江坂&静の場合








 「何を見ているんですか?」

 ここ数日、パソコンや本で何事か調べている様子の静。
江坂が何気なく手元を覗こうとすると、慌てて何でもないと言って隠してしまう。
もちろんそれを無理に追い掛けてまで見ようとは思わなかったが・・・・・人形にように整っている容貌に似合わずおおらか
な(言葉を変えれば少し抜けている)静は、せっかく隠した本を風呂に入る時リビングに置き忘れていたり、パソコンの履
歴を消さないままでいた。
 静の事を全て知ることは当然だと思っている江坂は、彼が見ていたらしいものに視線を走らせる。
今年の流行のスイーツに。
都内で美味しいと言われる店。
 彼が何をしようとしているのか、それをちらりと見ただけでも分かった江坂は、自分がどうすればいいのかずっと考えるこ
とになった。

 2月14日。
その日が何の日だか、大東組理事の江坂凌二も(えさか りょうじ)も当然知っていた。
過去、幾つ貰ったのかも覚えていなかったし、大体見知らぬ相手から貰うものなど口にする気も無かった。
自分とは縁遠いイベントなど気にする事はないのだが・・・・・そう思いながら、江坂はリビングのソファに座って何事か真
剣に見ている愛しい恋人の小早川静(こばやかわ しずか)の横顔を見つめる。
(私に用意をしてくれているのか)
 去年も、静は全く予想していなかったチョコのプレゼントをくれた。
部下からその様子は聞いていたものの、愛しい相手からのプレゼントはやはり嬉しく、江坂はこのイベントもそう悪いもの
ではないなと初めて思ったものだった。
 静という特別な存在を手に入れた今、江坂にとって様々なイベントは明確な意味を持ち始めた。
静に喜んでもらうように。
ありがとうと、綺麗な笑顔を向けてもらうように。
 江坂は先回りをして全てを用意するつもりだった。





 そして、2月14日当日。
江坂は夕方から全ての予定をキャンセルした。
先ずは、静が本に印を付けていたチョコレート専門店に車を向けた。相場よりはかなり単価が高額な店は、混雑すると
いうほどの人間はいなかったが、それでも十数人の姿はあるようだった。
 「私が参りましょうか?」
 「いい」
 部下の申し出を断った江坂は、躊躇うことも無く店の中に入る。
そうでなくても、高級ブランドのチョコの店に、高級なスーツとコートを身に纏った秀麗な男が現れたのだ、中の店員も客
もいっせいに視線を向けてきて、店の中は恐ろしいほどに静まり返る。

 『彼、何しに来たの?』
 『逆チョコ?』

 さすがにこれほどにいい男がゲイだとは思わないのか(もちろん、江坂はゲイではないが)、女達は江坂が渡すであろ
う女のことを想像しているようだが、そんな声は耳に聞こえたとしても一切無視をする。
 「・・・・・」
 今日、この店に来るのは、ほぼ100パーセントバレンタインの為の女の客だろうが、江坂にとって場違いだから恥ずか
しいという気持ちなど全く抱かなかった。
 「一番高くて美味しいものを」
 「え?」
 「・・・・・聞こえなかったか?」
 「あ、い、いえ、今っ」
 いきなり江坂に声を掛けられた店員は、文字通り飛び上がるようにしてショーケースを開く。
こんな反応の遅い部下は使えないなと思いながら、江坂は気分を切り替える為に、これを受け取った時の静の反応を
思い浮かべることにした。



 午後六時。
何時もより早い時間に、江坂はマンションへと帰った。
直ぐに食事に出掛けられるように、車も運転手もそのまま下で待たせている。
 「お帰りなさい!」
 「ただいま、静さん」
 玄関先にまで迎えに出て来てくれた静に、江坂は作り物ではない笑みを頬に浮かべると、そのまま細い身体を抱きし
めた。
去年の今頃は、静はまだ少し遠慮がちで、江坂が抱きしめると一瞬だが身体を硬くしていた。
 しかし、今の静は、安心したように江坂の腕の中にいる。それだけ、愛情が深まったのだと思うと、江坂の笑みはます
ます深くなった。
 「今日は何かありましたか?」
 「あ、あの、凌二さん」
 ようやく、最近は注意することも少なくなった名前の呼び方に目を細めた江坂は、腕を引く静に合わせてリビングに向
かいながら、何時この手にした紙袋を渡そうかそのタイミングを計っていた。
もしかしたらそのロゴを見て静が気付くのではないかとも思ったが・・・・・どうやらその様子は無い。
 「静さん、今日は・・・・・」
 「凌二さん、今日は2月14日ですよね?」
 「ええ」
 「何の日か、分かってます・・・・・よね」
 「バレンタインデーですね」
 とぼけることなく応えると、静はそうですと笑いながら頷いた。
静がいったいどんなチョコを自分に用意してくれているのか気になるが、江坂は先ずと自分の手にした袋を差し出した。
 「これは私からです。去年はせっかく静さんが私の為にチョコを用意してくれたのに、私は嬉しがってばかりでしたので。
今年こそは、恋人であるあなたに、これを渡したかった」
 「わ・・・・・っ!これっ、美味しいって有名なんですよ?でも、俺にはちょっと高過ぎて・・・・・」
 大企業の子息だというのに堅実な金銭感覚を持っている静の言葉は、けち臭く聞こえることも無い。
江坂は静を促してソファに並んで腰を下ろそうとした。
 「静さんが喜んでくれるなら嬉しいんですが・・・・・」
 「あ、待っていて下さいっ、俺のも持ってきます!」



 思い掛けない江坂からのチョコの贈り物に静は心が高揚していた。
大人の江坂はあまりこういった行事には興味が無いかなと思っていたし、第一、男の自分がチョコを贈るのは・・・・・と、
去年と同じように悩みもした。
 だが、今年は逆チョコというのもあるらしいし、江坂が貰うかもしれない(絶対にたくさん貰っているはずだ)チョコのことを
考えれば、やはり面白い気はしない。
 恥ずかしいからと言って渡さないと恋人ではないような気がしてしまい、静は数日前から色々とチョコを物色していた。
出来れば自分で買いに行きたいので、都内で、あまり甘くなくて、大人の江坂に似合うような・・・・・チョコ。
 「・・・・・」
 自分の部屋に戻った静は、机の上に用意していたものに目を向けて、一瞬どうしようかなと首を傾げてしまった。
江坂がくれたチョコは静も候補に挙げていた高級チョコで、それこそ江坂に似合うだろうと思ったのだが・・・・・。
 「でも、これだって・・・・・悪くないよな」



 静からチョコを貰ったら、そのまま食事に出かけよう。
ホテルに泊まるのもいいかもしれないと、予約を取るように部下に連絡を取ろうとした江坂が携帯を取り出した時、
 「凌二さん、これ!」
 「・・・・・」
江坂の目の前に、カラフルな色彩が飛び込んできた。

 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・これは、チョコ、ですか?」
 「そう!マーブルチョコなんです。本当は、凌二さんが買ってきてくれたようなちゃんとしたチョコを買いに町に出たんです
けど・・・・・」

 数件歩いたが、これといったものがなかなか決まらなくて、静はどうしようかと途方にくれていた。
そんな時、静の目に留まったのは、駄菓子屋で。
子供が好きそうな、ただ甘いだけのチョコだとは分かっていたが、その色鮮やかさに思わず目を奪われてしまっていた。

 「凄く綺麗な色だなあって思ったら、もうこれしか考えられなくなっちゃって・・・・・。その後もお店には行ったんですけど、
高いチョコって全部同じような色でしょう?つまんないなって思ったら、自然と足が引き返したんです」
 目を輝かせて、静は楽しそうに説明をしてくれる。
初めはあまりに意外な物にどう言えばいいのか判断が付かなかった江坂も、珍しく表情豊かに話す静の横顔を見てい
るうちに自然と笑みが浮かんでいた。
 「私に合うでしょうか?」
 「凌二さんにはもっと大人のチョコの方が似合うけど、もちろんこのチョコだって似合いますよ。・・・・・はい」
 小さなブルーのチョコを一つ摘んで、静は江坂の口元に運んだ。
もちろん江坂は躊躇うことなく口を開き、そのまま・・・・・静の指先ごと口にくわえ込み、軽く歯で噛んだ。
 「あっ」
 「痛かった?」
 「い、いえ」
痛むほどに噛んではいないことは、江坂が一番良く知っている。
むしろ静は、江坂のその行動に、夜の秘め事を思い出してしまったのだろう。
(感じやすいからな、私の静は)
 このまま食事に連れて行くつもりだったが、それよりも寝室に向かう方がいいかもしれない。
そう思った江坂はそのまま静の首筋に顔を埋め、身体をソファの上に押し倒した。
 「りょ、凌二さん、まだ夕食・・・・・」
 「後で何か持って来させましょう」
 「そうじゃなくって、俺、作ったんですけど」
 「・・・・・え」
 今度こそ江坂は呆気に取られた顔をしてしまったのか・・・・・さっきまでの色っぽい雰囲気は全く消えてしまったように、
静は江坂の身体の下でくすぐったそうに笑った。
 「簡単なものなんですけど・・・・・失敗は絶対にないかなって」
 「静さん・・・・・」
 「まだ、盛り付けしてないんです。凌二さんも、手伝ってくれませんか?」
 嫌だと、言えるはずが無かった。
特別な日に、静が特別に作ってくれた料理を、このまま冷めさせるわけにはいかない。
江坂はチュッと軽く静の唇にキスをおとすと身体を起こし、顔を真っ赤にしている静の腕をそっと引っ張った。
 「2人で一緒に」
 「はい」





 「・・・・・ホットケーキ、ですか」
 「烏骨鶏の卵使って作ったんですよ。きっと美味しいと思うんですけど」
 「・・・・・美味しいだろうな、きっと」
 端が少し焦げてしまったホットケーキを皿に移しながら、江坂は予想以上に甘くなってしまったバレンタインデーに苦笑
を零すしかなかった。





                                                                end





江坂&静です。
どうしても江坂さんを笑わせたくて、色っぽいよりは可愛い話になりました。