えた異国の少年である有希は、自分とそう歳の変わらない皇太子以下、子供達を皆可愛がって
いた。
特に、では無いのだろうが、幼い姫2人は優しく穏やかで綺麗な有希を本当の母のように慕い、暇さえあれば父である
アルティウスを押し退けてまで有希のもとへと遊びにやってきていたのだが・・・・・。
(あ奴ら、ユキの邪魔をしてはおらぬであろうな)
今日ばかりは勝手が違う。
アルティウスはちゃんと覚えていたのだ、ユキが以前言った言葉を。
「これはチョコレートって言って、好きな人にあげるお菓子なんだ」
去年の、ちょっとした騒動。
愛する有希の謎の行動を疑い、責めてしまったアルティウスに向かって有希が言った言葉はまったく想像以外のもので
あった。
愛する者に甘い菓子を贈る日。
有希の国のその祝祭の意味を知って、アルティウスは叫び出したいくらい嬉しく思ったものだ。
今日が、丁度あの日だ。
有希はきっと夫であるアルティウスの為に甘い菓子を作っているのだろうが、それを幼い姫達は邪魔をしていないだろう
か。
「・・・・・ええいっ、気になる!」
ここでじっとしていても気持ちは静まらず、一向に政務にも意識が向かない。
アルティウスは思い切ってこの目で確認しようと執務室から出た。
食堂に向かうにつれ、鼻に感じる甘い香り。
アルティウスの頬には自然に笑みが浮かんでしまった。これは有希が自分を愛しているという証拠なのだ。
(前回は甘くて苦いスープだったが・・・・・今年もまた同じ様なものなのか?)
「あっ、シェステッ、摘み食いをしたら駄目だよ?」
「え〜、でも、母様、これおいしそー」
「美味しそうでも、これはアルティウス・・・・・お父様に渡すものでしょ?お父様より早く食べたら駄目」
「そうよ、シェステ。せっかくお母様に教えていただいてるのだから、お言葉通りにしましょう」
「は〜い、ねーさま」
賑やかな2人の娘達の声と、楽しそうな有希の声。
アルティウスは中には踏み込まず、思わず外で3人の会話を聞いてしまった。
杜沢有希(もりさわ ゆき)が、こうして誰かの為に菓子を作るのは二度目だ。
いや、正式に言えば、去年初めてのチョコ作りはなかなか不本意な出来で、それを気にして・・・・・と、言うわけでもない
のだが、あれから有希は暇があれば厨房に立つようになった。
自分には、友人で、隣国バリハンに嫁いだ蒼のような料理のセンスは全く無いし、手付きも不器用だとは自覚してい
た。
それでも、大切で大好きなアルティウスに、普段は口ではなかなか言えない想いを菓子一つで伝えるという、半ば自己
満足ではあると自覚していた行動を今年もとる事にした。
少し前から練習の為に食堂に入り浸っていた有希は、数日前、偶然食堂に来て甘い匂いを嗅いでしまった姫達に
今回の計画を話すことになってしまった。
異世界とはいえ、そこは幼くても少女だ。
その方法が気に入ったと言って、自分達も好きな相手にチョコを作って贈りたいと言い出した。
父親であるアルティウスに、3人の兄達、そして自分達の世話をしてくれる者達へ・・・・・それはまさに義理チョコと言える
ものだったが、有希は真剣な顔をして頼み込んできた姫達に根負けをしてしまった。
有希自身、まだ人に教えるという段階では無かったが、それでも前回に続き二度目だという事と、ここ数日ずっと試
作品を作っていたので多少はましのような気がしている。
「あ、そうそう、丁度口に入るくらいの大きさにしてね」
前回はチョコがきちんと固まらなかったので、今回は冷蔵庫も要らないチョコ風味のクッキーを作る事にした。これならば
小麦粉を練って作るのでほとんど失敗は無いだろう・・・・・と、言うのは蒼の受け入りだが。
「わあ、アセット、上手!」
「本当?」
「僕より手付きがいいもん」
「そうかしら」
さすがに姉の方のアセットは、一度説明した事はちゃんと覚えていて、その手付きも危なげなかった。
「でも、そんなにたくさん作って、渡す人いる?」
「たくさん!父様に、兄様達。将軍に、ディーガやマクシー、それと周りにいる世話係!大好きな人がたくさんいて困っ
てしまいます」
眉を顰めて真剣に呟くアセットの言葉に有希は笑った。
まだ小学生の年齢のアセットは、好きの意味をまだ本当には分かっていないようだ。それでも、有希も去年は同じ様な
事を考えていたので、改めて本当の意味を教える事はまだ先でいいかと思った。
「じゃあ、大好きな人達の為に、一生懸命作らないとね」
「「は〜い!!」」
賑やかな声を聞きながら、アルティウスは複雑な思いだった。
けして我が子を厭うつもりは無かったが、愛する者が生んだ子ではなく、あくまでも国の為、そして、煩い側近達を黙ら
せる為に子を作ったようなもので、アルティウスは子供達が自分の事をどう思っているのか、今まで気にもしていなかった
のだ。
自分にとって唯一愛する人間である有希を手に入れたアルティウスだが、彼は自分と同じ男の性を持つ者で、2人
間に子供が生まれることは無い。
この後、有希以外の正妃はもちろん、妾妃も娶るつもりの無いアルティウスにとって、今いる子供達は唯一自分の血を
受け継ぐ存在なのだ。
(・・・・・少しは、共にいる時間を過ごすべきか・・・・・?)
空いている時間は常に有希の側にいたいアルティウスだが、その有希は暇さえあれば子供達に会いに行くようなので、
有希と共にいれば自然と子供達に会うことになるだろう。
「・・・・・ふん、仕方あるまい」
今も食堂の中へと足を踏み入れようと思っていたアルティウスだが、もう少しだけ有希を娘達に貸してやろうと、鼻を鳴
らして踵を返した。
「父様!これ!」
「とーさま、わたしたちがつくったの!」
その日の夕刻。
アルティウスの執務室は華やかな声に支配されていた。
2人の幼い娘達と共に訪れた愛しい妃は、何時も以上に頬を綻ばせてアルティウスに言う。
「僕達、みんなで作ったんです。アルティウス、今日は・・・・・」
「愛しい者に、甘い菓子を贈る日・・・・・であろう」
「覚えていてくれたんですか?」
嬉しいと頬を赤らめる有希が愛しくて、思わずその身体を抱きしめたくなってしまったが、一応はその場にいる娘達の
目もあるので、アルティウスは鷹揚に頷きながら差し出された籠を受け取った。
籠の中にあるのは焼き菓子で、お世辞にも形は綺麗とは言い難い歪なものが多かったが、そのことには触れないまま
無造作に摘んだ一つを口に運んでみた。
愛しい妃と娘達の作った物に、毒見係を使うような無粋な真似はさすがにしない。
「どう?」
「父様、どう?」
「・・・・・まあ、美味い方だろう」
(少し硬い気もするが)
「母様っ、美味しいって!」
「良かったあ!」
「うん、良かったね」
娘達と一緒にいても少しの違和感も無い、いまだ華奢で繊細な容姿の有希。
押さえていた感情が再び湧きあがり、今度こそ抱きしめようとアルティウスは手を伸ばしかけたが・・・・・。
「じゃあ、次に行こうか」
いきなり、有希はそう言った。
「ユキ、どこへ行くのだ?」
「配る人がたくさんいるから急いでいるんです、また後で」
「ユ・・・・・ッ」
止めようとした声もあっさりと無視され、有希は娘達と共に執務室を出て行く。
そういえばと、アルティウスはあの時聞いた言葉を思い出した。
「たくさん!父様に、兄上達。将軍に、ディーガやマクシー、それと周りにいる世話係!大好きな人がたくさんいて困っ
てしまいます」
「・・・・・私以外にも渡すというのか?」
それが娘達の為とはいえ、有希の愛情まで自分以外に向けられている感じがして面白くない。
「ユキ!」
今回は余裕を持つつもりだったがどうしても我慢出来なくなってしまい、アルティウスは足音も荒々しく有希達の後を追
い掛けるように部屋から飛び出した。
「そなたの愛情を他の者にやるなど許さんぞ!!」
end
アルティウス&有希編です。
去年のバレンタインを受けての話。アルティウスも日々成長してるようです(笑)。